麻生大臣がセクハラ問題について
「セクハラ罪っていう罪はない」「罪としてはいわゆる親告罪。まだ訴えられているという話もない」
公文書の改ざんについては
「どの組織だってありうる。個人の問題だ」「個人の資質によるところが大きかった。組織全体でやっている感じはない」
(「 」内はハフィントンポストより引用 )
と、発言したようです。
度重なる公文書の改ざんや隠蔽は一定の処分がありましたがトカゲのしっぽきりのようなものです。この処分で終わりというのがまさしく個人の責任という事になります。しかしなぜ官僚が改ざんや隠蔽を行ったのかについては何も説明がない。官僚が自分の都合だけで行うメリットはないはずです。もちろん政治家に忖度したなら将来の出世もあるわけですが。なぜ隠蔽や改ざんをしたのかを説明するのが麻生さんの責任でしょう。これを行わないで個人の資質などという言葉でお茶を濁すのは責任を果たさないと言っているようなものです。
セクハラ問題にしてもセクハラ罪はないとしてまるで犯罪ではないという印象を受けます。被害者個人が訴えていないから犯罪として成り立たないといった論理も見え隠れします。
先日このブログで今の内閣や政治は無政府状態だと書きましたが、まさにこの麻生さんの言葉にある中身は大臣の責任は触れずに終わりにしようとする無政府状態です。個人の責任で片づけられる状態が無政府的です。そして問題を問題にしないこと自体が無政府的です。
以上のような内閣や政治の無政府性はやはり数の力による驕りにあるのでしょう。数の力によりそれで済んでしまう政治。
セクハラや公文書の改ざんなどは、総理大臣を先頭にして内閣が厳重に防止をしなければならないという倫理も含めた大切なことです。
被害者が訴えなければ・・・・個人の資質の問題だから・・・・・
すごい倫理観をお持ちのようです。
「セクハラ罪っていう罪はない」「罪としてはいわゆる親告罪。まだ訴えられているという話もない」
公文書の改ざんについては
「どの組織だってありうる。個人の問題だ」「個人の資質によるところが大きかった。組織全体でやっている感じはない」
(「 」内はハフィントンポストより引用 )
と、発言したようです。
度重なる公文書の改ざんや隠蔽は一定の処分がありましたがトカゲのしっぽきりのようなものです。この処分で終わりというのがまさしく個人の責任という事になります。しかしなぜ官僚が改ざんや隠蔽を行ったのかについては何も説明がない。官僚が自分の都合だけで行うメリットはないはずです。もちろん政治家に忖度したなら将来の出世もあるわけですが。なぜ隠蔽や改ざんをしたのかを説明するのが麻生さんの責任でしょう。これを行わないで個人の資質などという言葉でお茶を濁すのは責任を果たさないと言っているようなものです。
セクハラ問題にしてもセクハラ罪はないとしてまるで犯罪ではないという印象を受けます。被害者個人が訴えていないから犯罪として成り立たないといった論理も見え隠れします。
先日このブログで今の内閣や政治は無政府状態だと書きましたが、まさにこの麻生さんの言葉にある中身は大臣の責任は触れずに終わりにしようとする無政府状態です。個人の責任で片づけられる状態が無政府的です。そして問題を問題にしないこと自体が無政府的です。
以上のような内閣や政治の無政府性はやはり数の力による驕りにあるのでしょう。数の力によりそれで済んでしまう政治。
セクハラや公文書の改ざんなどは、総理大臣を先頭にして内閣が厳重に防止をしなければならないという倫理も含めた大切なことです。
被害者が訴えなければ・・・・個人の資質の問題だから・・・・・
すごい倫理観をお持ちのようです。