夢七雑録

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41.1 八幡もうでの記(1)

2009-06-26 21:17:30 | 江戸近郊の旅・嘉陵紀行
 天保二年六月九日(1831年7月17日)。嘉陵すでに72歳。老人の足ではと、心配もあったが、あえて八幡詣に出掛けることにした。八所八幡詣ともいい、8ヶ所の八幡宮を巡るのである。ほのぼのと明ける頃、三番町の家を出て、最初に市谷八幡宮(市谷亀ヶ岡八幡神社。写真。新宿区市谷八幡町)を参詣する。

 それより神楽坂を上り榎木町(榎町)を過ぎ、とどめき(轟橋?)なんど(納戸町?)という所を通って、二番目の高田の八幡宮(穴八幡神社。新宿区西早稲田2)に詣でる。楼門の前に麻疹避けの氷室の社があり、楼門を入ると、本社、鐘楼、改修したばかりの東照宮の社殿、御輿納置堂、観音堂があった。時刻は午前8時。穴八幡の謂れともなった、神が出現した横穴(金銅製の阿弥陀如来が発見された)を拝し、山裾の御手洗を覗いてから、ここを出る。

 高田馬場(跡地は新宿区西早稲田3)を過ぎて西に行くと分れ道に出る。文化十三年に上高田の氷川神社を訪れた時は北側の道を通ったが、今回は南側の諏訪明神(諏訪神社。新宿区高田馬場1)の前を通ったと思われる。途中で雨が降りだしたが、そのまま進むと、入口の道に地蔵尊が建つ寺があった。嘉陵は寺の名は忘れたとしているが、観音寺(新宿区高田馬場3)であろう。嘉陵は、上高田の橋(小滝橋)で井の頭の水(神田川)を渡るが、この辺は玉川上水の分流が井の頭の水(神田川)に合流しているため、水勢は強かったと記している。橋を渡って左に折れて御成山(中野区東中野)の麓の小道を行くが、また雨が降ってきたので木の下でしばし休息する。少し歩いて、中野法泉寺の塔(宝仙寺。塔は現存せず。中野区中央2)の傍らから青梅街道に出る。午前9時過ぎ、しがらきと言う飲食店で朝食をとり、しばらく休む。そのあと、妙法寺(杉並区堀ノ内3)を参詣し、三番目の大宮八幡宮(杉並区大宮2)に詣でる。嘉陵は文政十二年(1829)にも大宮八幡に詣でたことがあり、その時に詠んだ歌を社前の石燈篭に書き付けておいたのだが、すでに半ば消えて読めなかったと書いている。

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