弘道館のなかでロマンを感じる梅が咲き始めました。それは座論と臥竜梅です。
座論1601110053 posted by (C)雑草
臥竜梅1601110073 posted by (C)雑草
弘道館の臥竜梅は幹が倒れたように地面に横たわっています。
臥竜梅1601110072 posted by (C)雑草
臥竜梅1601110062 posted by (C)雑草
弘道館には臥竜梅が4本あります。いずれも一重の白花です。どの木も幹が倒れたようになっています。これについては座論梅と関連あるのかなとおもいます。
一方偕楽園の臥竜梅にはいくつか種類があります。
大きく分けると一重の白花と紅花。八重の白花と紅花と4種類です。
幹は弘道館のように倒れたのはありません。一重の紅白とも空中でくねくねとしていますが、倒れて地につくほどではありません。植木屋さんの剪定でくねくねさせたのかとも思ってしまいます。
八重の紅白は普通の梅の木の枝振りです。木の様子からは臥竜梅とは気が付きません。この八重の紅白は瑞巌寺の臥竜梅をいただいたことははっきりしています。
このように臥竜梅は弘道館と偕楽園では全く違う種類かと思われます。同じく座論梅も弘道館と偕楽園では全く別の品種
と思われます。
座論1601110053 posted by (C)雑草
上の画像は弘道館の咲き始めた座論です。
弘道館の座論は雌しべは1本しかありません。
偕楽園の座論は雌しべが3本ある花がかなりの頻度で出現します。
座論梅は宮崎県に国指定天然記念物の湯の宮座論梅という樹齢600年の梅の木があります。写真で見るかぎり雌しべは1本しかないようです。この点では弘道館の座論と同じです。
座論の由来については、「ザロミ」という梅の種類から名付けられたとも、また、徳川時代に佐土原、高鍋両藩の間に梅林の所有争いが起こり、両藩士がこの地で出会い座して論議したので座論梅となったものと伝えられる。とあります。弘道館の座論はこの流れのほうの梅なのではないかと思われます。
もしそうだとすると、さらに想像の翼を広げると、湯の宮座論梅は「元は1株であったものが横に伸び地について新しい株となり次々と繁殖して、現在80株になったものである。」とありまして、これも写真で見る限りでは弘道館の臥竜梅の横たわった幹によく似ています。弘道館の臥竜梅は一重で雌しべは1本です。
偕楽園の臥竜梅は先に記したように、八重咲で白花と紅花の2種は、豊臣秀吉の朝鮮出兵のときに伊達正宗が持ち帰ったという瑞巌寺の臥竜梅に間違いありません。一重の白花と紅花は来歴はわかりません。
では弘道館の一重の臥竜梅はどこから来たのか、湯の宮座論梅の可能性もあるかもしれないと思うのです。それは湯の宮座論梅が神武天皇ゆかりの木ということですから、大日本史を編纂している水戸にとってはぜひとも植えてみたい木ではなかったでしょうか。
薩摩から霧島ツツジ、仙台から宮城野萩、京から孟宗竹が贈られたなどの例を考えると、座論梅もしかるべきものが贈られたことが十分考えられます。つまり湯の宮座論梅=弘道館の臥竜梅、そして座論梅はその若い木なのかもしれませんね。
弘道館と偕楽園、そして座論梅と臥竜梅がいろいろなロマンを醸し出してくれる水戸の梅です。
さて弘道館でひときわ美しい八重松島が咲き始めました。弘道館内の売店の前です。
八重松島1601110078 posted by (C)雑草
八重松島1601110075 posted by (C)雑草
八重松島1601110074 posted by (C)雑草
また名前がわかりませんがこれまた美しい梅の花が咲き始めました。料金所から入場して建物右手の井戸の近くです。
梅A-1921601110063 posted by (C)雑草
烈公梅の蕾がふくらんできました。
烈公梅1601110058 posted by (C)雑草
烈公梅はもとは孔子廟近くにあった木で、どの種類の梅の花にも似ていない独特の花であったので、烈公梅と名付けられたと聞いています。ここに植えられている木は水戸徳川家より贈られたそうです。
花弁が細くてすきまがあり、こぶりの花です。
中国の香格里拉野梅は白花ですが、形はよく似ているように雑草は思います。
孔子廟には孔子ゆかりの楷の木も植えてああるので、梅はもともとは中国渡来ですが、日本にはなかった木がここに植えられたとしても不思議ではないように思いました。
湯の宮座論梅についてはこのアドレスから引用しました。
http://www.gurunet-miyazaki.com/kankouti/kenou/zaronbai/zaronbai.htm
偕楽園の好文亭内の一流が咲いていました。去年2015年の咲き始めは2月7日ですから1か月は早い。
一流好文亭1601110084 posted by (C)雑草
一流は好文亭内にしかありませんでしたが、たしか東梅林に新しい一流が植えられていたと思います。
座論1601110053 posted by (C)雑草
臥竜梅1601110073 posted by (C)雑草
弘道館の臥竜梅は幹が倒れたように地面に横たわっています。
臥竜梅1601110072 posted by (C)雑草
臥竜梅1601110062 posted by (C)雑草
弘道館には臥竜梅が4本あります。いずれも一重の白花です。どの木も幹が倒れたようになっています。これについては座論梅と関連あるのかなとおもいます。
一方偕楽園の臥竜梅にはいくつか種類があります。
大きく分けると一重の白花と紅花。八重の白花と紅花と4種類です。
幹は弘道館のように倒れたのはありません。一重の紅白とも空中でくねくねとしていますが、倒れて地につくほどではありません。植木屋さんの剪定でくねくねさせたのかとも思ってしまいます。
八重の紅白は普通の梅の木の枝振りです。木の様子からは臥竜梅とは気が付きません。この八重の紅白は瑞巌寺の臥竜梅をいただいたことははっきりしています。
このように臥竜梅は弘道館と偕楽園では全く違う種類かと思われます。同じく座論梅も弘道館と偕楽園では全く別の品種
と思われます。
座論1601110053 posted by (C)雑草
上の画像は弘道館の咲き始めた座論です。
弘道館の座論は雌しべは1本しかありません。
偕楽園の座論は雌しべが3本ある花がかなりの頻度で出現します。
座論梅は宮崎県に国指定天然記念物の湯の宮座論梅という樹齢600年の梅の木があります。写真で見るかぎり雌しべは1本しかないようです。この点では弘道館の座論と同じです。
座論の由来については、「ザロミ」という梅の種類から名付けられたとも、また、徳川時代に佐土原、高鍋両藩の間に梅林の所有争いが起こり、両藩士がこの地で出会い座して論議したので座論梅となったものと伝えられる。とあります。弘道館の座論はこの流れのほうの梅なのではないかと思われます。
もしそうだとすると、さらに想像の翼を広げると、湯の宮座論梅は「元は1株であったものが横に伸び地について新しい株となり次々と繁殖して、現在80株になったものである。」とありまして、これも写真で見る限りでは弘道館の臥竜梅の横たわった幹によく似ています。弘道館の臥竜梅は一重で雌しべは1本です。
偕楽園の臥竜梅は先に記したように、八重咲で白花と紅花の2種は、豊臣秀吉の朝鮮出兵のときに伊達正宗が持ち帰ったという瑞巌寺の臥竜梅に間違いありません。一重の白花と紅花は来歴はわかりません。
では弘道館の一重の臥竜梅はどこから来たのか、湯の宮座論梅の可能性もあるかもしれないと思うのです。それは湯の宮座論梅が神武天皇ゆかりの木ということですから、大日本史を編纂している水戸にとってはぜひとも植えてみたい木ではなかったでしょうか。
薩摩から霧島ツツジ、仙台から宮城野萩、京から孟宗竹が贈られたなどの例を考えると、座論梅もしかるべきものが贈られたことが十分考えられます。つまり湯の宮座論梅=弘道館の臥竜梅、そして座論梅はその若い木なのかもしれませんね。
弘道館と偕楽園、そして座論梅と臥竜梅がいろいろなロマンを醸し出してくれる水戸の梅です。
さて弘道館でひときわ美しい八重松島が咲き始めました。弘道館内の売店の前です。
八重松島1601110078 posted by (C)雑草
八重松島1601110075 posted by (C)雑草
八重松島1601110074 posted by (C)雑草
また名前がわかりませんがこれまた美しい梅の花が咲き始めました。料金所から入場して建物右手の井戸の近くです。
梅A-1921601110063 posted by (C)雑草
烈公梅の蕾がふくらんできました。
烈公梅1601110058 posted by (C)雑草
烈公梅はもとは孔子廟近くにあった木で、どの種類の梅の花にも似ていない独特の花であったので、烈公梅と名付けられたと聞いています。ここに植えられている木は水戸徳川家より贈られたそうです。
花弁が細くてすきまがあり、こぶりの花です。
中国の香格里拉野梅は白花ですが、形はよく似ているように雑草は思います。
孔子廟には孔子ゆかりの楷の木も植えてああるので、梅はもともとは中国渡来ですが、日本にはなかった木がここに植えられたとしても不思議ではないように思いました。
湯の宮座論梅についてはこのアドレスから引用しました。
http://www.gurunet-miyazaki.com/kankouti/kenou/zaronbai/zaronbai.htm
偕楽園の好文亭内の一流が咲いていました。去年2015年の咲き始めは2月7日ですから1か月は早い。
一流好文亭1601110084 posted by (C)雑草
一流は好文亭内にしかありませんでしたが、たしか東梅林に新しい一流が植えられていたと思います。
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