眠くなりましたんでツイッターから。
そのホワイトカラーの方の原発への考え方はどのようなものなんでしょうか?
何もツイッターばかりやっている人やデモをやっている人だけが脱原発ではないと僕も思います。忙しくて自分の生活に追われている人たちがどう思っているのかからの意見が大切ですね。それが世論調査にも現れます。その意味でそのホワイトカラーの方の意見が気になりました
民主主義というのは、社会の中で自分が自由に考えて自由にその意見を表現できることでもあります。ですから脱原発もその中身において違いがあるでしょうし運動のやり方にも違いが出る。しかし脱原発(原発はなければないほうがいいという意見も)自体をその運動のやり方から捨ててはいけないわけです。
ツイッターというのはあんがい原発のない社会をいろいろな意見や形で表現されていますよね。。。。積極的脱原発から消極的脱原発まで。以前から脱原発も経済問題だと書いてきましたが、この経済問題の解決も含めて脱原発の可能性もツイッターにはある。
脱原発などと言っているから再稼動ができなくて電気料金が上がるんだ。エネルギーの輸入が多くなるからだという意見もたくさんある。そうならばその経済問題の根本的な矛盾がどこにあるのか、それを解決する術があるならその方も脱原発ということになる。民主主義というのはこうして形成されていく。
(こうした議論も含めて平和問題も同じで)
武力での解決で死ぬのは市民ですね。市民が死なない武力行動はない。武力での威圧は市民が死ぬぞということ。その市民が相手国の市民あるいは内戦なら敵対勢力が支配する市民を殺すことに賛成するとき、相手国の国民も殺そうと考えている。国民同士は武力解決には反対せざるを得ないのです。
こういったある事例が発生したとき集団的自衛権がなければ対応できない。。。軍事的なものはこういった事例を仮定として作りあげていけばどこまでもエスカレートをしていく。歯止めはなくなる。
その仮定として作り上げられた事例で平和主義は非現実的だとされる。
しかし現実としては、日本は平和主義で自国を戦争から守ってきた。
(もしも。。。。という仮定の話をされればそれなら日本はやばいとなり今の政治の流れを肯定する。しかしその仮定を落ちついて議論していけば、現実に戦争を行わなかった日本が今もある。冷戦時代にも。戦争をする必要がないならそこに平和を維持しようとする気持ちがでる。何も軍事的衝突を仮定とするその仮定を鵜呑みにすることもない。民主主義というのは国民的な扇動ではなくて現実から社会を作り上げていくことでしょう。)
そのホワイトカラーの方の原発への考え方はどのようなものなんでしょうか?
何もツイッターばかりやっている人やデモをやっている人だけが脱原発ではないと僕も思います。忙しくて自分の生活に追われている人たちがどう思っているのかからの意見が大切ですね。それが世論調査にも現れます。その意味でそのホワイトカラーの方の意見が気になりました
民主主義というのは、社会の中で自分が自由に考えて自由にその意見を表現できることでもあります。ですから脱原発もその中身において違いがあるでしょうし運動のやり方にも違いが出る。しかし脱原発(原発はなければないほうがいいという意見も)自体をその運動のやり方から捨ててはいけないわけです。
ツイッターというのはあんがい原発のない社会をいろいろな意見や形で表現されていますよね。。。。積極的脱原発から消極的脱原発まで。以前から脱原発も経済問題だと書いてきましたが、この経済問題の解決も含めて脱原発の可能性もツイッターにはある。
脱原発などと言っているから再稼動ができなくて電気料金が上がるんだ。エネルギーの輸入が多くなるからだという意見もたくさんある。そうならばその経済問題の根本的な矛盾がどこにあるのか、それを解決する術があるならその方も脱原発ということになる。民主主義というのはこうして形成されていく。
(こうした議論も含めて平和問題も同じで)
武力での解決で死ぬのは市民ですね。市民が死なない武力行動はない。武力での威圧は市民が死ぬぞということ。その市民が相手国の市民あるいは内戦なら敵対勢力が支配する市民を殺すことに賛成するとき、相手国の国民も殺そうと考えている。国民同士は武力解決には反対せざるを得ないのです。
こういったある事例が発生したとき集団的自衛権がなければ対応できない。。。軍事的なものはこういった事例を仮定として作りあげていけばどこまでもエスカレートをしていく。歯止めはなくなる。
その仮定として作り上げられた事例で平和主義は非現実的だとされる。
しかし現実としては、日本は平和主義で自国を戦争から守ってきた。
(もしも。。。。という仮定の話をされればそれなら日本はやばいとなり今の政治の流れを肯定する。しかしその仮定を落ちついて議論していけば、現実に戦争を行わなかった日本が今もある。冷戦時代にも。戦争をする必要がないならそこに平和を維持しようとする気持ちがでる。何も軍事的衝突を仮定とするその仮定を鵜呑みにすることもない。民主主義というのは国民的な扇動ではなくて現実から社会を作り上げていくことでしょう。)