マチンガのノート

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「あまのじゃくと精神療法」 小林隆児 その2

2015-08-04 01:01:54 | 日記
自閉症、発達障害の臨床でよく出てくる
「知的に高いが感情表現の乏しい母親」などは、
自分が周りに甘えず独力で努力してきたので、自分の子供の対しても
甘えさせない、甘えさせ方が解らない、とのことで
子供との情緒的交流が成り立ちにくく、子供も安心して甘えれないので、
常に自分で対処しようとして、不安やストレスが強く、
また年齢による理解力の限界から、対処の仕方が解らず、
様々な独特の行動につながるのだろう。
治療者に必要とされるのは、「心細く甘えたがっている」
ところで、なんらかの方法で安心を与え、次に何かをしようと思うだけの
余裕を与え、そしてどのようにすればいいのかを解りやすく示す
ことではないだろうか。
「甘える」というのは、言語、行動、情動が未分化なところなので、
マイケル・バリントのいう、「新規蒔き直し」や、
様々なところで言われる、外的世界と自己身体を分節化しなおすための
必須な条件ではないだろうか。

「あまのじゃくと精神療法」 小林隆児

2015-08-04 00:43:21 | 日記
この著書の中で、木村敏の言う、
「リアリティ」と「アクチュアリティ」の違いに触れられている。
「リアリティ」は事物に関する静的な現実で、「アクチュアリティ」は
動きや行動などの活動中の現実で、関与している人が行動で対処するしか
無いものを指すとのことだ。
日本語の「甘え」は、明らかに後者だが、日本語以外には無い言葉、
表現なので、その動きについては、外国の文献を読んでも
ほとんど触れられていないか、解りにくい記述で伝わりにくいのでは
ないだろうか。
日本語にはせっかく、「甘える」「甘えさせる」などのアクチュアリティを
表現することばが多くあるのだから、臨床家は様々な臨床場面で見たことを、
「甘える」「甘えたがる」などの表現を使って記述するほうが、
患者とその周りとの関係で何が起こっているかが伝わり、
役に立つのではないだろうか。
「甘えれないから心細い」「甘えれないからフラストレーションを感じている」
などの記述の仕方をすれば、その後に起こる様々な事が
理解可能になるのではないだろうか。