夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

2024年 1月24日(水)「寒波」

2024年01月24日 22時16分18秒 | 「思うこと」
大寒に入り一時3月並みの気温にもなりましたが、寒波が来て東京でもだいぶ冷え込んでいます。
山陰から北陸、新潟、東北、北海道とだいぶ雪が降っているようですね。
関が原でも大雪で高速道路で車が立ち往生しているようです。
能登も大雪で、救援物資を運んだり救援物資をもらいに行くとも大変になっているようです。
関東は谷川岳で雪は止まりますが、空っ風が入り空気が乾燥しています。
立春まであと2週間ほどですね。関東はこれから雪が多くなります。
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池に浮かぶ月2138【1月24日】

2024年01月24日 22時01分19秒 | 「池に浮かぶ月」
去年は、スウェーデンの極右勢力がコーランを焼き問題化していました。
これを表現に自由だとする問題が以前アメリカにもありました。
自由であるとすればヘイトも自由であるとなります。
去年1年で極右政権或いは右傾化する国が多くなりました。

≪去年の今日はこんなことを・・・≫
2023年 1月24日(火)「スウェーデンの内政はどうなるのか」

「池の上に月が昇る
その池に写る月は現実の月ではない
しかし現実の月を写したものであることでその池に浮かぶ月も現実である
人間の過去もすでに現実としては存在しない
しかし過去の時間の中で現実であった」
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「1月24日という日」

2024年01月24日 11時22分26秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
大寒に入り一時3月並みの気温にもなりましたが、寒波が来て東京でもだいぶ冷え込んでいます。
山陰から北陸、新潟、東北、北海道とだいぶ雪が降っているようですね。
関が原でも大雪で高速道路で車が立ち往生しているようです。
能登も大雪で、救援物資を運んだり救援物資をもらいに行くとも大変になっているようです。
関東は谷川岳で雪は止まりますが、空っ風が入り空気が乾燥しています。
立春まであと2週間ほどですね。関東はこれから雪が多くなります。

≪過去の記事≫

【2004年】
(記事なし)

【2005年】
だいぶ空気が乾燥しています。周りを見ると風邪引きが多いです。
今年は新型のインフルエンザが流行るといううわさもありますし気を付けたいと思います。そういえば、中学校以来インフルエンザの予防接種というのはしたことがないです。たしかにインフルエンザというものも怖いのですが、なんとなく人間の抵抗力がなおさらなくなってしまうのではないかと思います。できれば風邪ぐらいでは抗生物質も使いたくないのですけど。。。。
強い薬が普及すれば、その強い薬の打ち勝つ新種のウイルスも生まれる。
何も薬がよくないというつもりもないし、子供の死亡率が減ったのも薬があってこそです。しかしそれに頼りすぎる傾向が強くなっているということです。頼りすぎることに、今、不安が出てきているのではないでしょうか。
飲み残しの子供の水薬などをいいかげんに下水に流さないことという呼びかけも出ていたと思います。残った薬の回収と処分方法も課題になっているのでしょう。
新年会でした。
目がまだ治らないので酒は少なめ。。。。

【2006年】
(記事なし)

【2007年】
スーパーに行ったら「しょうが湯」というのが目に付いた。以前買った「ゆずの湯」という入浴剤と頭の中で重なり、「しょうがのおふろかぁ。。。温まりそう。。。」と思い買ってきた。いざ風呂に入れようかと思ったら、どうも変。。。。甘い香が。
よくみたら飲むほうの「しょうが湯」だった。
お風呂に入れなくてよかったです。
でも、飲むものをお風呂に入れる分には体に悪いということはないけど、入浴剤を間違って飲んだら大変ですからね。。。。

【2008年】
朝早く起きて、明太子を入れた大きなおにぎりを二つ作りました。
まだほっかほっかのおにぎりを包み出かけました。
川上弘美さんの「真鶴」の舞台である真鶴半島です。
それにしてもおにぎりというのはおいしいですなぁ。。。。
渋滞する首都高速で食べました。まだ温かいおにぎり。
<リンク>
日中の東京はどうだったかわかりませんが、真鶴のほうは暖かでした。車の暖房を切っても日差しで暑くて少し窓を開けていました。
小田原あたりはもう梅が一輪、二輪と。。。

川上弘美さんの「真鶴」の地

路地裏に風も吹かずに春近し
人も無き路地を下れば海光る
静まりて小さき船は揺れもせず
見上げれば貴船の石段古びたり
華やかな祭りの景色思いおり

凪に似て動かぬ時はゆらゆらと
真鶴や人の心は幻か
華やかな祭りの影に心揺れ
時も無き心の景色激しけり
誘われて波打つ磯に何を見る
波に濡れ誘うも心我が心
ゆらゆらと祭りの船は燃えており

現(うつつ)世の光る水面も幻か
燃える船うつつの闇も光りけり
夢うつつ時の流れにさ迷えり
庭先に時は動いて梅一輪
磯辺にて海苔掻く音は響きおり

川上弘美さんの作品「真鶴」の舞台になった真鶴岬に行ってきました。
小田原の左下あたりにある龍の頭のような形をした岬です。
上の17文字・17行の詩のようなものは、「真鶴」の世界を思い出しながら港や遊歩道を歩いたときに感じたものを書いてみたのですが、まったくの私的感情と「真鶴」の世界を思い出してのものですからわかりづらいかもしれません。
真鶴には2度ほど行った覚えがあるのですが、岬の付け根当たりで海産物を見たぐらいで、岬の先端まで言ったのは初めてではないかと思います。また、真鶴は有料道路の乗り方を間違えると通り過ぎてしまう変な地にあるので、伊豆半島などの帰りに寄ろうと思ってもこの有料道路を間違えて通り越してしまい寄れませんでした。
こんなわけで、個人的な錯覚とはいえ僕にとっては真鶴というところは不思議な感覚のある地でして、こんな感覚と「真鶴」の作品に見る不思議な世界が交じり合ったものがあります。
ひきつけられるがたどり着かない。。。。(笑)
海洋博物館だったかな?
まずはそこに行こうと思ったのですが行ってみたらない。。。。細い路地のような港町独特の道をぐるぐる回ったのですが、それらしき建物もありませんでした。なんだか狐につままれたような気持ちでした。さっそく「不思議な」真鶴に迷い込む。。。。うううう
あるはずなんだよなぁ。。。。へんだよなぁ。。。と、考えながら不思議な気持ちで細い道を下ったら真鶴漁港に出ました。たぶん、この港で貴船神社の祭りや灯篭祭りが行われるはず?「真鶴」ではその祭りの華やかさとその外界の裏というような不思議な世界が描かれます。
貴船神社はその港から見上げるように石段が延びていました。
港から岬の先端までは来るまで10分ぐらい。
「ケープ真鶴」というレストハウスのようなものがあります。
駐車場は広くて無料でした。
このレストハウス横から石段を降りると遊歩道があります。「三つ石」という、三重県の夫婦岩のような綱を渡した石があります。あたりは岩場の海岸です。この辺も「真鶴」に出てきた不思議な世界の風景だと思います。この日は天気もよくて海は静かでした。。。
岩のりを掻いているお年寄りが3人ほど。。。
歩いて15分ほどの遊歩道で、駐車場に出てきますので気楽に歩けますよ。
それにしても暖かでした。。。。
梅一輪。。。。。。
もう真鶴は春!という感じでした。

【2009年】
(記事なし)

【2010年】
(記事なし)

【2011年】
少し混雑をした地下鉄に乗った。
つり革につかまって本を読んでいたら、ターミナル駅で若い女性が僕の隣に立った。また地下鉄の電車は暗いトンネルの中をゴーゴーと走り出した。
ふと本から目を離してその女性を見たら、そうは美人ではないが清楚の女性だった。その耳を見て一瞬ドキッとした。まさに観音様のように垂れ下がるほどの福耳だったのである。
電車は次の駅に着いた。いつもはこの駅ではほとんど席が空くということはないのですが、その女性の前の席がすっと扉が開くように後光が射して空いていた。女性はすまして少し微笑み座った。
僕は少し驚きながら、さすがは福の神・・・・・と思った。
そしてまた次の駅に着いたら僕が立つ前の席が空いた。その空いた席のシートがかすかに後光が射していた。僕はなんとなく情けないようなその席に座り福の神と並び座ったのです。
福の神といえばネックレスをジャラジャラとたくさんぶら下げて大きなダイヤの指輪をはめた少しでっぷりとしたおばちゃんを思い浮かべるのですが、どう見てもその女性はそのイメージではない。飾り気もない地味な服装で小柄な小太りの女性。しかし耳は福の神である。時々ちらちらを横を向いて確認したのですが半信半疑のまま下車する駅で降りました。
そういえば。。。。!
お年玉年賀はがきが当たったのです。
ほんのわずかしか来ない年賀はがきですが、番号を見たらやたらと切手シートが当たっていてそのうえ4等までが!
4等は30品ぐらいから品物を選べるんのですが、大体の品が2000円ほどでしょうか。
二千相当の福の神。。。。。。
あの女性は二千円相当の福の神だったのでしょう。
ほんのりと心を暖めてくれた二千円相当の福の神!!・・・・アハハハ

【2012年】ツイッターつぶやき
岡田副総理が消費増税と社会保障の一体改革については、年金制度の抜本的な改革を行うには今回の10%では足りない。更なる増税が必要と述べたらしい。
ほんの数日前には、10%の消費税はすべて社会保障のために使うといっていたが、どうも年金制度改革は抜本的なものにはならないということを表明したのと同じだろう。それでは何パーセントにするというのか?
社会保険制度の改革とか抜本的改革と、消費増税については10%だそれ以上だと言い、野田内閣は今国会で不退転の意思を表明するという。しかし具体的な数字による社会保障がどのように改善維持されていくのかとなるとどんぶり勘定以上のものではない。どんぶり勘定で10%だそれ以上だと言っているにすぎないだろう。
消費税を10%にすれば13兆円の増収と言われているが、この13兆円が必要だという計算には様々な社会保障をどの程度国民に約束するのかという点で計算されたものでなければならないだろう。
「消費増税と社会保障制度の一体改革」
この言葉が持つ意味はなんなのだろう。
年金制度では最低年金額を7万円以上とするが、これをすべて消費税で賄うというのが抜本的改革なのだろうか?最低年金額を今後議論するためには=消費増税という構図が定着をしてしまうだろう。もちろん社会保険制度全般が=消費増税となるだろう。
「税と社会保障制度の一体改革」ならば社会保障制度の議論は税制度全般の中で議論されるでしょう。増税が必要としても税全般の在り方から議論できる。法人税や所得税(復興財源の議論も並行しながら)そして企業が労働力を買ったときにも消費税をかけるという新たな消費税も考えなければならない。
もちろん税と予算は切り離せないものですから社会保障制度の充実は予算とも関連をして、それはどの予算を減らして社会保障に回すかの議論も必要なはずです。一般会計からだあけではない国家予算の全体から考えなければならないものでしょう。

【2013年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2014年】ツイッターつぶやき
毎日この社会で生きていれば必要な商品やサービスなど人間の労働に作られたものに接していることに気づくでしょう。商品やサービスが身の回りにあることが当たり前のように感じられてそれが人間の労働によって支えられていることを忘れてしまうことがあるでしょうが、改めて人の労働とは何かを考えて社会全体を見渡せば思い出すことと思います。
この社会の商品やサービスが当たり前すぎて人の労働の結晶であるということを忘れさせるもののひとつが貨幣です。消費やサービスはこの貨幣を支払って買うものですから、貨幣が自分のために商品やサービスを与えてくれると見えてしまうからです。しかしどうでしょうか?貨幣は商品やサービスがさまざまな複雑な分業になっていますから貨幣の必要性が強くなりますが、基本は分業において作られた商品やサービスの物々交換なんです。自分もなんらかな形での労働を行い商品やサービスを作り出す。ほかの人々も何らかの形で商品やサービスを作り出す。それを物々交換しているだけなのです。何らかの形の商品やサービスという形としてあるものが使用価値です。使用価値はまったく違った形をしたものですから物々交換も難しいのですが、それぞれの商品やサービスはそれを作り出すための労働力量があり、この労働力量が同じだから異なる使用価値の商品やサービスも交換できるのです。ですから物々交換の木曽は人の労働力なのです。それが商品やサービスの「価値」を作り出します。この価値において始めて物々交換は成り立ち、その物々交換を速やかに行うために金がが介在しその金が貨幣となります。
ところが貨幣をどのくらい持っているかによって消費やサービスをより多く手に入れられるかが決まってしまいますから先に書いたように貨幣により商品やサービスを手に入れられるといった観念が出来上がってしまいます。それは労働をしなくても手に入れられる不労所得者を作り出します。たとえば江戸時代なら年貢を取り立ててそれを現金化する武士のような人々が出現する。今の時代でいえばどのような人々でしょうか?やはり不労所得者がそれを手に入れているのでしょう。
しかし今の社会は資本主義ですから江戸時代の殿様の年貢の取立てとは違った複雑さを持っています。資本主義の特徴は人の労働力を集めてひとつの場所で働かせるという企業という形を介在してそこに貨幣を蓄積させていき、その分け前を株主や今では株主であっても性質のまったく違った投資家に分配されたりさまざまな不労所得者に分配をされます。もちろん労働を行う労働者にも賃金は支払われるのですが、それは分け前ではなくて、自分が正当に受け取る報酬であり余剰の富を不労所得者に分配しているのです。
このような構図が出来上がってくると企業を通じて分け前を受け取る不労所得者はより多くの分け前を得るために労働者の取り分を少なくしようとします。企業側が受け取る分け前と労働者が受け取る賃金は相対的に広がっていきます。(これは企業が利益を拡大再生産に向けて投資をすることと労働者数を減らしていく生産性の向上からの資本の有機的組成からも)
不労所得者がより多くの商品やサービスを手に入れて、労働をして分業通して商品やサービスを作り出している労働者が生きるのにやっとという商品やサービスしか受け取れなくなる。
これが労働の軽視ということです。社会システム自体が作り出された商品やサービスをを消費している状態においてその商品やサービスが人の労働の交換であることを忘れさせてしまいます。
この労働の軽視の典型が今の日本でしょう。
企業利益のために安い労働力を発展途上国に求め、国内では労働者の総賃金額を下げていきました。
同時に利益確保のための設備投資において安全性の確保も節約されていきます。
今の経済矛盾を引き起こし、原発事故をも引き起こしたと見ても過言ではないと思います。
原発事故という大きな事故ではないにしろ、食品関連の不祥事が多くなったり最近では優勢の郵便物の滞留やJR北海道の不祥事なども生まれる。労働力の節約は一定限度を超えると技術の継承もできなくなり、人手が必要なときに不足を生じる。物づくり日本の崩壊はだいぶ前から言われていましたし、最近ではもう日本は貿易立国ではなくなったといわれて三つ子の赤字に転落しようとしています。少子化も労働力の節約賃金額の低下の中での必然でしょう。不安定雇用者は結婚すら少なくなっていく。
労働によって労働者が手に入れた商品やサービスは物々交換の基本から労働者が消費をする。
これを早く取り戻さねばなりません。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
2013年に以下のように書いた。

ある「コラムにデフレやインフレは中央銀行の貨幣の発行量によって決まるという事からリンゴと1万円の例えが書かれている。
「たとえば、リンゴが1つしかない世界に1万円という通貨(概念)を導入すると、リンゴと1万円を交換することが可能となる。そうした世界で中央銀行が新たに1万円の通貨を供給すると、通貨に対するリンゴの希少性が相対的に増し、2万円という値段で取引されるはずだ。この単純な世界では、金融政策がインフレ、デフレを引き起こすという仕組みに疑問の余地はない。」
今のアベノミクスへの賛同のコラムでしょうか?あるいは構造改革論者への批判?
このリンゴの例えで言えば、世界にたった1個しかないリンゴを買う側が1万円しかなかったらどうなるのでしょうか?売る側は腐らないうちに1万円で売るしかない。デフレでは?
日銀の通貨の発行により人為的に価格が上がるわけですが、それが即インフレにつながるわけではないでしょう。
インフレというのは買い手が多くて2万円と提示したとしても買う側も2万ならいいだろうと買うことにある。これは買う側にも好景気の影響があり十分に商品を買う支払い能力があるからであり、この双方の側からのアプローチにより経済活動の中でインフレ傾向がでる。この時市場の通貨量が少なければ流通はうまくいかないと判断をして日銀が通貨量を増やす。その中で貨幣価値の低下を伴いつつ物価が上がっていくという経済の過熱の中で初めてインフレとなるのではないでしょうか。
今のようなデフレ下において通貨発行量が増えても株や不動産といったバブルを引き起こすものは値上がりをしていきますがこれはインフレではない。ただのバブルです。
政府も賃上げを言うようになりましたが財界は配送ですかとは言わない。多少の賃上げ(ボーナス)はあるかもしれませんが、リンゴを2万円で買うというような過熱した好景気にはならないでしょうしインフレにはならない。
逆にリンゴを2万円で売りたいが買う側には1万円しかないから1万円で売れば、物価が高騰した中においての価格の下げが顕著になり結局はそれはデフレ圧力でしょうし、このようなものが続けばそれはデフレです。今よりも物価が上がった中でのデフレ傾向とは?今よりも激しいデフレ圧力であり景気の落ち込みも激しいものにならざるを得ないのではないでしょうか?物価が上がったからインフレ打は短絡をしているという事になるでしょう。ましてや今の物価上昇の傾向は、貨幣の発行量が増えることによる円安からの輸入品の値上げというものからの物価高になるという最悪なものになるかもしれない。それもまた景気の落ち込みを招きデフレ圧力となるでしょう。」

1万円のリンゴが2万円になったとき、1万円しか支払い能力のない人は飼えない買えないが金のある人はそれを買うこともあります。しかしこれは何を意味するか?
金融政策で物価が上がった場合は、それは億世悪性の物価高でしかなくて貧乏人はリンゴを食えなくなり金持ちだけがリンゴを食えるという格差が広がる社会になるということです。

【2017年】ツイッターつぶやき
アメリカにおいてトランプさんが大統領に就任しアメリカ国内の内部対立が激しくなってきている。
これは今後ヨーロッパにも飛び火をしていくとみられる。日本においては政権交代を経ずに自民党安倍政権の内部において対立する二つの政策が玉虫色にすり替えられて国内の内部対立とは見えなくなっているが、安倍政権の「新たな政策。。。。」というすり替えによって現れているだけである。
この対立とは何か?
一言でいえばグローバル化か保護主義化と言うことになる。
しかしグローバル化と言ってその中には70年代80年代からはじまる他国への資本輸出や現地生産そして公害の輸出等そして金融の自由化がある。そしてグローバル化は本来の企業の自由な活動ではない国家が前面に出た他国籍企業の育成であり国家独占企業(国家独占資本主義)のグローバル化でもあった。同時に冷戦の終結からその軍事活動は「正義の戦争」として生まれ変わり、自由と民主主義を否定する国家あるいは指導者への戦争に変化する。もちろんこれは昔ながらの軍事的支配や植民地支配は自由と民主主義という建前から昔帰りすることはできなかったが、かいらい政権あるいは反政府軍事活動として組織され、これがテロを産む基礎となった。
この自由と民主主義は、先進国の多国籍企業やエネルギー産業など地球を支配するための自由と民主主義でしかなかったことは明白である。
もちろん市民労働者真の意味での層に広がる自由と民主主義は、企業や国家が作り出す形骸化した虚偽の自由と民主主義と対立をし、アメリカにおいてもヨーロッパにおいても市民労働者が掲げる真の自由と民主主義がその効果を示して無謀な正義の戦争をやめさせ、戦争の犠牲者(市民子供)の救済へと国家を動かすこととなる。
グローバル化というものは、輸出入の活発化と言う昔ながらの経済活動とは質の違うものになり、先にも書いたように資本そのものや金融商品の輸出という形をとる。資本輸出先の途上国において安い労働力と市場(商品市場・金融市場ともに)を広げることにより多国籍企業は利益を広げようとした。一方では日米貿易摩擦に見られるように輸出による利益は輸出先の不利益となるという考え方においてアメリカの激しい反発を受ける。そこからアメリカのような先進国においても現地生産が行われて資本はアメリカに移転する。グローバル化と言ってもそこには国家利益が優先される保護主義はついて回るのである。日本においては様々な規制もあり、中国で生産された日本メーカーのテレビが日本市場を席巻するといった保護主義も生まれる。
また、忘れてはならないものは、先進国においては反公害の運動が高まり企業はその防止のために巨額の投資を行わざるを得なくなったことから、公害をまき散らす産業は途上国へ移転していく。そこから郊外に輸出という言葉が生まれることとなる。もちろん原発のように国内消費をする電力の発電設備であることから輸出をして電力を買うということはできないので、原子力村という政・財・官が一体となった結びつきの中で福島原発事故という結果としても安全を無視した低コスト化を行うこととなるが。
経済法則は企業間競争による生産性の向上により商品価値は下がっていく。同じ100人の労働力を使って10000個の商品を作るよりも20000個の商品を作ることにより商品価値は下がり商品を安く市場に出せる。結果市場競争に勝てる。生産性の向上とはこのことを意味する。この競争が激化すれば商品価値の低下による商品価格の下落が経済法則を貫徹させる。
そのうえ、資本輸出により途上国の安い賃金労働を利用することにより、生産性の向上ではない搾取強化により商品価格はさらに下落するスピードを加速させる。
この経緯を経た商品価格の下落は、今まで10000個市場に商品を出していた企業が20000個市場に出して売り切らねばならない。市場の獲得が急務となり、これを植民地化あるいは傀儡政権化で行えない中に途上国においての商品販売の独占化を核国は競うようになり、日本のようにひも付き援助も出てい来る。さらに途上国においての搾取強化は値下げ強化に耐えうるわけですから更なる商品価格の下落を引き起こす。これは商品の価値法則からも離れた商品の投げ売りとなる。
一方この生産に対する消費はどうなるか?
先進国においては、資本輸出の過度から産業の空洞化が生まれて国内労働者の雇用を減少させる。
製造業のGDPにしめる役割は極端に減少する。一方では中国で生産されたテレビなどが輸入品となって国内に入るのですから貿易収支は悪化をしていきます。ものづくり日本が中国人の爆買いに頼る観光立国を目指すようになり、国内はサービス業や一部国内産業に支えられる。国家による富の生産はより多くの商品を生産することが基礎となる。その商品の価値を中心に、商業、運輸、流通。サービス産業等々へ価値移転していく中で経済は成り立つのである。好循環は生まれる。
産業の空洞化によりこの経済の好循環がままならなくなれば、国内消費は激減するでしょう。
個人消費そして国内の設備投資の減少となります。
先に書いたように商品価値の低下そして途上国からの搾取により商品価格は下落するのですが、国内においてはその価格が下落した商品さえ消費できないほどに個人消費は落ち込み、個人消費の落ち込みは国内産業の設備投資を冷え込ませる。
デフレスパイラルに突入する。
デフレが悪ではない。商品価格の下落は経済法則ですから防ぎようがない。商品価格の下落は国民生活を豊かにする原動力ですが、国民がその豊かさを得ることができないほど国内においても搾取が強化され個人消費が伸びないこと、それは商品市場と資本投資が伸びないことを現し、貨幣は回転をしなくなる。この貨幣の回転の鈍化がデフレを単なるデフレではないデフレスパイラル(デフレ不況)に突入させるのである。
国民は子供も育てられないほどに疲弊をして労働力の再生産すらままならなくなる。
当然のこととしてこのデフレ不況は巨大企業の利潤率をも下げていくことになります。
しかし企業は成長がなければ生き抜くことができない。企業の投資先は金融商品や本来は価値のない土地(不動産)などにに向けられてその利益が企業利益の大半を占めるようになる。そこで株式などの下落は企業の命取りになるわけですから株価の維持にすべての国民の財産がつぎ込まれる。
しかしこの金融商品の利益や株価は労働者をはじめ国民の富とはならない。企業の内部留保や投資家の懐に入っていく。国民の疲弊に対する金融商品の富の乖離は大きくなっていき、1%と99%の格差は拡大していく。よって金融資本主義も国民の富にはならないことにより国民の疲弊はさらに深まっていく。
1株50円ほどの株券が1万円にも2万円にも水膨れをするわけですから、社会そのものがデフレスパイラルにあるとき、金融商品もバブル化して爆発する。
商品市場においての恐慌に加えて金融市場における恐慌が始まる。
ここまで矛盾を深めてきたのが先進国における保守政治である。戦争も含めて。
この矛盾がにっちもさっちもいかなくなった時、国民の不満を利用したポピュリズムが始まり、保護主義が台頭する。
このポピュリズムと保護主義の結びつきが国家主義を作り出して、一部が過激なナショナリズムに突き進んでいく。
その中で戦争を賛美する方向にもなっていくでしょう。
今、この段階にあり、保守政治における内部においてグローバリズムか保護主義かの闘争になっている。何度も書くがあくまでもこの闘争は保守政治内部の矛盾なのである。
トランプさんは就任前後から自動車産業を中心に国内生産そしてトヨタなどに対してアメリカ国内の生産課輸入関税化の選択を迫りながらアメリカ国民の雇用を守るとしました。このインパクトが強すぎて保護主義とは国内の労働者をはじめとした国民を守る(保護)することが保護主義のように見せかけられています。しかし保護主義とはこのようなものであるかは疑問でしょう。ポピュリズムは、このように労働者や国民を国家が保護するといった論理の展開から始めて国民を引き込み政治的数の力を得ることにあります。
経済や軍事における敵ををつくり、そこ敵から国民を守るという中にポピュリズムの効果は発揮されます。アメリカにおいてメキシコ移民(不法入国)や中国を敵としてそこに勝つことができれば国家の安全を含めて国民は豊かになると。
この方法は、ヨーロッパにおける移民や避難民。日本における中国や北朝鮮そして国内残留者と、同じ方法がとられます。
トランプさんはワシントン(政治家)と国民の貧困からの格差を訴えます。これは日本においての官民格差などとしても現れていることです。
国内外に敵を作り出して本当の矛盾はおいておく。
ポピュリズムと結びついて保護主義は排外主義にも結びついていくでしょう。
経済的には最近先進国の日本化が言われるようになりました。
昔からウサギ小屋に住むエコノミックアニマルと揶揄されて、現在も不安定雇用の増大と低賃金で労働しそこの中での企業の競争力の強化を生産性の向上としてしまうような日本社会は確かに強いでしょう。アメリカもヨーロッパもこの日本型を目指すとすれば正解中の先進国のの貧困化は免れないでしょう。
とみるならばトランプさんの真の意味での保護主義は労働者や国民を守ることではないことになります。
先にグローバル化と言っても自由なものではなくてそこには保護主義としての国家の役割があると書きましたが、グローバル化は経済法則として止めることができませんから、保護主義というのはそのグローバル化において国家の力を最大限に活用するという意味においての保護主義が前面に出たものにならざるを得ません。
軍事的経済的、政治的なアメリカ第一主義の台頭です。
こう見てくると、すべての国義ににおける国民はグローバル社会か保護主義社会化を選ぶことに矛盾が出てくるでしょう。
どちらにしても国民生活は豊かにならず格差はさらに広がり、貧困化していくならば、第三の道において連帯すべきでしょう。
それは社会民主主義です。
アメリカにおいてもサンダースさんのような考え方も出ていますし、ヨーロッパにおいては社会民主主義の根はしっかりとしています。日本でも弱いながらも4野党協議が始まっています。
保護主義はこれまでスクラムを組んできたG7にも影響が出るでしょう。そこに中国のグローバル化の定義も。
混沌としながらも今後は社会民主主義を無視はできない情勢になっていきます。

【2018年】ツイッターつぶやき
夏の土用の期間中に暑中見舞いを出すあるいは立秋後の暑さの時期の残暑見舞いというのは案外普通に感じますが、寒中見舞いあるいは余寒見舞いというのは今ひとつなじみがありません。
寒中見舞いは喪中のために年賀はがきを控えたときにあるいは松の内に年賀状を書けなかった時などに書くべきものというものが定着して、本来の時候の挨拶としての役割が薄れてしまったのかもしれません。ネットで寒中見舞いの例文を調べるとやはり喪中のためというものが多いようです。
そのために寒中見舞いが届くと、年賀状を出した相手方が喪中だったか?と一瞬思ってしまうこともあるようです。
こうして本来の時候の挨拶の役割が薄れてしまったことが寒中見舞いや余寒見舞いのなじみがなくなってしまったのかと感じます。
という事で、
寒中お見舞い申し上げます。時候のご挨拶をさせていただきます。
と、書くのもまた変なもんですなぁ。。。。。
東京も明日はこの冬一番の寒さだそうです。
日陰の雪は当分消えないかもしれません。
日本中で最低気温が零下となっているようですし、インフルエンザもだいぶ流行っているようです。
時節柄、くれぐれもご自愛ください。

【2019年】ツイッターつぶやき
2018年11月28日(水)「”働かせ方”改革」
心打つ非正規の直言という記事が西日本新聞にあった。
自死された非正規雇用であった萩原さんという方の歌集「滑走路」を取り上げている。
〈箱詰めの社会の底で潰された蜜柑のごとき若者がいる〉・・・引用
安倍政権は「働き方改革」を声高に叫ぶ。しかし先に書いた「”働かせ方”改革」というように労働者の働きやすさを作り上げるのではなくて、企業が不安定雇用の増加や低賃金化そして長時間労働を通して労働者をより企業の都合よく働かせるための改革でしかない。
派遣労働はごく一部の労働者で許される制度であったが、現在は非正規雇用の割合は37.3%になっているそうです。といってもこれは人口構成と年金制度改悪により高齢の労働者が多く、学生のアルバイトもあります。そして女性労働力の面でも大きくなっています。しかし若い方の多くも派遣や契約社員という形での雇用に置かれています。
結婚に及び腰になるといった報道も見ることができますが、不安定な雇用と低賃金そして社会的身分を言う重圧を萩原さんの歌から見ることができます。
就職氷河期と言われる世代が40歳代になりますが、今後様々な社会的な弊害も出るでしょう。
「低賃金で就労も不安定。結婚、家庭生活の維持も容易ではない。社会人としてどんな道を歩むのか。青年期にアイデンティティーを確立できないと、40代、50代までも模索が続く“根無し草”の心理を味わい続ける」(上記西日本新聞より引用)
貧困や低賃金は自己責任ではない【1月21日の記事です】

【2020年】ツイッターつぶやき
暮れに知人からモズク蕎麦をもらったのですが、まだ残っていたのでどうやって食おうかと思っていたら、昨夜テレビ番組で山口県の郷土料理の瓦蕎麦をやっていたので今夜作ってみました。
山口県では茶そばを使うそうですが、モズク蕎麦でも腰があっておいしかったです。もしかしたら新潟県のへぎ蕎麦でもうまいかもしれません。関東はあまり茶蕎麦は見ないですね。
かつおだしで少し甘めの濃いめの汁を作っておきます。
牛肉の切り落としを塩コショウでさっと焼いておきます。
あとは錦糸卵(市販のものを使いました)青ネギ(関東の白いネギでないもの)刻み海苔、そしてレモンのスライスともみじおろしを作っておきます。
乾麺を使いましたが、茹でたらさっと水を通して水を切ったらオリーブオイルを少し欠けて面が固まらないようにします。このオリーブオイルの風味がよかったです。
ホットプレートに油をひいて「強」の火加減で蕎麦を入れます。
そのそばの上に上記の具材をのせます。レモンともみじおろしは最後に飾りとしてもきれいです。
蕎麦の焼き面がカリッと焦げたら出来上がり。
食べ方はそばつゆにレモンのスライスともみじおろしだけを入れ、あとは具材と蕎麦が混ざるようにしてつけ麺風にいただきます。
レモンともみじおろしの風味がいいです。

【2021年】ツイッターつぶやき
さむかった・・・・・
冷たい雨がずっと降り続けていました。
でも、天気予報が外れて雪にならなかったのはうれしかったです。
緊急事態宣言が出る前からですが、買い物は1人で行って3,4日分を一度に買い出しをしています。
毎日行くとやはり感染のリスクが高まりますからね。
今日は冷たい雨のため1日分だけ。
日曜日ですからスーパーは案外混雑していました。
でも、家族連れやカップルできていた皆さんも黙って買い物をしています。
棚から商品を選ぶときも前の人が取り終わるまで少し離れて待っています。
よく見ていると、ある人が棚から商品をとったり戻したりした後後ろの人が同じ商品をとるときは前の人が触っていない棚の奥の商品をとっています。
コロナ以前はお客のおばちゃんとレジのおばちゃんがよくしゃべりながらレジを済ましていましたが最近はそれもなくなりました。
静かな店内に店の方のバーゲンの声だけが響いていました。
やはり今の東京の感染者数を見ると注意深くなっているのがわかります。
日曜日なら子供連れで楽しく買い物を楽しむのが日常でしたが、買い物を楽しむという雰囲気はなくなっています。
でも、こうでもしないと感染拡大は収まらないでしょうね。
国民は買い物でも注意をしているのですが、政府は危機感がありません。いまだに会食で感染する議員が出ている。。。。。
入院したくてもできない状態で、入院を拒否したら罰則など、政府が滑稽なことを言い出しています。この罰則のほかは何も具体的なコロナ対策がないままに。。。。
オリンピックに向かっていきます。

【2022年】ツイッターつぶやき
昨日は東京都のあるクリニックのニュースから「検査もままならず?」というものを書きましたが、今日ツイッターを読んでいたら案外全国的に検査を行うのが困難になるほど検査キッドなどの不足が出ているようです。一方ではオミクロン株の感染がけた違いに広がっています。感染の広がりが多くて検査が間に合わない実態もあるのかもしれませんが、検査キッドをハード面とするなら検査体制が取れないというのは人というソフト面からでしょう。
ハード面でもソフト面でも検査対背をつくれない状態でしょう。
しかし日本という一応先進国なのですからハード面も租スト面も対処しながら検査を充実させることはできるはずです。それをできないとするならば国や自治体も検査をしないようになっていると見たほうが良いのかもしれません。
どこの都道府県か忘れましたが、80歳代のご老人が死亡したようです。今後検査もしないで市中感染がこれ以上広がればやがて高齢者や持病を持つ人に感染が広がり重症者や死亡者も増加するでしょう。また子供たちを含め20歳以下の若い人の感染が多くなっています。ワクチン未接種ということもあるかもしれませんが子供たちの感染は防がないとなりませんね。
オミクロン株のピークが2月初旬あるいは中旬ごろまでと言われていますが、「デルタクロン」かと言われるような株のうわさもありますし、新たな変異も出はじめてくるかもしれません。
検査を行わないで市中感染をワクチンで防ぐのでは危険性があるでしょう。

【2023年】ツイッターつぶやき
スウェーデンの極右政治家がコーランを焼いたことによりトルコが反発をしそれはイスラム圏に広がっているようです。以前にもアメリカだったかコーランを焼く事件が起きたが、表現の自由という行動ではなく、ヘイト的な行為だと反発が出た。
このヘイト的行動が極右勢力の行動であり、その勢力がスウェーデンの政治に大きな力を持つようになっている。
これはヨーロッパ全体にも現れ始めている。
ウクライナ支援を呼び掛ける国は内政をゆがめつつあるのでしょう。
ウクライナをナチズムだとしてロシアは批判をしていますが、その批判がウクライナを支援している国々においても現れているのでしょう。
日本では自民党がさらに右傾化しています
コメント
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