夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

3月27日という日

2024年03月27日 08時06分24秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
テレビコマーシャルで首都高の出入り口の一部ではETC利用ではないと利用できないインターチェンジが出てきていると注意を呼び掛けている。
ETCが導入され普及させるために割引などもありましたが、今やETCを利用しないとペナルティーがかけられることになってきた。人件費削減でしょうが、一方では値上げをしている。どこまで利用しても700円でしたが、今や長い距離を乗ると2000円以上になっている。また、本来は無料となる計画が反故にされた。
たしかにメンテナンスが必要になっていることは確かでしょうが、それを国や自治体がやらずに利用者負担になっている。その中で人件費を減らすこともされて利用者が不便となる。

≪過去の記事≫

【2004年】
隅田川の夜桜船に乗ってきました。
少しつまみを作っていき、ビールなどを買い込んで乗りました。浅草から出向をして隅田川を50分遊覧して浅草にまた戻ります。都営の水上バスですので運賃も手ごろ(1000円)です。
東京周辺にお住まいの方や、東京に勤めている方にお薦めです。
船の1階席はテーブルがありますので、酒などを持ち込むといいですよ。女性だけのグループでもビールなど飲みやすい雰囲気があります。
桜はまだ5分から8分咲きぐらいで今一でした。
来週いっぱいは楽しめるのでは?

【2005年】
(記事なし)

【2006年】
(記事なし)

【2007年】
昨日は、東京も気温が20度になり暖かでした。
公園の桜も一気に咲き始め、もう七分咲きです。この桜は早いようで他の桜は2分咲きから3分咲きかな。天気がよければ今度の週末はだいぶ見ごろとなると思います。
能登沖の地震の映像が多く入ってくるようになりましたが、やはり大きな地震だったようですね。
お見舞い申し上げます。
幸いにも亡くなった方は少なかったようですが、日常生活が大変でしょうね。

【2008年】
娘と千葉県の清水公園に行ってきました。
桜はまだ2分咲ぐらいでした。
もしかしたら来週の週末ぐらいまで桜見物が出来そうかな?
大きな公園です。のんびり歩いてきました。温室もある「花ファンタジア」(650円だったかな?)というところもあるのですが、ミモザが満開でした。変わった葉と花ですなぁ。。。。

「浮き草」 角田 光代  著
yom yomの前号「こうもり」の続編です。
「こうもり」での槙仁のマンションから消えて1ヵ月後、売れない舞台女優希麻子はテレビドラマのエキストラの仕事を通じた飲み会で林久信と出会う。
そして槙仁との出会いと同じように飲みつぶれて気が付いたら久信のマンションに寝ていた。
久信は、苦労しながらも売れてきたイラストレーターである。
希麻子はそんな久信に本気で恋をする。
しかし、この希麻子の恋はどこに惹かれての恋なのだろうか?希麻子は、今まで関係を持ってきた男とは違うものを久信に見る。それは「成功」した男の魅力?
希麻子にはこの「成功」というものが夢としてはあったが目の前には見えないものである。年に数回黒田という男が主宰する小劇場の舞台に女優として立つ場はあったが、生活はスナックでのバイトやほとんど金にならないテレビのエキストラという生活。希麻子の濃いは、久信という「男としての魅力」ではなく、「成功」への恋であるように思われる。だから久信の「成功」に結婚という形において会社のスタッフという自身の成功を見る。希麻子は必死に久信に働きかける。
「こうもり」での槙仁は、希麻子を「未来を感じない女」と見えた。久信にとっては、希麻子はどんな女に見えたのだろう。
久信は事務所に「有能」な女性を入れる。希麻子はここでも「成功」はしなかった。
「こうもり」で、槙仁は希麻子を見て思う。
「希麻子のいう成功がどんなものかはよくわからないが、(中略)実現するときというのは、不思議なくらい他人が気にならない。(中略)あとはもう、自分しかいない。(中略)」(yom yom2007年11月号53ページから)
「浮き草」においても希麻子は同じ失敗を繰り返す。「優秀」な女性スタッフの悪口を久信に吹き込んで自分を守ろうとした。
久信がその師の言葉として希麻子に言った「すげえって思った、その気持ちの強さだけがこれからの君を引っ張っていく力なんだぞ」(yom yom2008年3月号398ページ)という言葉を希麻子は理解できなかった。だから希麻子には久信がこの師の言葉に涙した意味がわからない。
久信と別れた希麻子は自身を「浮き草」という。
このように見ると、希麻子という女は馬鹿な女だと見えるようである。
しかし、空想的とも言えるような「成功」の夢ではあっても、自分の年齢面やその実力のなさがわかっていても「成功」を夢見る希麻子は憎めない女である。
そして浮き草は浮き草なりに、現実世界に埋没していった槙仁や、成功したにもかかわらず孤独のうちにいる久信よりも希麻子には強さがあるのかもしれない。
「40近いこの女の身軽さはすごい、久信の言っていた『すげえ』とは異なるが」 ((399ページ)
希麻子は自分を慰めるように思う。
希麻子は昼飯を何にするかと考える。
久信のイラストの看板に背を向けて「よし、昼はステーキだな、」と。。。。
もしかしたら、こんな希麻子を見て槙仁や久信も結婚は考えないが、どこかその自由さにうらやましさを感じていたのかもしれない。だから槙仁も久信も自分から分かれようとはいわない。久信は希麻子に職を紹介するし。

【2009年】
(記事なし)

【2010年】
テレビを観ているとクイズ番組が多い。
見ていて自分でも答えたりして楽しいのですが、何なのだろ?知識って。。。。
たしかにいろいろな事を知っていること自体はすばらしいのですが、一問一答。。。ある事柄について知っていると満足するがすぐに次の問題が出てくる。そして前回の問題とはまるで関係のない知識を引き出さねばならない。知っていることとその知識から何を考えるかがないですなぁ。。。
ニュースででもめまぐるしく知識の情報が入ってくる。それもまた一問一答的なものかなと思う。
でも、クイズ番組によっては、いいなぁと思うものもある。
知識があるかどうかのクイズではなくて、例えばある番組でやっている川柳の下五文字を考えたり、落語家の出題をする「謎かけ」の「何々とかけて 何々ととく」の「そのこころは」を考えるといったもの。これは知識だけでは解けませんね。頭を柔軟にして脳が活発に働きますし、考えるセンスが必要となる。正解にはならない答えを観ながら出しても100%はずれというものがないような気がする。
そういう意味では、本を読んだりするのも同じでしょうね。
もちろん知識を蓄えるための本というものがあるのはそれはいいと思うのですが、その知識を蓄えるにしても読者に考えさせるような文体や文学的センスやユーモアなどなどの心に響く本が良書となり、一時的なベストセラーではなくて長期的な、あるいは時代を超えたベストセラーになる。
クイズ番組を観ながらもいろいろと「考え」ましょう。。。。。うん
そしてすべては疑いながら考えよう。。。。

【2011年】ツイッターつぶやき
      (掲示板より)
応援します!!
でも、僕は寄付はしないかも。。。。

こういう時期にも音楽や本という物は大切なのです。こういう時期に本の新刊情報などを書くなというあなたが間違っている。
そして寄付やボランティアというのが目立ちますが、今いろいろな物が足りなくなっている中、24時間操業で必要なものを作っている人がいる。そういう目立たない人の労働もまた被災地を助ける重要なものなのです。
今、寄付やボランティアを呼びかけること自体は良いことなのです。しかしそれをやらない人がおかしいと非難することは間違いなのです。強要するようあるいはそれをやらないと非難するような言動自体が害悪です。
今までこちらに書いて(お返事)来たことはすべてこの視点です。
あなたのような言動をしていることが被災地にとって害悪なのです。東京だってこの都市機能を守ろうとして働いている人がたくさんいるのです。それが結集して被災地を助けることになるのです。それぞれの持ち場で頑張っているのです。その中には音楽や本なども含まれるのです。

被災地に方が一番苦しんでいるというのは確かです。
そこにいろいろな必要な物を早く届けること、それにはそのものを製造して運ぶ人間が必要なわけです。貨車でガソリンや灯油を運ぶにしても鉄道関係者の労働なくして運べないわけです。先日も書きましたがいろいろな物を製造するにしても労働が必要なのです。その上に立ってぼランティアや義捐金が役立つのです。
何も僕はボランティアや義捐金活動に批判的なわけではない。
そもそもこの議論は、義捐金を出さないことへの批判だった。
「なにかしらにつけ文句をつける」何に?
「気に食わない」だけならもう議論はやめましょう。あなたはもっと冷静にならなくてはいけない。

今までもいろいろな募金がありましたがやっていないし、どうも募金とか寄付というのが嫌なんです。金が絡む心が嫌なのかもしれません。
募金とか寄付とかという形でなくて「も」いろいろな事柄についてみんなで考えようということを大切にしたい。

東京やそのベッドタウンに住み、都心に通勤する。鉄道は計画停電で遠距離部分は運休や間引き運転。そうすると数駅を歩いたりタクシーで金を使う。
労働するにも東京といってもいろいろと自腹で行かねばならない。都心の安いホテルに泊まる人もいるようです。
自分の仕事が社会から与えられているのですからそこに集中します。仕事を休んでボランティア(被災地に行ってお手伝いをするという)というものはできないです。

今この状況の中で自分のできることって何でしょうか?
被災地に残り頑張っている方や原発で命がけで復旧をされている方もいる。そこが一番大変で苦しいと思います。しかしそこをふまえて一人一人が何ができるかを考えているわけです。
そこにボランティアや寄付も自分ができることになるのはもちろんです。大切です。僕はこれを否定をするのではない。僕が否定をするのは、ボランティアや寄付をしない人はおかしいとか共用することがおかしいと思っているのです。金を持っているならのほほんとしているなら寄付でもしろといった論法がおかしいのであり、ボランティアや寄付が正しいからこそこれらの論法は害悪にもなるのです。
ボランティアや寄付でもない自分ができることはたくさんあってそれが社会を維持し被災地にも届いているのです。テレビなどに映し出されないあるいは呼びかけもされないものの中に地味な自分ができることがあるのです。
ですからボランティアや寄付とい形でも、この地味な注目をされないものでもお互いにがんばっているというものを共有しなくてはいけないということです。こういう一つになろうという動きを阻止するのが互いに批判をしあう言動なのです。それは害悪なのです。
五行目。。。「共用」ではなくて「強要」です。

人はいろいろな今の災害や事故の様子を見たとき、その心理状態によってはこういう時期にもかかわらず人に目が行く。不要な文句をならべて人の労働を邪魔するしかしない。気に食わないからなんだかんだといい並べる。
その目は今の社会に起きているいろいろな政治的経済的なものに目を向けるべきでしょう。原発の現状をどうするかとか。そうしないと発展的な議論ができない。最後は呪いの言葉。。。。

自然災害で被害を受けたり死んだりするのは因果応報ですか?違うでしょ?
まずはこれは違いますよね。
今回は東北での災害で大変な方が多くいらっしゃる。僕の小さな労働がいろいろな経路を通って被災地の方を助けている。僕が仮に被災にあったときは、他のところで働いてくださる方いろいろな労働の成果の生産物で助けてくれると思っています。

ブログ記事の転載ありがとうございます。(ただしこのブログをお書きになった方からのクレームはお許しください)
被災地から遠くにある人たちは、日常を過ごします。そして募金をしたりしても同じで日常を過ごします。それは被災地ではないので当たり前のことです。これが被災地の方を見捨てることにはまずならないということです。そして今回のような大規模な広範囲の地震災害と原発事故までも引きここされている中において自分の仕事をこなしていくということは大切なのです。むしろこの仕事こそがいろいろな物が作られて被災地に行く。これがなければボランティアも募金という金も生きないでしょ?仕事というものは大切でしょ?被災地の方を助けるにも。

ボランティアや募金をしても自分の生活を被災地まで下げて行う人はそうはいないでしょ。みんな被災地から離れた人は日常生活を行っている。被災地の大変さを踏まえていろんな人が今できることをやっているんでしょ。日常生活を過ごしながら。
ニュースを見たって関西の紙おむつなどを作る会社も24時間体勢になったといいます。そこにはたくさんの人が働いているんです。働いて被災地のためになるんです。
被災地の近くでも直接的なボランティアはやらなくても今までの生活を立て直すためにいろいろな職業の方が働いているんです。残念ながらも出荷停止になってしまった農業の方も。
それぞれに頑張って働いている人をその労働をなぜ理解できないのですか?
互いにそれぞれが行っていることを互いに認めなくてはいけないのが今でしょ。
こうして議論になるから働いていることも大切と書きますが、本来はこんな議論をしないで黙って働いて痛いんです。同じようにボランティアをやっている人も黙ってそれぞれに頑張っているんです。
そういう中でなぜあなたはこのようなことでこのような議論をするのですか?
それよりもあなたが今行っているボランティアのことをみんなに伝えるべきでしょう。

【2012年】ツイッターつぶやき
核保安サミットに野田総理が行っているという。
サミットでは、核施設のテロからの安全性の確保という視点を前提にしながらも福島の原発事故については「甘い想定にとらわれていた」として「過酷事故を想定した準備の不足も周辺住民の避難に関する混乱も甘い想定にとらわれていた」と。その中で「事故で露呈した原子力施設の脆弱性を克服する」と宣言するそうです。
(朝日新聞1面を参照しました)
現在北朝鮮の人工衛星(北朝鮮側の発表)の実験?を日本をはじめ多くの国がミサイル実験だと核開発とともに懸念を示しているし、核のテロは脅威にもなっている。その中でのサミットの位置づけとその中心課題は軍事やテロが中心となり、野田総理の宣言もこの位置づけとしてのものと言えるのかもしれない。しかし原発所有国はそうも福島原発の事故に対して無関心ではいられないだろう。この中で勿論野田総理は原発事故に触れざるを得ない。原発事故後も再稼働の動きが急であるが、その路線に沿っての発言ではあるが、上の引用の言葉には一つの事故への総括のようなものはあるだろう。
そこで大飯原発の再稼働を急ぐことと今回の宣言との落差を感じる。
1次ストレステストで安全性が確認されたとしての再稼働の政府の動きだが、これに対しては2次ストレステストが必要だという声も大きいわけです。「事故で露呈した原子力施設の脆弱性」はテロでもあるし自然の驚異でもあります。また大きな事故にはならないまでも一時停止をする事故はたびたびあり、中位の事故もあって今回の大きな事故にもつながったと見た方が良いと思います。数字は忘れましたがたくさんの小規模な事故が続くと中規模の事故がいくつか起きて、最後は1つの大事故につながるというような分析の数字もあるそうです。これも原子力施設という絶対安全とは言えない建造物でもあり危険な設備が持つたしかな脆弱性のはずです。
原子力規制庁という新たな組織に寄らず、福島原発事故時の旧組織で大飯原発の安全性を確認し、政府が地元を説得し、県原子力委は過去に関電から金をもらった委員が5人も入っているhttp://www.asahi.com/national/update/0325/OSK201203240241.html。これは古い形を残したままにまたもやつくりだされる安全神話でしょう。

【2013年】ツイッターつぶやき
保育園の数が少ないのでもっと増やすべきだというものが問題になっているが、これをどう見るのか?その一つ考え方こちら「保育園が足りないからどうにかしろ!?」にある。
すごい論理です。。。。すべてが逆立ちをしている。 女性が働けるのは再分配政策だから感謝しろ?保育所に入れることは子育て女性のワガママ?専業主婦への働く女性との差別?
この中身についてはまた書きたいと思うのですが、この文章を読んで改めて社会保障や保育園行政といった制度をどのようにとらえる傾向があるのかと考えさせられた。
社会保障やさまざまな行政のサービスとしての制度を受けることが「わがまま」だったりうけなかったりする人との「差別」だという論法が多くあるのですね。
これは今の社会の矛盾を見ないで自己解決(責任)ですべてを解決すべきという論理でしょう。
たとえば今さまざまな角度から生活保護の問題が出ていますが、本来ならば生活保護をうける人が少なければ少ないほどいいわけですが残念ながら増える一方です。中には不正受給者もいることはあるのでしょうが、なぜ生活保護が必要で受ける人が多くなっているのか?今の社会の矛盾でしょう。女性が夫と死別したり離婚をして子育ても真っ最中という時に働くにしても働く場所(子供がいることの障害など)がなかったり働ける時間が限られるのでどうしてもバイトやパートぐらいしかできないとなれば生活保護の必要性も出てくるし生活できる収入のためには安く利用できる保育園が必要になる。このようなことを見ないで自己解決だと済ませたり、それをわがままだとか専業主婦もいるのdからその女性との差別だなどと言える問題ではないはずです。しかしこれをわがままだとかで解決しようとする人々がいる。
または家計の助けとして働きに行ってもその収入がほとんど保育園台に消えてしまうといった問題もある。
そして家計面で困らなくても働きたい女性もいる。
ここで女性は働かせてもらうことができるのだからそれだけでも感謝しろはないでしょう。前近代的発想です。
社会保障や行政サービスの制度を利用することはわがままでも差別だとかいう後ろめたさを持つ必要ないのです。
保育園は女性社員が多い企業ではその企業自体が保育園をつくるといったうG気動きもあります。今、また情勢労働を企業が必要としてきていますが保育園も行政だけではなくて企業の責任という視点でも見なkれ江花ら見なければならないでしょう。
保育園なんて働く女性のわがままだとか、専業主婦に対する差別だなどという意識からは社会は発展しないでしょう。

【2014年】ツイッターつぶやき
2014年3月27日(木)

小雨が降る静かな道を歩いてスポーツジムへ。
早咲きの桜やいろいろな花がきれいでした。
筋トレを一通りやってからランニングマシーンで歩きました。
今日は携帯を持っていって歩数計機能を使ってみました。
4キロほど歩いたのですが7000歩ぐらいしか表示されません。
どうも少ないようなのですが、このぐらいなのでしょうか?
1万歩を目指していてのですが、案外1万歩というのは大変なんですね。
そういえば、ドコモのサービスの何歩歩いたかで東海道五十三次を歩くというのをはじめました。
スタートして品川宿まであと少し。。。。

切り干し大根の焼きビーフン風
昨夜は時間がなかったのでレシピ(ほどではない(笑))忘れないうちに。。。。。
細い切干大根を水で戻りて絞っておきます。
シラタキを茹でてあく抜きをして適当な長さに切っておきます。
油揚げ2枚ほどを短冊に切っておきます。
合わせるタレを作っておきます。お湯・砂糖・酒・塩麹・スープの素・醤油少々。
桜エビ(乾燥したもの)
切り干し大根とシラタキそして油揚げをゴマ油でよく炒めていきます。塩コショウをして(コショウは多めです)油揚げが少し焦げ目がつくまでさらに炒めます。そこに先ほどのテレタレとサクラエビを入れてを入れて水分がなくなるまで炒めたら出来上がり。
味と食感は、どこか焼きビーフン風。。。。。。おいしかったです。

日本は輸入大国ですから輸入したものを消費をしながら加工して輸出しなければならない。その意味において輸出大国なのである。輸出立国なのである。
ですから常に貿易収支は黒字でなければならない。
アベノミクスや日銀の量的緩和は円安誘導(通貨安競争)で投資を呼び込み輸出を増やす(競争に勝つ)ことを経済政策の柱としなければならなかった。しかし日本の大手企業を中心に中小も含めて海外生産に移行してしまっているわけですからたとえばもう相当以前からテレビの消費は日本製が多かったがそれは輸入となっていた。これと同じように日本企業の製品も輸入という形に多くなっていれば日本企業が競争に勝ったとしても日本という国にすればそれは輸出という形ではなくて輸入となってしまう。ですから貿易収支も赤字化が必然なわけです。これではアベノミクスの経済政策はうまくいくはずがないのです。
この輸出の拡大から経済成長が言われるわけですからこの経済成長もままならなくなる。
そこで公共事業による内需を増やそうとするのですがその財源は消費増税です。しかしその消費増税が生活関連の商品などの消費を減退させる。内需拡大はままならない。
消費増税は財政の健全化という約束が国際社会との間にある。1000兆円もの財政赤字の改善は世界から注目をされている。しかし消費税は公共事業にという方向ですから財政再建は見えてこない。もちろん消費増税で財政試験というのは無理があるわけです。国際的な信用が薄れるでしょう。一方に地銀も財政再建を国に求めてきたわけですから日銀が国債を引き受ける中での信用にもかかわる。国債をいつまで日本国内で引き受けられるか?
国債の信用が薄れればいつでも金利は上昇するでしょう。
しかし政府は経済の成長過程にあるという。ですから消費増税の10%を行わざるを得ない。デフレからの脱却も輸入品と消費増税による物価高という最悪の状態を見て脱却と位置づけられる。この景気判断を下に10%は強行される。もし強行しなければ国際公約に反することとなる。
経済矛盾はますます表面化していきますね。
そういえば国際公約とも言えるオリンピックに向けての原発事故の汚染すい問題も最近では完全にブロックというものが無理ではないかとされるようになっています。
外交面でも積極的平和主義の中身の矛盾が出てきています。
安倍政権の言葉による期待感やこうあるべきという論理そして膨大な約束事がこれからその実行として安倍政権に降りかかってきます。実行は内政においての改憲路線ぐらいに。。。。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
まずはツイッターから
「知恵を出す」。総理大臣の名前や政府職員がついている公人の総理大臣夫人の言葉自体に大きな言葉の力がる。総理夫人が副校長になればなおさら。役人も「知恵を出す」ことも考えるでしょう。昔威張っている人が、「俺が言おうとしていること、お前わかっているよな」と。僕は知恵は出さなかったけど。
忖度。。。総理や夫人の意向を察することが「知恵を出す」ことで、同時に知恵を出しておかしなことでも進めていくことが知恵を出すということ。しかしその経過や結果を「知恵を絞って行いました」と報告して喜ばれるならもうその経過や結果は単なる忖度ではなかったということ。
俺は関わっていないということにはならない。

法的には証拠がないだろうと。。。。?
しかしこれがトカゲの尻尾切りの温床でもあります。
「俺が言おうとしていること、お前わかっているよな」この言葉の後ろには、「お前が勝手にやったのだから、うまくやらなかったら、お前の責任だからな」という言葉が隠れている。
残るのは法的な疑いの書けの流れなどが。。。
トカゲのしっぽきりが成立する。
しかしそのトカゲのしっぽが常に「俺が言おうとしていること、お前わかっているよな」と言った本人に経過や結果を報告していたならばその忖度には違法性も出てくるのではないでしょうか?
こういった忖度や「知恵を出す」行為は社会全般にあるのではないかと思います。
露骨に労基法に違反することでも一般社員に「お前、わかってるよな・・・・」と言われれば労基法に違反する残業などもやらざるを得ない。しかし結果として過労死したり心身の病気になったりしたら、自己責任に。しかし労基法に違反した事実を公表すれば初めて違反が発覚する。ブラック企業が蔓延する。
こんな社会なんでしょう。

【2018年】ツイッターつぶやき
以下は2008年にホームページでそれまで「俳諧大要」を読んだ感想をまとめたものです。
時々子規の「俳諧大要」をペラペラ開きながら読み、そのつど感想をブログ内に「俳句考」として書いてきました。
まとまらないし解釈が妥当かは自信がないので巣が、「感想」としてと同時に「俳句ってなんだろ?」と考えながらの感想です。
これまで書いてきた感想の転載ですから箇条書き風になっています。

俳句のことを考えながら正岡子規でもと本棚を探していたら、「俳諧大要」という本が目についた。
もう15年以上昔に読んだ本です。
俳句とは?といったものを初心者に解説した本であり、同時に過去の俳句を紹介をして子規の味わい方のようなものの解説があります。
近代の俳句も子規から始まるとはいえ、子規亡き後は弟子たちの間にもいろいろな考え方も出て来て、今はさまざまな枝葉のような発展があるのだろうと思いますが、子規がどのように書いているかをあらためて読むのもおもしろいと思います。
俳句を文学(詩)に高めるための力強い文体に圧倒されます。
今読んでいる本に平行しながらぺらっと読み返したいと思います。

芭蕉の「古池や。。。。」の句を静寂とか解釈すが、芭蕉はただ、かえるが池にボチャンと飛び込んだというのを詠んだのだと。
漱石と子規とのあいだに、俳句はスケッチだという言葉がたしか出ていたと思うのですが、その自然などを見つめる目が大切ということだろうか?
「俳諧大要」は、初心者に向けて書かれていますが、初心者はまずこのスケッチをたくさんしろということかもしれない。
俳句には17文字とか季語を入れるとかいくつかの決まりがあるわけですが、子規は初心者に対してすごく寛大であり、字数。。。。18文字でもいいんじゃない。「雑」季語が要れられないならそれも。。。とか、まずは見つめる目を養うということを教えているのかもしれません。
かえって俳句のお師匠さんを気取る方への批判も。
決まりごとに縛られるより自由に目を肥やす。それがだんだんと決まりごとを守れるような俳句に進歩していきますよ♪。。。そんな子規の笑顔が見えるような著書です。
オリジナリティーな自由な心の中から出てくる言葉。。。。

東京は天気がはっきりせず薄ら寒さも感じます。
5月や10月、一年間のあいだに過ごしやすい季節というのは2ヶ月ほどかもしれません。まぁ、夏は好きですが。。。。
でも、過ごしやすいというのは人間から感じる自然です。もしかしたら人間だけではなくてすべての生物にもいえるのかもしれません。自然は、生物に対して厳しさを持つというのが基本かもしれません。生物は自然に順応することで生き延びている。
そうならば、一生物である僕も順応するしかない。もちろん順応しているから生きているわけですが、気持ちの中にある「嫌な季節・天気」というものにも心として順応しなくてはいけないのかなということです。
まぁ、嫌なものは嫌なのですが、自然を見つめる事でどうにか順応できるのではないかと思います。幸いに日本にはきれいな自然の移りゆきがありますし、それを心で感じ取ろうとする俳句というものがある。ううう。。。。ん、俳句かぁ・・・・

前回の俳句考1では、俳句はスケッチのようにそのままを詠むということかと書きましたが、俳句はこのように四季の自然を用いる事が基本で、その意味においてのスケッチといえるかもしれない。
しかし子規は、俳句に表現されるものは自然の景物に限るものではないと。「季以外の雑財」を取り入れて読むべきだと。そしてこの両者が並ぶ事により句の狭さがなくなると。
では、この「雑題」が何かを考えると、四季の自然以外ということから人の営みということだろう。それは農耕をはじめに四季折々の習慣などかもしれない。
自然に対する人間(人工)は、なんとなく見方によっては対立的にも見ることができるが、子規はこの両方がないと駄目だと。それは言うに及ばず人の感情が入るということではないか?
この意味においての人間の姿のスケッチでもあるということではないか?
ここに俳句の複雑さと面白みがあるのだろう。
子規は、このような意味での俳句を(人間の感情が入るにしても?)難しく詠めば高尚な句であると勘違いをしてはならないといっているようである。そうではなく「平凡なる句はなかなかに貴し」という。
その意味では
朝顔に釣瓶取られてもらひ水
という有名な句は、スケッチ的でありわかりやすく平凡さもある。
しかし子規は書く
「このもらひ水といふ趣向俗極まりて蛇足なり」と。。。。。
人の行いが現れているし、朝顔という自然の貴さも出ているが、これは俳句とは呼べないとも。厳しいですなぁ。。。。
もっと自然な形の中に心を表せということでしょうか?。。。。うううう
難しいですなぁ。。。。

第6章では、就学第二期に入ります。
「利根のある学生俳句をものすること5千首」
このぐらい詠めれば第二期に入れと。
利根。。。賢く機転が利くというような意味だそうです。「学生」については先のほうにも出てきましたが難しいです。
普通の人でも少しは学問のある者でも1万首詠めば第二期に入ってもよいだろうと。
この少しは学問がある者というのが難しいですなぁ。
明治の時代のインテリは、漢文や古事に詳しくといった教養を連想しますし、さらさらと毛筆で達筆な手紙をきちんと書けるとか。俳句にもこのような教養が出てくるようです。現代でも俳句の世界ではこの教養のあるないに俳句の深みが決まってくるのでしょうか?
仮にこれを伝統的な俳句とするならば、現代的インテリジェンスや教養、あるいは現代人の持つ機転のある頭のやわらかさから来る俳句もあるはずですね。季語も変化してきているようです。明治の子規の句も現代俳句、今の俳人の句も現代俳句なのでしょう。。。。
まぁ、どちらにしてもよりすぐれた頭脳や少しは学問のある普通の人でもない僕としてはたじろぎますなぁ。。。。
しかし、ここで書いている子規の言葉は、最後の第三期に上り詰める志、プロとはいわないまでも俳句雑誌などで名が通るような、俳人になることを目的にしているのかもしれません。これに対して学問はないが少しでも俳句を楽しみたいといういわば素人がいてもいいわけです。「俳諧大要」で言えば修学第1期にとどまる素人が大勢いることもまた俳句の世界を広げるわけです。でも、ただの大衆受けをするようなだけの俳句の世界ができてもとは思うが。。。
うん。。。1匹狼の自己満足?
こういう俳句もあっていいのかも(笑)
でも、学問はないから大層なことは書けないが、それでも正直に素直に書くこと。俳句でも読書感想文でも。

新聞の俳句欄を時々開いて入選した句を読ませてもらいます。
しかし、その句がどのような意味を持つのかがよくわからない。難しい漢字は読めないしその意味となるとなおわからん。
子規は書きます。
「天然を研究して深きものが熟慮したる句を示すとも、諸学の人はその句の美を感ぜざるべし。けだし彼は天然の上にかかる美の分子あることを知らざればなり。」
(66ページ)
優れた句を読み、その表現される世界を感じ取れないという事は、結局は優れた句は素人には作れないという事なのかもしれない。
子規は例句をあげながらその句は何を歌っているのかを書いている。たしかに子規の書く解釈を読むとその句の意味することがよくわかる。
たくさんの句を詠む事、読む事は、一緒だという事でしょうね。それには、さまざまな事物に心向けて勉強しなければならないということでしょうし、感じ取る心が必要なのでしょうね。
たった17文字ですが、それを文学に高めようとした子規ですが、初心者には優しさがありますが、17文字とはいえ奥深いものだぞと教えているのでしょうね。
でも、俳句の中の言葉は、その時代により現代人では理解できない時代性がある。現代人からすれば明治も遠い時代です。それ以上に明治の前ははるか遠くに過ぎた時代。現代語にも今の時代としての心に響く言葉があるはず。でも、子規の時代から離れた奇抜さだけの句は。。。。
今の時代の言葉で花鳥風月を。。。。それには、決まりという制約を受けながらもそこに真の自由のおもしろさがあるのかもしれない。

「俳諧大要」読了。
その他のものは後日時間があったら読み返したいと思います。

2018年追記:またそのうち読んでみたいと思います。

【2019年】ツイッターつぶやき
さて掃除をしようかぁ。。。。。
居間の真ん中に炬燵が鎮座している。
炬燵布団を炬燵の上にたくし上げて
腰を曲げて掃除機をかける
うっとうしいですなぁ。。。。。
それでも先日は花冷えになり炬燵のスイッチを入れた。
今秋も日曜日はまた寒さがやってくるという。
炬燵は片づけられませんなぁ。。。。。
炬燵の上には籠がありいつでもつまめるようにお菓子が入っている。
つい暇になると冷炬燵に入ってつまんでしまう。
カカオ72%チョコ・ポルフェーノール。
昼飯を食った後の昼寝は炬燵が一番。
炬燵は片づけられませんなぁ。。。
そうこうしているうちに、毎年5月の連休に入ってしまう
さすがに炬燵も邪魔になり。。。。
炬燵奉行の妻の鶴の一声で片付ける。
すでに暦では夏である。

日銀短観が出たが、業況判断指数が製造業においては19から13へ6ポイント大幅に悪化をした。非製造業においても24から22へと2ポイント悪化をした。
景気はアベノミクスにおいても前進はしていなかったが、さらに悪化の懸念が出てきた。
日銀の会合においても景気後退を懸念する意見が出ているそうである。
この中で追加緩和をすべきという意見も出ているようである。
政府は須賀官房長官の記者会見でもリーマンショックのようなものが起きなければ予定通り10%への消費増税を行うとした見解が示されている。
すでに日銀の緩和はその副作用が大きくなり都市銀行救済の必要さえ言われている。また追加緩和といってもそうは効果があるものは見当たらない状態。政府はすでに消費増税をポイント還元などの対策により消費増税分がなくなるような政策を必要としている。増税後はさらに景気対策の補正予算を必要とするでしょう。さらなる赤字国債は日銀による財政ファイナンスに頼らざるを得ないでしょう。
国の統計も信頼を失うほどにいい加減になり、首相発言もその場しのぎの言葉でごまかしている。ここから経済の混迷も当たり前といえば当たり前なのでしょう。
戦後最長の好景気というまやかしの言葉で国民を統制しようとしているが、経済は正直である。実感のない戦後最長の好景気にすぐに気づく。

【2020年】ツイッターつぶやき
以下僕のツイッターから
不要不急。。。。
あとは国民・都民の自己責任で、一つ一つの事柄にコメントはしない。
買い物や通院そしてもちろん仕事(労働者は土日は休みという常識を持ってはいけない)などは「要」なのですから生活に欠かせない事柄ぐらいははっきり説明すべきです。
緊急事態宣言を出せるように国は法的に決めましたし、都知事の会見の中身でも国民に威圧的な不安を与えるだけが目的なのか?そうではなくて国民に強い態度をとるならば、国や都の責任を自覚して国民の生活維持のために何を取り組むのかを説明しなければならない。だからスーパーの混乱が起きる。
今はスーパーの買い占めぐらいですが、国民生活全般の経済活動をどう維持するか、PCR検査をどう拡大するか、医療機関の対応はどうするかなど、具体的な対策を国民に示せば非常事態宣言などの威圧は必要ないんです。外国を見ても唐突な非常事態宣言が社会を混乱させている。混乱させてから対策では・・
感染拡大が追跡検査ではどうにもならなくなる恐れがあるなら、隠れ感染が相当数あることが想定できるのですから厚労省は検査体制を準備する。農業の持続を農水省が、人や物資の運送は国交省が、通産省は商業活動の最低限の確保、、、、、など。牛肉商品券がどうのということではない。
最低限の経済活動が必要ということであれば、そこには医療従事者も含めて働く人が必要でしょう。経済活動が収縮すれば企業は労働者を解雇したりすればいいという問題ではない。労働者が働き続けるために時短を行って労働者の健康から経済活動の長期維持するために補助金が必要。
なにもコロナ対策でラーメン屋さんをつぶす必要などないでしょう。
唐突な記者会見からスーパーに人がごった返すような混乱を作り、感染の心配を広げるよりもラーメン屋さんを維持したほうがリスクは小さいんです。
社会の混乱回避のためには非常事態宣言などという仰々しいものは必要ないでしょう。
テーブルなどを常に除菌して満席にならないよう注意しながらきれいな器で熱いラーメンをすすれば働く活力も生まれる。
その前提にはPCR検査の拡大が必要で、運悪く陽性になったらラーメンは我慢してもらうしかない。
若い労働者にはラーメンを食べさせる自由を保障しながら、この上で、高齢者や持病を持っている方の健康管理を幾重にも拡充することしかないでしょう。

【2021年】ツイッターつぶやき
      青空と桜



昨夜からの強い風もやんで穏やか空
桜は満開です

【2022年】ツイッターつぶやき
欧州中央銀行のラガルド総裁がロシアウクライナ戦争では「データは、スタグフレーションの重大なリスクを示していない」と指摘したようです。(ロイター)
これはあくまでもウクライナの戦争の経済への影響分析でしょう。物価上昇と経済の後退が同時におきるスタグフレーションという言葉を使うこと自体が危ないと見たほうがいいでしょう。
スタグフレーションはハイパーインフレにもつながる危険性があります。アメリカのインフレ率は5%とも7%とも言われています。インフレは需給ギャップから来ますが、経済が過熱して供給が間に合わない状態になりますが、この経済がコロナなどで供給が鈍った場合にも需給ギャップは崩れインフレは起きます。これは経済が後退している中での物価上昇ですから必のスタグフレーションと言えるでしょう。そして大きなインフレにつながっている。
日本は経済の落ち込みがコロナ以前から続いていました。その中で輸入物価も上がり企業物価も上がっているようです。日銀の2%目標には現れない悪性の物価高が経済の陰で進んでいる。
先進国でもあるヨーロッパが例外ではないでしょう。
先進国のスタグフレーションはコロナやロシアの戦争というもので顕在化していくということだと思います。

【2023年】ツイッターつぶやき
マスクをするしないは個人の判断となりました。
この個人の判断の中身はなんでしょ?
もともとマスクはインフルエンザや風邪の時期にしていましたが、コロナ後はコロナ対策としてマスクをつけるようになりました。マスクをするしないは個々の判断が問われるはずです。
しかしネットもそうですが、テレビなどのマスコミを見ると、「顔パンツ」などと揶揄して、マスクをするしないは人前で顔を出すことについてと判断の材料がコロナから外れている。意図的にこのような顔パンツ議論でマスクをはずさせようとしているのでしょうか?
専門家はマスクとコロナを結び付けて一定の基準を出していますが、、、、
政府も含めてなぜマスクをはずすことに積極的になるのかがわかりません。外国ではマスクをしていないからぐらいですね。
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2024年 3月26日(火)「ゴトゴト石」

2024年03月26日 21時57分04秒 | 「思うこと」
高知県にゴトゴト石というものがあったそうです。
崖に上の大岩に数トンの岩が落ちそうになっている。少し押すとゴトゴトと動いたらしい。
落ちない岩なので、受験学生や政治家が音連れていたそうです。
自然が作り出す不思議な光景が多くありますが、大きな岩がゴトゴトと動くというのも自然界の絶妙なバランスがあるのでしょう。
人が多く集まるので土産物屋もできていたようです。
この岩を6人の若い人たちが落としてしまえとジャッキまで使って落とそうとしてしまい、ゴトゴトというバランスが崩れて動かなくなってしまったそうです。
不思議な自然物は信仰の対象になるのが日本。
器物破損の罰金刑では収まるわけがないですね。
動画でも撮っていたのでしょうか?
そういえば2年前に高知県にも旅行したのですが、ネットの観光サイトにもゴトゴト石はなかったような?
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池に浮かぶ月2199【3月26日】

2024年03月26日 19時53分09秒 | 「池に浮かぶ月」
去年は桜が満開でしたが冷たい雨が。
たまに満開の桜に雪が積もることがありますが、雪でなくてよかったのかも。
今年は、東京でも1日中冷たい雨でした。
桜の花はない。。。。

≪去年の今日はこんなことを・・・≫
2023年 3月26日(日)「花冷え」

「池の上に月が昇る
その池に写る月は現実の月ではない
しかし現実の月を写したものであることでその池に浮かぶ月も現実である
人間の過去もすでに現実としては存在しない
しかし過去の時間の中で現実であった」
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3月26日という日

2024年03月26日 07時53分03秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
高知県にゴトゴト石というものがあったそうです。
崖に上の大岩に数トンの岩が落ちそうになっている。少し押すとゴトゴトと動いたらしい。
落ちない岩なので、受験学生や政治家が音連れていたそうです。
自然が作り出す不思議な光景が多くありますが、大きな岩がゴトゴトと動くというのも自然界の絶妙なバランスがあるのでしょう。
人が多く集まるので土産物屋もできていたようです。
この岩を6人の若い人たちが落としてしまえとジャッキまで使って落とそうとしてしまい、ゴトゴトというバランスが崩れて動かなくなってしまったそうです。
不思議な自然物は信仰の対象になるのが日本。
器物破損の罰金刑では収まるわけがないですね。
動画でも撮っていたのでしょうか?
そういえば2年前に高知県にも旅行したのですが、ネットの観光サイトにもゴトゴト石はなかったような?

≪過去の記事≫

【2004年】
「日々の考え」
  (株)リトル・モア
   よしもとばなな 著
よしもとばななさんの公式ホームページで日記が公表され、この日記は文庫本「yosimotobanana.com」として3冊発売になっています。
この「日々の考え」は、上記の日記とほぼ平行しながら雑誌でしょうか?「リトル・モア」にエッセイとして連載されたものと、インタビューを出版したものです。
本の帯には、「赤裸々な裏日記」と書かれてありますが、ホームページでは公開できない?下ネタや家族のこと、友人や身の回りに起きたことなどを自由に書いています。また、インタビューでは選集(4冊)の題であるライフ・オカルト・ラブ・デスに沿って作品や生き方について触れています。日記「yosimotobanana.com」を好きな方は必見の本です。
よしもとばななさんは、潔癖なところがあるのではないかと思います。その潔癖さは、自分の世界にそして人やいろいろな事柄の中に本質的なものを見つけることにあるように見えます。
作品を作るにしても取材や経験を重んじます。この経験という点では、オカルトも重要な要素であり、金儲けを表に出すようなものは否定をして自分という人間を完成させるような目的のものを重んじているようです。仏教で言えば、大乗仏教ではなくて小乗仏教という自分自身で修行をして自分を完成させるようなものです。日本の仏教は合わないが、「アムリタ」はチベット仏教だといいます。たしかチベットのほうは小乗では?
このような意味で、読者が描いているばななさん像とは違うもっと奥深くなばななさんの信念からの潔癖さを感じます。
友人関係においても、その人の中にある本物を見ているような気がします。どこか変わり者のような印象を受ける方々が出てきますし、行動にもどこか楽しい方が出てきます。しかしその中にどこか悲しみを背負ったような・・・・これは、「日々の考え」のエッセイにある面白楽しくそしてその中にも鋭い見方をするばななさん自身の行き方でもあります。そしてどこか物悲しいような・・・・
ここにばななさんが好む人間像があるのではないかと思いますし、読んでいると自分の好む人には最大限の誉め言葉を送るというような僕から見ればどこか「身内意識」が強すぎると受け止められるのですが、ばななさんは、本物の人間を自分の主観において潔癖なのかもしれません。
潔癖だからこそ、人のいやなところも目に入ります。人を批判している文章も多くあります。これは他の作家への見方や作品の見方にも現れているようです。
自分をしっかり持とうとすれば、ぶつかりも多くなります。ご自身の作品の傾向が変わったときに、読者が離れたというようなインタビューの中身がありましたが、逆にばななさんに近づく読者もいるでしょうから、作家として自分を大切にすることは長い目で見ると幅広い作家となっていくのではないかと思います。
こんなばななさんは素敵だと思います。
あとはばななさんのオカルト傾向や生き方、潔癖さの中身に好き嫌いが出るということだと思います。僕自身はオカルトにはあまり興味はないのですが、オカルト傾向は、作品のひとつのジャンルと考え(推理小説・ファンタジーなどと同じように)、ジャンルを超えて人間(女性)をどのように表現するのか、そこにばななさんが何を言いたいのかをこれからも楽しみに読みたいと

午後から晴れました。桜は5分から8分咲き。
桜の花をゆっくり楽しみたいけど、もう春になってもいいよ。。。
寒いのはいやだ・・・・・

【2005年】
・・・・

      ・・・・
           へっ・・・
・・・・・
    へぇっ・・・・







        ・・・・










    ヘック  シュンッ!!(×。×)

ハハハ・・・・・ごめんなさい。。。。
花粉症きついです。。。

【2006年】
昨夜は仕事が遅くなり、外食でした。ちょうど息子も遅くなるというので待ち合わせて一緒に中華やさんへ行きました。僕は酒を飲むのでご飯は頼まずにつまみ程度のものを頼んだのですが、息子がよく食うこと!僕のつまみもなくなってしまいました。少し物足りないのでメニューを見たらお粥がある。中国のお粥はどんなものかと思いたのみました。そしたら。。。なんと黒砂糖だと思うのですが甘いおかゆが出てきました。息子が一言。。。「そのお粥はデザートページにあったよ」・・・・ううう
今日は娘とぶらり旅。
群馬県安中市にある梅林に行ってきました。山の方の梅の季節というので厚着をして行ったのですが、ものすごく暖かで汗ばむほどでした。
梅は満開に近かったです。
気持ちのよい一日でした。近いうちに「ぶらり旅」のほうへ書きたいと思います。
それにしても高速道路の渋滞はすごいです。関越自動車道は、新潟や長野に抜けますので、スキーに行く人も多かったのかもしれません。でも、このような混雑だけが渋滞の原因とも思えません。事故。。。。今日もトラックがのんきに横になって寝転んでました(笑)構造上の欠陥もあるのではないかと思います。何しろ事故が多い。。。。
それに、あの料金所の渋滞。。。。そうとうな社会的損失を出しているのではないかと思います。ETCも普及してきましたが、一斉に行わないと効果が出るまでには10年以上の時間が必要ではないかと思います。関越道の料金所は、料金所を出てすぐに分岐や一般道への終点出口ですから渋滞がひどく、ETCのゲートも渋滞してました。糞の役にも立たない。
ハハハ。。。これも構造を考えない場当たり的なETCの導入ですなぁ。
ちなみに僕は、あのゲートの棒が怖いので(笑)ETCはやってません。

【2007年】
(記事なし)

【2008年】
昨日のブログから。。。

今年4月から、メタボの検診と保健指導が始まるようである。
煙草もそうだが、メタボにしても病気になる前に危険性を把握して未然に病気を予防するというのはよい事である。
しかし、煙草と同じく、メタボも個人の問題として片付けられる危険がある。
保健指導により、薬を飲めとか、医者に行けとか、スポーツジムなどの指導を受けろとか、何を言われるかわからない。高脂血症といわれて薬を飲めと指導されたら飲まざるを得ないのかな?そうしないと飲まない奴が悪いと。でも、薬には副作用があるし、飲む飲まないの最終判断は個人にあるが、それがある意味半強制のように?
また、人というのは社会的な動物で、個人の努力だけではどうする事もできない事がある。
会社での働き方や、接待や残業などという副次的な働き方もあり、酒の付き合いやストレスなどさまざまな社会性の中で生きている。仮に、食事はゆっくりと食べ、酒はひかえて規則正しい生活をしてください、ストレスはたまらないようにといわれてもなぁ。。。。会社あってのサラリーマンですからなぁ。。。。アメリカでは、肥満は雇用にもかかわる問題だという。逆に労働条件に耐えられないメタボな人はいらないということにもなりかねないで、ここで個人責任も。保健指導は社会的な背景には言及されるのかな?
まぁ、メタボ防止には食品の値段を高くして質素な生活にさせるなどというような、喫煙防止のために煙草税を高くしろなどと乱暴な事は言われないと思うが、煙草が原因の医療費が高いから禁煙!と同じような発想で、メタボな奴は医療費を使うから無駄ともなりかねない。
イラクで人質になった日本人に「自己責任」と言う言葉が浴びせかけられたが、貧乏は自己責任といったような、不健康は自己責任といったようないろいろな部分で国家などによる社会的責任が減る一方での個人責任は増大するだろう。。。。

こういうことはブログを始める前にはすべてこちらの日記に書いていたものですが、どうも最近ブログが先になってしまう。
これではまずいなぁ。。。とは思っていたのですが。。。。
ブログを作った目的は、「銀色夏生ページ掲示板」が荒らされてから、掲示板を補強するためにブログにしようかと作ったわけで、また本や文学関係にも広げていきました。
やはりブログは、銀色夏生さんと「本・文学」ということで初心に戻ろう。。。。。
ホームページとブログはうまい具合にリンクさせながら。。。。。

【2009年】
(記事なし)

【2010年)
夏生さんの「カイルの森」(角川文庫)が、昨日(25日)発売になりました。きのうは買う時間がなかったので、今日さっそく買いに行ってきました。

このカバーデザインと「カイルの森」のカバー、どちらも白地に文字だけですが、
これは私の希望でした。
なんというか、真っ白な気持ちで新しい旅立ち?のような予感が、今するのです。
       (夏生さんのホームページより引用) こちら

新しい旅立ちの予感?
同ホームページには、DVD付きのCDを製作中とありますし、また羽ばたいていく夏生さんが今、いるのでしょう。。。。か。
4月5日に発売になる本もそうですが、物語ですね。物語自体も久しぶりとなりますね。
ぺらぺらっとページをめくってみたのですが、50ページには詩がありますね。先日、ホームページにある「カイルの森」イメージイラストを見て感じたものを文にしたのですが、うん、なんとなく雰囲気が似ているような。。。。ムフフフ(笑)
夏生さんの物語は、さらっと書かれた中に人の心の温かさを感じます。「愛と冒険」の物語!!さて。。。どんな冒険になるのでしょうか?
今、「つれづれノート」の四分の三ほど読んだところなので、「カイルの森」を読もうか迷っています。楽しみに残しておこうかな。

昨日、ドライブに行ってきました。
春分も過ぎて桜やたくさんの花が咲き始めるこの時期に広い関東平野を抜けて山のふもとの見知らぬ山里の道を走るのが好きです。まだ山笑うとまではいきませんでしたが春めいた景色が広がっています。梅の花が所々に残り、カワヅザクラなどの早咲きの桜が咲いています。道沿いの民家の庭には春の花が咲いており、石垣の上にたくさんのカタクリの花が咲いていました。雨のために山々は霞み、まだ耕されていない田圃の景色もどことなく霞んでいました。こういう風景の中車をゆっくりと走らせました。
これから初夏にかけては何度か出掛けます。。。。
ついでに立ち寄りの湯に!
まだ早い時間でしたし平日のそれも雨降りですからね。湯船にはじいちゃんひとりでした。また行きたいなぁ。。。。

【2011年】ツイッターつぶやき
        道の駅 ”はくしゅう”
東京にいると気が滅入ります。
外で煙草を吸っても食事をしても頭の片隅には放射性物質。。。。。
11時頃に思い切って道の駅に出かけました。
目的はリフレッシュと思いっきりおいしい空気を吸い湧き水を飲むこと!
東京から中央道を走り2時間半ほどのところの南アルプスが間近に見えるところです。
車を降りてまずは一服。空気がうまいと煙草もうまいです。
農産物や特産物が売られていましたのでいろいろと買い込みました。味噌や漬物、そして久しぶりの新鮮なレタスやネギ。ついでに甲州ワインの産地ですから赤ワインの小瓶を。
物産館の前には2箇所湧き水が出ています。
南アルプスの天然水!!もちろんただです。小さいペットボトルでまずは一杯。。。。冷たい湧き水かと思ったらなんとなく水道水のような?看板を見ると少量の塩素をいえているそうです。今の放射能騒ぎのせいということもないでしょうが、持ち帰る方がたくさんいることから塩素を入れているのかな?でもやはりそれでもおいしかったです。
2リットルのペットボトル3本を持ち帰りました。家でコーヒーを淹れたら。。。うん、うまい!
時間がたつと生水はあまりよくないと思いますのでご飯を炊いたり味噌汁や煮物などに使っています。
今のままではいつこの放射能騒ぎがなくなるか不安です。水道水の中の放射性物質の影響の基準値は下がったとはいえ諸外国に比べれば基準値はそうとうひどい数字です。また福島原発はプルサーマル燃料を使っているとか。。。。毒性は強いらしいです。いくら大丈夫といわれてもできる限りのことはしておくべきかなと思います。
放射性物質を個人的には減らすことはできない。おまじないのようなことであっても浄水器を使ったりその水を貯め置きしたり、そして摂取濃度を下げるにはペットボトルの水をなるべく摂る。それでは金が大変ですから湧き水を。しかし湧き水を汲みにいくにはそれそうとうな金が(笑)ペットボトルの水は赤ちゃんに必要だとか。。。そうなら湧き水しか?ドライブ好きですから車を飛ばすのは気になりませんから。でもそうとうな出費ですなぁ。。。。ううう
今回は物産館と沸き水だけでしたので評価はしません。ただ湧き水とその管理をされている道の駅に感謝です。日本は美しい水の国だったのです。
     <インサイト日記>
帰りに給油をしました。
給油量31リットル、走行距離697キロ。平均燃費が23.4キロぐらいでした。
40リットルがマンタンですからあと9リットル。200キロぐらいは走るということですので40リットルで900キロですね。F値よりも多く給油をされますがその分で約100キロぐらい走りますので、1000キロぐらいは走るかな?
最近は都内も渋滞がなくなってきていますし燃費はあがっています。往復60キロぐらいに実家にも時々行かねばなりませんし、水を汲みにいくにしても助かります。
しかしガソリンは値上げされました。。。。リッター151円でした。

【2012年】ツイッターつぶやき
関西では中小企業の横のつながりで人工衛星を打ち上げるという。やはり関東でも深海艇を作るという。今朝のテレビでは老朽化したトンネルが多くなっている中、トンネルの中を時速50キロで走りながら0.2ミリほどの亀裂でも鮮明に画像化する専門の車を開発したという。昔から日本の産業は中小企業によって支えられていると言われてきましたし、その中小企業が集めれば一つの産業を作ることができることは間違いないでしょう。
大企業は海外に拠点を移していく。ある意味大企業は研究開発する金はありますが、それを技術的に作ることは中小企業の役割といったものが大木のではないでしょうか。そしてさまざまな技術をコーディネートして独占された莫大な資金をもって工場を作る。産業の空洞化とか言われる中で巨大企業自体が日本の要であるというものが薄れてきているのではないでしょうか。先にも書いたように莫大な資金を握っているなかで中小企業を支配下に置くことができてその技術を利用することができるだけになっているのではないでしょうか。これは技術力というだけでなく、労働力も支配下に置いて賃下げを行う。巨大企業のピラミッド化で、社会がこのピラミッドを作ったり支えたりすることが苦痛になりつつあるということでしょう。そしてピラミッドを維持するための支配層を養うには限界が来ているのではないでしょうか。企業収益は株や金融商品という泡のようなものに頼ってきつつある。
物づくりは技術と労働力が必要です。
生産設備は、今は巨大企業が握っているわけですがこれは政治如何によっては誰がどのような形で持っても同じなのです。中小企業も海外に生産拠点を移し始めましたが、まだ多くの中小企業は生き残っていてその技術が労働力に結び付くなら日本再生も夢でhないでしょう。

【2013年】ツイッターつぶやき
アベノミクスも労働者の賃上げがなければ失敗するとも言われ、政府も賃上げを財界に呼びかけた。しかしこの賃上げへの基本的な軸足は、今の円安での輸出産業の好調さ(実際は好調ではなくて円安という為替差益)とそこに公共事業費を国がばら撒けば賃上げにつながるだろうという前提の話で進む。
いま議論され始めた解雇規制の緩和からの雇用の流動化も労働力移動はよいことだ新たな行き先が「あれば」経済の再生に役立つといった論法である。これも雇用の流動化はいいものだといった前提条件で話は進む。
賃上げも雇用もそれに対する具体的な政策が示されているかといえば何もないのである。
この何もない中になんとなく景気は回復するといった雰囲気で国民は動かされる。
やはり「改革」とか「戦後レジウムからの脱却」というなんとなくよいものといったイメージが先に立つ者で国民生活の向上のどこによいものが生まれるのかはさまざまな前提条件で示された話が進むだけなのである。
そこには敵をつくる。最近までは公務員であって最近では同も正社員が敵とされつつある。外交では中国や北朝鮮そして韓国。
敵を示しながら、敵という言葉が適当でないなら「既得権益」とかという言葉を使いながらそれを改革するといったものが示されると国民はどっと流れていく。
雇用の流動化といっても若い人がバラ色化といえばそうではない。若い人には官民格差や世代間格差といって敵を示す。そこに改革を言われれば何かバラ色なものを夢想してしまうだけなのである。解雇規制の緩和は若い人にも向けられるわけです。何も高齢者や公務員だけへ向けられるわけではないのです。

【2014年】ツイッターつぶやき
スーパーに買い物に行きました。
かごの中身はそうはたくさん入っていないので安心してレジを済ませたのですが、いざ会計をしてみれば4000円を超えていました。
肉は高いですね。。。150グラムのパックで外国産でも帰ってから改めて値段を見たら相当高かったです。
食品や生活必需品はじわじわと値段が上がっているのですが、そのじわじわがまとまってレジを済ますと驚いてしまいます。
これは消費者の消費が拡大する中でのインフレによる物価高ではないでしょう。このようなインフレと定義するような景気の加熱はないのですから。やはり円安誘導による輸入品の値上げによるものと思います。現実に政府や日銀も物価の上昇を言ってデフレからの脱却の傾向が出ているといっています。食品や日用品そしてエネルギー価格からの物価高は目に見えるようになっています。
これに加えて4月1日からは消費増税による値上げが始まります。
円安誘導と消費増税による悪性の物価高。。。。財布の紐を締めねばなりません。

【2015年】ツイッターつぶやき
社会の中で生きていれば常に作用を受けて反作用を加える。作用を及ぼし反作用を受ける。
社会の中ではばらばらに偶然や自由に作用と反作用が起こっているように見えるが、実は法則性がありこの法則性が常に作用を及ぼし、それに対して反作用が起きている。
その作用を及ぼす法則性は何かといえば、社会においては経済である。
もちろん社会は人が動かすものだからこの経済という法則性も人の行動となって社会に作用をする。しかしこの人の行動を規定するのもまた経済である。だから経済に対しての反作用も人の営みでありそれが政治や法などという形をとる。しかしこの反作用は経済の法則性において自由となる。
アベノミクスは経済が好転し加熱状態に移ると物価が上昇するという経済法則に従おうとしたが、物価が騰がれば経済は好転をすると逆立ちをしてしまった。逆にアベノミクスは経済法則に反するものとなってしまった。経済からの作用をそのままに受け止めて反作用を示すのではなく、経済の作用に逆らう反作用を行ってしまったのである。経済を強力な政治や法で動かそうとするがそれは経済法則に逆らう反作用となった。
物価の下落は経済法則なのである。
商品の生産は生産性の向上によりその商品の価値低下を現す。商品の価値低下は商品の価格を下げていく。このことにより国民生活は豊かさを増すのである。しかし企業においては利潤率の低下をきたす。そこで現れるのがアベノミクスのような反作用なのである。
もう「資本家」という言葉が過去のものになり投資家という存在もまたその役割を終えようとしているのである。
社会の富を価値低下から起きる価格低下を生かしてより多くの国民に分け与えることが経済の法則としての作用に対する反作用でなければならないのである。現実にアベノミクスにおいても矛盾解決のために賃上げを言わざるを得ない。ならば商品の価格を下げたほうが全国民に富を配分することとなるのである。これが経済が人に対して現している作用なのである。

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
安倍総理は国会内の答弁等において「国民の皆さんにお約束します・・・・・」という言葉での約束を連発していたと思う。どことなくアメリカのトランプさんも同じように言葉の約束を連発していますね。
しかしその国民とのお約束がどのくらい実現したでしょうか?逆に国民にお約束世々にせずに言葉として発していない事柄がどのくらい実現させたでしょうか?
アベノミクスはどうでしょうか?
結果は円安誘導による悪性の物価高により国民はそれをスーパーに行って実感として感じているでしょう。一方の賃上げは景気が良くなれば賃金も上がるとしましたが、実質賃金は上がらない。社会保障の充実は逆に向かっている(消費増税はすべて社会保障に)。消えた年金は最後の一人まではどうなったか。
女性の活躍はとん挫して、経済的理由での就業を余儀なくされた女性や年金支給年齢引き上げによる家計の助けとしての高齢女性。
南スーダンの自衛隊派遣は安全と言いながら何か月もしないうちに戦闘拡大によって撤退。
オリンピック開催に当たっては福島原発の事故は終結して汚染水もアンダーこんとーロールされていると。しかし事故は終結していないで汚染水や汚染度処理にめどが立たない。
たぶんこのほかにもこれを読んでいただいた方は、これもある、あれもあると出てくるのではないでしょうか?
森友学園についても総理自身あるいは夫人が関与している時は総理も議員もやめると言っていましたが、今後どうなるのでしょうか?たぶんこの言葉はことがここまで大きくはならないという中での軽い言葉だったのではないかと思ったりします。
第一次安倍内閣は「美しい国」という美しい言葉を国民に投げかけました。しかし現実は美しい国の実態にはならなかった。
安倍総理の言葉によるポピュリズム的政治の言葉がバブル崩壊をはじめているのではないでしょうか?
国内でも国民生活に大きくかかわる政治の変化を言葉のバブルで作り上げてしまった。
しかしことはまだ大きくなり、国際関係においてこの言葉のバブルがはじけたら・・・・
一つ重要なのが、というよりも危惧されるものが、アメリカの対北朝鮮の軍事的介入が増す中で、集団的自衛権は自衛のためで国民を守るためにあるとされましたが、この集団的自衛権が逆に日本の危機につながる可能性があるということです。すでに北朝鮮のミサイルは在日軍基地に向けられているとされます。日本はアメリカを守るために戦争に向かう危険性がないとは言えないでしょう。また拉致問題を積極的平和主義で解決という方向性が残ります。
言葉というのは軽く口先からあふれ出ます。
しかし出てしまった言葉を口に戻すことはできない。おびただしい数言葉が日本や国際社会を駆け巡る。
それに乗って国政は動く。その国政も後戻りできなくなっているのでしょう。
国民に主権はいらないどころか、ますます国民の主権がしっかりしないといけないですね。

【2018年】ツイッターつぶやき
gooお題「次に引越しするならどこに行きたい?」
若いころからの夢でもあるのですが、京都や奈良に近いところに引っ越したいですね。。。。。
できれば近くに良い温泉があればなおいいです。
となると和歌山県北部か三重県の北部の山の中でしょうか?
年金生活で節約しながら電車でのんびりとお寺巡り。昔のカメラ、マミヤプレスを担ぎながら。絵心がないので下手な写真になりますが何かの形として残ればと思っていました。
時にはユースホステルにでも止まって泊まって人と人とのお付き合いもあれば楽しいかもしれない。
ずっと東京暮らしですから関西の食い物は僕にとっては新鮮かもしれませんので、食ったことがない者を食ってみたいと思います。
しかし、時には大都会も恋しくなりますから大阪にもふらっといければいいなぁ。。。。。。
こんな夢を書いてきましたが、年齢が年齢ですからなぁ。。。。。。。そして実行力のない僕ですから、たぶん夢で終わってしまうでしょう。

【2019年】ツイッターつぶやき
男の手料理ということではないのですが、最近もち麦にはまっています。
もち麦という名前からして「もっちりとした麦」でしょうか?それとも米ももち米がありますからもち米のような麦でしょうか?よくわかりませんが、白米と一緒に炊くとプチっとしたようなもっちりした食感があります。押し麦ではなくて丸い麦です。
食物繊維がたくさん入っているというので食べ始めましたが、確かに便通がよいような。。。。。
いつだったかこのもち麦を入れてミネストローネを作りましたがスープにも使えるようです。
ゆでてからサラダに入れたりしてもよいかもしれません。
もしかして餃子に入れても食感がよいかも。。。。。
いろいろな使い方を連想できます。
そういえばおにぎりを作るとうまいのです。プチプチ食感があって。

【2020年】ツイッターつぶやき
今、企業は何ができるのか?
国や都は企業に対して何を要請するのか。
社会の維持は労働者の力が必要です。
労働者に対して国や都や企業は何をすべきか。
ここを抜きにして非常事態、東京封鎖という言葉も無意味ですし空文句です。学校休校も混乱だけでした。
コロナウイルスに対しての安全はカネや権力(力)では買えない。
これがわかってくると富裕層や権力者はパニックになる。しかしカネや権力(政治)はこれを生かすことによりコロナウイルスに対して戦える。死に金を増やしすぎた経済と権力を維持するための権力の行使としての政治。まじめになる時です
ツイッターより転載

都知事が何の目新しいコロナ対策もなく、何の準備もなく危機をあおるようなことばかりを記者会見したもんだからスーパーはすごい行列で食品もなくなりそうだそうです。
近くのコンビニにたばこをカートンで買っておこうと思い行ったら、食料品はたくさんあり行列もありませんでした。穴場です。
安倍総理が学校の休校をいきなり言い出した時は自治体も学校も親も右往左往させられて混乱だけが起こりました。それと同じですね、今回の都知事会見は。
スーパーの会計で長い時間並ぶそうですが、ヨーロッパのように1メートルぐらい間をあけるような感染予防もない中で、スーパー混乱感染が起きえるのではないかと思います。室内でたくさんの人でごった返すわけですから。都知事会見で一大イベント開催(笑)
というわけで、今夜はありあわせの物で。。。。。。
鮭の切り身と冷凍餃子。残り物の野菜で味噌汁を作って残っている沢庵を切って。玉ねぎがあるので、みじん切りにしてアツアツご飯に乗せ、卵を落とし鰹節を振りかける。玉ねぎライスです。麺汁があるのでそれをかけて食べます。
主「夫」歴うん十年、男の手料理の積み重ねが発揮される!

【2021年】ツイッターつぶやき
日本国内でも変異ウイルスか。
これまでイギリス由来、南アフリカ由来、ブラジル由来の変異ウイルスが報告されていたが、最近ではフィリピン由来も確認されはじめている。そして栃木県で日本由来の変異ウイルス(youtobe)が確認された。
ウイルスというのは常に変異しているそうですが人体への影響が変化する変異が怖いらしいです。
今回発見された変異ウイルスは免疫逃避型といわれこれまで感染した人やワクチンを接種した人も感染する危険があるらしい。
ウイルスがなぜ変異していくのかはわかりませんが、ウイルスも人の抗体に負けないように生き残るウイルスが現れるのでしょうね。だとすればこれからも変異ウイルスが出てくるでしょうし、さらに感染しやすくなることで生き残りを見つけるでしょう。
でもどのようなコロナウイルであっても人に感染しなければすぐに死に絶えるはずです。プラスチックに付着したウイルスも数日で消える。
ということはコロナ対策はワクチンや薬ではなくて感染予防の徹底しかないのかもしれません。
日本は検査体制がいつまでたっても脆弱で一方ではすでにオリンピックやTo再開が言われはじめるぐらいに感染予防がおろそかになっている。
すると変異ウイルスもあとからあとから現れるかもしれない。3年とか、5年とか、10年とか長い年月が必要かもしれない。その中で死ぬ人も多く出てくるでしょう。

【2022年】ツイッターつぶやき
小学校教諭が生徒4人に対してプリントを渡さないとか給食の量を減らすいじめを行っていたようです。(東京新聞)
昔怖い先生がいていたずらをしたら正座させられたことがありましたが、まぁ、これも教師としては良くないことだったのでしょうが、子供にプリントを渡さないというのは子供の学業にも影響しますからね。給食の量を減らすというのも勉強に集中できませんね。陰湿な体罰ですね。生徒の精神面に対する体罰。
「教諭は「叱られている姿を見せることにより、他の児童にも抑止効果があると考えた」などと説明」していたらしいですが、生徒を見せしめにしたりさらし者にしたりするのも陰湿さがあります。
まぁ、先生も人間だからとは思いますが、今は体罰をしてはいけないというのはうるさいほど言われてきましたから陰湿な精神面への体罰を行うようになったのかもしれません。
この陰湿さは、私刑にもつながるものですね。
「叱られている姿を見せることにより、他の児童にも抑止効果があると考えた」このやり方は特別なことではなくて今の日本では当たり前の行動になっているのかもしれない。

【2023年】ツイッターつぶやき
ここ数日、朝起きてカーテンを開けると窓ガラスに結露が出ている。雨続きで湿度も高いせいもあるが、外気温がだいぶ低い。
満開の桜に冷たい雨が。
薄でのジャンパーでコンビニまで行ったけど、途中まで行ってダウンにすればよかったと後悔しました。
都市によっては桜の花に雪がかぶることがありますから、それに比べればまだよいのかなと。
雪がかぶると冬に戻ったような気温ですが、ここ数日のような冷え込みが花冷えなんでしょう。
桜の花びらはだいぶ落ちましたが、火曜日あたりにパッと晴れれば風に散る桜を見ることができるかも。。。。
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2024年 3月25日(月)「桜はまだ?」

2024年03月25日 22時02分15秒 | 「思うこと」
東京の桜の開花は24日ごろと発表されていましたが、咲きませんなぁ。。。。。
温暖化の影響でしょうが、最近は3月末には咲いています。
桜といえば、東京では入学式というイメージがあります。子供の入学式に満開となった桜を思い出します。
とは言ってもこのころも桜の開花は早まっていて、その年が運よく満開だったというだけかもしれません。
僕の子どもの頃は入学式に桜が満開というのは当たり前だったように思います。
桜の開花日が早くなったのは2000年ごろから少し早まり2015年ごろから急速に早くなっているようです。
地球は温暖化ではない。沸騰しているという国連の言葉がありますが、温暖化は確かなのでしょう。しかしそれがCo2が原因かとなれば、大気の中のCo2は微量でその影響だけではなないとする意見もあります。長い時間の流れを見れば人間の文明とは違う気候変動は多くありました。温暖化する過程に今の時代があるのか?そのピークを過ぎて寒冷化にまた向かうのか。。。。
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池に浮かぶ月2198【3月25日】

2024年03月25日 19時56分01秒 | 「池に浮かぶ月」
日本では年金支給年齢はすでに65歳からとなっていますが、フランスは62歳だそうです。去年これを65歳からの支給にする法案が出されましたが、パリでは大規模なストライキやデモが行われました。
ストライキやデモも一つの民主主義ですが、日本では昔からストライキ迷惑論がはびこっています。
しかし、パリのデモも過激化をする中でその運動も終わりを迎えるでしょう。

≪去年の今日はこんなことを・・・≫
2023年 3月25日(土)「パリの抗議行動」

「池の上に月が昇る
その池に写る月は現実の月ではない
しかし現実の月を写したものであることでその池に浮かぶ月も現実である
人間の過去もすでに現実としては存在しない
しかし過去の時間の中で現実であった」
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3月25日という日

2024年03月25日 08時22分12秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
東京の桜の開花は24日ごろと発表されていましたが、咲きませんなぁ。。。。。
温暖化の影響でしょうが、最近は3月末には咲いています。
桜といえば、東京では入学式というイメージがあります。子供の入学式に満開となった桜を思い出します。
とは言ってもこのころも桜の開花は早まっていて、その年が運よく満開だったというだけかもしれません。
僕の子どもの頃は入学式に桜が満開というのは当たり前だったように思います。
桜の開花日が早くなったのは2000年ごろから少し早まり2015年ごろから急速に早くなっているようです。
地球は温暖化ではない。沸騰しているという国連の言葉がありますが、温暖化は確かなのでしょう。しかしそれがCo2が原因かとなれば、大気の中のCo2は微量でその影響だけではなないとする意見もあります。長い時間の流れを見れば人間の文明とは違う気候変動は多くありました。温暖化する過程に今の時代があるのか?そのピークを過ぎて寒冷化にまた向かうのか。。。。

≪過去の記事≫

【2004年】
友人と昼食に「しゃぶしゃぶ食い放題」に行きました。
この前はやはり昼に寿司食い放題・・・・
なんか、もう「食い放題」はいいです。。。。と、言いながらまた行ってしまう意志の弱さ・・・・ハハハ
腹いっぱい状態で帰りに買物に行ったら、夕食のメニューがぜんぜん浮かばない。浮かぶのは、さっき食べたしゃぶしゃぶ・・・しゃぶしゃぶ。
もう僕は夕食も食べたくないので家族用にしゃぶしゃぶ肉を買ってきました。
食べ終わったら、おわんにわかめ・長ネギ・天ぷらカス、そして塩コショウを入れ、そこにしゃぶしゃぶの出汁が出た汁を入れ、うどんをゆでて付け麺のように食べます。うどんだけは食べよう・・・・
鍋もそうですが、残りの汁を使ったうどんやおじやはおいしいですよね。。。。

【2005年】
ううう。。。きつい
風邪なのかと思うほどの花粉症。鼻水とくしゃみが止まりません。
帰りの電車の中、おばさんがつり革につかまりながらくしゃみを5連発していました。僕は座席に座り、それを見て鼻をかみながら笑ってしまった。若い女の子も恥じらいもなく鼻をかんでいました。
最悪です。。。。
しかし梅の開花にはじまり桜散る頃に終わる花粉症。。。風流ですなぁ・・・ハハハハ
サッカー、1点差で日本が負けてるらしい。。。

【2006年】
(記事なし)

【2007年】
新しいコーヒーショップを見つけた。
置いてあるパンなどもおいしいし、コーヒーも機械式だけど香もあるおいしいコーヒー。いつも行っているところはコーヒー専門店だけど、なぜかいまいちコーヒーがうまくなかった。なんか浮気しそう(ーー!
午前中は強い雨でした。昨日からの強風は少し弱くなったのでよかったですが、それでもベランダにも相当吹き込んできました。植木にもだいぶ雨がかかりましたが、花々にとっては気持ちのよい春の雨だったかもしれません。

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】
(記事なし)

【2011年】ツイッターつぶやき
解雇規制の緩和については時々ネット上でも見かけるが、安倍内閣により本格的に検討されるようである。
しかしこの解雇規制の緩和からの労働力(雇用)の流動化がなぜ必要なのかは見えてこない。誰がどのような理由で必要なのか?
昔から経済の発展段階においてスクラップ&ビルドが必要とされ、急激に発展した競争力のある産業が生まれた場合そこに資本と労働力を移動させる必要があった時もある。もちろんこの時も解雇というのは最後の手段でした。しかし現在はこの経済の発展もなく労働力が足りなくなるような新たな産業は見当たらない。ではなぜ今解雇規制の緩和なのだろうか?
この点で一つの考え方を現している「解雇ルール確立で新陳代謝を 雇用の流動化で新たな雇用を生み出す」という産経新聞のネット記事があった。
多くの経済学者等が解雇規制の緩和・雇用の流動化を言う中でなかなかどこに視点があるのかはっきりしたものが見えなかったのですが、この記事はある意味本音を出しているのでしょう。
経済協力開発機構(OECD)によると、日本は正社員の解雇が先進国で最も厳しく規制され、それが産業活性化に不可欠な雇用の流動化を阻害しているという状況がある。正社員が既得権益化し、非正規社員との待遇格差も生んでいる。 (上記リンク記事より引用)
この情勢の見方は正しいだろうか?
「正社員が既得権益化し、非正規社員との待遇格差も生んでいる。」というが、これは公務員の既得権益と民間を比べて公務員給与などを下げろといった論法に酷似している。日本はもともと正社員数が多く派遣法の改悪により派遣労働の範囲が広がったという経過がある。その過程の中で正社員数は激減をして派遣労働が増え、また非正規社員数全体も増えてきた。それは雇用形態の変化にとどまらずに低賃金化への経過でもあったのではないか。またこの非正規労働だからこそ解雇も自由になったのではないか。「正社員が既得権益化」したのではなくて非正規雇用の様々な労働条件の切り下げであったのではないか。公務員が条件(賃金など)を拡大して民間が相対的にひどくなったのではなくて、公務員はそのままで民間が絶対的のひどくなったのであり、同じように正社員の条件が拡大して相対的に灯式雇用者がひどくなったのではなくて正社員もひどくはなったがそれ以上に非正規雇用者が絶対的にひどくなったという事でしょう。ですから「正社員が既得権益化」という見方は適切ではないし、正社員も非正規雇用者並みにと言っているにすぎないのではないか。
ですから「産業活性化に不可欠な雇用の流動化」というのは、正社員の賃金をはじめ労働環境を切り下げることが産業の活性化につながるという意味にとらええる。
日本の労働者の賃金は正社員も例外ではなくて下がる一方だった。派遣労働の拡大などの非正規雇用の増大は雇用の流動化そのものだったはずです。しかしこのような日本が経済的に成長路線をとれたかと言えばそうではない。リーマンショックからの立ち直りでは一番遅いとも言われてデフレに陥った。このようなこの間の労働政策により企業はその利潤を維持しようとした安易な利潤追求の矛盾が現れているのではないか。まだ正社員という中間層が経済を支える主流となってもいたがその中流層自体を減らしてしまった。
この記事の中身はさらに企業利益維持のために正社員という中間層を減らせという事だろうか?
この記事では「新陳代謝」「雇用の流動化で新たな雇用」という言葉を使う。しかし新陳代謝の必要性はすでに団塊の世代が定年となり始まっていることである。そして年金支給年齢が伸びることによる再雇用が雇用の流動化として始まっている。また、女性労働力の活用も言われており、新陳代謝あるいは新たな雇用という言葉が若い人そして非正規雇用者の正社員化に結び付くかと言えばそうではないだろう。高齢者や女性労働が新たな低賃金層として社会に現れる。その中において正社員の数が増えたり賃上げにつながる保証は何もないでしょう。
より多くの不安定雇用が広がり、多くの労働者は将来を見つめることもできない社会にさらに近づくという事です。
雇用の規制緩和は賃金奴隷を増やすでしょう。

【2012年】ツイッターつぶやき
「福井県原子力委員に1490万円」という記事が朝日新聞1面にあった。
すでに政府は大飯原発の再稼働は安全性が確認できたとして再稼働を地元福井県に説明を行い再稼働を進めようとしている。
リンクしたページの再稼働までの流れを見ると、上にも書いたように政府が福井県に対して再稼働の安全性を説明をする段階まで来ている。今後は県原子力安全委員会に県は助言を求めることになるそうだが、この県原子力委の5人が過去に関電からの寄付金を受け取っていた。
安全性の審査などは寄付金により影響は受けないとされているが、常識的に見てこのような委員になった時点で寄付金などは受け取らないだろう。金で安全性についての発言を曲げることはないとはいえ、受け取った時点で委員の資格はないのではないか。
再稼働に向けてこの5人の意見も入ることについては政府はきちんと拒否をすべきではないか。
再稼働も国民の信頼がなければいくら安全と繰り返しても賛意は生まれないだろう。この信頼性を得るためにも5人(個人だけではなくて影響下にある人も)は外すべきでしょう。
政府の安全性の確認もいろいろと疑問が残る中にゴリ押しわされている。そこにも不信感が残る上に金をもらった委員が福井県に安全性の助言をする。政府の安全の確認も原子力規制庁の新設を待たずに福島原発の事故を招いた組織による安全性の確認であり、新たな安全神話であり過ちが繰り返されるだろう。

【2013年】ツイッターつぶやき
資本主義の理念は私有制を基に何でもありというものだけではないはずです。もちろんこの私有制を守るために国家が企業などを守るというものだけではないはずです。
資本主義は封建制を否定した理念を持って生まれた。自由・平等やそのための民主種を資本主義の理念とした。それは国民一般の生活に活かされなければならないという事であった。
この離縁は労使関係のぶつかりや社会体制のぶつかりの中で拡大をしていった。日本も戦後にその理念を進めてきた。世界も植民地主義を否定した。それは資本主義手経済の発達過程でもあった。
しかし経済は、競争原理からより多くの商品をより安く市場に流すようになり、企業の利益を縮小させてその利益確保のために低賃金化や雇用形態の悪化などという方法を選び、そのための商品需要の低下の中で拡大再生産が困難になり、利益確保は金融商品に向かうようになった。
資本主義のこの縮小傾向にパイのぶんどり合戦としての世界的な競争が進む。
この競争には軍事力も含まれ経済の独占化を進めようとする。
国家は国と企業を守るためという論理で動くようになり、そのために国民はあるという論理に移っていく。そこには当初の資本主義の理念が忘れ去られるのである。

国民は自己責任を問われるばかり。自己責任といっても、国民として国や経済の要とされる大企業を守ることは義務とされる。そのうえで国民一人ひとりの生活は自分で何とかやって行けという論法である。社会システムは近代の資本主義思想からも離れていく。
日本の産業すべてを日本株式会社とみて、「今度新規参入する部門(産業)に人が足りないからそこで君の能力を発揮してくれないか」こうなる社会には解雇はない。転勤・転属である。この転勤・転属を労働者が生活に困るやり方で行うのが今の社会の解雇である。
解雇というのは自己責任だけではない。企業責任(都合)である。日本には雇用の流動で同じ賃金を受け取る保証は何もない。雇用を探すのは自己責任とされる。今の日本は国民の国家や企業への義務は大きくなっているが、その国家や企業が国民に押し付けるのは自己責任である。
職業選択の自由には解雇されない自由もあるはず。。。。。

【2014年】ツイッターつぶやき
10日前ほどからスポーツジムに行きはじめました。
毎日は行けないのですが週に3回ほど行っています。
スポーツジムは8年ほど前に2年間ほど通ったことがあるのですが、その効果はこちら、、、、 「スポーツジム通い帳」
最近また体重も増えはじめてきましたし、やはり年をとると足腰の衰えが気になります。

先ほど体脂肪などモデルもでる体重計に久しぶりに乗りました。
     体重。。。。。67.7キロ
     BMI。。。。。。23.4
     体脂肪率。。。。19.8%
     筋肉量。。。。。51.5
     内臓脂肪率。。。12.5%
     基礎代謝。。。。1475
     体年齢。。。。。-13歳

でした。
体重は5キロぐらい減らして何といっても内臓脂肪を減らしたいです。
またこのブログで「スポーツジム通い帳」でもつけたいと思います。

体を動かすのは精神的にもよいですね。。。。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
毎日新聞に「教科書検定、道徳 修正細部まで」という記事がある。
「友だちの家のパン屋でおいしそうなパンを土産に買ったりして、自分のまちに愛着を持つ--という設定」(上記サイトより引用)
ところが
「伝統と文化の尊重、国や郷土を愛する態度」を学ぶ(同引用)
という検定の結果、「パン屋」が和菓子を扱う「お菓子屋」になったという。
今テレビの番組で「日本はすごい」というようなものがあるが、国が同じようなものを子供に教えるというようなものです。
パン屋はだめで和菓子を扱うお菓子屋ならいいと聞くと笑ってしまいそうになるが、そうも笑ってもいられないでしょう。
「伝統と文化の尊重、国や郷土を愛する態度」。。。国を愛する態度を子供に教えるというのでが、国を愛することとはどのような態度かがパン屋ではなくて和菓子屋なのです。この和菓子屋に「伝統と文化」を見ることになるのでしょう。
これでは相当画一的なことを子供たちにその態度を教え込むことになります。
「朝食はパンではなくてご飯です!」と言えば、先生も国も喜びますね。子供の評価もよくなるかもしれません。これが教育でしょうか?
伝統や文化というのは時代によって変化していきます。朝食にパンの家庭も多いでしょう。一時若い人のコメ離れも話題になりました。生クリームがたくさん入った菓子パンのほうが大福よりもいいという若い人も多いでしょう。すでに日本の文化や伝統はパン食もあれば日本食も入り混じったものになっているのが現実です。
これで思い出すのが明治政府による廃仏毀釈です。
それまで神道も仏教も混在一致した進行になっていました。明治になり神道が国教のようになり、廃仏運動が広がりました。記憶によると世界遺産の法隆寺も危なくは維持になる寸前だったとか。それを救ったのが外国人のフェノロサ。。。。
ですからパンはだめで和菓子ならいいというのは笑い事ではなくて深刻な教育をはじめとした社会システムの悪化なのです。
このような社会においての「伝統と文化の尊重、国や郷土を愛する態度」としての道徳とは何でしょう?
伝統や文化を壊すのも廃仏毀釈に見る、パンはだめで和菓子という思考方法なのです。それを国が行うのです。
国が主導する道徳とはこのような矛盾があります。
子供たちには道徳を教え、大人には公助よりも自助で国への奉仕です。
しかし実際の社会は、お年寄りを敬いという道徳の代わりに年金切り下げ(支給年齢も含めて)が行われます。
ブラック企業がはびこります。100時間未満の残業をしろと言います。
社会保障は受けにくくなり、子供を保育園にも預けられない。
国への道徳や奉仕と現実社会の仕組みは乖離していく一方です。これを我慢しろというのもまた道徳なのでしょう。

【2018年】ツイッターつぶやき
僕が若いころ、政治がいい加減でも乱れていても官僚組織があるから日本は大丈夫だといろいろな人から聞かされていた。官僚は優秀だったという事でしょうか。もちろんそれが正しかったのかどうかはわかりませんが。
しかし55年体制の頃は自民党と数の力では弱かったにしても市民・労働組合を組織した社会党などの保革による政治闘争は迫力がありました。その中で官僚組織もまじめに働いていたことと思います。
しかし55年体制が社会党の崩壊とともに消えてからは自民党1強の政治になり、中間層の寄せ集めのような新党ブームや村山内閣・民主党政権もありますが政治は混乱をしました。もちろんそれは社会保障を含めた国民生活や労働条件の悪化につながりました。政治は政策的な緊張感がなくなり、スキャンダル国会となりました。
その中で官僚はどうなったのでしょうか?
政治がいい加減になれば官僚も緊張感はいらなくなるのは当然です。
政治の劣化は官僚の劣化にもつながったように思います。
その官僚の学歴からしてバブルまでは民間に比べて低賃金だと言われて公務員になる若い人が減りました。官僚は安定的な賃金と地位を得ますが退官後の生活を民間の高学歴者に比べれば不安定だったでしょう。すると企業寄りの官僚組織となって天下りを求め始めます。ここからも官僚の劣化が生じたかもしれません。もちろん政財官の癒着は昔からでしたが。
天下り問題や年金問題などの実務を国民が批判をし始めますが、それに便乗したのが安倍政権で官僚の人事権を内閣が奪うことになりました。官僚の劣化は政治への忖度の形をとらざるを得ません。
しかしここにきて忖度をした官僚は政治スキャンダルの中で政治家から「お前が悪い」と言われたり、ひどい場合には安倍政権をつぶすためだろうともいわれて「そればかりは、そればかりは・・・・・」と。
官僚が日本を実務的に動かしていくとが求められるのですが、その実務が政治家の顔色を見ながら政策的アドバイスではない保身として動かざるを得ない悲劇があります。
政治はますます独裁的な色合いを強めるでしょう。
しかし官僚の力を取り戻すことが昔の財閥と結びつくことのようにになれば更に悲劇は拡大するでしょう。
官僚は国民のために動くという建前だけでもよいから維持していくことが生き残りにつながるでしょう。それが国民の目や耳に届くように。

【2019年】ツイッターつぶやき
ブルームバーグいまや皆 物価を引き上げることを望むリフレ派について
以下ツイッターから
企業間競争の激化の中での生産性の向上は必然で、生産性が上がれば商品やサービスの価格は下がる傾向を示す。だからデフレにしようなどという「デフレ派」は存在しない。物価が下がる傾向の中で物価をあげようとする存在であるリフレ派が異常なのである。
企業業績が上がれば賃金も上がるなどという非経済学を振り回した結果が今の経済状態を作る。生産性の向上を低賃金化による企業利益の増大というこれも非経済学的な生産性向上は経済をマヒさせるだけである。
いもしない「デフレ派」を持ち出してこれを否定してリフレ派を擁護するという詭弁に陥ってはならない。

gooブログのメンテナンスが終わりましたね。
無事ログインできました(笑)
何が変わったんだろとドキドキ。。。。。。
でもテンプレートは何も。。。。。
編集ページは大きく変わってちょっと戸惑い気味です。
そういえば「いいね」って、なんでしょ?
気に入った記事を「いいね」するのはツイッターにもありますのでわかるのですが、どなたかのブログに行って「いいね」するにはどうすれば?
「あしあと」のようなものがどのようになるんだろ?
とりあえずまた何かを書き綴っていきたいと思います。
なんだか記事の更新をやろうと思ったら、写真を入れろとか、リンクが今まで道理できないと、テンプレートが変になったりとか。。。。。
何が何だか分からなくなりブログが変になってしまった。
やっと元のバージョンになって使えるようになりました。いったんログアウトしてもこの状態を保てるのかな?怖い・・・・・・
ついでにテンプレートを春らしくしてみました。

【2020年】ツイッターつぶやき
院内感染を心配するということは、陽性の人がいるから。その陽性の人を発見するのが医療機関での検査。医療機関が医師が危ないからと検査を避ければ、その陽性者は陽性と気づかないうちに感染を広げる。
追跡がすでにできなくなっている中で。
昨日の都知事会見でも現在懸念されているのは、感染した帰国者と追跡が行えない感染者が増えていること。
帰国者に対する水際対策の強化と、追跡ができなくなっている中での感染者に対する積極的な検査が求められるのでは?
しかし医療がそれを拒めばどうなるんでしょ?
医者が危ない?
しかしこの社会を動かし維持しているのは勤労者全体の労働です。
院内感染防止で医者を守り切ったからと言って、満員電車での通勤や労働現場で働く人はどうなんでしょ?交通運輸だけを見ても感染者が増加すれば社会は動かなくなります。
検査方法はドライブスルーとか対策はあると思います。
医者や医療従事者も勤労者です。どこで感染するかわからない。その医師などから医療崩壊もあり得るわけです。
すでに陽性の人(医師でしたっけ?)が勤務していたり。。。。
安全を守るために医師が検査を行えないならそれもまた医療崩壊と同じ現象です。
日本の感染者数へは疑問が出ていますが、単純に考えれば検査数と比例するのではないかと思います。死亡してからの再検査、重症化あるいは症状が明らかに、集団感染等の経路がはっきりしている場合など、検査の対象を抑えているのかもしれません。軽症者などは検査されずに感染者数にカウントされない?
橋下元知事が発熱で自宅で様子見だそうですが、仮にコロナであっても軽傷で済んで検査を受けなければ感染者数にはカウントされません。若者の無症状感染が心配されていますが、軽症なら検査をしてもらえないし食うために仕事に行ったりしても仕方ないでしょう。
軽症の可能性がある感染者は公的・医療的検査を受けられずに自己責任で行動を決めねばならない。検査を受けられなければ会社も休めないでしょう。
自己責任で隔離しなければならないのですが、検査を受けられないならばそれは隠蔽です。社会全体でこのような隠ぺいがされるならば感染者数の隠蔽です。
また、日本人は御上の言うことに対しては昔から従順ですが、毎日テレビでヨーロッパなどの非常事態下のニュースを見ていて、感染者数が大きくなれば安倍さんが非常事態宣言を出すのではないかとか、昨日は都知事が東京封鎖まで言い出していますからなおさら委縮してしまいますね。忖度するわけです。
人口密度が高い東京が北海道を超えた。
国民の命と財産の問題です。
自民党と公明党はまじめにならないとだめです。
官僚や有識者や医師たち。忖度ばかりしていては自分を殺すことになる。
国民は整然と国を助けるでしょう。
しかしそのためにはまじめにならねばならない。
内閣も都も国民・都民の自己責任を求めていますが、企業に対しての呼びかけがない。
都知事がなるべく仕事は自宅でとっていたが、そんなことができる労働者はごく稀です。労働現場で働く労働者がいないと社会は崩壊をする。
夜間の外出を避けるよう言っても企業に呼び掛けて残業をゼロを呼びかけないと
*以上ツイッターから転載

【2021年】ツイッターつぶやき
日銀のETF購入は日経平均が2万円を切ると日銀は損失になるという。日経平均は一時3万円を超えたが徐々に下げている。とは言っても2万円を切るにはまだ余裕があるかもしれないが、問題なのはETFだけではなく日銀の金融緩和の出口が見えないところにある。たしかにコロナ過の現状もありますから経済はさらに混迷をしているのですが、経済の混迷はコロナ以前からある中での金融緩和でした。なかなか出口に向かう道筋すら描けない状態でした。
金融緩和全体の出口が見えない中でETFすら処分できる状況もなく、日銀が売ればETFでも株でも下落が生じるわけで、かといって経済の好転による実体経済の安定から金融緩和の出口もないワケですから日銀は株価維持のために買い入れを続けざるを得ないでしょう。
現在の株価は実体経済から離れたバブル状態ですから世界的にいつバブルがはじけるかわからない状態です。株式市場が崩壊をしそのうえ日銀までもが負債を抱える。この時ハイパーインフレが起きるでしょう。

【2022年】ツイッターつぶやき
1ドル122円まで下がっています。
1週間前が119円ですから大幅な円安が続いているということでしょう。
日銀は円に対する信頼は落ちていないと言ってますが、経済の下押しは避けられないようです。

【2023年】ツイッターつぶやき
フランスは年金支給年齢を62歳から64歳に引き上げるという法案を準備した。直後に抗議デモが行われ、ストライキもはじまった。強硬可決されてからも抗議やストライキがさらに激化している。
議会でも左派の不信任案は僅差で否決されたが議会の勢力も年金支給年齢の引き上げに抵抗している。
年金支給年齢引き上げに対するデモやストライキが大規模に行われる市民の政治意識や行動は一つの民主主義でしょう。しかしこれを支えているのは市民の意識と政党が結び付いているということであり、フランスの政治はまだ生きている。しかしフランスでも極右政党が躍進しはじめているが、政治勢力としては左派は一線を引いているようです。
しかし抗議もゴミに放火をしたり信号機を壊したりと過激化しているようです。
これが市民の反発となり、年金支給年齢引き上げに対する見方が替わるでしょう。抗議行動やデモが祭儀は過激化して収束してしまう。極右勢力との関係もあるのかもしれません。
日本ではすでに段階的に引き上げが行われて65歳支給がはじまっています。すでに自民党は70歳あるいは75歳支給を言い出しています。日本でも反対という声はあるでしょうが、それが政治的な力に結びつかなく、左派政党の力も弱い。自民党の独裁ですから。その中でのあきらめというのでしょうか、年金制度なんかいらないといったある意味では過激な声が出はじめています。こうして日本は市民自ら民主主義を軽視するようになっています。
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2024年 3月24日(日)「円安は止まらない」

2024年03月24日 22時47分06秒 | 「政治・経済」
日銀がマイナス金利から抜け出す動きがありましたが、実質的にはマイナス金利に近い利率ですから円が強くなるということは起きないのでしょう。さらに利率をあげてもカンフル剤のようなものかもしれない。
為替といえば対ドルですが、ドルが安くなっているなら円もさらに悲惨です。途上国の通貨の方が強くなり、円は最も安い通貨になっていく。
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池に浮かぶ月2197【3月24日】

2024年03月24日 22時14分47秒 | 「池に浮かぶ月」
たしか、ドイツでは最後の原発が停止したらしい。去年は、3基の原発を順次停止させていくとしていました。
再生エネルギーと水素エネルギーで電力を賄うそうですが、以前、フランスの原発の発電を輸入したとか聞いたことがありますがどうなんでしょ。
日本も太陽光発電では電力が過剰になるとして停止させられたこともあります。原発の再稼働ありきですね。

≪去年の今日はこんなことを・・・≫
2023年 3月24日(金)「ドイツ脱原発」

「池の上に月が昇る
その池に写る月は現実の月ではない
しかし現実の月を写したものであることでその池に浮かぶ月も現実である
人間の過去もすでに現実としては存在しない
しかし過去の時間の中で現実であった」
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「3月24日という日」

2024年03月24日 09時23分52秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
日銀がマイナス金利から抜け出す動きがありましたが、実質的にはマイナス金利に近い利率ですから円が強くなるということは起きないのでしょう。さらに利率をあげてもカンフル剤のようなものかもしれない。
為替といえば対ドルですが、ドルが安くなっているなら円もさらに悲惨です。途上国の通貨の方が強くなり、円は最も安い通貨になっていく。

≪過去の記事≫

【2004年】
夏生さんの作品ミニミニ紹介が出来上がりひと段落です。
これで「ワガママな僕たちを」の感想へ移れそうです。しかし、ばななさんの裏日記も読み終わったし・・・・これもまとめたいなぁ。。。。
午前中は日がさしていたのですが、また曇ってきました。雨かな?

【2005年】
インターネットとテレビメディア。。。。
堀江さん(というよりもライブドア)とフジテレビの確執はまだ続きそうですね。
たしかケーブルテレビはインターネットサービスを行っています。その意味では、テレビとネットの結合は始まっています。
光により高速度のネットが可能になり、テレビ画像も鮮明になってきています。パソコン自体もテレビが見られるというのは常識です。プロバイダーによりケーブルテレビに匹敵する番組提供も始まっています。
こう見ると、堀江さん批判にただの金儲けのためというものがあり、先がどうなるかがはっきりしないというものもありましたが、ネットとテレビの融合は堀江さんの先進性だと思います。ただテレビを馬鹿にしすぎたような発言は残念です。
フジテレビは、テレビ優先だったのでしょう。
ネットは、今の状況でも発展していますが、テレビとの融合によりより発展する(テレビ好きな人間にとっては)のであり、そのためのソフト面としてテレビ局との融合は欠かせないのでしょう。その意味でフジテレビに目をつけた堀江さんはすごい。それともフジテレビにわきの甘さがあったのか?
ネットでの商品販売はすごいという。テレビの通販と比べてどうなのだろ?その上ネットでのコマーシャル収入はラジオ業界を抜いたとも聞いたことがある。テレビもデジタル化やハイビジョン、そして最近では新東京タワーの建設も出ている。双方の相互作用でテレビ人間が多くなるかも?(笑)
しかし視聴者にとっては、NHK・衛星放送料金があり、その上に多チャンネルテレビや有料番組局がある。通信料の増加と同じようにテレビという情報量も増加する。NHKの不祥事が大きく取りざたされているが、そのうちに民営化が出てくるかもしれない。
ライブドア・フジテレビの争いの中に孫さんまでが?(堀江さんも球団は楽天にとられ、フジテレビは孫さんに取られるのかな?)
大きな転換期が来るのでしょうね。

【2006年】
「世にも美しい数学入門」
                        ちくまプリマー新書
                藤原 正彦  著
小川洋子さんの「博士が愛した数式」の関連として読みました。藤原さんと小川さんとの対談として数学の美しさを表現しています。もちろん対談中には、「博士が愛した数式」にもお2人が触れながら小説とは関連しそうもない数学との結びつきを語られています。
「博士の愛した数式」の中には、数学の話しがたくさん出てきますので、この本は「博士の愛した数式」を読むにあたって(あるいは読み終わって)参考になるのではないでしょうか。
数学者藤原さんの純粋さを小川さんが引き出すというような形で対談が進みます。
広大な宇宙そして微細な素粒子の世界まで、自然界というのは厳然と存在をしている。人はその自然に向って五感を持って接する。接する中に自然への感謝や恐れ感じ、そして不思議さを感じる。ただ単に感謝と恐れを持って接しているだけなら、人は宗教的に自然を受け止めるだけだが、不思議さを感じてその不思議を解き明かそうとする中に人の科学的な進歩もあったのだろうと思う。自然をもっと解明しようとしたとき、人の持つ五感や思考だけでは足りなくなる。思考そのものをもっと深くするには五感だけでは足りない。
同時に人は、自然の中の限られた範囲だけに生き延びることができる。人は生き延びるだけではなく、その発展の中から自然に働きかけることをしはじめた。それは人の生きる喜びを増大するために不可欠である。
自然に対しての働きかけと、自然の持つ不思議さの探求は、車の両輪のようなものではないか。
人は星の観測をする中に農業を発展させたし、望遠鏡や顕微鏡も必要性から作り出す。自然に働きかけるものを作り、自然の不思議さを解き明かすための道具も作り出しながら発展してきたのではないか。
その中で、人が作り出したもののひとつに数学があったのだろう。
物を数えることからはじまり、計算すること、図形化することなど、数学は自然を受け止めるためにも解明するためにも役立ってきたのだろう。
今の時代のように、様々な部門において発達した社会でもやはり自然への働きかけと不思議さの解明は車の両輪となって歩み続けている。これは永遠に変わらないものであり、行き着くことはないだろう。
発達が進すみ、そしてその発達のスピードが加速度的に速まった中で、必然的に専門分野は細分化され、ますます分業制も発達をする。この分業は、ある意味人の精神活動と実際に必要なものを作り出すという理論と実践とも言うべき分業も発達しているのではないかと思う。人の精神活動においての理論的な世界観、これはあらゆる分野での精神活動により自然というものを書き表すことであり、この自然を書き表すことでの不可欠な言葉が数学でもある。
数学者藤原さんは、この自然を書き表すための数学を「神の手帳」を読み解く、あるいは新しい次のページをめくるように情熱を持って純粋に語っているのでしょう。
文学や哲学、社会科学や科学、様々な人の精神活動においての自然とのかかわりにはすべてロマンティズムがある。当然に数学にも数学のロマンティズムがあるだろう。特に純粋数学という学問は、今すぐに役立つかどうかはわからず、500年後に生かされるかもしれないという気の遠くなるような学問らしい。壮大なロマンティズムである。
数学には、純粋数学と応用数学という分類の仕方があるようだが、応用数学が、実際の科学発展に強く結びついた実践的な数学とするなら、純粋数学は、数学そのものを純化した理論的な数学といえるのかもしれない(この数学についての分類は、僕のような素人にはまったくわからない世界なのでこれは僕の感じたとらえ方です)。この点については興味深いサイトページを読ませていただきました。
     「科学と数学の間」
           (トップページは「科学と技術の諸相」です)
(この本や「博士の愛した数式」に出てくる数学者の名も出てきますので参考になると思います)
数学が科学に先んじて自然の姿を書き表すこともあれば、科学がその数学の言葉を具体化をして生きた言葉にし、新たな数学の発展を誘発することもある。ただし純粋数学は、どのように科学に生かされるかは予想はしない。面白い世界だと思います。
でも言えることは、応用数学よりも純粋数学のほうがロマンティズムであるということである。この本の中身も、現実の科学とはあまり接点を持っていないように思われる。
このロマンティズムは、文学が人の心というもつれたものを抽象化して一つの心の働きを描くものとすれば、純粋数学は、もつれた事象を抽象化して一つの公式として解き明かすものでしょう。この意味において文学と数学とが接点を持つことができたのかもしれません。
しかし、この数学の持つロマンティズムだけを引き立たせると、純粋数学を高尚化し過ぎるというものを感じてしまう。
これは藤原さんのもつ独特なものかもしれない。
それは、先に読んだ「国家の品格」に見られる西洋の合理主義を否定した日本の精神文化の高尚化としても現れるのである。
今の社会の様々な矛盾は、政治的実践の中から生まれたものである。もちろんそこには政治的な理論があったのだが、この矛盾を指摘をしてその解決を政治的な実践から提起をせず、その新たな実践の理論をあやふやな精神論的なものに置き換える。これもまたロマンティズムである。
やはり応用数学ではなく、エレガントな純粋数学の世界なのかもしれない。

【2007年】
新しいコーヒーショップを見つけた。
置いてあるパンなどもおいしいし、コーヒーも機械式だけど香もあるおいしいコーヒー。いつも行っているところはコーヒー専門店だけど、なぜかいまいちコーヒーがうまくなかった。なんか浮気しそう(ーー!
午前中は強い雨でした。昨日からの強風は少し弱くなったのでよかったですが、それでもベランダにも相当吹き込んできました。植木にもだいぶ雨がかかりましたが、花々にとっては気持ちのよい春の雨だったかもしれません。

【2008年】
今夜はブログからコピー。。。どもども


もう何年前だろ。。。
小さな川を渡った次の駅に
僕は誘われるように
降り立った
どうも不思議なのである
いつもの通勤電車の車窓に
桜の季節になると
ピンクの桜が満開になる
線路から五百メートルぐらいだろうか
小さな川のほとりにその桜は咲いている
しかし。。。。
朝の通勤には見えないのである
きまって宵から夜にその桜は見える
ぼうっと浮かぶようにその桜の木は立っていた
その日も桜が満開だった
暮れる宵の空には
春宵月
オレンジ色の欠け行く月が
ぼうっと低く浮かんでいた
小さな川を渡った次の駅。。。
降り立つと宵の暖かな空気が
僕を包み込んだ
僕はひきつけられるように商店街を抜け
小さな川を探してゆらゆらと歩いた
まだ宵というのに人通りが少ない
すれ違う人の顔が見えない
うつむいているのか。。。。
ぼうっと影のように見えない
やがて小さな川のほとりに
その桜は大きな桜だった
もう夕闇になり
桜は霞むように立っていた
一枚そして一枚と
花びらが散り始めた
僕は見上げた
春の風は心地よい
春の風は花びらを落とす
僕は一瞬めまいを感じた
花びらはさらさらと降る
「こんばんわ」
「いらしてくださったのですね♪」
僕は驚いて後ろを振り向いた
そこには透き通るような女性が
僕を笑みを浮かべて見ていた
「こんばんは。。。。」
白いワンピースがゆらゆらと
それは桜色に染まりつつあった
くるくると舞う
くるくると花びらも舞う
「ハハハハ・・・・」
春月夜に声が響いた
僕は周りを見つめた
そこは小さなお墓が
孤独に立つ墓地だった
僕は春月夜を見上げる
くるくると花びらは舞っていた

と、言うのも、一昨日の日記で書いた「春月夜」とか「幻の桜」という言葉に誘発されて。。。。

【2009年】
(記事なし)

【2010年】
僕は夕方の街にふらっと散歩に出た
心は空っぽのままに
やっと出た月の光に暗い雲が流れていた
歩きなれた道を歩き歩道を見つめ
公園に着いたとき僕は引き込まれた
もう誰もいない公園のベンチを見つめ
まだ葉が出ない木々を見上げた
さっき点いた街灯の光が消えて
公園の土を隠すほどに月の光が降り注いだ
僕が歩くと月の光は舞い上がりつつ
冷たく僕を包み僕を誘った
しばらく立ち尽くしているとそこは深い森となって
一筋の小道が光って森の木々を照らしていた
僕が小道を歩きはじめると空っぽな心に
孤独と悲しみの小道美しい孤独と悲しみと聞こえた
小道の先が開けて荒涼とした草原となり
たった一本の木が立っていた
近づいてみるとカサッと木の葉を揺らしながら
僕を見た妖精が木の実の裏に隠れた
草原の遠い先にはまた森が見え
僕は呆然としてまた立ち尽くした
「木の実を食べて」「さぁ、どうぞ」
二人の小さな妖精がいつの間にか現れていた
このとき僕は空っぽな心ではないと
重くて混沌とした心であったことに気付いた
僕は孤独と悲しみの小道を歩き
その孤独と悲しみの小道が美しいと知ったから
空には二つの月が光り冷たい光が風に乗り
一筋となって草原の先の森に吸い込まれた
「木の実を食べて」「さぁ、どうぞ」
また小さな妖精たちはつぶやいた

明日発売になる夏生さんの「カイルの森」のイメージイラストがホームページに載せられました。   こちら
銀色夏生らしいイラストですね。
かわいく面白いイラストの世界のもう一つの銀色夏生のイラスト世界です。
上は、ちょっとおふざけで「イメージ駄文」(笑)

【2011年】ツイッターつぶやき
     銀色夏生「しげちゃん田んぼに立つ ばらとおむつ3」
       (2011年2月25日 角川文庫より初版発行)
「ばらとおむつ」「珊瑚の島で千鳥足 ばらとおむつ2」に続いてのシリーズ3冊目です。
いずれのタイトルも夏生さんの母「しげちゃん」が脳溢血で倒れて入院したときに「しげちゃん」の看病をする夏生さんの兄「せっせ」がご兄弟・妹にしげちゃんの様子をメール通信という形で送った通信名です。1,2巻ではこのせっせのメール通信を紹介をしながら近くに住む夏生さんが訪れてはそのしげちゃんとせっせの二人の生活の様子を日記風に書きとめたり、夏生さんのお子さんたちの様子をも書いています。
夏生さんには20年ほど続く「つれづれノート」シリーズがありこれも日記風のエッセイです。この「つれづれノート」が一時中断しますがその間にこの「ばらとおむつ」の1冊目が出ます。ある意味同じような日記風のエッセイですからファンにとっては「つれづれノート」の穴を埋めるような感じで読めました。たしか夏生さんはどこかでこの二つのシリーズは違うものだとお書きになっていたと思いますが、たしかに中身は違いがあります。特に今回の作品はすべてせっせの通信だけを収めています。そしてシリーズ全体にしても「つれづれノート」は銀色夏生家、「ばらとおむつ」は本名山元家の二人の生活というものを感じますし、「つれづれノート」はもっと夏生さんご自身の内面を強くあらわしています。
上に兄せっせの通信と書きましたが、その意味では特に今回はせっせの内面が出てきていると思います。夏生さんの目を通さないせっせともいえるかもしれません。最後のページに書かれる夏生さんのせっせの姿のイラストと手書きの「いつも忙しいセッセ」というのが印象的です。
セッセの任務は大きく分けて二つある。
先祖から引き継いだ家や田んぼ畑、広い土地を整理していきほっぽらかしというわけではないがゴミや荒れた庭を整理していき、土地は売るべきものはうって隣や親戚ともめながらも境界をきちんとしてブロック塀を作る。しげちゃんが大切にしている梅ノ木にバラの木も。。。。写真を見ると整地された土地にぽつんと、屋根に穴があき廊下からは藤木が出てくる古い家が建っている。本では書かれていないのですが本からうかがえるセッセの性格からして一気に思うがままに整理したがあとから殺風景さにどんよりしてしまうのではないかとも思ったりします。
二つ目はしげちゃんの看病というのか老後の介護です。
デイケアーに行くしげちゃんの着替えから日常のいろいろな世話、年に1回の介護等級を決める面接にしげちゃんが元気であることをアピールする様子にがくっとする。しげちゃんが元気なうちは親戚との付き合いもあるわけで、軽トラックで奔走する。そして。。。。。時々ウンチが付いている服に愕然としながら洗濯。しげちゃんの痴呆症を気にする。そして寝たきりや排泄の世話が始まったときに介護も本番だと。しげちゃんの痔の世話をするせっせは。。。。
実際に介護をされている方のご苦労は大変だと思います。しかしせっせはそれをあるときは自虐的に、あるときは母親のいつか来る死を思い、あるときはしげちゃんと喧嘩をし。。。。しかしその中にあるのはしげちゃんへの愛情でしょう。生きている間は、元気でいる間はという気持ちが出ています。
だいぶ前の「つれづれノート」に夏生さんの家の棟上のときにセッセが酔っ払いますが、それを夏生さんは普通のおじさんだと表現していましたが、そう、普通のオジサンなわけでこの本の中でも酒量が増えていく。
せっせにはせっせの生活があり、その中に生きる。読者には読者の生活がありその中に生きる。何も介護が大変だということを書いた本ではありません。毎日の生活の中に生きる一人の人間の姿でしょう。その心にはさまざまなものが沸き起こってくる。けしてきれい事ばかりやしげちゃんへの愛情を美化しない。今の世の中特にネット上には観念論的な美化された言葉が流れそれを下に人を非難する動きもある。同じように生活をしている、そこにこそ喜怒哀楽がある。これを強く感じます。
今回の本では夏生さんが見たしげちゃんとせっせは見えません。せっせのそのままの言葉をそのままに乗せたほうがいいという思いが出ているのかもしれません。それが編集して本にするというある意味せっせへの感謝の気持ちかもしれません。あるいは二人の生活だから二人がどのように生活していくかを見たいというものも?夏生さんご自身も東京に残る娘さん「かんちゃん」と宮崎に残る(東京の学校になじめない)長男「さくちゃん」の間を行ったり来たりの生活。その中に夏生さんの今の生活の中に生きている。
いろいろな生活はそれぞれ一人ひとり違います。
しかしその中には同じ喜怒哀楽がきっとあるわけです。同じものが形を変えて現れるそれが日常の生活です。それをどう生きるか、どうあるときには楽しさにしていくのか。。。。それが大切ですね。
楽しさに変えるという意味では、せっせはこのような通信を書くことで自分を客観視できますし、このような形で本にもなるということに楽しさを感じているのではないでしょうか。自分を客観視することの大切さは、ブログなどでもできるわけです。そんな時間を大切にしたいですね。

【2012年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2013年】ツイッターつぶやき
解雇規制の緩和については時々ネット上でも見かけるが、安倍内閣により本格的に検討されるようである。
しかしこの解雇規制の緩和からの労働力(雇用)の流動化がなぜ必要なのかは見えてこない。誰がどのような理由で必要なのか?
昔から経済の発展段階においてスクラップ&ビルドが必要とされ、急激に発展した競争力のある産業が生まれた場合そこに資本と労働力を移動させる必要があった時もある。もちろんこの時も解雇というのは最後の手段でした。しかし現在はこの経済の発展もなく労働力が足りなくなるような新たな産業は見当たらない。ではなぜ今解雇規制の緩和なのだろうか?
この点で一つの考え方を現している「解雇ルール確立で新陳代謝を 雇用の流動化で新たな雇用を生み出す」という産経新聞のネット記事があった。
多くの経済学者等が解雇規制の緩和・雇用の流動化を言う中でなかなかどこに視点があるのかはっきりしたものが見えなかったのですが、この記事はある意味本音を出しているのでしょう。
経済協力開発機構(OECD)によると、日本は正社員の解雇が先進国で最も厳しく規制され、それが産業活性化に不可欠な雇用の流動化を阻害しているという状況がある。正社員が既得権益化し、非正規社員との待遇格差も生んでいる。 (上記リンク記事より引用)
この情勢の見方は正しいだろうか?
「正社員が既得権益化し、非正規社員との待遇格差も生んでいる。」というが、これは公務員の既得権益と民間を比べて公務員給与などを下げろといった論法に酷似している。日本はもともと正社員数が多く派遣法の改悪により派遣労働の範囲が広がったという経過がある。その過程の中で正社員数は激減をして派遣労働が増え、また非正規社員数全体も増えてきた。それは雇用形態の変化にとどまらずに低賃金化への経過でもあったのではないか。またこの非正規労働だからこそ解雇も自由になったのではないか。「正社員が既得権益化」したのではなくて非正規雇用の様々な労働条件の切り下げであったのではないか。公務員が条件(賃金など)を拡大して民間が相対的にひどくなったのではなくて、公務員はそのままで民間が絶対的のひどくなったのであり、同じように正社員の条件が拡大して相対的に灯式雇用者がひどくなったのではなくて正社員もひどくはなったがそれ以上に非正規雇用者が絶対的にひどくなったという事でしょう。ですから「正社員が既得権益化」という見方は適切ではないし、正社員も非正規雇用者並みにと言っているにすぎないのではないか。
ですから「産業活性化に不可欠な雇用の流動化」というのは、正社員の賃金をはじめ労働環境を切り下げることが産業の活性化につながるという意味にとらええる。
日本の労働者の賃金は正社員も例外ではなくて下がる一方だった。派遣労働の拡大などの非正規雇用の増大は雇用の流動化そのものだったはずです。しかしこのような日本が経済的に成長路線をとれたかと言えばそうではない。リーマンショックからの立ち直りでは一番遅いとも言われてデフレに陥った。このようなこの間の労働政策により企業はその利潤を維持しようとした安易な利潤追求の矛盾が現れているのではないか。まだ正社員という中間層が経済を支える主流となってもいたがその中流層自体を減らしてしまった。
この記事の中身はさらに企業利益維持のために正社員という中間層を減らせという事だろうか?
この記事では「新陳代謝」「雇用の流動化で新たな雇用」という言葉を使う。しかし新陳代謝の必要性はすでに団塊の世代が定年となり始まっていることである。そして年金支給年齢が伸びることによる再雇用が雇用の流動化として始まっている。また、女性労働力の活用も言われており、新陳代謝あるいは新たな雇用という言葉が若い人そして非正規雇用者の正社員化に結び付くかと言えばそうではないだろう。高齢者や女性労働が新たな低賃金層として社会に現れる。その中において正社員の数が増えたり賃上げにつながる保証は何もないでしょう。
より多くの不安定雇用が広がり、多くの労働者は将来を見つめることもできない社会にさらに近づくという事です。
雇用の規制緩和は賃金奴隷を増やすでしょう。

【2014年】ツイッターつぶやき
先日「生産性の低下」というのを書きましたが、人の行動で生産性を上げるとして行われてきた賃下げは実は生産性の低下を招くとすればこれはひとつの皮肉でしょう。しかしこの皮肉こそが経済の法則性ではないでしょうか。保守政党も賃上げを言わざるを得ないというのも皮肉です。
経済活動はもちろん人の行為を通して形作られるのですが、しかしその行動が間違いならば経済はその人の行動に皮肉な答えを出します。結局人の行動は経済の法則にのっとった形でしか自由に行えないのでしょう。
より少ない労働量でより多くの商品を生産できるということはその商品の価値を低下させることができます。今の社会はコンピューター化とロボット化が進んでいるわけですからここからの生産性は飛躍的な発展でしょう。本来ならば労働時間の中でも安い商品を消費できる社会になったということで、安い商品が増えるということは生活費の費用を少なくするのですからそうは賃上げの必要性も薄れていくわけです。そうは成長を求めなくても人々の生活は科学の発達の中で豊かになるはずなんです。こういった社会を作ろうと人の行動が経済に働きかけるならそれは法則性にのっとったものですから人の行動が経済を矛盾なく働きかけることができるでしょう。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
「開花」と言っても桜のお話ではなくて、冬の間に出窓で育てていた松葉ボタンが開花しました。
赤い花が1輪。。。。。
今朝、だいぶ蕾が大きくなっていたと思ったら、帰ってきたら開花していました。
他の蕾もだいぶ膨らんでいますので1週間ぐらいすればいくつかの花を楽しめるようになると思います。
そろそろプランタに移し替えてもよい大きさに育っているのですが、まだ朝晩は冷え込みます。少し窮屈でしょうがしばらくは我慢してもらい4月の気候を見ながら移したいと思います。
先日蒔いた種もたくさん発芽してぽつぽつと松葉ボタンたしい葉が出てきました。
こちらは5月ぐらいちょうどい時期に開化すると思いますのですぐにプランタに移そうと思います。だいぶ多く種をまいてしまい密集しています。半分ぐらい煮まわて移してもよいのかと思っています。
トリニアが発芽しました。
1か月ほどで成長してやはり5月には開花かな。。。。。
松葉ボタンと一緒にプランタに植えるのが楽しみです。でも、ビオラも5月下旬から6月上旬あたりまで元気ですから植え植え付け時期も難しい。フリージアが4月中旬ごろまで策と思いますが、咲き終わってしばらくしたら球根をあげてトリニアを植えたいと思います。
そういえば去年のニチニチソウの小さなものが冬を越して元気になってきました。
これも植え替えねばならない。。。。
なんだかんだと言って忙しいです。
そういえばこのいろいろな花たちは去年の花から種を採ったり小さな芽を植え替えたりしたものですから、今年の夏の花は予算ゼロ円です。


gooお題お題「桜は開花しましたか?」

一輪咲きそうでしたが北風が寒い。。。。。
宵の桜の幻想。。。。
2008年に書いたものがホームページから出てきましたので採録

もう何年前だろ。。。
小さな川を渡った次の駅に
僕は誘われるように
降り立った
どうも不思議なのである
いつもの通勤電車の車窓に
桜の季節になると
ピンクの桜が満開になる
線路から五百メートルぐらいだろうか
小さな川のほとりにその桜は咲いている
しかし。。。。
朝の通勤には見えないのである
きまって宵から夜にその桜は見える
ぼうっと浮かぶようにその桜の木は立っていた
その日も桜が満開だった
暮れる宵の空には
春宵月
オレンジ色の欠け行く月が
ぼうっと低く浮かんでいた
小さな川を渡った次の駅。。。
降り立つと宵の暖かな空気が
僕を包み込んだ
僕はひきつけられるように商店街を抜け
小さな川を探してゆらゆらと歩いた
まだ宵というのに人通りが少ない
すれ違う人の顔が見えない
うつむいているのか。。。。
ぼうっと影のように見えない
やがて小さな川のほとりに
その桜は大きな桜だった
もう夕闇になり
桜は霞むように立っていた
一枚そして一枚と
花びらが散り始めた
僕は見上げた
春の風は心地よい
春の風は花びらを落とす
僕は一瞬めまいを感じた
花びらはさらさらと降る
「こんばんわ」
「いらしてくださったのですね♪」
僕は驚いて後ろを振り向いた
そこには透き通るような女性が
僕を笑みを浮かべて見ていた
「こんばんは。。。。」
白いワンピースがゆらゆらと
それは桜色に染まりつつあった
くるくると舞う
くるくると花びらも舞う
「ハハハハ・・・・」
春月夜に声が響いた
僕は周りを見つめた
そこは小さなお墓が
孤独に立つ墓地だった
僕は春月夜を見上げる
くるくると花びらは舞っていた

【2018年】ツイッターつぶやき
ここ数年3月から5月は野暮用と言っては怒られますが忙しい日々が続いていました。
今年も忙しくなってきた・・・・・・
「野暮用」が済んで帰宅する途中公園の夜桜がきれいでした。
ホッとしますなぁ。。。。。自然の美しさは。
なんだか政治の世界はどろどろとしたものが見え隠れしてきました。当事者の政治家も夜桜でも見て素直に国民のことを考えるべきです。
それができるのは平和と民主主義が発達した社会だけですが、その平和と民主主義を守り発展させるには政治の世界での闘争(国会内でも社会全体でも話し合いを作り上げるという意味において)が必要というのは一つの矛盾ではありますが。。。。。
そんな社会を今年もまた桜の花は見下ろしています。満開になれば雀たちが花の宴。。。。。
たくさんの花たちが生き生きと生長します。

【2019年】ツイッターつぶやき
以下ツイッターから
窮乏化も生存の不安定性にまで突き進む。
日本は先進国ですからこれまでは相対的貧困の度合いが問題になっていた。しかしこれからは相対的貧困の中に絶対的貧困が忍び寄るでしょう。
水道の民営化が行われれば生きるのに必要な電気、ガス、水道が利潤目的となる。絶対的貧困はこの基本的なものにも。
この絶対的貧困が忍び寄る国民の状態としての窮乏化は、同時に中間層の減少ともなり、相対的貧困自体も進む。経済は衰弱をする。この経済の衰弱は企業をも衰退させるだろう。ここにも窮乏化が。国民と企業(生産)に寄生する人々に窮乏化を持続させる政治的力が必要に。ここでも窮乏化は貫徹される。
これまでの発展途上国が内需や社会資本整備により経済の発展を果たしていく中で先進国の資本はその国々に移動する。中国のような発展を果たす国々がこれからも生まれるでしょう。先進国の相対的な退化が必然的に進む。これがグローバル経済の中身である。先進国が相対的後進国となる日が。国民の貧困化
中国はこれまでの先進国とは違う道を通りながら経済的覇権を果たそうとしている。まだ社会主義を言っているが、中身は社会民主主義に向かうでしょう。すでに経済成長を果たした上に内需の拡大による貧困をなくそうとしている。日本やアメリカとの思想的な違いは大きくなるでしょう。
アメリカや日本は、特に日本は冷戦の終結を自由主義の勝利として国民生活の向上を捨てた。
しかしその自由主義がもたらした中身が先のツイートにあるような国家的な窮乏化である。
容赦のない搾取と収奪が経済を発展させるという誤った生産性の向上が言われる。
究極なそして原始的な資本主義の終焉が
資本主義の発展自体の中に生まれる矛盾は、資本主義自体に内包する矛盾である。
一方では経済はより発展を求めることは法則である。
経済が発展しようとする一方において資本主義はその経済の発展を阻害するでしょう。
この根本的な矛盾は止揚される。
資本主義の生産力を残しながら社会的な経済システムを変化させる。貧困を作り出すのではなく、そして格差を広げるのではなく社会的な富の分配を平等に行うこと。これが資本主義が生き残る道であることを示している。これが社会的な新たな経済システムである。
富の平等な分配には政治的な自由と民主主義が作り出される。
資本主義の最終的な発展段階としての社会民主主義は不可欠です。
こうしないと資本主義的競争に勝てなくなる時期が来るでしょう。
真逆な日本が経済力も落ちてきていることで証明している。

このブログでも何度か原発がスクラップ産業だと書いてきました。
再稼働がはじまりましたが、原発の発電は電力会社にとっても重石になっているようです。もちろんまだ原発を使いながら減価償却や利益を得ようとしたり、国策ですから協力をしなければならない。減価償却といってもすでに40年過ぎの原発が多くなっているのですから、減価償却にどのくらい利益を上積みするかを考えているのでしょう。
しかし再稼働をしても原発の赤字は出ているようです。
朝日新聞に「原発支援に補助制度案 経産省」という記事がありました。
どうも原発の安全神話と同時に原発発電は安い電力だという神話も崩れ去ろうとしています。
福島原発の事故処理費用は税金に白電力料金に白国民負担で行われます。また多くの原発で廃炉が廃寺まりますがこの費用も電力料金反映していくでしょう。そのうえ補助制度です。
「消費者や企業が払う電気料金に原発を支える費用が上乗せされることになる」
「直近では、原発の発電量1キロワット時あたり約1・9円を価格に上乗せして売ることができる。日本の電力業界関係者は「赤字の原発が黒字になるくらいのインパクトがある」と分析する。」
(引用)
原発ゼロ状態で大停電は起きませんでした。九州では太陽光発電の受電を電力会社が一時行わないということも置きました。再生可能エネルギーが発展しているにもかかわらず政府は原発の再稼働をする。そしてその原発の維持費用を国民負担とする。
こんなバカげたことが2020年から起きるのです。
Co2削減のための原発であり、そのために補助精度を行うという理屈ですが、詭弁でしょう。原発事故がどのくらい環境を汚染したか。福島には地震や津波にも多くの被害を受けなかった町が死の町になりました。除染をして住民を戻すといっても若い人たちが戻れないような状態です。
Co2削減は何も発電に限ったことではないはすです。再生可能エネルギーの活用システムを構築する方が早いでしょう。そして経済的にも負担は減るでしょう。

【2020年】ツイッターつぶやき
今夜は爆弾納豆にしました。
なんだか物騒な名前ですがうまいです。
具材は。。。。。
納豆、山芋、ネギトロ用刺身、沢庵、わかめ、長ネギ、卵
納豆は小粒がいいと思います。山芋はすりおろします。沢庵は薄く切って千切り。わかめは小さめに。長ネギはみじん切り。卵は卵黄だけ。
これを器に盛り付けて食べるときに醤油か麺つゆをかけて・・・・・ぐちゃぐちゃっと。
酒のつまみにもいいし、アツアツのご飯にのせてもうまいです。
我が家の爆弾納豆の具材は上記したものが定番ですが、ネットで調べてみたら各ご家庭で具材は様々ですね。味付けも含めて具材は無限かもしれません。
キムチや韓国のりを使えば韓国風に。
チーズやオリーブオイルを使えばイタリア風などなど
納豆というものがそれだけ無限の食材に溶け込むということなのかもしれません。
納豆がコロナウイルス対策で取り上げられてから品薄になっていますが、やはり健康食として最高なんでしょう。そこに長いもを入れたりしますから最強の栄養食!ねばねばと言えば、夏はオクラのみじん切りも入れます。

【2021年】ツイッターつぶやき
明日から聖火リレーがはじまるようですね。
菅首相も行かなくなったとか、芸能人や元アスリートとかがリレーを辞退するニュースをぼうっと聞き流していたのですが、明日が聖火リレーの初日とは知らなかった。
福島事故原発では水位が下がり続けているそうです。今日のニュースでは排水路付近で汚染された得体のしれないゲル状のものが見つかったそうです。事故の終息とは程遠い状態である。福島の県民の皆さんを励ます効果はあるでしょうが、心の奥底に重いものをひそめた盛り上がりになるのかもしれません。
完全な形での開催は一般入国者は来れなくなりましたし、オリンピック開催自体が疑心暗鬼の状態です。オリンピック組織自体が女性蔑視などでボロボロ状態で、政治は首相のスキャンダル。
コロナに打ち勝った証どころか緊急事態宣言を解除していた大阪でも250ンほどの新規感染者が出たそうで、宮城県は第四波状態です。東京もまた400人を超えました。
選手団を送る国々でもロックアウト状態の国が。
このような中でマスコミなどで聖火リレーを盛り上げようとすればするほどむなしさが出るでしょう。しかし国民の応援は大きいという判断をしながら7月にずれ込もうとしているのでしょう。

【2022年】ツイッターつぶやき
東京との新規感染者数が先週より400人ほど増加をした。
すぐに増加現象と判断することはできませんが、下げ止まり現象は起きていることは確かでしょう。その下げ止まりも1万人にはならないまでも6千人から8千人程度の高い数字での下げ止まりです。
この原因がオミクロン株の変異株のBA2と呼ばれるウイルスが原因のようです。世界的にも感染防止の規制を解除した国々で再拡大が起きている。アジアにおいても香港や韓国で感染の拡大がけた違いです。東京ではすでに40%ほど置き換わっているようで4月には70%程度になると言われています。
東京でも今後増加現象が起きる可能性があります。
BA2がさらに弱毒化しているのかはわかりませんが、弱毒化しつつ消えていくのか?それとも新たな強毒性のウイルスが現れるのか。
どちらのしても重症者や死亡者は感染が拡大すれば増加していきます。
すでにまん延防止も解除されていますしGo Toも再開するといううわさが出ています。ワクチン接種で乗り切ろうとしているのでしょう。すでに5月過ぎには4回目のワクチンが行われるかもしれません。しかし素手の3回目の接種率は上がりません。人間の体の方が先におかしくなるでしょう。
すると、コロナ対策も野放し状態になりますね。
死ぬ人は死んで無症状者は闊歩する社会に。

【2023年】ツイッターつぶやき
ドイツが4月から残りの3基の原発を順次停止するらしい。
ロシアからの天然ガスを制裁としてそしてパイプラインの破壊により苦しい立場にあるでしょうが、その中で脱原発に向かう。どうも脱原発と同時に脱炭素もすすんでおり再生可能エネルギーとその中での水素エネルギーによりエネルギーを賄うようです。
政治的には脱原発での対立もあるようですが、この対立を乗り越えてきたのでしょう。
その対立を乗り越えるための原発への警戒が福島原発事故にあるようです。
汚染水問題が諸外国から批判され、まだ人が住めない地域を残している。住むにしても不安が残る。
その面では、福島原発事故を忘れようとする再生可能エネルギーも遅々と進まない日本とは違いが大きいですね。
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2024年 3月23日(土)「エンゲル係数」

2024年03月23日 22時35分11秒 | 「政治・経済」
アベノミクスと日銀緩和の成果は、株価の値上がりとエンゲル係数の増加出ったようです。
食費の負担が高くなる原因は円安にもあるでしょう。日銀が2%目標だなんて言っている間に食品は5%から10%値上がりをしている。今日は昼飯が外食でしたが定食が1500円から2500円でした。500円以上は値上がりしていますね。昔はこの店も土日だとヒルはだいぶ待たされていましたが、今はガラガラです。
エンゲル係数が上がる理由のもう一つは、値上がりの上に実質賃金がマイナスだということにもあります。
実質賃金が下がり、食品は値上がりしているのですから、エンゲル係数の上昇カーブは急激になります。
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池に浮かぶ月2196【3月23日】

2024年03月23日 20時31分16秒 | 「池に浮かぶ月」
去年は岸田さんが40億円と必勝しゃもじをもってゼレンスキーさんの所に行きました。
サミットを前に一度ぐらいあっておかねばならなかったのでしょう。まぁ、只ではいけないのでしゃもじと40億円を持って。日露戦争に勝ったことにあやかったしゃもじだそうですが。。。。40億円という金は大きな額で、この額はごあいさつ程度で、ウクライナの復興資金の保証人に。
アメリカを介してもばらまいているのかも。。。

≪去年の今日はこんなことを・・・≫
2023年 3月23日(木)「必勝しゃもじ」

「池の上に月が昇る
その池に写る月は現実の月ではない
しかし現実の月を写したものであることでその池に浮かぶ月も現実である
人間の過去もすでに現実としては存在しない
しかし過去の時間の中で現実であった」
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「3月23日という日」

2024年03月23日 08時09分52秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
アベノミクスと日銀緩和の成果は、株価の値上がりとエンゲル係数の増加出ったようです。
食費の負担が高くなる原因は円安にもあるでしょう。日銀が2%目標だなんて言っている間に食品は5%から10%値上がりをしている。今日は昼飯が外食でしたが定食が1500円から2500円でした。500円以上は値上がりしていますね。昔はこの店も土日だとヒルはだいぶ待たされていましたが、今はガラガラです。
エンゲル係数が上がる理由のもう一つは、値上がりの上に実質賃金がマイナスだということにもあります。
実質賃金が下がり、食品は値上がりしているのですから、エンゲル係数の上昇カーブは急激になります。

≪過去の記事≫

【2004年】
よしもとばななさんの「日々の考え」を読み終わりました。
本の帯には、「赤裸々な裏日記」とありますが、たしかに「いろいろな意味で」(笑)裏日記です。
よしもとばななさんのHPの日記を本にしたものよりもばななさんの内面がよくわかるわかるような気がします。
洗濯物がまったく乾きません。。。。。
なんか、タレントの江角さんが国民年金を納めていないのに国民年金のCMに出ていたことが問題になっているようですね。
でも、酒が飲めないのに酒のCMに出たり、甘いものなんか食べないタレントがお菓子のCMに出たりするのと同じではないかな?違法な宣伝と知っていて出演をするというのは責任はあるが・・・・
江角さんも納めていなかったという点では悪いけど、これだけ国民年金を納めていない人がなぜ増えているのかが問題です。法律で決めたから払えではだめです。その法律が将来の年金不安を作っているのですから。
税金にしても、脱税のニュースがありますし、不公平税制についても語られています。
なんだか、正直者が損をするという時代になっていますからね・・・・
その他もろもろ、国が信用されなくなってきている時代では?
弱者には、税金や年金掛け金など義務は強く言いますが、失業問題などの社会的なものについては、国の責任は自問せずに個人の努力ですから・・・・

【2005年】
テレビを見ていたら、ネットというのは安静にしているときより脳を使っていないそうだ。。。。
老後のボケ(おっと、今は「認知症」というらしい)防止にもネットは良いのかと思っていたのに。。。。
しかしネットのどこが悪いのかというともうひとつわからなかった。
ようは、ネットというものを常に受身のものとしてばかり使っていると悪いのではないのかと僕は思う。テレビでもラジオでも常に受身のなままに情報なりを受け取ってしまう。まぁ、ラジオは、車の運転をしながらとか本を読みながらとか「ながら」的なものがあるのでテレビとは少し違うが。新聞のように読むという脳の行為がないからぼけっと受身になってしまう。ネットも意識的に読み脳の中で情報を処理していけばそうは悪くはないと思うのですが。。。。
また、個人のHPやブログが大変多く作られていますが、こういうものはネットに対して働きかけるものがありますからね。
働きかけるには、本ならば本を読む時間と考える時間、そして感想を書く時間があり、これが前提となってのネットとなる。本だけではなく、日記でも毎日の生活を見つめる脳の働きがある。前頭葉は働いているはずです。
このようなネットに対する働きかけも、まずは自分をしっかり持っていないとだめだと思う。今のように掲示板などを手軽に持てると、働きかけには必ず反応を求めてしまいます。この反応自体を求めるのが先行すると、ネットのもうひとつに問題点である依存症にもかかわってきてしまう。もちろんネットの特徴はコミュニケーションにもあるわけですから、この反応は大切なものです。しかし反応依存症というものにまでなってしまうと自分というものがネットに対しての受身的なものになってしまいます。
むずかしいものですなぁ。。。
結局は、自分をどこまで出せるのかにあります。もちろんすべてを出すことはできないのですが、人それぞれにある生活の違いを見るのではなく、日々考えたり感じたりしている心の動きという共通するものをどれだけお話ができるのかということでしょう。
昔SF漫画にテレパシーというのがありましたが、まさにネットでのコミュニケーションは、テレパシーかもしれない。どこのどいつにつながっているのかわからないテレパシー。。。。ハハハ
しかしつながったところに何かしらの心のつながりができることがあるはず。。。これからも心のテレパシー(HPの更新や掲示板)を送り続けたいと思いますので、どこかで夕螺のテレパシーを感知した方はよろしくです(笑)

【2006年】
(記事なし)

【2007年】
日本酒もいろいろ飲みましたが、今夜飲んだ日本酒は個性的でした。
秋田の酒なのですが、なんとたとえたらいいのか。。。。。
そう・・・味醂!
だいぶ前、酒を買い忘れてそういえば漱石が若い頃味醂を飲んで酔っ払ったという話を思い出し、味醂でもなめてみようかちょっぴり飲んだことがあります。まさに今夜の酒はその味醂でした。
何でだろ?と思いラベルを見たら糖類が添加物として入っているようでした。
もったいないから全部飲みましたが、もう二度と飲みたくない(笑)
娘とドライブに行ってきました。
おいしい米が食いたくなり、去年行った栃木県那須町にある瑞穂蔵というお店です。さっそく今夜炊いてみたのですが、もう新米というわけではないのでしょうがすごくおいしかったです。炊き立てはピカピカ光っていました。
まぁ、米を買うために出かけたわけではありませんが、こういう楽しみひとつあるとドライブもさらに楽しくなります。
遠くの高い山はまだ雪をかぶっていました。
東京も那須も暖かでした。よく晴れていたし初春の風景を楽しめました。

【2008年】
「浮き草」 角田 光代  著
yom yomの前号「こうもり」の続編です。
「こうもり」での槙仁のマンションから消えて1ヵ月後、売れない舞台女優希麻子はテレビドラマのエキストラの仕事を通じた飲み会で林久信と出会う。
そして槙仁との出会いと同じように飲みつぶれて気が付いたら久信のマンションに寝ていた。
久信は、苦労しながらも売れてきたイラストレーターである。
希麻子はそんな久信に本気で恋をする。
しかし、この希麻子の恋はどこに惹かれての恋なのだろうか?希麻子は、今まで関係を持ってきた男とは違うものを久信に見る。それは「成功」した男の魅力?
希麻子にはこの「成功」というものが夢としてはあったが目の前には見えないものである。年に数回黒田という男が主宰する小劇場の舞台に女優として立つ場はあったが、生活はスナックでのバイトやほとんど金にならないテレビのエキストラという生活。希麻子の濃いは、久信という「男としての魅力」ではなく、「成功」への恋であるように思われる。だから久信の「成功」に結婚という形において会社のスタッフという自身の成功を見る。希麻子は必死に久信に働きかける。
「こうもり」での槙仁は、希麻子を「未来を感じない女」と見えた。久信にとっては、希麻子はどんな女に見えたのだろう。
久信は事務所に「有能」な女性を入れる。希麻子はここでも「成功」はしなかった。
「こうもり」で、槙仁は希麻子を見て思う。
「希麻子のいう成功がどんなものかはよくわからないが、(中略)実現するときというのは、不思議なくらい他人が気にならない。(中略)あとはもう、自分しかいない。(中略)」(yom yom2007年11月号53ページから)
「浮き草」においても希麻子は同じ失敗を繰り返す。「優秀」な女性スタッフの悪口を久信に吹き込んで自分を守ろうとした。
久信がその師の言葉として希麻子に言った「すげえって思った、その気持ちの強さだけがこれからの君を引っ張っていく力なんだぞ」(yom yom2008年3月号398ページ)という言葉を希麻子は理解できなかった。だから希麻子には久信がこの師の言葉に涙した意味がわからない。
久信と別れた希麻子は自身を「浮き草」という。
このように見ると、希麻子という女は馬鹿な女だと見えるようである。
しかし、空想的とも言えるような「成功」の夢ではあっても、自分の年齢面やその実力のなさがわかっていても「成功」を夢見る希麻子は憎めない女である。
そして浮き草は浮き草なりに、現実世界に埋没していった槙仁や、成功したにもかかわらず孤独のうちにいる久信よりも希麻子には強さがあるのかもしれない。
「40近いこの女の身軽さはすごい、久信の言っていた『すげえ』とは異なるが」 ((399ページ)
希麻子は自分を慰めるように思う。
希麻子は昼飯を何にするかと考える。
久信のイラストの看板に背を向けて「よし、昼はステーキだな、」と。。。。
もしかしたら、こんな希麻子を見て槙仁や久信も結婚は考えないが、どこかその自由さにうらやましさを感じていたのかもしれない。だから槙仁も久信も自分から分かれようとはいわない。久信は希麻子に職を紹介するし。

【2009年】
(記事なし)

【2010年】
昨夜は、スーパーに天然ぶりのアラがあったのでブリ大根にしました。
ブリの季節。。。?
脂がのっているか心配でしたが。。。。
調味料は、醤油・砂糖・味醂そしてスライスした生姜。少し甘めで、煮詰まる具合を想定した醤油の量です。
大根は輪切りにして煮崩れないように縁取りをして角に丸みを持たせようと思っていたのですが忘れた。でも煮崩れはなかったです。。。。はい。
家族4人で大根1本、ブリのアラ2パック。
ブリ大根は煮汁が煮詰まるぐらいがおいしいので強火でグツグツと。
ぼうっとしていたら煮汁がだいぶなくなってしまい焦げたかなと心配になりましたが、幸いにベストタイミング!
大根も柔らかくて味がしみました。煮汁をからめながら30分ほどそのままにしておくとなお味がしみますね。
分量が多すぎたかと思ったのですが。。。。完食!!
息子がこれぐらいの味が一番うまいと。。。。
家族4人、黙々と箸がすすみました。

西日が落ちていったら急に寒さを感じた。
この春の寒さ。。。。独特な感覚を感じます。
花冷えという言葉がありますが、寒さは冬の寒さとは違いますね。
うん、なんていったらいいのか、柔らかい寒さ。
少しづつ花が咲いてきて木々の枝には新芽の葉が出てくる。
そんなときに少し意地悪な寒さが。春の精の悪戯っぽい柔らかな寒さ。
僕も「うううう・・・・さむっ」と、襟元をおさえます。
見上げれば桜の蕾。。。。思わずニコッとしてしまう柔らかい寒さ。
いつの間にか街灯がついている。
でも、今は夕方6時。。。。
日が伸びました。街灯の明りも柔らかくてきらきら光る。
春落ち葉が歩道に落ちていて踏みつけるとやはり柔らかくカサッと。
夕方の暗い空気が僕を包んでくれます。
「寒いよ。。。。」心の中で問いかける。
春の精はクスッと笑った。。。。柔らかい寒さ。

【2011年】ツイッターつぶやき 

星も隠れ
厚い雲は夕闇にとける

町は静かに
息を押し殺すように

心はどこに
それぞれの巣穴にこもる

どうにかしなくてはいけない
その心は寄り添う
互いに心を発信し
発信された言葉はさまよう
孤独が温かな言葉になり
夜空に上っていく
しかしその言葉はやはり孤独である
その孤独を見つめよう
隣にも孤独がある
言葉は入らない
互いに孤独であることを見詰め合おう

【2012年】ツイッターつぶやき
資本主義の矛盾への批判はまじめなものであった。これはある意味資本主義も真面目だったからである。
冷戦下においての(いや、ソビエトという国ができてからずっとであろう)資本主義は世界の共産主義化に対抗して資本主義的生産の中での生産性の向上や技術革新そして国民生活においても福祉国家というものを確立して対抗をしていた。真面目な資本主義だったのである。
その真面目な資本主義の中において、その発展過程には様々な矛盾が出てきてその批判が日本においては55年体制というものを作り上げた。真面目な資本主義批判だったのである。
政治や経済や平和問題そして人々の暮らしや老後や病気になった時のことなどなどを真面目に対立しながらある程度の福祉国家ができたのである。
詩か、今の資本主義はまじめな議論ができるような段階なのだろうか。もちろんまだ政治や経済での理論は出されているが、すでに商品生産段階の議論から離れて金融政策が主になり、この金融政策に商品生産という社会の基本が翻弄されている。商品生産での収益よりも金融や株式国債などの収益が企業の利潤の多くを占めるようになっている。国家は自国通貨の下げを期待してそれを競争とする。だぶついた金は金融市場をさらに拡大しながらさらにだぶつきを深める。このだぶつく金はもちろん先進国を中心にした資金だが、自国民の生活を引き下げてそして発展途上国の国民からの搾取を強める中に発生する。
金融市場は人の意思による操作に依存して自由主義から離れる。
最悪な場合はだましだまされて経済が動いていくようになる。
どうも真面目に議論できるような資本主義はなくなりつつあるのではないか。
真面目な議論が少なくなると、今のような国会のありさまが生まれて政策論議よりもスキャンダルややらせ的な議論が増える。国民には政財官が政策を呼びかけるのではなくて精神論を呼びかける。
どうも真面目な資本主義ではないのである。
歯車がどうもきしむようになったから油をさして誤魔化していたがだんだんと歯車は噛み合わなくなって歯がこぼれ始めた。この状態はソビエトの崩壊時に似ているのかもしれない。先進国は崩壊していく過程の現れでしょう。。。真面目とは言えない資本主義は。

【2013年】ツイッターつぶやき
    拝啓 銀色夏生様

渋谷の駅を降りるとたくさんの人が
ブラウン運動のように行き交う
その人々は僕をすり抜けるように
激しく運動をしていた
大きな歩道橋を登りそしてうつむきながら下りる
歩道橋の下にはたくさんの車の光
街灯はオレンジ色に光る
歩道橋を下りきった時ハッとした
行き交う人々も止まり
車の音や人々の声も消えた
そこに見えたものは静かな風に揺れる夜桜の花
僕はゆっくりとその桜木々の下を歩いた
動くものは僕と桜の木々
僕は静かな風となって桜の木々を抜けていく
街灯に照らされた花びらが光り輝く
すでに世界は変わっていた

       敬具

素敵な詩の世界をありがとうございました。
日常の風景の中にある心の動きの詩。「詩らしき」詩の世界ではなくて人々の喧騒の世界にあってその喧噪の世界が止まってしまった静かな詩の世界。
朗読も素敵でした。朗読ではない風のような言葉の世界。

【2014年】ツイッターつぶやき
墓参りのため実家に行って来ました。
お袋も連れて墓参りをして実家に帰り昼飯を食っているとお袋が
「このごろ毎日仏壇に朝夕2回はお茶を入れることにしている」
といきなり言い出した。
ああ。。。。そうかぁと思っただけで聞き流そうとしていたら
「また来たんだよ。。。。」と
「えっ?」て答えたら
「彼岸の入りだから帰ってきたんだね」と
「どこに?。。。。」
「台所に行ったらおじいちゃんがステテコと夏の下着シャツを着てお茶を入れて飲んでたの」
「何でステテコなの?」
「そんなの知らないけど、帰ってきてまずはお茶を飲んだみたい」
「だから毎日2回お茶にすることにした。。。。」と
親父が亡くなったときは、四十九日の間の15日に出てきて年金からの小遣いをもらいに来たみたいで、お袋が「あとであげるから」と言ったらすうっと消えたとか、木工職人だったので帰ってきて道具を探し回ってたとか。。。。いろいろと聞いていたので、まぁ、ステテコでお茶を飲みに来たと聞いても不思議はなかった。
そういえば、亡くなったとき僕は左足の股関節から下が痛くて眠れない日が続いていたのですが、四十九日が終わったらぴたっとその痛みが消えた。今朝も起きたら左足にうずくような痛みがあったのでよく考えれば親父が実家に早く来いと言っていたのかもしれない。
オヤジの好物のでかい手作りの牡丹餅を作り仏壇に乗せた。。。。

2010年 3月29日(月)     小走り
いつもの駅に電車から降りた。
いつもと変わらない自動改札機に定期券を入れて改札を出た。
いつものように車が走り、多くの自転車が入り乱れて走っていた。
横断歩道を渡りいつもの道を家に向かった。
そのとき春の空にあなたの声がして僕ははっとした。
はっとした僕はゆっくりと小走りに走り始めた。
あなたの声は先に行き僕はその声に胸が高まった。
朝のうちの雨は上がり薄日が射した春の空だった。
僕の小走りの足の向かう場所は僕は知っていた。
あなたがいる場所は僕は知っていた。
春の空のあなたの声は今年も美しかった。
やっとたどり着くと公園の桜がぱっと開いた。
そしてあなたは桜の木下にたたずんでいた。
こくんとうなずいたあなたは高く舞い上がり春の空に消えた。
春の精。。。。僕は桜の木を見上げていた。

2010年 4月 6日(火)   ウマゴヤシ
この前花の種を蒔いた
なかなか芽がでなかったけど
やっと芽がでてきた
喜んで毎日水をあげたけど
生長した芽はウマゴヤシだった

2010年 4月12日(月) 2   さらば・・・
ミニバラのつぼみに
アブラ虫がついていた
おいしそうに汁を吸っている
あわてて「さらば虫くん」をシュッ、シュッした
ハーブのよい香り
殺虫剤ではないから
去年はあまり効かなかった
「さらば虫くん」と言いながらシュッ、シュッした

2010年 4月12日(月) 3   ほっといて
朝飯を食い終わった
皿などを台所に持っていく
洗い桶に入れて流し台を見たら
水垢で曇っていた
仕方ないので台所洗剤「ほっといて」で磨く
ハーブのよい香りが僕をひきつけた
「ほっといて。。。。」声がした
うん、でも僕は君を
ほっておくわけにはいかないんだ

【2015年】ツイッターつぶやき
物価が下がり続けてデフレ不況となる。そこでデフレからの脱却を物価が騰がることだとして人為的に物価を上げる。しかし物価が騰がるのは大根が100円から120円という貨幣量の変化だけであり、大根の価値自体が上がっているわけではない。1本の大根の価値という面だけではなくて大根の出荷量が多くなるのも価値量の増加である。もちろんこれは出荷量が増えた分消費されて初めて実現される価値量の増加である。
この大根の例と同じように社会全体の生産物の価値量の増加とそれを消費することができる状態でなければ景気はよくならないのである。
今の物価高はどうだろうか?ただ値段という貨幣量が増加をしているだけである。
このような物価高は消費を抑えるばかりである。よってより多くの価値量の生産には結びつかずにむしろせっかく生産できる価値量を消費できないことから景気の足を引っ張るだけである。
やがて消費を第一にみるようになって価格の下落傾向が起きるだろう。
この時通貨安は人為的なものから離れて経済法則にのっとった通貨安となるだろう。すなわち日本の国力が衰えるのである。

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき 
ツワブキの花が咲きました。。。。
こんな詩が銀色さんの詩になかったかな?
と、言っても、今日は花ではなくてツワブキのきんぴらです。
鹿児島産のツワブキをもらったのですが、食ったこともないしどうしたもんだろうと悩みました。
ツワブキは石蕗で、蕗の一種だろうと思い塩ゆでをして灰汁を抜きました。
残り物のちくわが1本ありましたので一緒にきんぴらにしたのですが、うまかった。。。。
普通の蕗よりもエグミというのか旨みが強いですね。
そういえば穴がなかった・・・・
蕗も石蕗も同じキク科のようですが、石蕗には穴がない。
つわぶきは花もきれいですね。。。。。

【2018年】ツイッターつぶやき
ネット上では対北朝鮮関係において日本は蚊帳の外ではないかという懸念が出ている。この懸念はまったくの取り越し苦労だろうか?
ロイターの記事に「微妙な『硬い絆』米国の対日強硬策は円高誘導」という記事があった。直接的な同盟関係の弱体化というわけではないだろうが、日米間の日本側が描く「硬い絆」にわずかなほころびが出ているというのは否めないのかもしれない。もともとアベノミクスそして日銀は円安誘導の色合いが強く、結果的にも輸出産業の株価を上げて輸出も有利になった。この人為的ともいえる円安誘導はいまだに出口は見えない。一方アメリカは出口を模索している。
経済面でのアメリカの保護主義政策の結果は、
「欧州連合(EU)、メキシコ、カナダ、オーストラリア、アルゼンチン、ブラジル、韓国は除外されたが、日本は適用国とされた。そのうえFTA(自由貿易協定)の締結を求めているという。」(上記ロイターのサイトから引用)
軍事面での同盟関係はどうなるのか。
米朝首脳会談が韓国を含めて行われる可能性が大きくなっている。日本はそこに拉致問題も入れてほしいというかまえです。もちろん今のところ日朝協議は日本の国内事情からしてもめどは立たない。北朝鮮はアメリカに達するICBMの開発はやめて短距離のミサイルがの頃こともあり得ない話ではない。
以上のように見ると、日本は蚊帳の外に置かれているというのも全くの間違いではないと言えるでしょう。
安倍外交の成果が言われ続けていますが、結局はカネをまいただけという印象は消えません。韓国と中国との関係はしっくりとしていません。ロシアとの北方領土返還も先が見えない。唯一の良好な関係にあるとされるアメリカとの『硬い絆』がゆるみが出てくると。。。。。。
日本の内政が大きく影響しているともいえます。

【2019年】ツイッターつぶやき
朝起きてカーテンを開けたら
窓に結露が。。。。
出窓を見るとうっすらとした結露の向こうに
どんよりとした空が狭苦しく広がっていた
夜が明けてきたのでベランダに出たら
桜が10輪ほど咲いていた
桜の精が毛糸の帽子をかぶって
空を恨めしそうに見上げていた
つぼみは開きませんなぁ。。。。。
花冷えの今朝

【2020年】ツイッターつぶやき
昨日書いた「ドル不足」の関連です。
現在のドル不足がリフレの論理のように絶対的にドルが不足しているからではなく、ドルがあらゆる市場の中で回転しなくなっているとみれば、これもドル不足という現象になるでしょう。
景気の過熱により貨幣量が足りなくなるという現象はあるでしょうが、今の経済状態でその現象はあり得ないでしょう。貨幣が回転をしなくなるというのは不況期において現れます。これまでも日本経済において円が不足をしているとみて量的緩和を行っても景気は浮上しませんでした。結果は貨幣の回転が悪くなっている中でさらに貨幣量を増やそうとした結果、貨幣は株式や企業利益に回るだけでその貨幣自体も投資先が狭まった中で塩漬け状態です。資本主義においては子供を産まない貨幣は余剰となります。
ですから今のドル不足もどこかでドルの余剰という矛盾が現れるでしょう。その余剰とは子を産まないかねという面で回転しなくなっている状態です。
経済は悪循環を起こして国民生活に必要な商品量を減らしていく。現在マスクが減少してばかげた値段で転売されていましたが、これと同じように商品をバカ高くても買う富裕層がが出てきてっ消費をすれば物価全体がばかげた高騰を見せるでしょう。一方で金があまり一方で商品量が減るという現象がいつハイパーインフレを起こすかわかりません。スタグフレーションの中でのハイパーインフレ。。。。

【2021年】ツイッターつぶやき
コロナの新規感染者数は1都3県で下げ止まりが続いており微増傾向にもなっている。
全国を見るとやはり下げ止まりから微増傾向になっている。これは大阪や宮城など大都市圏での急増が影響しているでしょう。大阪では明らかに増加傾向が表れている。そして宮城県はすでに第四波に入っている。
大阪と宮城県については、大阪では急に緊急事態宣言を解除した影響があったでしょう。
宮城県については先の地震の影響も若干あったでしょうがGo Toイートキャンペーンが大きく影響したと思われます。
1都3県は22日から緊急事態宣言が解除されましたが、今後1週間から2週間後に新規感染者数がどうなるかが心配です。
そろそろGo To再開かという声が聞こえ始めていますが、宮城県の実態を見れば全国的な第四の波は避けられないのではないか。緊急事態宣言は下げ止まりで維持ぐらいの防止策になっていましたが、解除後もそうは変わりのない状態だと思いますので下げ止まりから微増程度かもしれません。ただし緊急事態宣言の解除後時間がたつほど感染者は増加していくでしょう。

【2022年】ツイッターつぶやき
日本とウクライナは地理的には遠い国です。
でも、何か共通するところがあるような気がする。
日本もウクライナもアメリカの軍事戦略の最前線ということです。
中東におけるイスラエル。
ヨーロッパにおけるウクライナ。
アジアにおける日本。。。。。。
こういった役割を見るのは間違いでしょうか。
日本の右傾化と軍事的な役割の強化が目立っています。その仕上げが改憲です。
アメリカとの安保条約がありますが、それは日本をアメリカが守ってくれる大事な条約のようですが、安倍総理時代にそれが大きく変わりました。日本はアメリカの国益のための戦争に参加するための軍事同盟化がすすめられました。
日本が他国の脅威と判断された場合、それはアメリカの代理戦争になるでしょう。他国が日本を脅威とするという陰にはアメリカの脅威を感じているのです。
ウクライナのNATO加盟、日本のアメリカとの安保条約での軍事同盟化。。。。
日本とウクライナは遠い国ではない。

【2023年】ツイッターつぶやき
岸田さんがウクライナを訪問したらしい。G7で行っていないのは日本だけだったようです。
サミットを前に顔ぐらい出さなければならなかったのでしょう。
必勝しゃもじと折鶴のランプをお土産に、40億円包んで奉加帳のようなものにサイン。。。。。。
40億円は「気持ち」で実際は総額7400億円とも言われている。
必勝しゃもじと折鶴のランプは激励と平和を祈念するためらしいが、日本は和平交渉を放棄するよう働きかけたようなもんです。時を同じくして中国の習さんがロシアに行きましたが、習さんは和平でした。自らを民主主義国として中国を反民主主義国というような見方をしていますが、。。。。。。。
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2024年 3月22日(金)「ハイブリッド車」

2024年03月22日 22時14分03秒 | 「思うこと」
今や電気自動車が主流になりつつありますね。ヨーロッパですべて電気自動車になるという。
アメリカでもテスラが強くなり、日本でも電気自動車の性能を示すコマーシャルがはじまっている。
一方では、日本はハイブリッド車が主流になっている。
この中で、アメリカではハイブリッドの人気がまた始まっているようです。
電気自動車も航続距離が身近いし、クリーンな車だと言われていますが、電気を作るにも環境破壊もあるし、一度事故が起きれば取り返しのつかない原発が必要になる。
電気自動車も進歩するでしょうし、ハイブリッドも進歩するでしょう。
今のところは両方が併存するしかないでしょ。
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池に浮かぶ月2195【3月22日】

2024年03月22日 20時44分15秒 | 「池に浮かぶ月」
資本主義は、一部の投資関連や企業に金が集まりすぎて、その経済を維持するために国民生活を貧困化させるしかなくなっている。
軍需産業と戦争。。。

≪去年の今日はこんなことを・・・≫
2023年 3月22日(水)「銀行不安」

「池の上に月が昇る
その池に写る月は現実の月ではない
しかし現実の月を写したものであることでその池に浮かぶ月も現実である
人間の過去もすでに現実としては存在しない
しかし過去の時間の中で現実であった」
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