北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【G3X撮影速報】百里基地航空祭2023【6】そのもの蒼き衣をまといて金色の野に降り立つべし(2022-12-04)

2024-05-02 20:23:59 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■茨城か茨木か!F-2決戦!
 百里基地航空祭速報が延々と続きましたが今回でいよいよ大団円というところです。

 茨城か茨木か。このF-35戦闘機の向こうを飛行するF-2戦闘機の機動飛行は頂上決戦という装いで行われていまして、茨城出身の操縦士と茨木出身の操縦士の勝負という。ちなみに茨城は”いばらき”で茨木は“いばらぎ”、阪急特急が停まるのはここ。

 茨木がんばれえご近所さーん、という声が最前列の一角から響くとレンコン式とかクラスター干しイモとか鮟鱇鍋とかで武装した北関東連合軍に袋叩きにされてカメラを強制的にミラーレスに買い替え、というようなことはなく、でも聞き違えるよねえ。

 F-35戦闘機にはローターが二つ付いているように見えますが、これこそが護衛艦かが艦載機として垂直離着陸する最新鋭F-35B戦闘機、というわけではなく三沢基地の第301飛行隊F-35Aの真後ろに入間ヘリコプター空輸隊CH-47ヘリコプターの重なり。

 百里基地には茨城県出身の操縦士と共に大阪府茨木市出身の操縦士がいるのかあ、と感慨深い所です、そして茨木出身の方も奮戦したのですが、評価によれば茨城の勝ち、茨城の空は守られたという。ううむ、ウォッカ飲み比べならば参戦して応援するのに。

 F-2戦闘機の旋回と筑波山を背景に撮影してみました、ここ百里基地というのは午前中順光で午後から逆光になってゆくのですが、快晴でさえあれば筑波山の稜線がくっきりと浮かび上がりますのでその借景と共に航空機を収めると印象的な構図となります。

 狼と香辛料、その麦畑の麦帆みたいな情景のススキを背景に着陸を開始したF-2戦闘機、そうか逆光だとこういう構図も成り立つのだなあと感慨深い。考えてみると桜の花々なんかも逆光の方が花の色が透けて逆にきわだつものですから、と妙に納得してしまう。

 風の谷のナウシカっぽい、F-2戦闘機がこんな黄金色の大地と共に描いたミリタリーワッペンに“そのもの蒼き衣をまといて金色の野に降り立つべし”と文字をかいたものがありましたが、そうかこういう感じなんだ、と変に昔買い逃したのワッペンを思い出しました。

 ヴァイパーゼロとも云われるF-2戦闘機ですが、救難のブラックホークも同じ海洋迷彩でしたか、すると、“そのもの蒼き衣をまといて金色の野に降り立つべし”という構図はヘリコプターでも成り立つのですね。現場で気づけばそういう構図で撮れる。

 そのもの蒼き衣をまといて金色の野に降り立つべし、ああコンクリート上に到達してしまった、もう少し早く気づいていれば色々な構図も撮影できたのになあ、と思う。ススキが黄金色になっている狼と香辛料みたいな季節でこそ撮影できる構図、と。

 シンゴジラでもレーザーJDAMをゴジラに命中させてゴジラの信仰進路をじゃっかん変えさせた描写で知られる第3飛行隊のF-2戦闘機、こうずらりと並んだ海洋迷彩を、飛行展示が終了したという事で撤収と共に様々な角度から航空機を撮影する事とした。

 状況終了、全ての飛行展示が終了しました。FSX日米共同開発は、日米外交史を考える一つの試金石として、大学時代にはアメリカ外交研究の先生にいろいろと話をお教えいただく機会があり、元首相補佐官の方や元大蔵省主計官の方へ探訪したものでして。

 F-2戦闘機はわたしにとり好きな戦闘機です、それは開発経緯と共に配備後の運用まで関心が及びまして、そのなかで冷戦時代に北海道防衛を担った第3飛行隊の航空祭を、快晴の空と共に撮影出来まして満足満喫の上、惜しみながら石岡駅へと撤収しました。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【京都発幕間旅情】榛名さんの総監部グルメ日誌-岐阜・西岐阜,三層蕎麦は戦艦敷島と巡洋艦鹿島のような地名

2024-05-02 14:11:06 | グルメ
榛名さんの総監部グルメ日誌
 香も歯応えも凄く美味しいというか旨いと表現する方が相応しい蕎麦の話をしましょう。

 かしま、と聞きますと練習艦かしま、近海練習航海訓練などで神戸や大阪入港の様子を思い出されるところでしょう、ただ、鹿島という地名も多い。岐阜県岐阜市には鹿島町という地名があって、その隣が敷島町という、戦艦敷島と巡洋艦鹿島のような。

 蕎麦屋、有名な鏡島弘法大師のお寺の近く、いや東海道本線西岐阜駅から線路沿いに東へ向かったあたりに、ちょっと面白いお蕎麦屋さんがありまして、これもCOVID-19の前には長良川を渡ったあたりにもう少し大きな店舗を構えていたんですが。

 三層そば、というのを名物にしている。どうやっているか、ものすごい手間だと思うのですが目を凝らしてじっと見ると蕎麦の表面が、真ん中に濃緑の一層を挟んで三層になっているお蕎麦です、歯ごたえとのど越し、多層式にすることで両方愉しめる。

 天麩羅を、せっかく遠くまでお蕎麦を頂きに来ましたのでつけていただくのですけれども、海老天の定番にトウモロコシの素揚げから南瓜にかき揚げにサツマイモから獅子唐まで一通りそろっていまして、ただ三層そばは延びやすく先ずは蕎麦をさっと。

 蕎麦は大盛で、特盛も出来るのですがものすごい量だという事で、後々の事を考えて先ず美味しくいただける量というのがさっといただける量、山葵は出汁に溶かすのではなく葱は出汁に入れるのではなく蕎麦に載せるもの、という意味をここで知りました。

 手繰るという言葉があるけれども、伸びる前にさっと頂くとともに、蕎麦の香り、これがほんとに食した瞬間に鼻に抜けるんですね、これをちょっと香り変えるために山葵や葱を使うのだから出汁に溶かすんじゃあない、無限に、三類型を愉しめるのです。

 伊豆半島発祥という三層そば、敷島慎“、というお店です。出汁は多めに蕎麦徳利に収められているので、これも蕎麦湯で溶かしこんで、なぜかついてくる大量の胡麻を蕎麦湯とともにふっと指でつまんで出汁へ載せ、胡麻の風味を最後に添え、満足感で〆ました。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【京都幕間旅情】真如堂-観桜,頷きの阿弥陀奉じる鈴聲山真正極楽寺は長大な歴史とそして桜に包まれる

2024-05-02 07:01:41 | 写真
■真如堂のさくら
 桜の季節は去ってしまいましたが春の情景をもう少しだけ紹介してゆきたいのですね。

 真正極楽寺、真如堂。ここは京都市左京区浄土寺真如町、有名な金戒光明寺に隣接し、如意ヶ嶽の大文字といった風景が見えます一際高い一角は観桜の浮かれた季節には有名ではないのかもしれませんが、実は凛とした桜並木が静かに拝観者の探訪を迎えています。

 鈴聲山真正極楽寺、正しくはこのように称します山号の寺院は不断念仏の道場となっていまして、戒算が比叡山を降りて創建しました寺院、ただその場所は転々としていまして、江戸時代中期に現在の位置に安置されたという複雑な歴史と共にある寺院でもあるのだ。

 頷きの阿弥陀、東山に面したこのあたりには不思議な仏像を安置する寺院は多く、頷きの阿弥陀は空海に師事した慈覚大師円仁が一刀三礼にて彫刻とされるものです。こちらは夕方までであれば本堂が開かれていまして、自由にお参りする事が出来るというところです。

 比叡山の修行者の本尊となりたまえ、円仁さんはこう仏像に祈りましたがこの際に仏像が首をふって断ったという逸話があり、では京の都に下り一切衆生の特に女性たちをお救い下さい、こう問うたさいに頷かれたということで頷きの阿弥陀、こう呼ばれるようになる。

 三重塔、さくらはそう歩いてみますと多そうに見えまして実はそうではないのですけれども、考えてみるとここは紅葉が美しいということで秋と冬にも拝観に探訪するのですから、椛の美しい画角はさくらが植えていないのだと当たり前のことを考えるのです。

 EOS-M3,予備機となっていますカメラを久々に動員しての撮影です。EOS-M-3はいろいろいいたいことがあるカメラですが、期待していたEOS-M5がもっと駄目なカメラでしたので、やはりCANONは一眼レフは凄くてもミラーレス一眼はまったくだめだなあ。

 M-3でもよい情景を撮ることができる、ということを示すために、ということもあるのですがなにより少しだけ小型のM-3ですと気兼ねなく昔のコンパクトかバッグに差し込んで、そのまま散策できるという。こういう気軽さというものは大事なことなのだ。

 本堂と桜の花々、堂宇というものは基本的に深い黒色ですので手前の桜花を中心に撮りますと塗りつぶされたような構図になってしまいますし、堂宇とともにその伽藍を中心に構図を決めますとどうしても桜花々が白跳びしてしまう、その分水嶺はどのあたりか。

 映画発祥の地、ここはマキノ映画が初めて撮影しました場所となっていまして、考えてみると日本の映画というものは京都から始まったということになるわけです、古都、という響きを考えますと保守的な印象があるものの、やはり京都は先進的な点が多い。

 映画、もっとも初期の映画はフィルムが劣化しやすく残念ながら現存しているものは少ないというよりも複製に成功した例外的なものしか存在しないといい、大昔のここで撮影した作品の現存は聞かないものでして、この点は少し残念でもあるのですが。技術の限界だ。

 フィルムにセルロイドを用いた関係で上映の際に映写機での熱、放電を利用したアーク灯を使っていた時代もありますのでよく燃えたらしく、たとえば嵐山の大河内庭園などはフィルムと違い失われない美しさを求めて造営されたという映画人の嘆きもあるのですが。

 キャメラを、敢えてカメラといわない、寺院に持ち込む際には門前で黙認のかたちで撮影させたということで青蓮院さんなんかは有名になっていますが、ここは寺域での撮影を許したという。もっとも、マキノ映画は等持院を拠点に活動していました故に不思議ですね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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