夢七雑録

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38.2 千束の道しるべ(2)

2009-06-10 22:55:52 | 江戸近郊の旅・嘉陵紀行
 法蓮寺門前の茶店で道を聞き、千束村の池(洗足池。写真。大田区南千束2)に行く。江戸名所図会「千束池 袈裟掛松」には茶店が何軒か描かれているが、嘉陵によると、池の縁に商いを兼ねた民家が五軒ほどあり、南側にも酒、菓子を売る店が数軒あったという。池の東縁を巡って御松庵(妙福寺。大田区南千束2)に行く。嘉陵はここで、庵主の僧から縁起を見せてもらっている。また、門の傍らには、石工の仮小屋があったが、宗祖の遠忌に間に合わせるためだろうと記している。御松庵の近くに、広重の名所江戸百景にも取り上げられ、日蓮が袈裟を掛けたという伝説の袈裟掛松がある。この松について、嘉陵は、根から4mのところで二股になり、高さは15mほど、枝は四方に垂れていて、南側の枝は池の水に洗われていたと記している。現在、この松はすでに枯れ、何代目かの松が妙福寺内の垣に囲まれた場所に立っている。また、七面の社があり、その傍らに吉祥天の祠があった。嘉陵は矢立硯を出して後ろの羽目板に、今日ここに詣でた事を書き付けている。当時は、こんな行為も許されていたのだろう。七面の社には、この地の八景を歌に詠んだ額が掲げられていた。八景とは、「袈裟掛松の夜雨」「久我原落雁」「千束秋月」「小山夕照」「雪が谷の暮雪」「八幡山晴嵐」「土道橋帰帆」「池上晩鐘」であった。
 
 嘉陵は、午後2時過ぎに七面の社を出て、池の縁を回って八幡山に行く。新田義興の主がしばらく住んでいたという場所である。石段を上がると八幡宮(千束八幡神社。大田区南千束2)の拝殿があり、さらに上がると本社があった。社の四面に古松が生い茂り日差しもない。傍らの藁葺きの家に痩せた法師が一人。こんな場所でも住めば住めるというのが不思議だと嘉陵は書いている。夕暮れも間近になったので、嘉陵は本道(中原街道)を通って帰路につくが、途中、秋の草花を手折って、みやげにしている。戸越を過ぎ、土道橋を渡ると、ちょうど、川下から舟が上がってきていた。八景の一つ「土道橋帰帆」の風景である。嘉陵は、往路とは別の道を帰ろうと、白金台(高輪台)を北西に折れて、樹木谷(港区白金台1)を下り、相模橋(四の橋)を渡り、一本松(港区元麻布1)を経て、鳥居坂(港区六本木5)から氷川明神(港区赤坂6)の前を通って赤坂に出ている。この日、家に帰り着いたのは、午後6時前であった。ところで、嘉陵は、樹木谷から先、磁針で方向を見ながら歩いたが、赤坂までは真北に向かっており、往路よりは少し短かったと記している。

 嘉陵は、此の頃、雨が降りしきり、厚木の渡しは今朝より止まっていると追記し、後で聞いた話として、次の日に無理して厚木の渡しを渡ろうとした舟が沈んだため、大勢が死んだと書いている。最近は洪水も多く、富士や大山は特に荒れているということであった。

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