マチンガのノート

読書、映画の感想など  

知的能力と心理臨床と発達障害

2013-04-15 00:27:04 | 日記
心理臨床などでは、クライアントの言っていることの先のことや、
言うことで隠している、防衛している裏側の事を推理して、解釈、助言することが
多いのではないだろうか。
知的能力が高い心理臨床家ほど、その様なものを推論して、相手に対応するのではないだろうか?
その様なことをすればする程、畑中千紘氏の言う、換喩でしか表現できない
主体の無さから遠ざかり、融通の利かなさ、想像力のなさに対して何かを理由として
想定して、対応しているのではないだろうか?
その様な対応は、主体の無い相手に対して、言いがかりや、身に覚えのない非難として
受け取られてさらに相手を追い詰めているのではないだろうか?
日本ユング心理学会(AJAJ)のジャーナル「ユング心理学研究」第3巻の「魂と暴力」(ユング心理学研究 第3巻)
の中の、、渡辺あさよ氏の研究論文「発達障害における『イメージと言葉の解離』の中に、
クライエントの言葉として「強制労働」というのが出てくるが、自分が主体的に何もできない事を
換喩で言っているのに、その内容を理由として、「だからあなたは上手くやれない、適応できない」
などと言われて、追い詰められるので、「強制労働」としてしか物事をできないのでは
ないだろうか?
草木を育てるのに、日光、水分、養分をどんどん投入すると、逆に枯れてしまう。
適度な環境に保って、育つのを待つ以外に適切に育つことはない。
それと同じことが、発達障害の臨床に必要ではないだろうか?