夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

2014年 5月29日(木)「リスク」

2014年05月29日 22時20分22秒 | 「思うこと」
大飯原発稼働差し止め判決に対する「ゼロリスクを求める考え方は科学技術の考え方に対する裁判所の判断として不適切」「工学的な安全対策を否定する考え方は不適切」(日本原子力学会)という言葉は、科学技術の発展の中で安全性をより高め発達をしていくという一般的な論理として正しいのですから「ゼロリスク」求めるならばこのような科学技術の発展と利用はないでしょう。
しかし「ゼロリスク」を求めることが間違いだという論理の裏側には「完璧な安全」という論理も間違いであるということです。ですから「原発の安全性は保障されている」から稼働・再稼働をという論理はやはり安全神話なのです。ですから飛行機事故などがあれば「より安全性を高める」ということしか言えないわけです。原発の過酷事故が現実に起きたわけですから「ゼロリスクを求める考え方は科学技術の考え方に対する裁判所の判断として不適切」「工学的な安全対策を否定する考え方は不適切」という言葉も「より安全性を高める」という意味以外ではないのです。「ゼロリスクを求める考えは不適切」という論理のすり替えで安全性を語る。これもまた安全神話の語り方の一つなのです。
リスクというのは事故が起きる確立を下げることだけではなくて事故は起きるものだという認識にも立ってその事故が起きた場合にどれだけのリスクが生じるかを見なければならないでしょう。この事故が起きた時のリスクの大きさを含めたリスクなんです。
車の交通事故の起きるリスクの大きさと原発の重大事故が起きるリスクの大きさを比べれば、交通事故は毎日起きているわけですから原発の重大事故のリスクは相当低いことになる。リスクの高い車に毎日乗っているのに原発事故の相当低いリスクを言うのは間違いなどといった論理が生まれる。しかし車の事故と原発の事故といういったん事故が起きた時のリスクはどちらが大きいかといえば原発事故のリスクのほうが相当大きいでしょう。その中で原発の稼働リスクは高いということになります。
経済的コストも発電コストで原発は安いといわれますが事故時のコストを考えればそのコストは相当高い。

このような論理から安全神話と平和ボケという言葉を混同してはいけない。
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