夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

2024年 1月 5日(金)「志賀原発」

2024年01月05日 22時03分50秒 | 「思うこと」
能登地震で、石川県の志賀原発で爆発音が起きたとされていました。爆発ではなかったものの冷却水関連の変圧器の脂が2万リットルほど漏れたそうです。原因については発表されていませんが、当初発表時より数倍多かったことが判明しています。また、原発周辺の線量計は線量をはかっていなかったようです。
なんだか原発の現状を正確に発表しているのか疑問になります。今後再稼働の話も出てくるでしょうが、正確な実態を隠すことがあれば日に大きな事故につながりかねません。
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池に浮かぶ月2119【1月 5日】

2024年01月05日 19時52分29秒 | 「池に浮かぶ月」
去年は。。。。。
東京の新規感染者数は20000人を超え、そして全国では220000人を超えました。
大都市の感染者数は大きな変化はなかったのですが、地方が増加していました。
正月休みで地方の方へ人が移動しましたからね。
感染の波はピークへ。

≪去年の今日はこんなことを・・・≫
2023年 1月 5日(木)「正月休みそしてコロナ(2)」

「池の上に月が昇る
その池に写る月は現実の月ではない
しかし現実の月を写したものであることでその池に浮かぶ月も現実である
人間の過去もすでに現実としては存在しない
しかし過去の時間の中で現実であった」
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「1月 5日という日」

2024年01月05日 08時06分20秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
能登地震で、石川県の志賀原発で爆発音が起きたとされていました。爆発ではなかったものの冷却水関連の変圧器の脂が2万リットルほど漏れたそうです。原因については発表されていませんが、当初発表時より数倍多かったことが判明しています。また、原発周辺の線量計は線量をはかっていなかったようです。
なんだか原発の現状を正確に発表しているのか疑問になります。今後再稼働の話も出てくるでしょうが、正確な実態を隠すことがあれば日に大きな事故につながりかねません。

     ≪過去の日記

【2004年】
今日から多くの会社も仕事始めだと思うのですが、着物を着た女性をあまり見ませんでした。こう不景気だと華やかな着物もかえってむなしくなるかもしれませんから着ないほうがいいのかもしれません。どうも見せかけの華やかさは苦手です。
そういえば今の日本も見せ掛けやはったり、見栄ばかりですね。
中国が有人飛行に成功したときに、日本のほうが本来技術力はあるのだというようなことを言っていた人がいましたが、日本の科学も含め全体のシステムは狂っているのであり、そこには目を向けない。経済大国の輝かしい過去ばかりを見てそこにこだわり、未来に向けて何が必要かがない。改革という言葉は流行っても、それは米百表のような我慢をしろという国民泣かせの精神論である。
これからさまざまな中にこの精神論が流行ると思います。現実を直視して未来を描けない中に精神論は忍び込んできます。

【2005年】
3日に妻と大きなお寺に初詣に行ったのですが、境内は混雑をし、賽銭箱前は電車のラッシュなみでした。
お参りを済ませて出口に向かったのですが、そのとき後ろからすごい力で押されて腰を痛めている僕としては辛かったです。どんなヤツだと振り向いたら細木数子そっくりのおばさん。。。。うううう・・・
何だか今年もあまり運勢がよくないのか?細木数子そっくりさんに押されて運がいいのか?
昨日娘と渋谷に行ったときに、娘が1000円の福袋を買ったのですがたいしたものが入っていませんでした。明日あたり妻と買い物に行ったとき安い福袋でも買ってみようかな。福袋って、買うときに値段から期待はしないように思うのですが、やはり買ってみると期待をしてしまう。そしてやはり中身を見てがっくりと。。。(笑)まぁ、これが福袋の楽しみなんでしょうね。

【2006年】
昨日干した洗濯物がまったく乾きません。いつもは合成洗剤を使っていないのですが、嫌な臭い防止のために使っています。
日本海側から東北にかけてすごい雪のようですね。お見舞い申しあげます。
寒さも記録的だそうです。でも、僕が子供の頃は外に干したタオルが凍っていたこともあり、それに比べればそうは寒さもきつくはないと思うのですが。。。
しかし、それにしても今年の冬の寒さは骨身にしみます。
今のところ風邪もひかずに頑張っています。
今朝、体脂肪計でデーターを採ったのですが、やはりこの年末年始で悲惨な結果となりました。今年もジム通いを頑張りたいと思います。しかし・・・1週間サボっただけで体は元に戻ってしまうなんて、ジム通いも一生やめられませんなぁ。。。
子供の頃、学校で身体検査があり「私のからだ」という身体測定結果をもらって帰り、保護者の印鑑を押して返していましたが、いつもお袋から「何でお前はこんなに痩せているんだ。飯もちゃんと食わしているのに」と笑われていましたが、いつ頃からだろう少し太りだしたのは。やはり結婚後かな?
HPにジム通いのページを作りましたが、平衡してメモ欄を作り体脂肪計の結果を残し始めました。メモのページ名を何にしようかと思い子供の頃を思い出して「私のからだ」にしようと思ったのですが、なんか検索サイトで変なサイトかと勘違いをして来てしまう人もいるかと思いやめました(笑)オヤジの体脂肪結果では申し訳ないですからななぁ(ガッハッハッハ・・・・)
しかし、馬鹿笑いをしている場合ではないですなぁ。。。
正月そうそうの新聞に衝撃的な記事を三つ見つけました。

1、「就学援助4年で4割増」
就学援助とは、学用品や給食費、修学旅行費などへの援助だそうですが、その援助を受けている児童が東京や大阪という大都市で4人に1人という。慢性的な不況が強いという北海道や沖縄でも高い数値が出ている。
この影響は、将来への希望を児童たちがもてないという結果にもつながっているようである。
2、「人口減の村・日本の将来」
昨年1年間で1人しか子供が生まれなかった村を紹介している。
70年代からの都会への若者の流出と村にいては結婚相手が見つからないといいその影響で村に子供がいなくなっている。
しかし、この子供の数の減少は、過疎の村だけではなく、都会に流出したという若者が集まる大都市も含めて出生率が1.29だという。200年後には江戸時代ぐらいの人口になり、1300年後には日本人がいなくなるらしい。
3、仕事に「満足は58%」
昔から仕事にあまり生きがいをもてなかったというものはあったが、今は大いに感じる人が19%、ある程度感じるが49%、合わせて68%。すべての生活内での生きがいは、合わせて76%。この差は生きがいを仕事以外に求めていることにあり、仕事と仕事以外をどちらを大切にしているかでは、仕事は23%、仕事以外の自由時間は60%となっている。家庭回帰は進んでいる。転職の是非は、転職したほうがいいが半数以上である。
今の生活レベルは、中の中がやはり一番多いが、中の上以上は20%に対して中の下以下は37%と、昔「一億総中流意識」といわれていたが生活レベルの悪化意識は進んでいるのではと思う。

子供を生むというのは、まったくの個人的なまたは夫婦単位の私的なものである。それにはいろいろな要因が重なってその意識もでてくるものだと思う。しかし、一つの大きな要因は経済にあるのではないかと思う。
たしかに昔の貧乏時代の日本では「貧乏の子沢山」という言葉があり、貧乏だから子供を作らないということにはならないのだが、昔と今とでは生活そのものが変化をしてきており、昔はほんとの貧困が存在していたが、今では豊富な中の貧困が進んでいるということである。この豊富な中の貧困というのは、有り余るものがあふれかえっているがその有り余る物を手に入れることができないという貧困である。昔に比べれば、科学力の発達と生産力が高まり、ある程度の物が手に入りやすくなっており、それが裕福という意識に見える。しかしその有り余るものを消費できるような庶民の経済能力があるかといえばそうではなく、無理をすれば他を犠牲にするしかないのである。共働きでやっとという(女性の社会進出というものもあるが)状況も昔と変わりないのである。そこにはやはり貧困があるのではないのかということが豊富な中の貧困なのである。
正月も終わらないというのに町の中では夏のボーナス一括払いセールのようなものが目に入るし、カードローンは当たり前になっているし、テレビコマーシャルではサラリーマンローンの宣伝も多く、銀行の関連会社か?と思われるサラリーマンローンも出ている。庶民の懐に今ある金がないから将来に入るであろう金をもあてにして企業も躍起なのであり、これが一つの豊富な中の貧困の現われなのである。
今は昔に比べて庶民も子供を育てるには、教育環境も豊富になっており、この豊富な中にやはり貧困も出てくるのである。生活環境を変えずに教育環境についていくには子供の数を減らさなくてはどうにもならないのではないか?
大昔には間引きというものがあったらしいし、近い昔は、食わすことはできるとしてできたものは仕方ないとし、そうは子供に金はかからなかったし、今は家族計画の普及と中絶技術がこれに替わっただけなのかもしれないと思う。
長寿大国といわれるにもかかわらず、バブルのはじけた頃の90年代に県によっては人口減が始まり、人工のピークが長引く不況をどうすることもできないで庶民を犠牲にする政策や企業意識が一層あらわになってくる2000年が人工のピークというのは皮肉である。
就学援助の増加というのは、意識の変化もあり、昔は肩身の狭い思いをしたもんだと思ったことがあるが、今は個人情報の保護意識も高まったし、あんがい気楽に受けられるのではないかと思うほどになっているのかもしれない。しかしこれだけの増加は異常である。庶民の生活レベルが下げられれば国がそれを面倒見なくてはならなくなる。何も就学援助だけではなく、
(時間がなくなりましたので明日にでも続きを書きます)

【2007年】
(記事なし)

【2008年】
なんだか、三度三度毎日「何食う?」というのも嫌になったので昼はデ○ーズへ。
一時デ○ーズも味が落ちたかなと思った時期もありましたが、最近はまたおいしくなりましたね。
ファミレスの中ではやはり一流でしょうなぁ。
午後からは初詣に。
そろそろすいているかと思いましたが、やはりすごい混雑でした。明日までは込み合うのでしょうか。
参道にはたくさんの屋台が並んでいました。
定番のお好み焼きやたこ焼き、チョコバナナにスモモ飴。。。
最近は焼きそばもあんかけ焼きそばになっていたりしてびっくりしました。屋台もいろいろと工夫をしたり若い人をひきつけようとしたりしているようです。屋台が並ぶ風景は好きだなぁ。。。。
厄除けのお札と交通安全の車に付ける破魔矢をいただいてきました。
昨日は、実家に行って来ました。
老夫婦が喧嘩をしながらも無事正月を迎えていました。
お互いに相手を「ボケた。。。」と嘆いていますしたが、どちらがまともでどちらがボケているのやら。。。ううう
正月も終わりですねぇ。。。。
七草も近い。。。。

【2009年】
(記事なし)

【2010年】
(記事なし)

【2011年】ツイッターつぶやき
川上弘美さんの句集「機嫌のいい犬」(集英社)を読み終わりました。
この句集のタイトル「機嫌のいい犬」は、
   徹頭徹尾機嫌のいい犬さくらさう  (144ページ)
という句からのようです。
徹頭徹尾という硬い言葉とはしゃぐように走ったり駆け寄ってくる犬の様子そして「さくさう」という柔らかな花の名(そしてひらがな)のコントラストに硬い言葉も生きてきて春のきらきらする光と暖かさなどが目に浮かび肌に感じるようようです。
電熱線のコンロというものがありますが、冬に鍋デモするのでしょう、仕度をして電気コンロのスイッチを入れたらしばらくして熱で膨張する金属のカチッといった音が。。。。こんな何気ない様子の中に冬の夜を強く感じます。
俳句は季節をスケッチするものと思いますが、きれいな風景といったものではなくてどこか生活臭や一瞬の心の動きといったものを感じさせます。
この心の動きというものではページを開くとすぐに
     はっきりしない人ね茄子投げるわよ
という句が目に入ります。ドキッとしますなぁ(笑)
ある句ではお風呂に入ったら乳房が少し浮くとか。。。。男と歩いた錦糸町をとか。。。。。。川上さんの小説は男が読むとドキッとします。女性読者ならフフフ・・・・と?この恋の句もたくさんありますが、これもまたすごく生活臭がするものが多いです。
時には一人の女として、時には母として。この中での生活の人場面の中の心の動きにドキッとします。
時には激しい心の現われと性。
そして死があります。印象的だったのは叔父の死ですね。短編集だったかな?中にもこの叔父の死を描いたのではないかと思う作品がありますが、それは美しい世界主人公と死んだはずの叔父が出てきます。句にもこの美しさを感じます。そこにも生活臭があるのでしょうか。
生活臭は時には句の中に捨てられた便器が出てきたり少し汚れたものを感じさせますが、これも川上さんの世界です。糞も出てきますが、これもまた生活に目を向ければ当たり前のものです。小説の世界でも同じです。そこにどんどん入ってきて生活臭をばら撒きながらその傍らにあるなんともいえない心の動きがあります。
心の動きという面では怖さというものが出てきます。正月飾りのプラスチックの伊勢海老やオカリナの音色に怖くなる。生活の中には恋や愛もあればきれいなもの楽しいものがたくさんある。でもその生活にはどんよりするような日常の汚れもある。そして怖さとか不安もある。喜怒哀楽という一言で済ませばそれまでですが、生活という一言の中にこの喜怒哀楽が凝縮をして流れていくことをあらためて感じます。
このような生活を俳句にする。。。。その中には俳句のもう一つの魅力である「おかしみ」があります。汚いものや怖いもの不安なものを含めたそれらをおかしみの中に表現をしてしまう。俳句の魅力です。そして「あとがき」の中に川上さんがお書きのように日本語にはこのおかしみを含めた少し不思議なそして美しい言葉がたくさんあります。それを意識した句集となっているのでしょう。この日本語の美しさは小説の中でも現れています。
言葉は面白い。。。。そして俳句は面白い。その意味において詩ですね。

【2012年】ツイッターつぶやき
「食べログ」。。。。残念ですね。ときどき覗かせていただき参考にしていますのでブログからもお気に入りに入れていたのですが。。。。
もちろん「食べログ」のサイト自体が悪いわけではないのですが。
食べログに乗っている飲食店から金をもらいランキング(口コミ)を意図的に上げるということでしょうか?
ネットで金儲けも言いづすが、このような行為はネットの楽しさを奪うものですね。
食も文化です。
この文化を皆が語り合って評価をするということですから、ここに今回のようなある意味「やらせ」が入ってくれば食の文化に傷がつきます。
逆のパターンもあるのでしょうか?ランクを下げる「やらせ」。。。。。
食の文化にランクをつけることでは有名なミシュランがありますが、なんとなく踊らされているような気持にもなり本を買ってみようとは思わないです。まぁ、僕のようなものには別の世界のような高い店でしょうから?
ヨーロッパでもアメリカでも、そして日本でも国債のランクに右往左往しています。一民間企業の格付け会社の格付けで国家の信用までは評価されてしまう。よくよく考えてみればおかしな話です。
ランク付けというのは、判断材料という面で素人には手早い情報なわけですからちび付きやすい面があります。
「食べログ」にしてもランク付けという手軽なものはなくした方が良いのかもしれません。口コミもある程度の中身のあるものに限るとかも必要かも。こうすれば今回のような「やらせ」的なものもなくなるのではないでしょうか?いちいち書かなければならないとなると手がかかりますからね。
朝日新聞夕刊には、ネット上での批判について書かれていました。よく見る「死ね」とか「辞めろ」とか「謝罪しろ」とかという言葉だけによる正義感の現れもランク付けのようなもので手軽な言葉の批判なわけです。「抗議」というものもありますが、デモとかでの抗議と同じように思われているのでしょうか?

【2013年】
(記事なし)

【2014年】ツイッターつぶやき
生産性の向上というものが本来どのようなものかという考え方をもたないとならない。
賃下げという人件費をコストという面から捉えてそれを生産性の向上だとする論理はまったくの間違いである。労働力もひとつの商品ですからそれには価値がある。その価値どおりに売買されなければ経済法則を混乱させるでしょう。それは力のある者が商品を買い叩いて相手の損失分を自分の利益とするような社会は長続きはしないでしょう。ましてやそれを堂々と生産性の向上だと自己満足をするなら相当なひどい経済理論である。
生産性の向上とは、生産設備の改善などによる技術上の発展からより少ない労働力でより多くの商品を作り出し、その商品の価値を下げて価格を下げることにある。その生産性の向上は資本主義的競争の原動力なのですから法則性となる。よりやすくて大量の商品を市場に出すことによる特別剰余価値の生産。
しかしこの生産性の向上がひとつの限界に達すると企業の利潤は平均化をしてしまい生産性の向上が停滞する。それが経済矛盾として現れるわけで、生産性の向上と法則的だが同時に経済の桎梏ともなるという矛盾を表す。経済の法則性は、必要とされる労働力の減少を労働時間の短縮に向けろといっているのである。商品の価格下落は少ない賃金でも労働者の生活を安定化させろといっている。法則性はここにあるのですからその法則性に従うほかはないのです。
労働人口の減少を補うのもまたこの生産性の向上から解決を見出すでしょう。より少ない労働力量でというのは時短の条件と書きましたが、それは少ない労働力量を補うといった形にもなるでしょう。

【2015年】ツイッターつぶやき
昨日のツイッターのまとめです。

「ロゴフ教授、黒田日銀の異次元緩和を支持 」。。。好景気での物価上昇傾向(消費の拡大)と今の悪性の物価高を混同すると大変なことになる。
「日刊ゲンダイ|水野和夫氏が警鐘 「今年は日銀が自ら資本主義に幕を引く」」そもそもアベノミクスの成果といわれるものは、円安とそれによる物価高。そして株価と企業への資本の集積です。それで経済が好転したのかといえば、矛盾は深まるばかり。
景気が拡大する中での物価上昇傾向(インフレ)があるということから、逆立ちして物価が上昇すれば景気拡大になると嫌やまった考え方は捨てたほうがよい。
経済法則によらない人為的な物価上昇政策は、国家による統制経済に導かれる。そのためには強力な政府が必要で、日本は年末の選挙でこの強力な数の力を持つ政府が出来上がった。
国家による統制経済は、その国家の富をある階級あるいは組織に集中させるだろう。もちろん国家による統制経済は本来の経済成長ではないのだから、集中すべき富をどこから作り出さねばならない。それは一般的勤労国民からでしかあり得ない。または支配することのできる他国からだろう。
経済の力が衰えた国家においてこのような統制経済が行われるとき、経済による他国への影響力がなくなればすぐに思いつくのは短絡した軍事力である。そして国内的には窮乏化する国民の当世統制である。
実はこのような国家は強い国家ではなくて弱さの露呈した国家なのです。何も日本だけではない。先進資本主義国が陥りやすい一つの傾向なのです。しかし政治思想的には先進国においては資本主義の理念が国民の中に定着をしている。それは第二次世界大戦を総括したものだろう。
ですから国家による統制経済は現代資本主義においては古臭いものになっており、資本主義の発展はその逆を求めているのである。

「資本主義的統制経済」の続きです。やはりツイッターより。
自由経済を自任する資本主義と統制経済というものは矛盾すると思われるが、実は密接に結びついている。何も統制経済が社会主義や社会民主主義に結び付けられるというだけではない。
資本主義が統制経済に結びつくことはどのように行われるか?「国家独占資本主義」という言葉は戦後の古くから規定される言葉である。自由な競争とグローバル化(これは古くは植民地種主義としても存在する)の中に競争は激化して国内だけではなくて世界レベルでの資本の集中が行われる。
様々な産業は独占化されていく。しかし独占化されてもそれが競争を排除するものではない。独占化されるが故に競争は熾烈になる。この独占企業と国家とは深く結びついてその熾烈な競争は進む。国家独占資本主義といわれる形をとる。
もちろん今ではこの独占企業はグローバル化の中で国籍を持たないとも言われているが、それが真に国家から離れた自由な行動としてのグローバル化かといえばそうではないだろう。一方に自由がると同時に一方ではその独占企業は国家(母国)と結びついている。
ここに後進国が追い付いてくるだろう。かつて植民地主義時代にその植民地を再分割しようとした国に日本もあった。今は植民地時代ではないが、商品の世界市場に進出する後進国は現れる。それは先進国がグローバル化することで加速されるだろう。
国家独占資本主義に突入する資本主義の競争の熾烈さは、その競争に勝つためにどのようなことが国内に起きるだろうか?GDP第1位と3位の国を見ると国民の相対的貧困率が高まっている。格差の拡大とその格差の醜さが表れている。国民生活は競争に勝つほどに貧困・低所得層は拡大する
また、その競争のためにはアメリカの軍事戦略や最近の日本の右傾化を見てもその答えは出ている。常に軍事的な衝突(かつての代理戦争のようなものも含めて)の危険性は増していく。同時に軍需産業への依拠も増大するだろう。冷戦が終わっても戦争の危機はなくならない。
国民生活を犠牲にした競争との排除と平和主義の存在感は増している。それが同時に資本主義の更なる発展と結びつくだろう。

日経平均の円建てとドル建ての差の拡大は進まざるを得ないのだろうか?日銀は緩和をさらに進める?円安は何も経済全般に好影響は持たずに国民生活は疲弊する。独占企業の生き残りのために。しかしその競争に勝つことが国民生活全体を豊かにしないだろう

【2016年】
(記事なし)

2017年】ツイッターつぶやき
GDPギャップは、個人消費の減少(これは絶対的ではない人為的なもの)により供給を減らすことからそのギャップは大きくなる。企業の供給は設備投資を抑えることは当然、工場や店を縮小させて失業者や低賃金を増大させる。するとさらにGDPギャップは大きくなる。経済学は逆立ちしてはいけない。
一般的なGDPギャップの拡大(マイナス)は、需要よりも供給が大きい場合に企業の設備や労働力が過剰になった時に起きるとされる。
しかし絶対的需要の縮小はあり得るのか?
多くの人々はほしいものがたくさんあるが懐の中にある貨幣量が足りないので消費しないだけである。
需要は多くの人々の懐にある貨幣量によって決定する。最低限の寝て食うだけの生活が国民に強要される場合を見ればその需要の大きさの減少がはっきりするでしょう。
ではこの国民の懐の貨幣量の減少はどのように起きるか?
まず、一定程度の賃金が保証されている場合を仮定するとしても、企業間の競争は生産性の向上による生産拡大が至上命令である。同じ商品量をより少ない労働力量で生産するのが生産性の向上である。この場合労働時間の短縮が伴わなければ労働力は過剰となる。ですから、GDPギャップの拡大は需要よりも供給が大きい場合に企業の設備や労働力が過剰になった時に起きるというのは間違いなのである。むしろ経済が成長しているときに労働力の過剰は作り出される要因となっているのである。
失業は不可避性となる。
失業は労働者の低賃金化を招く。
よって需要の縮小は始まる。
ところが低成長あるいはゼロ成長やマイナス成長下の今の日本の生産性の向上は、失業はもちろん労働者の賃金の切り下げと労働郷土の増大と長時間労働と考えられてしまったのです。
搾取の強化により労働者の賃金は生活もままならない層の労働者を拡大させた。
すると、この中での需要はさらに激しく減少するでしょう。
激しいGDPギャップが現れる。
企業は通常の消費もままならない中で大規模な生産縮小あるいは商品のダンピングに走る。
アベノミクスそしてこれまでの自民党の政策はこのような状態に労働者をここまで落としたのである。
同じGDPギャップの拡大としてもこの矛盾は相対的な生産の過剰が起きるでしょう。
成長は止まります。ますますマイナス成長に向かうでしょう。
商品市場における恐慌が発生します。
それは資本とならない貨幣量の増大は金融恐慌にいつの日か飛び火するでしょう。

【2018年】ツイッターつぶやき
yahooニュースに「専業主婦も輝ける」という記事があった。
「専業主婦も輝ける」。。。。これは間違いないでしょう。
社会の中では働く女性が多くなり専業主婦も少なくなっているでしょう。その中で専業主婦は肩身が狭く、働く女性が輝く社会が言われる。
しかし女性が輝くという曖昧な言葉の中身をみなければならないでしょう。
女性だけではなくて男性もそうです。
輝く人間というものに行きつきますね。
社会中を専業主婦vs働く女性とか、女性vs男性、高齢者vs若い人、正社員vs派遣等々対立関係に置かれているのが国民全体です。
この様々な対立は社会の中で人為的に作られているものです。
「専業主婦vs働く女性」も専業主婦は肩身が狭いと感じているが、働く女性も肩身が狭いと感じている。子育ても福祉として社会から差別される「保育園の子」あるいは「学童の子」という差別化の中で肩身が狭い思いをさせられる。女性が働き続けることに対して結婚しても辞めないのか、子供が生まれても辞めないのかと企業の中でも肩身が狭い思いをする。このようなお互いに肩身が狭い思いをさせられる中で、「専業主婦vs働く女性」という対立が作られてそれが女性同士での対立から互いに差別化していくことになる。この状態では女性は輝けないでしょう。くすんだ心が強くなる。
主婦に生きがいがあるというのも真実でしょう。しかし働く女性も家事をする。主婦の生きがいもあれば働きながら夫と協力して家事を行う生きがいもある。ここに対立関係はないはずなのになぜか対立関係に置かれる。
ほんとは働きたいのに仕方なく主婦をしながら生きがいを見つけるというのでは輝けない。
専業主婦の方が楽できるのに・・・・と考えながらも生きがいを見つけるでは輝けない。
どちらもが社会の仕組みや常識から苦しんでいるのです。
人の生きがいなどはどうしても今の社会の中での経済問題にぶつかります。この経済問題の解決抜きに真の生き方や生きがいは生まれないでしょう。

【2019年】>ツイッターつぶやき
gooお題「あなたの家のお雑煮を教えて!」
東京です。
といっても東京でもいろいろなお雑煮があるかもしれませんが、わが家の雑煮は一般的な東京の雑煮かと思います。
薄味の醤油のだし汁です。
具は大根とニンジンのいちょう切りと鶏肉です。
四角い切り餅を焼いてから入れます。
トッピングは紅白の蒲鉾と三つ葉と柚子の千切りです。伊達巻を乗せることも。
クックパッドで調べてみたら、基本的には大根とニンジンで、トッピングでそれぞれのおうちの特徴があるようです。
御節料理を食いながら雑煮を食べますからあっさり系がいいかな。。。。。。
おせち料理は食いつくしました。

【2020年】ツイッターつぶやき
朝日新聞1面3面に若い人の政治参加とその中での民主主義の現状が特集されていました。
「対話をあきらめず 運命を委ねない それが民主主義」(引用)
政治と民主主義あるいは社会のシステムの中での民主主義これをどれだけ若い人が大切にしているんでしょ?
「自分で国や社会を変えられると思う」と考えている若い人は、多くの国では50%を超えていますが、日本は約20%です。
「社会課題について、家族や友人など周りの人と積極的に議論している」では、多くの国では60%以上90%ですが、日本は20%強です。
若い人は社会や政治を変えることにあきらめているのでしょうか。
それとも運命を一部の人々にゆだねているのでしょうか。
そもそも政治や社会について考えていないのでしょうか。
考えても仕方ないから楽しいことを考えているのでしょうか。
様々なことが考えられますが、一つたしかなことは、政治自体あるいは社会のシステム自体がすでに民主主義から離れたところにあると同時に、その中で若い人たちもならされているということではないかと思います。
もちろん全く考えていないわけではないのですが、民主主義から疎外されていると、政治的な考えもポピュリズムに利用されたり、みんながそう思っているから正しいのではと右へ倣えなったり、時にはそこから排外主義へ走っていく。
社会方経過と若い人の意識性が負のスパイラルに入っている。
でも、この現象は若い人の実態であるだけではなくて、若い人を育ててきた世代の現状なのです。世代にわたって政治離れが進んでいく。
そういえば、昔も政治の話や会社批判などすると、「お前はまじめすぎる」「損をするだけだ」といった言葉が返ってきた。それでも野党の力が大きかったですから多くの若い人たちは政治運動や、労働組合運動そして市民運動に立ち上がっていた。今この組織性とそこにある思想性がなくなっているんでしょう。
でも生活や社会実態は容赦なく若い人に襲い掛かってくる。
「おかしいと 声上げた高校生 政治は変わった」

【2021年】ツイッターつぶやき
一部報道では7日から緊急事態宣言が出されるようです。
たぶん東京、埼玉、神奈川、千葉の1都3県に限定され、中身は飲食店の営業時間を現在の規制である10時までを8時までにし、鉄道の終車を早めるぐらいになりそうです。
ですからGo To中止延期も1都3県に限定するという見せしめのようなものになるかもしれません。
このぐらいの処置ならば何も緊急事態宣言などの必要はないのですが、要請に従わなければ店名を公表するという強権が政府の目的でしょう。これを2月の国会で罰則を設けるという特措法改正に結び付けるでしょう。
結局これまでの政府によるコロナ対策の失敗を隠して飲食店をはじめとした国民の自己責任を求めることになる。
Go Toは続けられ、1都3県の新規感染者数が横ばいになればまた復活させるシナリオでしょう。しかしこれでは感染拡大は防止できずの第4の波が来るでしょう。
緊急事態宣言など出さずに、営業時間規制に対する協力金を十分出せばいいだけです。しかしこの営業時間規制も必要ではなくて、夜遅くまで働く人が一人で食事をする場が必要です。Go Toイートなどを中止して会話などを規制し食事を楽しむだけの場にすればいいんです。そのうえで会食の危険性を知らせればいいんです。

【2022年】ツイッターつぶやき
今日は寒の入りでした。
東京もだいぶ気温が下がり、今朝車に乗ったら車が低温注意という表示をしました。
明日は雨になりそうですがもしかしたらちらほらと初雪かな。
寒の入りで「小寒」ですが大寒よりも寒さが厳しいらしいです。大寒になれば春は近いですからなぁ。。。。
この寒さの中これと言って楽しみはないのですが、7日は七草がゆで、11日は鏡開きでお汁粉。15日は小正月で小豆粥。。。。。こういったものをつくったりして寒さの中に楽しみを持ちたいと思います。
そうこうしているうちに節分になり立春ですからなぁ。
今夜は寒いので熱々のおでんを作りました。。。。。

【2023年】ツイッターつぶやき
一昨日、こんなことを書きました。
現在中国やアメリカでは感染力が高い変異株の感染拡大があるそうです。ワクチンの効き目も少ないとか。日本にもすでに入っているでしょうね。空港などの水際対策も簡素化されていますから。
ワクチンに頼る日本ですから今後どうなるか?
正月の連休がどう作用するか?
今日5日の東京の新規感染者数は20000人を超えました。そして全国では220000人を超えました。
特徴的なのは、大都市圏にはあまり変化はなく地方のほうで感染が拡大しています。日本海側や東北は雪が多いというのがあるのか、中国から九州で新規感染者数が増加しています。
本来政府による社会的規制があれば1週間物連休ですから新規感染者数をおさえられたはずですが、連休で感染者数が増加をすることに。
東京では新規感染者は20代から50代に多く発生しています。
連休が終わり社会活動も戻りますから今後感染拡大傾向が続くでしょう。
病床使用率も55%になっています。
家庭内感染の広がりなどで高齢者の感染が多くなるでしょう。すると死亡者も多くなり病床使用率も高くなる。
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