夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

2024年 1月31日(水)「おやじギャグ」

2024年01月31日 22時30分38秒 | 「思うこと」
スーパーで買い物をしていたら、いきなりでかいクシャミがして振り返った。
おやじが立っていてクシャミの後に「大魔王!」と言いながら通り過ぎて行った。
「ハクション大魔王」。。。。ウウウ(笑)
昔のおやじは、でかいクシャミの後に「畜生!」と言いながら鼻水をたらしていた。
これをおやじギャグともいえるし、照れ隠しのようなものとも思える。
大魔王などはギャグですなぁ。
ギャグは大阪人かと思いますが、東京人も大魔王やら畜生を。。。。
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池に浮かぶ月2145【1月31日】

2024年01月31日 22時14分08秒 | 「池に浮かぶ月」
2月ですなぁ。。。。。
「鶏始乳」(鶏始めて乳す)、この時期の卵は栄養価が高いと言っていました。鶏が卵を生み出す時期。
沢の水も凍るような大寒ですが少しづつ春がやってくる。
もうすぐ3日が節分で4日は立春。。。。

≪去年の今日はこんなことを・・・≫
2023年 1月31日(火)「2月ですなぁ」

「池の上に月が昇る
その池に写る月は現実の月ではない
しかし現実の月を写したものであることでその池に浮かぶ月も現実である
人間の過去もすでに現実としては存在しない
しかし過去の時間の中で現実であった」
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よくお読みいただいている記事(118)

2024年01月31日 11時29分03秒 | よくお読みいただいている記事
     2024年 1月

 元旦     暗証番号
 1月 2日  カクテルといえば?
 1月 3日  高い・・・・
 1月 4日  能登地震
 1月 5日  暗証番号
 1月 6日  帰宅ラッシュ
 1月 7日  説明責任とか、任命責任とか
 1月 8日  寝言blogramから2017・18年冬
 1月 9日  背が縮んだ
 1月10日  大河ドラマ
 1月11日  労働力不足のはずが?
 1月12日  労働力不足のはずが?
 1月13日  学校が一番安全な場所
 1月14日  20年前
 1月15日  第何波?
 1月16日  川上弘美東京日記 ベニテングタケを干す。
 1月17日  大河ドラマ
 1月18日  風評被害だろうか?
 1月19日  広告費
 1月20日  排外主義
 1月21日  ケット
 1月22日  
 1月23日  効率化
 1月24日  内部不正だけならいいが・・・
 1月25日  内部不正だけならいいが・・・
 1月26日  寒波
 1月27日  暑いですなぁ
 1月28日  スタグフレーション
 1月29日  ロックダウン
 1月30日  トコジラミ
 1月31日  COPDと高齢者
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「1月31日という日」

2024年01月31日 08時07分37秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
スーパーで買い物をしていたら、いきなりでかいクシャミがして振り返った。
おやじが立っていてクシャミの後に「大魔王!」と言いながら通り過ぎて行った。
「ハクション大魔王」。。。。ウウウ(笑)
昔のおやじは、でかいクシャミの後に「畜生!」と言いながら鼻水をたらしていた。
これをおやじギャグともいえるし、照れ隠しのようなものとも思える。
大魔王などはギャグですなぁ。
ギャグは大阪人かと思いますが、東京人も大魔王やら畜生を。。。。

≪過去の記事≫

【2004年】
茨城県御之浦(この字だったか?)にドライブに行ってきました。
もう福島県との県境近くです。明治の頃岡倉天心が晩年を過ごした場所です。六角堂という小さなお堂があるのですが、海の景色が間近に迫り、波音が気持ちよく聞こえる場所です。ここで岡倉天心は思索にふけったそうです。母屋もありましたが、回り廊下のある趣のある家でした。
釣りもしたのですが、風が強くて散々な目にあいました。
今、アンコウが旬です。海産物売り場で買ってきました。今夜はアンコウ鍋です。

【2005年】
川上さんのエッセイを読んでいますが、やたらと腹が減る本です。そしてめっぽう酒が飲みたくなる(笑)
いろいろな食べ物が出てきますし、飲み屋の話も。。。。

【2006年】
風邪もやっと治りかけてきました。
風邪のひき始めに葛根湯とよく聞きますが、ひき始めに飲むと症状が軽く済むということか?熱も出ないし鼻水とだるさだけで済みました。
ここのところ風邪というと葛根湯ですましてます。どうにもならないときは医者の抗生物質ですけどね。。。
朝のワイドショウーで、一連のライブドア関連で一般投資家がだいぶ損をしているというニュースがありました。犯罪がらみの株価はもちろんですが、経済を反映しない株価も、僕はいつも株価や投資は、合法的ねずみ講と思ってます。
また、ギャンブル資本主義とはよく言ったものです。

「超バカの壁」
                       新潮新書
              養老 孟司  著
「バカの壁」の続編である。「バカの壁」と「超バカの壁」の間には「死の壁」があり、三部作を構成しているようだが、「死の壁」は読んでいない。「死の壁」を読まずに本書を読むことがどうなのかと思ったが、本書は、「バカの壁」や「死の壁」を読んだ方が方からの質問に答えるという形で出版されたようなので、この社会の中でいろいろと問題となっていることへの養老さんのお考えを聞かせていただくという意味では、この本だけを読んでみてもおもしろいのかもしれない。
このように、今の社会の中で問題となっていることを一つひとつ養老さんは答えるのだが、一つひとつの問題点が多岐にわたり養老さん自身も
「全体の筋を考えたというより、それぞれの疑問に答えたというものに近い。(中略)つまり各章はそれぞれ読みきりの形になっているのである。」  (「前書き」より)
とお書きになっている。
しかし、社会のいろいろな問題点を読みきりの形で書いたとしても、そこは一人の養老さんという個性が書いたわけなので、「バカの壁」からの三部作としても統一性は出るわけである。それは、養老さんの基本的な考え方が出ているということである。
この基本的な考え方のよい例が、
「こんなふうに仕事というのはちょっとしたきっかけで変わることがあります。だから選ぶ前にあれこれ悩むよりも、目の前の穴を埋めろと書いているのです。」 (179ページ)
この「目の前の穴を埋めろ」という言葉に養老さんの考え方が見えるのではないかと思う。
たしかに人それぞれの能力において社会が必要な仕事があり、その仕事の穴を埋めなければ社会も成り立たないわけで、その意味において正しいし、あれこれ理想を考えたり自分の能力も考えないで理想の仕事を探し悩むのもおろかである。
しかし、この「目の前にある穴を埋めろ」という言葉煮を裏面から見ると、今ある条件の中で働けといっていることでもある。今の社会の中にある仕事という穴は、富士山麓の青木ヶ原にある自然としての溶岩の穴とは違い、人為的な穴なのである。人為的であるからこそ社会問題となっているのである。
一般論的な人生訓的な意味での労働を考えれば、「目の前にある穴を埋めろ」でいいのであるが、社会問題として労働を考えた場合には、「目の前の穴を埋めろ」とは、ただの現実容認でしかなくなる。
ある生産工場では、以前1000人の人が働いていた。ところがロボットを入れたら100人しか必要なくなって900人分の穴がなくなった。バブル期の頃にあった働きすぎの過労死に見られるように一人が2人分や3人分の穴を埋めていることもある。アルバイトやパート・派遣社員のような雇用体系が当たり前になって穴自体が小さくなってしまった。などなど。。。
目の前の穴は社会的な問題であり人為的なものなのである。一般論的、人生訓的な言葉の裏には、深刻な問題が隠されていることが多い。
このような労働というものにある裏側を見ないでいるから、世襲制やら「バカの壁」で言えばカースト制という言葉すら出てくる。職人の技を子に伝える必要性というものを見れば、それは一般論的にも伝統性を考えればよいこととなるだろう。でも、実際の世の中は、養老さんの望むようにはならずに、商店街の店が毎年1軒1軒なくなっていっているのである。一般論として人生訓としてだけ考えていればよいというものではなくて、人的矛盾なのだから人的に直さなくてはいけないものなのであり、それは現実容認では済まされない問題なのである。
世襲制、カースト制の中で、医者の子が、立派な医師であった父に意思を引き継いで立派な医師となるというような美談の裏には、同じ世襲制・カースト制の中で貧乏の世襲もあることを忘れてはならないだろう。中産階級的な穴を埋める者もいれば貧乏の穴を生めることが裏にはあることを忘れてはならないだろう。
このように書くと養老さんは現実容認論者ではないという人がいると思う。たしかに養老さんは、本書においても社会矛盾を批判をしていて、今の世の中を素晴らしいものとして容認しているわけではない。ある意味社会に喧嘩を売っているようなところがある。
今、ニートやフリーターが問題にされているわけだが、養老さんもこの問題を書く。ニートについては、社会の問題あるいは精神医学の問題として取り上げられていることと思うが、養老さんは書く。
「ニートに感謝すればいい。彼らははじめから脱落してくれている。自分の価値をあげてくれているということです。それを働いているほうが怒ってひけない。」
恐れ入った現実容認ではないか?
目の前の穴が少ない中、この穴を求めようとしない人がいるから、働こうとすれば穴を見つけやすくなる?
たしかに本音の議論である。しかし本音であるからこそ競争社会への現実容認にもなる。
本書には、いろいろと社会批判はあるが、なぜか着地点はこれが現実なのだというところに落ち着くような印象を受ける。
この、社会を批判しつつも今ある現実に着地してしまうという独特な養老さんの考え方がどこから来るのだろ?
それは「バカの壁」でもそうだったと思うが、一元論批判とそれに対する不可知論的というのか懐疑論的なものにあるのではないかと思う。今ある社会を批判すべきものとしながらも、一方では絶対的な正しさというものはなく、矛盾は後から後から噴出してくるものであるから絶対的な正義はない。この中に現実を現実として容認して生きるしかないという論法を感じる。積極的な賛美はなく批判しながらも現実対応をしていくしかないという論理は、あんがい普通に行われていることである。
一元論批判は、絶対的理性とする神を頂点とした唯心論や人間機械論や絶対的な社会法則という唯物論批判にあることと思うが、この批判にカオス理論やフラクタル理論というものが登場するのだろう。これらの理論がどのようなものかはよくわからないが、これらの理論が、様々な現象の中のある一分の分野で役立ち、もしかしたら人間社会を扱う社会科学にも応用されている部分があるのかもしれない。しかし、カオス理論だフラクタル理論だと説く人たちも、計算された軌道と力で人工衛星が飛び、計算による理論物理学を追う様にこの理論が観測や実験で確かめられている事実をも否定はしないだろう。人間社会という複雑系においてもある政策が立てられればその政策に沿ってある程度は社会が動くという事実も否定はしないだろう。もちろんノスタルダムスの大予言のように、20++年に人類が滅びるというような一般社会はそんな計算によって動いているのではない。大雑把である。誤差を容認した上での計算である。ファジィ理論というのか、不確定性理論というのかよくはわからないが、大雑把な計算による中にも法則性はあるのである。昔ながらに、統計のグラフ上のまばらな点の集まりに思い切って1本の線を引くようなものだと思う。
カオス理論もフラクタル理論も、もともと不確定性のある中の法則に持ち出すと、不可知論や懐疑論になってしまうような気がする。
何も一元論を批判するのに、絶対的真理を否定するのに、懐疑論や不可知論に陥らなくてはならないものはないのである。
形而上学的なものを排除して相対的に物事を捉えればよいことなのである。
先に、「世襲制、カースト制の中で、医者の子が、立派な医師であった父に意思を引き継いで立派な医師となるというような美談の裏には、同じ世襲制・カースト制の中で貧乏の世襲もあることを忘れてはならないだろう。中産階級的な穴を埋める者もいれば貧乏の穴を生めることが裏にはあることを忘れてはならないだろう。」と書いたが、世襲の一部美談の裏に貧乏の世襲があるというこの相対的な視点がないのではないか?
これは、今問題になっている靖国問題への考え方にも現れている。
「中国、韓国は放っておく」という結論の裏には、相対的に見れば中国や韓国は「日本は放っておく」ということにもなる。今まさに首脳会談さえ開けないのだから。
「東芝は出て行けなどと言って、本当にそうなったら彼らも困るわけです。一番実害がないのがこの問題なのです。」
裏を返せば、中国から東芝は出て行けばいいということになり、本当にそうなったら日本は巨大市場を放棄しなくてはならなくなり「日本も困るわけです。」
このようにいろいろな問題を相対的にみたときに事の本質や対処法が問題となるのでしょう。
このように相対的に見ない中に養老さんは、不可知論的な懐疑論的な現実容認という形而上学に陥り、それはある意味一元論的なものにしてしまうのではないかと思う。
物事を相対的に見ることは、その相対するものの中にある矛盾を引き出すということである。矛盾は必ず存在するものである。この矛盾をそのままにほうっておけばよいとはならない。まずはこの矛盾をそのままにあるがままに受け止めなくてはならない。ここから出発しなくてはならないのだが、次から次へと矛盾は出てくるので解決はできないものと放っておけば、これまでの人の歴史は何だったのだろ?
その歴史上の時間の中に必ず矛盾があり、矛盾があるから解決をしてその積み重ねの中に、人の社会も発展してきたわけで、未来も、今ある矛盾を可決する中に発展した未来が開けるのである。矛盾は絶対的には解決しなく次から次へと出てくるものだが、古の人々はこつこつと解決して来た。
ある意味矛盾があるから発展もあるのである。
物事は相対的なのである。

【2007年】
ドライブに出かけると、きれいな景色を見て「きれいだなぁ。。。」と思う。
自然体で風景と向き合うとき、まずはその景色を「美しく思わなければなぁ。。。」と見る人はいないだろう。僕が、ある人に「これから見る景色をきれいだなと思えよ」といったらその人はどう思うだろ?
ところがこんな変なことが社会の中にはたくさんある。
「美しい国日本」と総理大臣が言ったから、すべての国民は日本を美しい国と思わなければならない。「そんな馬鹿な?!」と思うかもしれないが、しかし時と場合によっては「はい、美しいです」といわざるを得ない場合もある。
社会には問答無用の強制的な考え方はあるのである。
それに従わないと損をするとか。。。。
世渡りがうまいというのは、この強制をすばやく感知して調子よく従うことである。
強制という言葉がきついなら、こういってもいいだろう。会社などある組織のトップがある方針を出したとする。世渡り上手というのは、自分の腹の中に関係なく「ご無理ごもっとも。。。」と、頭が良いのでその方針に沿った言動をする。そうすればお褒めに預かる。。。。。
裏返せば、トップの言うことを批判すれば損をするということで、損をしたくないなら従えというのは強制である。
なんだか今の世の中はこのようにして動いているような気がする。
なんとなく皆が変だよなぁ。。。と思っていることが社会の流れとしては当たり前になっていく。変だよなぁ。。。と、皆が思っていることだからその流れのままに流れていくと変なことが現実の矛盾となる。今の社会の中に現れていることの中の矛盾はこのようにして出来上がってしまったのではないか?
今の社会では、企業論理は絶対である。。。。。

【2008年】
昨日は春のような気候でしたが、今日は少し寒かったです。それでも太陽が出ればぬくぬく。。。。
布団を干しました。今夜はぬくぬく♪
殺虫剤入り餃子。。。。
どこでどのように混在したのか早く究明して欲しいですね。中国で作られた餃子らしいですが、中国の工場で混在したのか、ニラに農薬として使われたのか?袋詰めも中国?いろいろと報道されていますが、こういう事件・事故が発生した場合は冷静にならなければなりません。中国批判ばかりもしていられませんし、それ以上に感情的な中国間はいけません。
日本の商社や食品メーカーと中国との関係がどのようになっているのか?中国の農薬の問題は企業も知っているはずだと思うのです。
コスト削減のための中国産の食料。。。。
食料の自給率の低下。
問題点は奥深いものがあるのかもしれません。

【2009年】
(記事なし)

【2010年】
(記事なし)

【2011年】ツイッターつぶやき
年末にシステムキッチンを取り替えたのですが蛇口に浄水器がつけられない物でした。
工事の人に訊いたら蛇口自体をまた取り替えて蛇口に中に納まる浄水器を付けないとだめだと。。。。蛇口の先が伸びてシャワーをつかえる便利な蛇口ですが。
ネットで調べたらかなり高いです。せっかくつけた新しい蛇口を取り替えるなんてもったいないですしそんな高い金をまた出すなんてできません。工事をするときに蛇口に浄水気をつけられるようなものを頼むのを忘れた僕が悪いのですが。
しかたないのでホームセンターに行って溜め置き式の浄水器を買いました。
しかし・・・・・・
フィルターを付けたらすぐに使えると思ったら、その浄水フィルターを使うには何度も水を入れ替えてまずはフィルターの水を通す機能環境を作らなくてはいけないそうで、あふれるぐらいの水を入れて20分置いてから水を捨て、その後通常の寮の水をいれてろ過をしてその水を捨てる。これをなんと3回もやらねばならない。。。。うううう
フィルターの取替えは180回浄水したらやるのですが、いまやっています。。。。
そろそろ最初の20分が過ぎます。。。。気長に・・・・(笑)

【2012年】ツイッターつぶやき
今の民主・自民の二大政党制の中で互いの党利党略のためにそしてスキャンダルの議論に明け暮れる中、政策議論ができずに常に解散風が吹き荒れて政策の実現ができないことを指して「決められない民主主義」という批判が出ている。何も政策的な意見が一致しないということではなくて民主・自民も同じような考え方を持っているにもかかわらず決められないわけです。ですから「決められない民主主義」ではなくて国会内では民主主義の欠如であると言わざるを得ないのではないでしょうか?
しかしこの「決められない」という背景には二大政党の党利党略がじゃ山をしているという現象面だけではなくて、決めようとしていることが民意に反しこの民意が反対をしていることが強いから決められないわけです。その意味においては国民レベルからすれば国民の声が「決められない」民主主義を作っているわけですからこれ自体が民主主義が機能しているということです。
この民意によって決められないことを決めようとするのが「決められる民主主義」として登場する。それはある意味民意に反するわけですから強権とならざるを得ないでしょう。もちろん民意も強い指導力を求めているわけですが、その指導力も正しいかはわからないわけです。もし強権によって形式的な民主主義で決めることができてしまえばそれもまた民主主義に反するわけです。

【2013年】ツイッターつぶやき
時間がないのでツイッターから。。。。


現在の円安は行き過ぎである http://t.co/1MrlxiAz「円安・インフレ政策は、仮にそれが上手くいくとすれば、多くの労働者や年金生活者から一部の輸出産業と政府への所得移転に他ならない」円安やインフレ政策がますます格差を広げますね。
経済成長しても実質賃金が下がるのは何故か? http://t.co/DQmBk0f0 「エネルギーとして機械に支払われる賃金(=エネルギーコスト)を考えると 」。。。。正確には可変資本と不変資本かな。。。。
経済成長しても実質賃金が下がるのは何故か? http://t.co/DQmBk0f0 仮に「人と機械の労働コスト ≒ 賃金 + エネルギーコスト」として見ても円安によるエネルギー輸入コストが上がるわけですから企業のコスト計算はさらなる賃下げに向かう。
生産性の向上は、必ず可変資本(賃金)と不変資本(工場設備やエネルギーなど)の組成を高度化させる。この経済的法則と同時に人為的な失業と賃下げが行われる。資本の有機的組成の高度化は格段に高まる。成長路線が成功したとしても雇用や賃上げには結びつかないだろう。成長路線はむしろ組成の高度化
安倍内閣の成長路線(これはずっと行われてきた古くからの自民党的経済政策でもある)は、企業(特に輸出企業)や不労所得に依存する人々の利益からの名目上の景気対策でありそれをデフレからの脱却と勘違いをする。しかし実体としては国民生活の切り下げによる将来的なバブル崩壊と国民負担の増加。
企業や不労所得に依存する人々を支えるために国民生活の低下が成長路線でさらに行われるとすれば、もう国民にはそれらを養う余力はないだろう。相対的な貧困から絶対的貧困化へと結びつくだろう。格差の拡大(中間層の減少)と貧困化の顕著となる世の中。
現在の資本主義も儲かる(設ける儲ける)ときは自由主義で、バブルの崩壊などの経済が混迷して企業や富裕層の利益がなくなれば全体主義をとって国民負担を言う。国家予算は借金を増やしてそれを社会にばらまくがその金は企業や富裕層へ。国民にはその逆進性の強い消費増税。経済的全体主義である。政治も後追
儲かるときは自由主義で、国民生活を無視した結果におこる経済危機は全体主義で。これをいつまでも続けるか、それとも安定した資本主義としての社会民主主義をとるあか。。。。

【2014年】ツイッターつぶやき
政府も日銀も物価上昇に対して敏感になっている。
物価上昇は景気の回復が進んでいるからだと。
しかし、どうでしょうか?何か重大な勘違いが潜んでいるのではないでしょうか?
物価の上昇=景気の回復なのでしょうか?その物価の上昇が何によってもたらされているのかが重要なわけです。物価の上昇は景気の拡大(過熱)によってもたらされるインフレです。ですから景気の回復=物価の上昇=インフレ傾向なはずです。
もちろんアベノミクス・日銀の量的緩和により物価が上昇し始めていることは確かでしょう。
ではこの物価の上昇は何によってもたらされているのか?景気が回復してインフレ傾向になっているからでしょうか?そうではありませんね。政府・日銀は景気回復のために物価を上げる政策を行っているだけなのです。その物価上昇の要因は円安による輸入品の為替上のものです。実体経済から離れた下落した通貨による名目上の物価上昇なだけです。1本100円の大根が110円という価格になっただけでその大根を消費する国民の経済的な購買能力が10円だけ落ちたというだけです。これを悪性の物価上昇と呼べないでしょうか?消費者の懐も豊かになって大根1本を110でも買うよとなって10円物価が上昇したわけではない。ですから常に物価の上昇=景気回復ではないのです。デフレ不況の中に強引にインフレを持ち込んだような経済学です。
そしてさらに4月から消費増税が行われて3%の増税分を価格に転嫁するように政府は強要をしている。そしてこの価格への転嫁が成功すればすぐに予定通りに10%へ移行する。そこでまた価格転嫁を強要する。
上記したようにすでに悪性の物価高は円安によって行われて次に消費増税の価格への転嫁が行われて物価はさらに上昇する。この消費増税分の価格転嫁もまた悪性の物価上昇なわけです。
消費税の価格への転嫁による物価上昇は可能か?悪性の物価上昇ですなぁ。でも、賃金や年金その他の社会保障関連の手当ても3%自動的に上げればインフレにはなるでしょう。
しかし年金は下げ幅が少し小さくなりましたが減少。平均賃金も下がり続けていますから。。。。悪性の物価高という面では強烈な国民泣かせでしょう。でも、それがデフレ圧力を生み、物価上昇と同時のデフレ作用が起こるかもしれませんからすぐに安売り競争は始まる。独占企業だけに恩恵が。
この独占企業にはもちろん電力会社を始め社会の中枢を握る企業が。
そしてこの独占企業には法人減税が。
賃金や年金その他の社会保障関連の手当ても3%自動的に上げればまだよいのですが、このときやはり物価上昇により1本100円の大根を103円で買わされるわけですからなんら実体経済を引き上げることにはつながらないのです。そして103円の大根に8%の消費税がかかるのです。これは激しいデフレ圧力として商品市場に現れるでしょう。
待ち受けるのは景気の停滞あるいは下手をすれば後退なのです。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
出生率が下がり子供の数が少なくなっている。
せっかく生まれた子供の中には虐待などで殺されたというニュースが後を絶たない。
学校に行きだせば、貧困やいじめにあって学習できない子や下手をすれば自殺をする。
幼少期の学力で将来が決まり多くの子はバイトや派遣の仕事に就く。

社会は衰退に向かっているのである。
労働力の再生産が困難な社会。。。。

【2017年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2018年】ツイッターつぶやき
先日書いた「資本主義は眠りにつく(4)」の続きです。
ある商品がすべての生産段階においてIT化そしてロボット化をされていくとすればその商品の追加される価値はゼロに近づく。
とはいえ、その商品がさらに発達するためには人の科学手を発達させる労働力が必要でしょうし、多くの消費者が喜ぶ使い勝手やデザインを制作する労働力も必要でしょう。
こう見ると技術者やデザイン家などの人の頭脳能力あるいは手に職を持つという意味における能力が眠りにつく資本主義においても必要です。
こうなると、現在の学歴社会と言われる単なる学歴だけの評価というものがなくなるでしょう。
以下にその人間としての能力が社会に役立つかは、学歴ではなくて実際どのような頭脳の能力あるいはどのような手に職を持っているかで評価がされるでしょう。
今の社会を見ても起業するといったものよりも職人あるいは専門職そして研究など人の労働が重要視される社会です。労働が重要視されるという事は社会は人の労働により成り立つという当たり前のことが目の前に現れているという事です。またなにも優れた専門的な労働力ではなくても、現在の労働力不足が言われている社会において労働力が社会をつくっているという事は自明なわけです。ここから見ればブラック企業や今の政府が行ってきたしこれからも行おうとしている労働力の使い捨てがいかに間違っているかが理解されるでしょう。
日常使うような物はIT化されたロボットが作り出す。その中で人の労働は必要最小限になるでしょう。そしてその商品価値は単に生産設備やエネルギーそして原材料の身からの価値移転分を残すことになるでしょう。こうして日用品は十分生産される。一方労働力は極端に余るでしょう。余ると言っても今の社会のように一方における過度の労働と一方における失業という余るという事ではなくて、一人当たりの必要労働時間の減少としてあらわれるという事です。
社会的な必要労働時間が減少していけば、余暇が増えるという事です。
この余暇が増えるという事は何を意味するか?
必要労働時間の減少に伴い労働力の再生産時間すなわち生活を営む時間が増加をするという事です。
夫婦が自分たちで子育てをしたり、少なくとも保育園であくせくせずに子育てができるという事です。余暇が増えればパチンコや酒におぼれるという人も多くなるでしょうが、より多くの人々は生活を楽しみ精神活動(芸術など)にその時間を使うでしょう。これは何を意味するか?人の人間としての発展です。
すると、商品の価格は下がり続けますがその消費は多くなる。さらに生産性や使い勝手を良くするような要望が出るでしょう。企業はこれに応えていく。
(以下ツイッターからの追記)
眠りについた資本主義は形を変えてその最高段階に達するでしょう。
このように資本主義が眠りにつくと、困るのは結局は企業やそこに寄生する投資家や政治家、官僚となりますが、同時に一般庶民を食い物にする様々な犯罪で食っている人々もまた困る社会になります。資本主義的社会の仕組みが失われるという事です。
とはいっても、このような状態は国家はもちろん眠りにつきます。その国家という仕組みが眠りについてもその中で人は生きなければならないのですから、ゼロに近づく商品価値をうまく利用して労働時間の短縮や一定の生活水準をすべての国民が受け取れる社会をつくるしかなくなります。資本主義は発展する
それが「資本主義は眠りにつく(5)」となると思います。それは、資本主義は眠りにつかないで発展しなければならないという事です。しかしそれは古臭い資本主義ではない。
安倍政権は真逆な政策を数の力で押し切ろうとしています。
新自由主義というのは新しい資本主義ではなくてこれまで経済を成長させてきた発達した資本主義から19世紀のようなカビの生えた資本主義に戻すことだったのではないかと思います。もちろん戦争という手段も含めて。

今夜は皆既月食です。
関東は曇りという予報でしたが、晴れて月はもちろん星も輝いています。
東の空にまだ低い位置にあります。これから登ってきて月食になると思います。
スパー ブルー ブラッド ムーン

皆既月食中。。。。
というわけかどうかわかりませんが、犬が鳴いています。遠吠えではないが・・・・・
我が家の近くの犬はめったに鳴かないのですが。
そういえば数年前の皆既日食の時も同じ犬かと思うのですが鳴いていました。
動物は何かを感じるのでしょうか?
人間も昔から皆既日食や月食は何か縁起の悪い兆候かと思っていたらしいですが、自然の不思議を思っていたのでしょうね。
赤い月を眺めているとなんだか地球以外の違う惑星に来たような不思議な気分になります。
そういえば、皆既日食の時には、ご近所のおばあちゃんが急に暗くなったのでものすごい勢いで布団をたたいて家の中にしまい込んでいました。まぁ、これも動物的本能と言えるのか。。。。

【2019年】ツイッターつぶやき
以下ツイッターから
忖度という言葉
少し古い記事ですが、もう一度「忖度=忖度させる」社会構造を考えてみるべきです。
そういえば、「大人の対応」「もう少し大人になれよ」という言葉もありますね。
上司「いやぁ・・・君はいろいろと勉強しているね」
部下「ありがとうございます」
「しかし私の意見とは違うところがあるようだね」
「はい、しかし、それは・・・・・」
「君が言いたいことはわかってるから言わなくてもいいよ」
「はぁ・・・」
「理想通りにはいかないことがたくさんあるんだよ」
「はい、私はその点も・・・・・・・」
「うん、私もわかっているんだよ。君の性格を知っているから。」
「恐れ入ります・・・」
「会社だけではないが、大人の対応というものがあるんだよ」
「はい、それは十分に・・・・」
「そういえば、君は今度結婚するんだって?」
「はい、9月には式を挙げたいと思います。」
「家庭を持つことは大変なことだ。仕事も頑張らないとな」
「はい」
「俺が言いたいこと、君はわかるよな」
「は?。。。。」
「大人の対応も必要な時もあることはわかるよな」
「はぁ・・・・」
   忖度
完・・・・
何か問題が起きればこの部下の責任
ここまで忖度をさせられる。
忖度をさせる=同調圧力
政治面で内政において同調圧力を常に用いると、その政治(家)は外交などにおいての同調圧力に弱い。忖度をわきまえているから。
その中での矛盾が内政において同調圧力がさらにむき出しになる。

【2020年】ツイッターつぶやき
ツイッターに「飛鳥川の飛び石」というものが載っていました。
明日香村に飛鳥川が流れていますが、その上流に奥飛鳥というところがあるそうです。
若いころは毎年といってもいいぐらいにならに出かけて飛鳥もだいぶ歩きました。
でも奥飛鳥というところに行ったことがなかったです。
地図を見ると石舞台から歩けない距離ではないようです。
地図を眺めているとまた明日化を歩きたくなりました。
若いころ行った明日香は石舞台もただの土の広場のようなところにポツンとありました。入り口には掘っ立て小屋の受付があって50円ぐらいだったか支払って石舞台を見ました。それから10年以上たって結婚をして子供たちも小学生になったころ行ったときは、土の広場が立派な公園になっていて驚きました。高松塚古墳も立派な博物館になりびっくり。
そしてあれから20年以上過ぎました。今、行ったら明日香村もその代わりように驚いてしまうかもしれません。
でも、飛鳥川の飛び石は万葉のころそのままに残っているそうです。
一度見てみたいですなぁ。その周りの風景も。
若いころはユースホステルにとまりながらの一人旅でした。
また一人でブラっと行って歩きたいです。
旅心がわいてきます。
行けるかどうかはわかりませんが、また若いころと同じように明日香野村を歩き回れるようにとりあえず毎日の速足散歩を続けておこうと思います。

【2021年】ツイッターつぶやき
年末年始から1月の終わる今日迄・・・・・
僕はものすごく早く感じました。
でも他の方はすごく長かったと。
同じ時間の流れにいるのに・・・・・
同じ時間の流れにいるわけですから時間の感じ方の違いは心なんでしょうね。
同時に日常の過ごし方からも違うのかもしれない。
すると毎日同じ行動をしている平凡な僕だからその平凡さから時間の流れが速く感じるのか。
でも、平凡とはいえ、退屈をしているわけでもない。
忙しい退屈。。。。

【2022年】ツイッターつぶやき
今日はアイサイの日らしいです。
1月31日の「1」を英語の「I」と読む語呂合わせらしい。
朝テレビを観ていたら「愛菜の日です」と。。。。。
夕方ラジオを聴いていたらなんだか愛妻の日で男が花を妻に送るのはどうも恥ずかしいとか。。。。
「 愛妻・愛菜」の日
どちらが正しいのか調べたらどちらも今日は何の日の協会のようなところがありそこで認定されているようでした。
というわけでどうしようかと思ったのですが「愛妻」は毎日行っているので、うん?(笑)「愛菜の日」ということで・・・・
冬は野菜の数も少ないので野菜を食べましょうという日らしい。まぁ、今はスーパーにはたくさんの野菜が置いてありますから意識して野菜も食わなくてもいいのかなとは思いますが、今でも季節の野菜というのがありますよね。大根が軟らかくておいしい。そういえば春の七草も野菜ですなぁ。4日は立春で春の始まり。寒い季節ですが体は野菜を欲しがる季節なのでしょう。
というわけで今夜は野菜のメニューで。
かぼちゃの煮つけ、マイタケとピーマンの炒め物、胡瓜の辛子味噌あえを作りました。味噌汁だけは浅利。
今10時を過ぎましたがなんだか腹が減る。でもなんとなく胃腸も重さがなく快適です。
たまには菜食主義もいいかもしれません。

【2023年】ツイッターつぶやき
1月も終わり。
昨日は七十二候「鶏始乳」(鶏始めて乳す)だそうですが、テレビでこの時期の卵は栄養価が高いと言っていました。安くて栄養価が高い卵ですが最近は値上げがすごいですね。以前のように安売りスーパー特売1パック10円というのもなくなりました。
2月3日が節分で、4日が立春♪
以前から七十二候の夕螺版というものを作りたいと思っていたのですが、季節を感じるようなものが東京には少ないですからなぁ。。。。
大寒の「水沢腹堅(すいたくふくけん)」沢の水も凍るには、「夕螺炬燵に潜り出てこない」かなぁ。。。。。
最近は俳句も浮かばないし、少しは季節を感じるように夕螺の七十二候でも楽しく探すのもいいかな。
節分には手作りの恵方巻を作る予定です。
コメント
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