昨日午後四時、美濃丸で神戸を出帆。船に乗って2日目です。
『都見物日記』(八)‥‥ ⑥
五・二八 今日天気よし。夜明け三時ごろに売船通りかかり、其船とつき合わせ中々の混雑。然し人は皆あがりバッテラ(※→ボート、大きな船に積載する短艇)にておくり候。其(ソレ)がため七時過に漸くこのかかりし所より出帆、鹿児島着も自然おそく相成るとの頃。先(マズ)船おだやかにて仕合(シアワセ)、鹿児島之人だんだんのり込み居られ候。そろそろ気分あしく寝ねつづき、母上様も三原氏母様も 同敷(※オナジク)気分あしき風にお見え居候。
この頃になると、ひたすら鹿児島へ向けての船旅で快適とは決して言えない状況のためか、日記も短いです(^-^;)
往路と違うのは、御三方に加え、三原氏母様も一緒に鹿児島へ向かっていることです。
三原氏母様は轟の妻・ツタの母親でもありますが、西村時彦様、つまり西村天囚氏の妻も(先妻・後妻共に)三原家の女性なので、轟の義母が同一人物かは今のところ確認が取れませんが、文面からすると、西村氏の義母でもあるのかも知れません