延安で撮った写真と思われます。子供が生まれています。これは私が記念館のパネルを撮影したものです。同じ写真はインターネットでも出ています。これももちろん卓林です。
卓林は、延安に入る際に使った仮名で、本名は蒲キョウ(王+京)英といいます。1916年生まれで、1904年生まれのトウ小平とは一回り歳が違います。彼女は雲南省の豪商の家に生まれ、1936年に北京大学物理学科に入学した才媛です。中国西南地方から北京大学に入学した第1号だったようです。彼女は1937年に延安入りしています。そして1939年に人の紹介でトウ小平と結婚し、爾来58年の結婚生活を続けることになります。
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今朝の上海はやはり薄い靄です。湿気が高いからでしょう。予報は曇りがち、最高温度は33度となっています。梅雨入りはしていますが、雨はあまり降りません。梅雨前線は大分南にあるようで、福建、江西地方で豪雨により死傷者がでています。上海世博の昨日の入場者数は41.5万人でした。
トウ小平記念館の展示物紹介のつもりでしたが、昨日の5枚目のトウ小平新婚時代の写真に興味を示された読者がおられ、メールのやりとりをし少し調べたので、今日はそれを紹介します。
最初は昨日の5枚目の写真と同じ日に撮られたと思われる写真です。右側はもちろん昨日と同じトウ小平の3度目の夫人卓琳です。インターネットで採りました。着ている服が同じですが、これは笑っていて表情が違います。この場面の写真は何枚かあります。
トウ小平は3度結婚していて、最初は1928年に結婚した張錫アイ(王+愛)です。上海で結婚して、当時周恩来トウ穎超夫妻と親しい交流をしていたそうです。、彼女は1930年に難産により亡くなりました。生まれた女児も母親のあとを追って亡くなっています。
二人目は1931年に結婚した金維映で、二人は上海で知り合いましたが、江西省の解放区で共に行政で活動したようです。しかし李維映は政治路線で急進派の立場をとり、1933年に離別しています。そして、彼女は1933年冬に当時の党中央組織部長だった李維漢と再婚し、1936年李鉄映を生んでいます。李鉄映は江沢民が主席だった時代に政治局員にまでなった人です。李鉄映がトウ小平とこんな関係にあったとは驚きです。私にとって新しい発見でした。張維映はその後病気治療でソ連に送られ、1941年ドイツ軍の爆撃で亡くなっています。
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トウ小平記念館の展示物紹介のつもりでしたが、昨日の5枚目のトウ小平新婚時代の写真に興味を示された読者がおられ、メールのやりとりをし少し調べたので、今日はそれを紹介します。
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トウ小平は3度結婚していて、最初は1928年に結婚した張錫アイ(王+愛)です。上海で結婚して、当時周恩来トウ穎超夫妻と親しい交流をしていたそうです。、彼女は1930年に難産により亡くなりました。生まれた女児も母親のあとを追って亡くなっています。
二人目は1931年に結婚した金維映で、二人は上海で知り合いましたが、江西省の解放区で共に行政で活動したようです。しかし李維映は政治路線で急進派の立場をとり、1933年に離別しています。そして、彼女は1933年冬に当時の党中央組織部長だった李維漢と再婚し、1936年李鉄映を生んでいます。李鉄映は江沢民が主席だった時代に政治局員にまでなった人です。李鉄映がトウ小平とこんな関係にあったとは驚きです。私にとって新しい発見でした。張維映はその後病気治療でソ連に送られ、1941年ドイツ軍の爆撃で亡くなっています。
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