午前中、増上寺の辺りでお買い物。午後は従兄弟の九良賀野辰彦さんがお見えになります。
『都見物日記』(六)‥‥ ⑤
五・一五 今日天気よし。六時に起き早めしたべ、八時過に轟どのは電信局へ日本橋近辺まで出掛けられ、御母様、私は留守いたし候得ば、薩摩屋のもの参り、彩色絵十枚計り御みや用に差上ますと申してくれられ候事也。右の人は鹿児島の上町 堂の前煙草屋の嫡子にて有之との事。暫らくは かたり申候也。
十一時過に今日は増上寺黒本尊前の通りには、御門涯(ギワ)よりいろいろの店出(イデ)賑々敷所也。其前の勧工場に出掛候。何も買わぬ考えにて候ところ 左様まいらず、ちんちんと何かと買入れ候処、只今四円はすべて払い 少々の品に驚きかえり、轟殿より一円が以上、それも右買物品にはらい、帰りの上に轟殿へ算面致しもらい候得ば、とり入品物と金とガッツリに候也。ちんちんの事に実に実におどろき候也。
今日はめし お昼は神明きわの茶屋にて鰻たべ 爰(ココ)にて亦(マタ)酒のみ候。夫から内に帰り 荷物こばめ(※傍点有り)など 皆々いたし候得ば、隣のもの薩摩屋と申す人参られ、今晩は義太夫に御出遊ばす事はできませんかと申参り、茶などのみおり候処に、九良賀野辰彦さんお出に相成り、已(※スデ)に御出発が近寄りはせぬかと思うて参りましたとの事。何かのお話も有之候に付、今晩は辰様に御馳走に 銀座の千歳と申す料理屋へ夜食たべに行き候故、義太夫聞きはとしまり(※傍点有り)不申、それにて薩摩屋の者は早く帰り、御茶屋へは四人連れにて候。十時過 内へ帰り、辰様は通り町より分れ申候也。
東京までの道中、(↓)兵庫・神戸で泊まった宿屋の名前が「薩摩屋」だったので、混乱しそうですが(→ 「4月21日 兵庫着、神戸楠公社参詣」)、「右の人は鹿児島の上町堂の前煙草屋の嫡子にて有之との事」とありますね。
「上町の堂の前」‥‥ 上町で「堂」というと、以前町巡りした時に見た「仁王堂水」を思い浮かべるのですが、違うかな?
☆ 鹿児島市清水町の 「仁王堂水」
「勧工場」とは何でしょうね?「勧業」‥‥「工場」?
増上寺門前のいろんなお店が賑わっている様子、買い物をしないつもりがそうもいかず、と正直ですね(笑) 思いの外少しの品で高額になり、弟・轟に都合してもらったようです。
朝方「彩色絵」を10枚ほどおみやげ用にと呉れられた「薩摩屋」の方が、夜は義太夫へとお誘い下さったものの、従兄弟の「九良賀野辰彦」さんが「そろそろ東京を発たれるのでは‥‥」と宿屋へ来られたために、薩摩屋さんの方はお断りし、この夜は銀座の「千歳」で辰様よりご馳走頂いた、と。
※ 九良賀野辰彦さんは(↓)5月2日に宿屋へ参られたのが初登場。
「5月2日 新橋松元屋から 京橋区加賀町へ宿替え 麻布永坂島津氏お染様の所へ」
追記:「上町 堂の前」についてわかったこと↓がありましたので別途書きました('20. 5.26)
「堂の前」、、、とは?!
「仁王堂水」とは別の通りの名前でした