夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

2020年12月30日(水)「拡大解釈された教条的禁煙運動」

2020年12月30日 13時05分18秒 | 「禁煙運動について」
以下、ツイッターから
WHOたばこ規制枠組条約8条とその拡大解釈としてのガイドライン。
喫煙は合法であることを否定していない。
受動喫煙ゼロを言うが、どこで喫煙してよいのかを規定することを放棄している。それは受動喫煙防止の方策と政策を示さずに強制禁煙を言う。
喫煙してもよいが受動喫煙ゼロは、非現実的な矛盾
WHOがリスクゼロでなければならないというのなら、地球上に存在するすべての人工的有害物質をゼロにしなければならない。
リスクゼロは経済を破壊させるから、煙草だけにターゲットを絞れるのは、喫煙率が下がっても増税してたばこ税収は減らないから。
禁煙は喫煙者への個人攻撃で行えるから。
WHOは受動喫煙の定義化は行わない。
隣で喫煙した場合の受動喫煙か、分煙で漏れる程度の受動喫煙か、体からの匂いがする受動喫煙か、1日に一度タバコの匂いがした受動喫煙か。。。。など。
定義がない中で健康への影響はリスクゼロではないと。
これを錦の御旗として企業や個人への圧力団体化する
健康への影響ではリスクはゼロではないという錦の御旗の圧力ですから、何でもありの行動が生まれる。
たばこ増税で低賃金層や貧困層への強制禁煙と言う非人道的なものが肯定される
デジタル脳の「1」か「0」かですから1だったリスクを0.5や0.1に下げることを認められない。
社会は0.5です
デジタル脳の集団化は、たばこ規制枠組条約を拡大解釈をしたガイドラインそしてそのガイドラインを拡大解釈する方向へ向かう。その行きつく先は、ツイッター上でもそうだが喫煙者を「ヤニカス」などという言葉を使う「嫌悪」としてのヘイトに向かう。
同時に低賃金層や貧困層という世界的な矛盾そして人権問題となっている格差社会を利用したたばこ増税という日人権的な強制禁煙も正当化される。
合法的な喫煙を非人道的な方法で禁止するようなものは民主的な国家ではなくなる。非民主的な人々の思考回路がWHOにも入り込んでいるのでしょう。
合法的な喫煙の問題があるとするなら、1か0かのゼロリスクを求めるのではなく、受動喫煙の削減(1から0.5などに)を求めるのが民主的な国家が行う唯一の方法です
日本では分煙が進んでいました。喫煙者も協力をし、企業も金銭面を含めて努力をしてきました。非喫煙者もその分煙で良しとしてきた
しかしその中に空想的な教条的なリスクゼロ論者が入り込んだ。
禁煙を考える集団内ではより過激なことを言う人がウケる。
ある正義を作り出してその正義のために自ら民主主義と人道を捨て去ればヘイトや力の解決に走ってしまうのは必然です。
コメント
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