【2023年】ツイッターつぶやき
最近、あれだけ世間を騒がせたオレオレ詐欺のニュースが少なくなりましたね。
金をATMから振り込ませることは、お年寄りに注意喚起が行き渡りしにくくなり、直接高齢者の家に受け取りに行くようになっていました。ところがこれも受け子のリスクも高まりやりにくくなってきたのでしょう。
そこで現れたのが強盗。。。。。。。
高齢者への殺人や暴力による強盗ですから悪質になっています。
詐欺も犯罪ですが、強盗殺人は社会の安全性を脅かします。
安倍政権当時から何でもありの政治を国民に見せつけてきた。詐欺ではないかと思われるものもあれば犯罪的なものもあった。経済では国民の懐からの収奪が。これが日本社会の当たり前になったわけですから、強盗殺人が多くなっても不思議ではない。政治家は逃げることができますからこの逃げることも国民に見せつける。詐欺でも強盗殺人でも大本は見つからなければそれで済むわけです。政治も組織的犯罪もトカゲのしっぽきり。。。。。
≪過去の記事≫
【2004年】
雨。一時霙や雪になりました。
3月に入ったと同時に雪とは・・・・
寒かったです。
【2005年】
古本屋さんに行ってきました。掘り出し物はなかった。
夏生さんの本も、単行本となると少ないです。僕が持っている本は文庫で出ているものは文庫でそろえてありますが、単行本も古本でそろえようかなと思ったりします。
古本でも最近出版されたものはどの作家のものも案外高かったです。
牡蠣フライおいしかったです。さっと揚げたらジューシーでした。
生牡蠣食べたいです。。。。。
「すみわたる夜空のような」 銀色 夏生 著
角川の「内容」紹介には、「片思いをしているすべての人に捧げます。」と、ありますように恋の詩集です。
「すみわたる夜空のような孤独を」。。。。(最後のページより引用)
心の中にわき出でる思いは、泡のように消えていくだろう。きっと消えていくだろう。しかし。。。。心というのはそのような簡単なものではない。消えてしまえと思っても沸き出でるもの。自分では制御できないのが心。
片思いもそうでしょうが、夏生さんの中では二度の離婚があり、その思い出と思い出としてしか残らない熱い思いが詩となって現れているような気がします。きっと苦い思い出も多かったのでしょうが、それが思い出となった今とすれば、楽しく素敵な恋として残っているのでしょう。
このような素敵な恋が終わってしまい残っているのは抜け殻のような自分。
今までの恋、今も思う恋。でもその恋は過ぎ去った恋。過ぎ去ってしまった恋だから心も体も抜け殻のようなのかな。ここに孤独があるのではないでしょうか。
そして今を思う詩があります。
今ある自分とこれから。しかしこれからを思うとはっきりとは見えない。
過去の恋の中にある孤独。これだけが孤独なのではなく、先のはっきりしたものが見えない中で、自分で生きていくという孤独。夏生さんの孤独はここにあるのではないかと思います。
「見上げると
夜の広さ
しんしんと降りそそぐ
夜の深さ」
(背表紙より引用)
夜の匂いに包まれて広い夜空に吸い込まれるような、深い孤独。しかしその夜空は、すみわたり、深い孤独も心までも澄みわたるような孤独かもしれない。
孤独というのは、裏を返せば自由ということである。
「まわりの広さに気づいたときに感じるなんともいえない自由」
(本の帯より引用)
夏生さんは孤独を感じる以上に自由を見ているのでしょう。この自由を見たときに今ある孤独は、「すみわたる夜空のような孤独」というように読者の心をも澄みわたらせるような素敵な言葉になるのでしょう。
孤独というのは、どれだけ深く人を愛したか、大切にしたかにその深さが比例します。愛情が深かったからこそその愛が壊れたときには大きな孤独となる。純粋さがあるのでしょう。
この純粋さと孤独を自由に置き換える心の強さ。
これが夏生さんの詩のよさなのではないか。。。。。
【2006年】
寒くて冷たい雨でした。冬に逆戻りです。
スポーツジム通いも3ヶ月が過ぎました。最近では体を動かさないとどうも調子が悪いというような気がし始めました。
桃と菜の花の切花を買ってきました。出窓が少し春らしくなるかなと思ったのですが、こうも寒いと。。。。。3日のひな祭りの日は晴れそうです。
【2007年】
乾燥した空気に程よい風の強さと風向き。。。
スギ花粉も絶好調のようでした。。。ヘックシュンッ!こんちくちくしょう!!
年度末ですなぁ。。。。
昔から年度末の風物詩といえば道路工事(笑)
道路工事が春の季語になってしまうかも?お役所も企業も残った予算を使い切るためという説を聞いたことがあります。
車で買い物に行った20分ほどの距離で、覚えているだけで4箇所で道路の工事や電信柱に登っての工事。電信柱上の工事とはいえ、その下には大きな工事用の車が止まっています。
そのうちの1箇所では、片側車線通行のような状態で、すごい渋滞が発生していました。この渋滞に巻き込まれてしまい、どんよりです。。。。交通整理をしているガードマンのおやじさんも申し訳なさそうに必死でした。しばらくの間は突貫工事のような工事が続くと思います。
引き出しの中から飲み忘れていた紅茶のティーバックが出てきました。
いつ買ったものやら全然覚えがないので、飲むのはちょっとやばい。捨てるにはもったいないし。。。。そこでお風呂の中に入れてみました。
茶色のきれいな色が出ましたし、気持ちのせいかよく温まるような?
でも、この茶色のお風呂。。。。。何かを思い出さされる。
そう。。。東京の天然温泉は茶色なのです。そして銭湯の「薬湯」(薬草のにおいがきつくてよく温まります。たしか漱石の「吾輩は猫である」の中にこの薬湯の話が?3日ほど浸かり込んだお湯がよく効くというような(笑)お話だったと記憶しています)もこの茶色。気分的にもこういう温泉や薬湯を連想できて楽しいです。
今夜は鶏肉のトマトソース煮込みとタラらのみりん干。。。
【2008年】
朝から暖かでしたが、夕方から北風に変わりました。
真冬は寒さ、その寒さは毎日のことですから慣れというのか体もその寒さについていきますが、今の季節の寒さというのが一番寒さを感じるように思います。妻との買い物帰りの北風、寒かったです。
ベランダの暖かさを感じる風と鉢植えの植物たちの芽吹き。その後にはその植物たちに北風が。。。。。
でも、一日一日と自然はうつり行く。水を与えながらアマリリスの球根に早く芽が出ないかなと見つめています。
【2009年】
(記事なし)
【2010年】
(記事なし)
【2011年】ツイッターつぶやき
朝吹真理子著 「きことわ」(文藝春秋三月特別号で読みました)
江國香織さんの「神様のボート」の感想の冒頭に次のように書きました。
「子供から見ると、親というものはその昔にさかのぼるほど霧の中に霞んでいく。親から聞いた昔の話をぼんやりとその景色として描いていく。
親は、自分の子供時代のように自分自身の昔にさかのぼると、やはり霧の中に霞んでいく。」
人は、時間の流れに乗って流されている。過去はもう存在しないし未来もまだ存在をしない。現実に存在するのは今という瞬間だけである。
時の流れの上で後ろを振り向くとさまざまなものや思いが流れ去っていき、いつしか霧の中に消えていく。未来からは何が流れ着いてくるのかそれはやはり霧の中にある。
また時間の流れは、そのときに一緒に流れていたはずなのにその一瞬一瞬の時間の中で見ていたものや心に浮かんだものはそれぞれに違い。それが互いに思い出となって再び同じ時間の流れにいても過去に流れ去ったものや思いは違うものとなる。
久しぶりに通っていた小学校を訪れたときがあったが、その校庭の狭さや鉄棒の低さにびっくりしたことがある。子供の頃はあんなに広い校庭だったのに。同じものでも時の流れの中にまったく別なものとして今という瞬間にその思い出が浮き上がっている。
「きことわ」は、当時小学三年生であった貴子と高校生であった永遠子がそれぞれに30代そして40になった今という瞬間に再会をし、そして互いに思い出として残る貴子が住んでいた葉山の別荘の古い建物に残る品々を処分するという数日を描く。
上に時間の流れの中においてそのたしかなものは今という瞬間にあると書いたが、この今という瞬間は時間の流れの中においての過去未来そして現在の基本軸である。この基本軸が揺らいだらどうなるのか。貴子と永遠子はこの揺らぎの世界に入っていく。その揺らぎの世界は時に夢という形で見る。そしてこの夢の世界の過去に現在に自分が入っていくときにあるいは夢が現実の世界になったときに基本軸は消える。
この作品は、この基本軸が揺らいで過去の時間にさまようかのような貴子と永遠子が出会う。そして互いに共にした過去の時間の流れにおいて同じ思い出があると同時に、やはりその過去の時間の流れはそれぞれに違った流れであったことに気づいていくという人の心に沈殿して残るものとはというものを描いているように感じる。
貴子と永遠子はその過去の時間において寄り添うように居眠りをすれば互いの髪がそして手足さえどれが自分のものかわからなくなるというように一体となるように過ごしていた。しかし、二人は懐かしい町の蕎麦屋に行こうとする。行く途中道の角に来たとき、永遠子がここにカーブミラーがあったという。貴子はここにはひまわりが咲いていたという。ここに時間の流れにおいての基本軸の揺らぎが共に過ごした現在の時間軸でさえ揺らぎ始める。
貴子の母親春子の死とともに会えなくなった二人の時間の流れの途切れあるいは違う時間の流れとなったこと。それもまた二人の基本軸を切り離した。そして互いに過去に流れ去るものや心に残る沈殿するものが互いの思いでとなる。
永遠子は思い出す。あるとき母親に思いがけないことを聞かされた。「私、いい人がいたの」永遠子の記憶にない母親が生きていた過去の霧にかすむ世界を知る。貴子は別荘に泊まると、さまざまな姿でこの家で立場タラいている貴子の知らない母親の姿を幻のように見る。やはり張る子という母親の霧に包まれていた姿を見てそれを知る。そして貴子はその母親のなくなった年齢に自分がいることに気付く。
確かに時間は連続した流れとなって流れていく。その流れの中に今という瞬間の自分がその基本軸にいるのである。夢は見たことがない貴子が初めて夢を見た。それは昨日かたずけをしたべそうが重機によって取り壊されて思い出の品々もなくなりどこが居間だったかわからない更地であった。それは少し先であっても未来である。永遠子は、貴子にメールをしてまた会おうと未来の日時を問い合わせる。ここで時間の流れの基本軸である現在に戻り未来の時間の揺らぎの中に入っていく。
この作品は物語としての流れに面白さがあるわけではないが、この時間の流れとは?というものを感じさせ考えさせられる作品だと思います。すばらしい作品か、退屈か。。。。読者の基本軸も揺らぐでしょう。僕としては少し苦しくなるような文体で理解するに揺らぎますが面白い作品だと思います。
貴子、永遠子。。。。川上弘美さんの影響が?
【2012年】ツイッターつぶやき
安倍内閣当時国を愛する心というものが強調されましたが、結局国を愛する心は国が国民生活などに目を向けているかあるいは国民の心をひきつけるものがあるかどうかで決まるわけです。上から総理大臣が国を愛する心をと求めることではなかった。
国民は皆その意識性において国を愛している。文化や芸術や歴史やもろもろの中に、そして経済成長を果たした国に対してもそのこと自体に。しかしその中には同時に国の政策での矛盾もある。国民生活を犠牲にしていたら文化芸術などで国は愛しても今の政治では愛せないと。
震災や原発事故の復興が言われていろいろと日本が一つにならなければならにと言われているがどうしてもそうはなっていないのが現実です。国民は皆早く復興が進むことを誰しもが望んでいる。しかしその道筋の国の政策に不満を持っている。これは国民は皆国を愛しているが、今の政治での実態を通して素直に国を愛しているとは言えない。これと共通した意識が一つになれない条件でもあるでしょう。ひどい場合は、国のやっていることを批判すると国を愛していないということを言われる。しかし無条件にだまっている国民よりも批判している国民の方がより国のことを想っている場合があるわけです。もちろん誹謗中傷や批判のための批判は別ですが。
【2013年】ツイッターつぶやき
こちらのコラムにデフレやインフレは中央銀行の貨幣の発行量によって決まるという事からリンゴと1万円の例えが書かれている。
「たとえば、リンゴが1つしかない世界に1万円という通貨(概念)を導入すると、リンゴと1万円を交換することが可能となる。そうした世界で中央銀行が新たに1万円の通貨を供給すると、通貨に対するリンゴの希少性が相対的に増し、2万円という値段で取引されるはずだ。この単純な世界では、金融政策がインフレ、デフレを引き起こすという仕組みに疑問の余地はない。」
今のアベノミクスへの賛同のコラムでしょうか?あるいは構造改革論者への批判?
このリンゴの例えで言えば、世界にたった1個しかないリンゴを買う側が1万円しかなかったらどうなるのでしょうか?売る側は腐らないうちに1万円で売るしかない。デフレでは?
日銀の通貨の発行により人為的に価格が上がるわけですが、それが即インフレにつながるわけではないでしょう。
インフレというのは買い手が多くて2万円と提示したとしても買う側も2万ならいいだろうと買うことにある。これは買う側にも好景気の影響があり十分に商品を買う支払い能力があるからであり、この双方の側からのアプローチにより経済活動の中でインフレ傾向がでる。この時市場の通貨量が少なければ流通はうまくいかないと判断をして日銀が通貨量を増やす。その中で貨幣価値の低下を伴いつつ物価が上がっていくという経済の過熱の中で初めてインフレとなるのではないでしょうか。
今のようなデフレ下において通貨発行量が増えても株や不動産といったバブルを引き起こすものは値上がりをしていきますがこれはインフレではない。ただのバブルです。
政府も賃上げを言うようになりましたが財界は配送ですかとは言わない。多少の賃上げ(ボーナス)はあるかもしれませんが、リンゴを2万円で買うというような過熱した好景気にはならないでしょうしインフレにはならない。
逆にリンゴを2万円で売りたいが買う側には1万円しかないから1万円で売れば、物価が高騰した中においての価格の下げが顕著になり結局はそれはデフレ圧力でしょうし、このようなものが続けばそれはデフレです。今よりも物価が上がった中でのデフレ傾向とは?今よりも激しいデフレ圧力であり景気の落ち込みも激しいものにならざるを得ないのではないでしょうか?物価が上がったからインフレ打は短絡をしているという事になるでしょう。ましてや今の物価上昇の傾向は、貨幣の発行量が増えることによる円安からの輸入品の値上げというものからの物価高になるという最悪なものになるかもしれない。それもまた景気の落ち込みを招きデフレ圧力となるでしょう。
【2014年】ツイッターつぶやき
納豆のかき揚と揚げナス
ナスは一口サイズに切って塩水に漬けておきます。
納豆をボールに入れて納豆についている醤油ダレもいれてよくかき回し、水と小麦粉を入れて混ぜておきます。
ナスの水をよくふき取って素揚げにします。
納豆をスプーンにとってかき揚にします。
小鉢に納豆のかき揚と素揚げしたナスを盛り付けて下ろし生姜を乗せて大葉の千切りを飾りに。
食べる前に白出汁醤油を薄めたものをかければ出来上がり。
かき揚もナスも香ばしく揚げたほうがうまいと思います。
日経の「日本企業の海外生産20%突破 過去最高に」という記事に、14年度の名目GDPの成長率見通しが1.7%となり物価変動を除いた実質GDPの成長率1.3%を超えたという。
デフレの解消を物価面からだけに見ればこの数字はよいとされるでしょう。
しかし名目GDPからの成長率が実質の成長率から離れて大きくなるということは国民生活から見れば実感なき経済成長となる。実質にも名目的にも賃上げ(雇用関連も含めて)が追いつかずさらに物価高に対して相対的な賃下げが行われたり絶対的な賃下げが行われればそれは今の経済成長といわれるものは国民生活から乖離したものとならざるを得ない。消費増税の消費者への負担転嫁による物価高がこれに加わる。
雇用も海外生産が伸びている現状の中でさらに不安定となるでしょう。
【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2017年】ツイッターつぶやき
カオス。。。。無秩序。
同時にこの無秩序はその場しのぎともなる。
共謀罪が審議されているが、はじめはテロ対策だとしてこの法案が通らなければ安全面からオリンピックも開催できないとした。しかし実は国民支配の道具でしかないことが表に出はじめて来たと同時に共謀罪の法案に『テロ』ということがが一つもないことが明らかになった。オリンピックを開催できないという国民へのメッセージは、結局はその場しのぎのポピュリズム的な言葉でしかなかった。
経済ではGPIF(年金積立金)を維持して将来の若い人のために取っておくとされたが、株などへの投資にまわされてそれは株価の維持のために使われている。政府は道半ばだとしながら景気の好循環を株価に見てきたが、公的な資金(日銀とGPIF)によりかぶかがかいざさえされて主な企業の大株主にまでなってしまい、国債は日銀が買い支えなければ持ちこたえできなくなり、ついには財政ファイナンスではないかと言われるほど国の借金を支え続ける。
政治も経済もカオス状態。
カオスというとなんだか哲学的で奥深いようなものに見えるが、実はその場しのぎでしかないのです。
国際関係では、アジアを中心に中国の台頭が目立つようになってきているが、その中国に対抗して外遊の度に金をばらまき、ついにはアメリカにまで安保を守るために資金援助を行う。
国内では、女性の活躍と待機児童問題を大きく打ち上げたが現実は根本的な解決には至らない。個人消費を言いながら社会保障は縮小して自助社会に向かう。
これらの政策も言葉は美しいが現実は真逆となり社会システムの政策もその場限りとなっている。
その場しのぎの言葉は、その場しのぎの結果しか生まないわけで、その場しのぎの矛盾が積み重なっていくと嘘となる。
しかしこの嘘も含めてその場しのぎは数の力や国家の力で正当化されて国家全体のその場限りの無秩序は何でもも有りの社会を作り上げてしまう。社会全体が何でも有りの犯罪まで増加していく。企業のブラック化も含めて社会全体が法よりもな何でも有りが当たり前になっていく。国民一人一人の意識・思考状態も何でも有りに変わっていく。
娘のためにと実家から送ってきたガラスケースに入ったひな人形があります。
娘が小さいころは押し入れから出して飾ったりもしましたが、今では出すこともなくなりました。
出せばしまわねばならない。出しっぱなしにしていると婚期が遅くなるといわれているのの慌ててしまう。
どうもこのあわただしさが煩わしさになりますね。
そもそもひな祭りはそうも世間でも騒がないということもありあまり生活に密着したものがないように感じます。
そして節句も端午の節句はこどもの日として定着していますが、桃の節句は休日ではない。子供の日が男の子の節句と重なりますが、この子供の日にも大げさに言えば男尊女卑的なものがあるのでしょうか?
【2018年】ツイッターつぶやき
「俳句はその遺産から何を引き継ぐか。俳句の伝統とは何か。(2)」の続きです。
俳句が持つ「大衆性」ですが、これをどのようにとらえるべきか。
有馬朗人さんは「ユネスコ無形文化遺産登録に向けて」でこの俳句の大衆性につて次のように書いています。
「俳句の大衆性……短いという俳句の持つ簡潔さゆえに誰もが俳句を簡単に作ることが出来るのです。 当協会の俳句コンテストへの海外からの応募は49か国に及びます。」
また、「俳句の普遍性」としても次のように書いています。
「一方俳句が短いことによって、一般の人々が俳句を作る楽しみを知り始めました。 こうして俳句によって詩人の数が急激に増えつつあると言えます。」
「短いという俳句の持つ簡潔さゆえに誰もが俳句を簡単に作ることが出来るのです」そして俳句が短いという事で「俳句によって詩人の数が急激に増えつつあると言えます」とありますが、これは世界遺産登録に向けてのリップサービスではないでしょうか。また、誰でもが作ることができたり詩的になったりできるのは何も俳句ばかりではないでしょう。詩や小説やエッセイや。。。。文学だけではなくて絵や写真や様々な分野において多くの人々が参加をしています。特にインターネットの時代ですから、本や雑誌に投稿して載せてもらうような壁はなくなりブログやツイッターやもちろんホームページでも簡単に参加できるようになっています。それに対して俳句は季語があり17文字という短い詩であるからこそとっつきにくさもあるのではないでしょうか。「詩人」は自由詩が多いでしょう。ですから俳句にも自由を求めていく傾向が強いと思います。「簡潔」や「短い」という事から俳句を世界遺産にという論点はやはりリップサービスであり、下手をすればポピュリズムになってしまいます。
たしかに正岡子規も多くの初心者を歓迎しており、心に浮かんだ句を即興的にもたくさん作れと何かに書いていたと思います。ですから俳句は難しいものと見て大衆の句を排除するものではないでしょう。多くの初心者を歓迎しながらも中休そして俳人へと昇っていくことを言っているのではないでしょうか。この正岡子規の考え方と、簡潔だから短いのだからとすることは少し違いがあるでしょう。
次は俳句の持つ自由さについて書いてみたいと思います。
つづく
【2019年】ツイッターつぶやき
名目賃金から物価上昇分を差し引いた実質賃金は一部報道によるとわずかにマイナスになっているという。その実質賃金からまた消費増税もありますが負担の増加が考えられる税や社会保障費の負担等を差し引いた手取り賃金はさらに悲惨でしょう。
たしかに日銀の2%のインフレ目標の達成には程遠い物価の上昇となっていますが、昨年から小麦などの値段が上がっていますし、今年になってアイスクリームやペットボトルの清涼飲料も値上げされるようです。これらの食品の値上げ率は5%以上の値上げです。すると、日常の食事の買い物をする中での物価の上昇は相当大きいといえます。生鮮食料品は季節や天候により変動が大きいですが、野菜にしてもハウス者が多くなっており、自然界の影響というよりも燃料費などの円安による影響もあるでしょう。家畜の餌や漁船の重油はどうでしょうか。
ですからエンゲル係数は急激に上昇しています。食費に十分な金をかけているからエンゲル係数が高くなるのではなくて、低賃金化の中で食品の値上げによる上昇と見えます。
こちらの「夜更けのかわら版」というサイトを見せていただきましたが、2019年の予想される値上がりの状態がよくわかります。
勤労国民には実感のない景気の拡大の中、低賃金化が進んだ中でのわずかな賃上げと手取り賃金の貧弱さの実態と生活に密着した商品の大幅な値上がりの状態は悪性の物価高と言えます。
この悪性の物価高はさらに財布のひもを締めることになるでしょうし、消費税10%がさらに襲い掛かる。
デフレからの脱却は無理となり。更のデフレ不況は悪化するでしょう。
【2020年】ツイッターつぶやき
ドラッグストアーやスーパーから、マスクにはじまり今は紙製品(トイレットペーパーやティッシュペーパーなど)が消えた。女性の生理用品までが消えていっている。
また米やインスタントラーメンも消えたという。
買占めと言えば言葉が悪いが備えとしていつもよりは多くの紙製品やコメなどを蓄えているのでしょう。ですからパニックと言えばパニックですが、その心理は不安から起きているのでしょう。
たかがトイレットペーパー。。。。。
しかし昔のように新聞紙を揉んで尻を拭く時代ではなくてトイレットペーパーしか水洗トイレにはながせない。花粉症の季節ですからティッシュペーパーもなければ困る。もちろんこれだけ感染が広がればマスクは必要になる。ニュースやネットでは中国などのスーパーが空っぽになっている映像が紹介されている。
また、政府の水際作戦も失敗をして死亡者も出たり新たな感染者数が毎日報道されているが、政府の対策は後手後手になりその上検査も進まずに自宅待機が言われている。そして小中高での休校がいきなり発表されて子供は自宅にこもらざるを得ない。
2週間程度の感染予防策が言われるようになり、感染が広がれば自宅でどうにか節約をせざるを得ない状況が生まれるかもしれない。ましてや2週間で終息するのか、、、、、という心配。
多くの人の心配からのパニックも根拠がないわけではない。
政府の対応が口先ばかりだったりすれば一気にパニックは進むわけです。
ネット上でもこのパニックを起こして大量にトイレットペーパーなどを買いあさる風景を小ばかにしたようなものがあるが、笑っていられる問題ではないです。
まだ買いあさりだけならよいが、このパニックは排外主義にもすぐに結びついてしまう問題です。
【2021年】ツイッターつぶやき
今日は千葉県の新規感染者数が東京を上回りました。知事は緊急事態宣言を解除することができないかもしれないという分析をしました。
とは言っても今日は月曜日ですから東京都が発表する新規感染者数はだいぶ少ないのですが。
徐々に下がり続けているのは確かなのですが、検査数も少なくなっており陽性率も3.5%あたりから下がりません。
200から300人当たりで下げ止まりで緊急事態宣下を無理に解除すればまた感染者数は増加するでしょう。解除した大阪ではまた人出が多くなっているようです。
【2022年】ツイッターつぶやき
以下ツイッターとメモです。
ロシアとアメリカ・NATOの代理戦争の場としてのウクライナ。
ロシアはウクライナ東部の2州(国)を守るためとし、NATOはウクライナに武器を送り込む。
その犠牲はウクライナ国民に。
もう、こういう戦争はなくさねばならない。
ウクライナはNATOの対ロシア最前線です。
日本は憲法上NATOには加盟できないが軍事同盟化した日米安保において中国、北朝鮮そしてロシアに対する最前線です。
米欧がウクライナを守る?
アメリカが日本を守る?
ウクライナに金や武器を送り込む。
日本に武器や基地を送り込む。
代理戦争の主戦場になる
ウクライナに金や武器を送ったり、世界経済を混乱させる経済制裁を行うのは真に平和を取り戻すことにはつながらない。
和平合意をどう作り上げるかを考えることが平和主義や正義でしょうね。
「ドイツがエネルギー政策を大転換」脱原発はなくなるでしょう。
国是を曲げてまでも火に油を注ぐような愚行。武器供与はウクライナ人に戦えという象徴だろう。
国是を守り話し合いの場を作ることを提唱すべきです。スウェーデンは外国に武器を売らないことが国是だったがこの国是を破る。これはどいつも同じでロシアは「再びロシア人にドイツ軍の銃口が向けられた=露外務省」とファシズムドイツを念頭に置く。経済制裁はともかく武器の供与は最悪です。
日本も安倍元首相が核兵器に言及しはじめた。
ロシアはウクライナのナチズムの放棄を要求する。
ロシアへの恐れと単純な平和主義(戦争反対)はパニックとなりはじめている。
ヨーロッパの極右勢力、日本も同じだが超保守主義が台頭し改憲に向かうでしょう。いつまでもパニックになっていると。。。。。
パニックはナチズムを復活させる。アメリカはこれをも利用するだろう。
パニックになる前にまずはタバコ一服ですなぁ。。。。。
最近、あれだけ世間を騒がせたオレオレ詐欺のニュースが少なくなりましたね。
金をATMから振り込ませることは、お年寄りに注意喚起が行き渡りしにくくなり、直接高齢者の家に受け取りに行くようになっていました。ところがこれも受け子のリスクも高まりやりにくくなってきたのでしょう。
そこで現れたのが強盗。。。。。。。
高齢者への殺人や暴力による強盗ですから悪質になっています。
詐欺も犯罪ですが、強盗殺人は社会の安全性を脅かします。
安倍政権当時から何でもありの政治を国民に見せつけてきた。詐欺ではないかと思われるものもあれば犯罪的なものもあった。経済では国民の懐からの収奪が。これが日本社会の当たり前になったわけですから、強盗殺人が多くなっても不思議ではない。政治家は逃げることができますからこの逃げることも国民に見せつける。詐欺でも強盗殺人でも大本は見つからなければそれで済むわけです。政治も組織的犯罪もトカゲのしっぽきり。。。。。
≪過去の記事≫
【2004年】
雨。一時霙や雪になりました。
3月に入ったと同時に雪とは・・・・
寒かったです。
【2005年】
古本屋さんに行ってきました。掘り出し物はなかった。
夏生さんの本も、単行本となると少ないです。僕が持っている本は文庫で出ているものは文庫でそろえてありますが、単行本も古本でそろえようかなと思ったりします。
古本でも最近出版されたものはどの作家のものも案外高かったです。
牡蠣フライおいしかったです。さっと揚げたらジューシーでした。
生牡蠣食べたいです。。。。。
「すみわたる夜空のような」 銀色 夏生 著
角川の「内容」紹介には、「片思いをしているすべての人に捧げます。」と、ありますように恋の詩集です。
「すみわたる夜空のような孤独を」。。。。(最後のページより引用)
心の中にわき出でる思いは、泡のように消えていくだろう。きっと消えていくだろう。しかし。。。。心というのはそのような簡単なものではない。消えてしまえと思っても沸き出でるもの。自分では制御できないのが心。
片思いもそうでしょうが、夏生さんの中では二度の離婚があり、その思い出と思い出としてしか残らない熱い思いが詩となって現れているような気がします。きっと苦い思い出も多かったのでしょうが、それが思い出となった今とすれば、楽しく素敵な恋として残っているのでしょう。
このような素敵な恋が終わってしまい残っているのは抜け殻のような自分。
今までの恋、今も思う恋。でもその恋は過ぎ去った恋。過ぎ去ってしまった恋だから心も体も抜け殻のようなのかな。ここに孤独があるのではないでしょうか。
そして今を思う詩があります。
今ある自分とこれから。しかしこれからを思うとはっきりとは見えない。
過去の恋の中にある孤独。これだけが孤独なのではなく、先のはっきりしたものが見えない中で、自分で生きていくという孤独。夏生さんの孤独はここにあるのではないかと思います。
「見上げると
夜の広さ
しんしんと降りそそぐ
夜の深さ」
(背表紙より引用)
夜の匂いに包まれて広い夜空に吸い込まれるような、深い孤独。しかしその夜空は、すみわたり、深い孤独も心までも澄みわたるような孤独かもしれない。
孤独というのは、裏を返せば自由ということである。
「まわりの広さに気づいたときに感じるなんともいえない自由」
(本の帯より引用)
夏生さんは孤独を感じる以上に自由を見ているのでしょう。この自由を見たときに今ある孤独は、「すみわたる夜空のような孤独」というように読者の心をも澄みわたらせるような素敵な言葉になるのでしょう。
孤独というのは、どれだけ深く人を愛したか、大切にしたかにその深さが比例します。愛情が深かったからこそその愛が壊れたときには大きな孤独となる。純粋さがあるのでしょう。
この純粋さと孤独を自由に置き換える心の強さ。
これが夏生さんの詩のよさなのではないか。。。。。
【2006年】
寒くて冷たい雨でした。冬に逆戻りです。
スポーツジム通いも3ヶ月が過ぎました。最近では体を動かさないとどうも調子が悪いというような気がし始めました。
桃と菜の花の切花を買ってきました。出窓が少し春らしくなるかなと思ったのですが、こうも寒いと。。。。。3日のひな祭りの日は晴れそうです。
【2007年】
乾燥した空気に程よい風の強さと風向き。。。
スギ花粉も絶好調のようでした。。。ヘックシュンッ!こんちくちくしょう!!
年度末ですなぁ。。。。
昔から年度末の風物詩といえば道路工事(笑)
道路工事が春の季語になってしまうかも?お役所も企業も残った予算を使い切るためという説を聞いたことがあります。
車で買い物に行った20分ほどの距離で、覚えているだけで4箇所で道路の工事や電信柱に登っての工事。電信柱上の工事とはいえ、その下には大きな工事用の車が止まっています。
そのうちの1箇所では、片側車線通行のような状態で、すごい渋滞が発生していました。この渋滞に巻き込まれてしまい、どんよりです。。。。交通整理をしているガードマンのおやじさんも申し訳なさそうに必死でした。しばらくの間は突貫工事のような工事が続くと思います。
引き出しの中から飲み忘れていた紅茶のティーバックが出てきました。
いつ買ったものやら全然覚えがないので、飲むのはちょっとやばい。捨てるにはもったいないし。。。。そこでお風呂の中に入れてみました。
茶色のきれいな色が出ましたし、気持ちのせいかよく温まるような?
でも、この茶色のお風呂。。。。。何かを思い出さされる。
そう。。。東京の天然温泉は茶色なのです。そして銭湯の「薬湯」(薬草のにおいがきつくてよく温まります。たしか漱石の「吾輩は猫である」の中にこの薬湯の話が?3日ほど浸かり込んだお湯がよく効くというような(笑)お話だったと記憶しています)もこの茶色。気分的にもこういう温泉や薬湯を連想できて楽しいです。
今夜は鶏肉のトマトソース煮込みとタラらのみりん干。。。
【2008年】
朝から暖かでしたが、夕方から北風に変わりました。
真冬は寒さ、その寒さは毎日のことですから慣れというのか体もその寒さについていきますが、今の季節の寒さというのが一番寒さを感じるように思います。妻との買い物帰りの北風、寒かったです。
ベランダの暖かさを感じる風と鉢植えの植物たちの芽吹き。その後にはその植物たちに北風が。。。。。
でも、一日一日と自然はうつり行く。水を与えながらアマリリスの球根に早く芽が出ないかなと見つめています。
【2009年】
(記事なし)
【2010年】
(記事なし)
【2011年】ツイッターつぶやき
朝吹真理子著 「きことわ」(文藝春秋三月特別号で読みました)
江國香織さんの「神様のボート」の感想の冒頭に次のように書きました。
「子供から見ると、親というものはその昔にさかのぼるほど霧の中に霞んでいく。親から聞いた昔の話をぼんやりとその景色として描いていく。
親は、自分の子供時代のように自分自身の昔にさかのぼると、やはり霧の中に霞んでいく。」
人は、時間の流れに乗って流されている。過去はもう存在しないし未来もまだ存在をしない。現実に存在するのは今という瞬間だけである。
時の流れの上で後ろを振り向くとさまざまなものや思いが流れ去っていき、いつしか霧の中に消えていく。未来からは何が流れ着いてくるのかそれはやはり霧の中にある。
また時間の流れは、そのときに一緒に流れていたはずなのにその一瞬一瞬の時間の中で見ていたものや心に浮かんだものはそれぞれに違い。それが互いに思い出となって再び同じ時間の流れにいても過去に流れ去ったものや思いは違うものとなる。
久しぶりに通っていた小学校を訪れたときがあったが、その校庭の狭さや鉄棒の低さにびっくりしたことがある。子供の頃はあんなに広い校庭だったのに。同じものでも時の流れの中にまったく別なものとして今という瞬間にその思い出が浮き上がっている。
「きことわ」は、当時小学三年生であった貴子と高校生であった永遠子がそれぞれに30代そして40になった今という瞬間に再会をし、そして互いに思い出として残る貴子が住んでいた葉山の別荘の古い建物に残る品々を処分するという数日を描く。
上に時間の流れの中においてそのたしかなものは今という瞬間にあると書いたが、この今という瞬間は時間の流れの中においての過去未来そして現在の基本軸である。この基本軸が揺らいだらどうなるのか。貴子と永遠子はこの揺らぎの世界に入っていく。その揺らぎの世界は時に夢という形で見る。そしてこの夢の世界の過去に現在に自分が入っていくときにあるいは夢が現実の世界になったときに基本軸は消える。
この作品は、この基本軸が揺らいで過去の時間にさまようかのような貴子と永遠子が出会う。そして互いに共にした過去の時間の流れにおいて同じ思い出があると同時に、やはりその過去の時間の流れはそれぞれに違った流れであったことに気づいていくという人の心に沈殿して残るものとはというものを描いているように感じる。
貴子と永遠子はその過去の時間において寄り添うように居眠りをすれば互いの髪がそして手足さえどれが自分のものかわからなくなるというように一体となるように過ごしていた。しかし、二人は懐かしい町の蕎麦屋に行こうとする。行く途中道の角に来たとき、永遠子がここにカーブミラーがあったという。貴子はここにはひまわりが咲いていたという。ここに時間の流れにおいての基本軸の揺らぎが共に過ごした現在の時間軸でさえ揺らぎ始める。
貴子の母親春子の死とともに会えなくなった二人の時間の流れの途切れあるいは違う時間の流れとなったこと。それもまた二人の基本軸を切り離した。そして互いに過去に流れ去るものや心に残る沈殿するものが互いの思いでとなる。
永遠子は思い出す。あるとき母親に思いがけないことを聞かされた。「私、いい人がいたの」永遠子の記憶にない母親が生きていた過去の霧にかすむ世界を知る。貴子は別荘に泊まると、さまざまな姿でこの家で立場タラいている貴子の知らない母親の姿を幻のように見る。やはり張る子という母親の霧に包まれていた姿を見てそれを知る。そして貴子はその母親のなくなった年齢に自分がいることに気付く。
確かに時間は連続した流れとなって流れていく。その流れの中に今という瞬間の自分がその基本軸にいるのである。夢は見たことがない貴子が初めて夢を見た。それは昨日かたずけをしたべそうが重機によって取り壊されて思い出の品々もなくなりどこが居間だったかわからない更地であった。それは少し先であっても未来である。永遠子は、貴子にメールをしてまた会おうと未来の日時を問い合わせる。ここで時間の流れの基本軸である現在に戻り未来の時間の揺らぎの中に入っていく。
この作品は物語としての流れに面白さがあるわけではないが、この時間の流れとは?というものを感じさせ考えさせられる作品だと思います。すばらしい作品か、退屈か。。。。読者の基本軸も揺らぐでしょう。僕としては少し苦しくなるような文体で理解するに揺らぎますが面白い作品だと思います。
貴子、永遠子。。。。川上弘美さんの影響が?
【2012年】ツイッターつぶやき
安倍内閣当時国を愛する心というものが強調されましたが、結局国を愛する心は国が国民生活などに目を向けているかあるいは国民の心をひきつけるものがあるかどうかで決まるわけです。上から総理大臣が国を愛する心をと求めることではなかった。
国民は皆その意識性において国を愛している。文化や芸術や歴史やもろもろの中に、そして経済成長を果たした国に対してもそのこと自体に。しかしその中には同時に国の政策での矛盾もある。国民生活を犠牲にしていたら文化芸術などで国は愛しても今の政治では愛せないと。
震災や原発事故の復興が言われていろいろと日本が一つにならなければならにと言われているがどうしてもそうはなっていないのが現実です。国民は皆早く復興が進むことを誰しもが望んでいる。しかしその道筋の国の政策に不満を持っている。これは国民は皆国を愛しているが、今の政治での実態を通して素直に国を愛しているとは言えない。これと共通した意識が一つになれない条件でもあるでしょう。ひどい場合は、国のやっていることを批判すると国を愛していないということを言われる。しかし無条件にだまっている国民よりも批判している国民の方がより国のことを想っている場合があるわけです。もちろん誹謗中傷や批判のための批判は別ですが。
【2013年】ツイッターつぶやき
こちらのコラムにデフレやインフレは中央銀行の貨幣の発行量によって決まるという事からリンゴと1万円の例えが書かれている。
「たとえば、リンゴが1つしかない世界に1万円という通貨(概念)を導入すると、リンゴと1万円を交換することが可能となる。そうした世界で中央銀行が新たに1万円の通貨を供給すると、通貨に対するリンゴの希少性が相対的に増し、2万円という値段で取引されるはずだ。この単純な世界では、金融政策がインフレ、デフレを引き起こすという仕組みに疑問の余地はない。」
今のアベノミクスへの賛同のコラムでしょうか?あるいは構造改革論者への批判?
このリンゴの例えで言えば、世界にたった1個しかないリンゴを買う側が1万円しかなかったらどうなるのでしょうか?売る側は腐らないうちに1万円で売るしかない。デフレでは?
日銀の通貨の発行により人為的に価格が上がるわけですが、それが即インフレにつながるわけではないでしょう。
インフレというのは買い手が多くて2万円と提示したとしても買う側も2万ならいいだろうと買うことにある。これは買う側にも好景気の影響があり十分に商品を買う支払い能力があるからであり、この双方の側からのアプローチにより経済活動の中でインフレ傾向がでる。この時市場の通貨量が少なければ流通はうまくいかないと判断をして日銀が通貨量を増やす。その中で貨幣価値の低下を伴いつつ物価が上がっていくという経済の過熱の中で初めてインフレとなるのではないでしょうか。
今のようなデフレ下において通貨発行量が増えても株や不動産といったバブルを引き起こすものは値上がりをしていきますがこれはインフレではない。ただのバブルです。
政府も賃上げを言うようになりましたが財界は配送ですかとは言わない。多少の賃上げ(ボーナス)はあるかもしれませんが、リンゴを2万円で買うというような過熱した好景気にはならないでしょうしインフレにはならない。
逆にリンゴを2万円で売りたいが買う側には1万円しかないから1万円で売れば、物価が高騰した中においての価格の下げが顕著になり結局はそれはデフレ圧力でしょうし、このようなものが続けばそれはデフレです。今よりも物価が上がった中でのデフレ傾向とは?今よりも激しいデフレ圧力であり景気の落ち込みも激しいものにならざるを得ないのではないでしょうか?物価が上がったからインフレ打は短絡をしているという事になるでしょう。ましてや今の物価上昇の傾向は、貨幣の発行量が増えることによる円安からの輸入品の値上げというものからの物価高になるという最悪なものになるかもしれない。それもまた景気の落ち込みを招きデフレ圧力となるでしょう。
【2014年】ツイッターつぶやき
納豆のかき揚と揚げナス
ナスは一口サイズに切って塩水に漬けておきます。
納豆をボールに入れて納豆についている醤油ダレもいれてよくかき回し、水と小麦粉を入れて混ぜておきます。
ナスの水をよくふき取って素揚げにします。
納豆をスプーンにとってかき揚にします。
小鉢に納豆のかき揚と素揚げしたナスを盛り付けて下ろし生姜を乗せて大葉の千切りを飾りに。
食べる前に白出汁醤油を薄めたものをかければ出来上がり。
かき揚もナスも香ばしく揚げたほうがうまいと思います。
日経の「日本企業の海外生産20%突破 過去最高に」という記事に、14年度の名目GDPの成長率見通しが1.7%となり物価変動を除いた実質GDPの成長率1.3%を超えたという。
デフレの解消を物価面からだけに見ればこの数字はよいとされるでしょう。
しかし名目GDPからの成長率が実質の成長率から離れて大きくなるということは国民生活から見れば実感なき経済成長となる。実質にも名目的にも賃上げ(雇用関連も含めて)が追いつかずさらに物価高に対して相対的な賃下げが行われたり絶対的な賃下げが行われればそれは今の経済成長といわれるものは国民生活から乖離したものとならざるを得ない。消費増税の消費者への負担転嫁による物価高がこれに加わる。
雇用も海外生産が伸びている現状の中でさらに不安定となるでしょう。
【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2017年】ツイッターつぶやき
カオス。。。。無秩序。
同時にこの無秩序はその場しのぎともなる。
共謀罪が審議されているが、はじめはテロ対策だとしてこの法案が通らなければ安全面からオリンピックも開催できないとした。しかし実は国民支配の道具でしかないことが表に出はじめて来たと同時に共謀罪の法案に『テロ』ということがが一つもないことが明らかになった。オリンピックを開催できないという国民へのメッセージは、結局はその場しのぎのポピュリズム的な言葉でしかなかった。
経済ではGPIF(年金積立金)を維持して将来の若い人のために取っておくとされたが、株などへの投資にまわされてそれは株価の維持のために使われている。政府は道半ばだとしながら景気の好循環を株価に見てきたが、公的な資金(日銀とGPIF)によりかぶかがかいざさえされて主な企業の大株主にまでなってしまい、国債は日銀が買い支えなければ持ちこたえできなくなり、ついには財政ファイナンスではないかと言われるほど国の借金を支え続ける。
政治も経済もカオス状態。
カオスというとなんだか哲学的で奥深いようなものに見えるが、実はその場しのぎでしかないのです。
国際関係では、アジアを中心に中国の台頭が目立つようになってきているが、その中国に対抗して外遊の度に金をばらまき、ついにはアメリカにまで安保を守るために資金援助を行う。
国内では、女性の活躍と待機児童問題を大きく打ち上げたが現実は根本的な解決には至らない。個人消費を言いながら社会保障は縮小して自助社会に向かう。
これらの政策も言葉は美しいが現実は真逆となり社会システムの政策もその場限りとなっている。
その場しのぎの言葉は、その場しのぎの結果しか生まないわけで、その場しのぎの矛盾が積み重なっていくと嘘となる。
しかしこの嘘も含めてその場しのぎは数の力や国家の力で正当化されて国家全体のその場限りの無秩序は何でもも有りの社会を作り上げてしまう。社会全体が何でも有りの犯罪まで増加していく。企業のブラック化も含めて社会全体が法よりもな何でも有りが当たり前になっていく。国民一人一人の意識・思考状態も何でも有りに変わっていく。
娘のためにと実家から送ってきたガラスケースに入ったひな人形があります。
娘が小さいころは押し入れから出して飾ったりもしましたが、今では出すこともなくなりました。
出せばしまわねばならない。出しっぱなしにしていると婚期が遅くなるといわれているのの慌ててしまう。
どうもこのあわただしさが煩わしさになりますね。
そもそもひな祭りはそうも世間でも騒がないということもありあまり生活に密着したものがないように感じます。
そして節句も端午の節句はこどもの日として定着していますが、桃の節句は休日ではない。子供の日が男の子の節句と重なりますが、この子供の日にも大げさに言えば男尊女卑的なものがあるのでしょうか?
【2018年】ツイッターつぶやき
「俳句はその遺産から何を引き継ぐか。俳句の伝統とは何か。(2)」の続きです。
俳句が持つ「大衆性」ですが、これをどのようにとらえるべきか。
有馬朗人さんは「ユネスコ無形文化遺産登録に向けて」でこの俳句の大衆性につて次のように書いています。
「俳句の大衆性……短いという俳句の持つ簡潔さゆえに誰もが俳句を簡単に作ることが出来るのです。 当協会の俳句コンテストへの海外からの応募は49か国に及びます。」
また、「俳句の普遍性」としても次のように書いています。
「一方俳句が短いことによって、一般の人々が俳句を作る楽しみを知り始めました。 こうして俳句によって詩人の数が急激に増えつつあると言えます。」
「短いという俳句の持つ簡潔さゆえに誰もが俳句を簡単に作ることが出来るのです」そして俳句が短いという事で「俳句によって詩人の数が急激に増えつつあると言えます」とありますが、これは世界遺産登録に向けてのリップサービスではないでしょうか。また、誰でもが作ることができたり詩的になったりできるのは何も俳句ばかりではないでしょう。詩や小説やエッセイや。。。。文学だけではなくて絵や写真や様々な分野において多くの人々が参加をしています。特にインターネットの時代ですから、本や雑誌に投稿して載せてもらうような壁はなくなりブログやツイッターやもちろんホームページでも簡単に参加できるようになっています。それに対して俳句は季語があり17文字という短い詩であるからこそとっつきにくさもあるのではないでしょうか。「詩人」は自由詩が多いでしょう。ですから俳句にも自由を求めていく傾向が強いと思います。「簡潔」や「短い」という事から俳句を世界遺産にという論点はやはりリップサービスであり、下手をすればポピュリズムになってしまいます。
たしかに正岡子規も多くの初心者を歓迎しており、心に浮かんだ句を即興的にもたくさん作れと何かに書いていたと思います。ですから俳句は難しいものと見て大衆の句を排除するものではないでしょう。多くの初心者を歓迎しながらも中休そして俳人へと昇っていくことを言っているのではないでしょうか。この正岡子規の考え方と、簡潔だから短いのだからとすることは少し違いがあるでしょう。
次は俳句の持つ自由さについて書いてみたいと思います。
つづく
【2019年】ツイッターつぶやき
名目賃金から物価上昇分を差し引いた実質賃金は一部報道によるとわずかにマイナスになっているという。その実質賃金からまた消費増税もありますが負担の増加が考えられる税や社会保障費の負担等を差し引いた手取り賃金はさらに悲惨でしょう。
たしかに日銀の2%のインフレ目標の達成には程遠い物価の上昇となっていますが、昨年から小麦などの値段が上がっていますし、今年になってアイスクリームやペットボトルの清涼飲料も値上げされるようです。これらの食品の値上げ率は5%以上の値上げです。すると、日常の食事の買い物をする中での物価の上昇は相当大きいといえます。生鮮食料品は季節や天候により変動が大きいですが、野菜にしてもハウス者が多くなっており、自然界の影響というよりも燃料費などの円安による影響もあるでしょう。家畜の餌や漁船の重油はどうでしょうか。
ですからエンゲル係数は急激に上昇しています。食費に十分な金をかけているからエンゲル係数が高くなるのではなくて、低賃金化の中で食品の値上げによる上昇と見えます。
こちらの「夜更けのかわら版」というサイトを見せていただきましたが、2019年の予想される値上がりの状態がよくわかります。
勤労国民には実感のない景気の拡大の中、低賃金化が進んだ中でのわずかな賃上げと手取り賃金の貧弱さの実態と生活に密着した商品の大幅な値上がりの状態は悪性の物価高と言えます。
この悪性の物価高はさらに財布のひもを締めることになるでしょうし、消費税10%がさらに襲い掛かる。
デフレからの脱却は無理となり。更のデフレ不況は悪化するでしょう。
【2020年】ツイッターつぶやき
ドラッグストアーやスーパーから、マスクにはじまり今は紙製品(トイレットペーパーやティッシュペーパーなど)が消えた。女性の生理用品までが消えていっている。
また米やインスタントラーメンも消えたという。
買占めと言えば言葉が悪いが備えとしていつもよりは多くの紙製品やコメなどを蓄えているのでしょう。ですからパニックと言えばパニックですが、その心理は不安から起きているのでしょう。
たかがトイレットペーパー。。。。。
しかし昔のように新聞紙を揉んで尻を拭く時代ではなくてトイレットペーパーしか水洗トイレにはながせない。花粉症の季節ですからティッシュペーパーもなければ困る。もちろんこれだけ感染が広がればマスクは必要になる。ニュースやネットでは中国などのスーパーが空っぽになっている映像が紹介されている。
また、政府の水際作戦も失敗をして死亡者も出たり新たな感染者数が毎日報道されているが、政府の対策は後手後手になりその上検査も進まずに自宅待機が言われている。そして小中高での休校がいきなり発表されて子供は自宅にこもらざるを得ない。
2週間程度の感染予防策が言われるようになり、感染が広がれば自宅でどうにか節約をせざるを得ない状況が生まれるかもしれない。ましてや2週間で終息するのか、、、、、という心配。
多くの人の心配からのパニックも根拠がないわけではない。
政府の対応が口先ばかりだったりすれば一気にパニックは進むわけです。
ネット上でもこのパニックを起こして大量にトイレットペーパーなどを買いあさる風景を小ばかにしたようなものがあるが、笑っていられる問題ではないです。
まだ買いあさりだけならよいが、このパニックは排外主義にもすぐに結びついてしまう問題です。
【2021年】ツイッターつぶやき
今日は千葉県の新規感染者数が東京を上回りました。知事は緊急事態宣言を解除することができないかもしれないという分析をしました。
とは言っても今日は月曜日ですから東京都が発表する新規感染者数はだいぶ少ないのですが。
徐々に下がり続けているのは確かなのですが、検査数も少なくなっており陽性率も3.5%あたりから下がりません。
200から300人当たりで下げ止まりで緊急事態宣下を無理に解除すればまた感染者数は増加するでしょう。解除した大阪ではまた人出が多くなっているようです。
【2022年】ツイッターつぶやき
以下ツイッターとメモです。
ロシアとアメリカ・NATOの代理戦争の場としてのウクライナ。
ロシアはウクライナ東部の2州(国)を守るためとし、NATOはウクライナに武器を送り込む。
その犠牲はウクライナ国民に。
もう、こういう戦争はなくさねばならない。
ウクライナはNATOの対ロシア最前線です。
日本は憲法上NATOには加盟できないが軍事同盟化した日米安保において中国、北朝鮮そしてロシアに対する最前線です。
米欧がウクライナを守る?
アメリカが日本を守る?
ウクライナに金や武器を送り込む。
日本に武器や基地を送り込む。
代理戦争の主戦場になる
ウクライナに金や武器を送ったり、世界経済を混乱させる経済制裁を行うのは真に平和を取り戻すことにはつながらない。
和平合意をどう作り上げるかを考えることが平和主義や正義でしょうね。
「ドイツがエネルギー政策を大転換」脱原発はなくなるでしょう。
国是を曲げてまでも火に油を注ぐような愚行。武器供与はウクライナ人に戦えという象徴だろう。
国是を守り話し合いの場を作ることを提唱すべきです。スウェーデンは外国に武器を売らないことが国是だったがこの国是を破る。これはどいつも同じでロシアは「再びロシア人にドイツ軍の銃口が向けられた=露外務省」とファシズムドイツを念頭に置く。経済制裁はともかく武器の供与は最悪です。
日本も安倍元首相が核兵器に言及しはじめた。
ロシアはウクライナのナチズムの放棄を要求する。
ロシアへの恐れと単純な平和主義(戦争反対)はパニックとなりはじめている。
ヨーロッパの極右勢力、日本も同じだが超保守主義が台頭し改憲に向かうでしょう。いつまでもパニックになっていると。。。。。
パニックはナチズムを復活させる。アメリカはこれをも利用するだろう。
パニックになる前にまずはタバコ一服ですなぁ。。。。。
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