夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

2018年 5月 8日(火)「開き直り」

2018年05月08日 22時02分58秒 | 「政治・経済」
麻生大臣がセクハラ問題について
「セクハラ罪っていう罪はない」「罪としてはいわゆる親告罪。まだ訴えられているという話もない」
公文書の改ざんについては
「どの組織だってありうる。個人の問題だ」「個人の資質によるところが大きかった。組織全体でやっている感じはない」
(「 」内はハフィントンポストより引用 )
と、発言したようです。
度重なる公文書の改ざんや隠蔽は一定の処分がありましたがトカゲのしっぽきりのようなものです。この処分で終わりというのがまさしく個人の責任という事になります。しかしなぜ官僚が改ざんや隠蔽を行ったのかについては何も説明がない。官僚が自分の都合だけで行うメリットはないはずです。もちろん政治家に忖度したなら将来の出世もあるわけですが。なぜ隠蔽や改ざんをしたのかを説明するのが麻生さんの責任でしょう。これを行わないで個人の資質などという言葉でお茶を濁すのは責任を果たさないと言っているようなものです。
セクハラ問題にしてもセクハラ罪はないとしてまるで犯罪ではないという印象を受けます。被害者個人が訴えていないから犯罪として成り立たないといった論理も見え隠れします。
先日このブログで今の内閣や政治は無政府状態だと書きましたが、まさにこの麻生さんの言葉にある中身は大臣の責任は触れずに終わりにしようとする無政府状態です。個人の責任で片づけられる状態が無政府的です。そして問題を問題にしないこと自体が無政府的です。
以上のような内閣や政治の無政府性はやはり数の力による驕りにあるのでしょう。数の力によりそれで済んでしまう政治。
セクハラや公文書の改ざんなどは、総理大臣を先頭にして内閣が厳重に防止をしなければならないという倫理も含めた大切なことです。
被害者が訴えなければ・・・・個人の資質の問題だから・・・・・
すごい倫理観をお持ちのようです。
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池に浮かぶ月128【5月8日】

2018年05月08日 20時21分28秒 | 「池に浮かぶ月」
安倍内閣の特徴は、言葉により国民をひきつけることにある。安倍内閣誕生の時から消去法によって支持をされ期待の言葉だけを国民に示していた。これが5年も続いてきたことになる。経済は「道半ば」が繰り返され、毎年度には女性の活躍やらを打ち出すが実現はしないで次の子育て支援が。政治は次から次へと腐敗や疑惑が現れているが数の力で乗り切る。国際関係は「成果」を強調するが、目に見えるのは税金のバラマキであり、北朝鮮の非核化では蚊帳の外ではないかとささやかれる。危機を煽って規制事実化をさせた改憲。。。。。
これしか自民党の生き残りはなくなっている。

「池の上に月が昇る
その池に写る月は現実の月ではない
しかし現実の月を写したものであることでその池に浮かぶ月も現実である
人間の過去もすでに現実としては存在しない
しかし過去の時間の中で現実であった」

「5月 8日という日」

【2017年】ツイッターつぶやき自民党政治が生き残るためには改憲しかないというのが最近の自民党の言動に見ることができる。 経済政策では20年もデフレから脱却できず、その経済も含......

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