北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【M-5撮影特報】中部方面混成団創設17周年記念大津駐屯地祭,事(2024-04-27)

2024-05-16 20:24:26 | 詳報 陸海空自衛隊関連行事
■中部方面混成団祭
 ゴールデンウィークの序章という季節に行われました大津駐屯地祭の観閲行進の様子その続きを掲載しましょう。

 自衛隊はかつて新隊員という制度がありまして、そのむかしは誰でも試験を受けて合格しますと新隊員となれたわけですけれども、現代では自衛官候補生という身分から始まります、そして昔は曹候補士という制度があったのですが、いまは曹候補学生、と。

 曹候補士と曹候補学生、文字ではよく似ているのですが全く異なる制度でして、昔ありました曹候補士では、どんな状況でもいつかは陸曹に昇進できるという一種の終身雇用制度でした、これが曹候補学生となりますと七年以内に昇進できなければ退職という。

 七年以内というのは長いようで実は、例えば五分の遅刻が数回重なりますと昇進に影響する、と言いますか陸曹に昇進できる枠が予め決まっていますので、しかも遅刻というのが課業外の時間、夕方の外出などでも門限があり帰隊遅延というのがおこりうる。

 課業開始時刻に遅刻するならば懲罰ものというのは理解できるのですが、交戦中の軍隊が占領地にいるわけではないのですから課業時間外に門限や遅刻を設定すること自体、これが日本社会では普通としていけ入れられるのかなあ、という印象があるのです。

 陸曹は、しかしその分選ばれているといいますか、もともと日本の下士官は世界一という評判、なにしろ沖縄戦では2個師団で42万の米軍相手に大立ち回りしたのだから、こういう評判がある通り、今の自衛隊の陸曹の水準も高いことは確かなのですが。

 観閲行進の装甲車両は、過去の大津駐屯地祭と比較しますと過去には中部方面混成団の隷下部隊であり即応予備自衛官主体の第47普通科連隊と第49普通科連隊が、それぞれ海田市と豊川からまとまった車両を派遣していましたが、今年少ないのは残念だ。

 能登半島地震災害派遣の関係で、あの元日の地震災害は起こりうると分かっていても緊急地震速報が鳴り響いた後で頑丈なコンクリート製の家屋が実際に揺れて驚かされたのですが、この際に即応予備自衛官も召集されて派遣されたゆえ、即応性に驚く。

 即応予備自衛官という名の通り、とは驚いたのですが、考えてみると正業があっての予備自衛官なのですから、日曜日に、いや事前準備と撤収に車両点検を考えると三日仕事となる、即応予備自衛官を集めて式典参加というのは無理があったのかもしれない。

 第3師団隷下部隊も中部方面特科連隊、中部方面特科連隊というと三月に新編したばかりの編成完結間もない部隊、この参加とともに見慣れたFH-70りゅう弾砲だけれども、見慣れない名称の部隊、四国では見慣れていたのか、これもまた新鮮に思える。

 16式機動戦闘車は2両参加してくれました、第3偵察戦闘大隊、アナウンスでは略して第3偵察大隊と流していたので、もしかして新しい部隊改変があったのか、と驚かれたようですが、さすがに昨年の今年で戦車大隊を再編できるほど自衛隊は器用ではない。

 偵察戦闘大隊、大隊本部にくわえて偵察中隊と戦闘中隊という、そのうち隊本部に無人偵察機隊が加われば本部管理中隊か指揮情報中隊に拡大されて偵察戦闘隊と隊編成に格上げされるのだろうか、もしくは別個に情報隊が第8師団のようにできるのだろうか。

 105mm砲を備えた16式機動戦闘車は有用な装備なのですが、即応軌道連隊の機動戦闘車隊が2個中隊基幹であるのにたいして偵察戦闘大隊の戦闘中隊は一個中隊の身ですので、2両参加でも大変、昔の第2戦車大隊のように中隊定数が増えればとも思うのです。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ウクライナ情勢-5.9対独戦勝記念パレードの極小化とハリコフでのロシア軍再侵攻の概況

2024-05-16 07:00:35 | 国際・政治
■防衛情報-ウクライナ戦争
 大津駐屯地祭でさえ教育部隊の後身の後に機動戦闘車が2両観閲行進に参加しているものですから。

 ロシア軍が実施した5月9日の対ドイツ戦勝記念式典について、イギリス国防省は5月10日付ウクライナ戦況報告においてその概要を発表しました。5月9日は例年ロシア国内において多数の都市でパレードが実施されていますが、ロシアウクライナ戦争開戦後は多くの都市で自粛されており、24都市でパレードが見送られたとのこと。

 パレード中止は2023年にも21都市で中止されていますが、今年はこれがさらに拡大したかたち。またモスクワでの軍事パレードも大幅に縮小され実施されていて、多数の戦車が赤の広場を行進する様子は過去のものとなり、パレードを実施するだけの装備を集められない、最前線で不足する装備を集めることへの批判が背景にあるとかんがえられています。
■参加車輛61両
 国威発揚も今は昔といいますか第二次大戦中は工場から新品の戦車がパレードに参加してそのまま実戦に投入されていたのでそれ以下の状況だ。

 モスクワでの対ドイツ戦勝記念日におけるパレードの参加車両は61両で、これはゴールデンウィークに滋賀県で行われた大津駐屯地祭の25両よりは規模が大きいものの、国威発揚行事としては2020年にはT-90戦車など戦車だけで20両を参加させていたことと比較すると非常に規模は小さく、重装甲車両は勿論、装軌式車両も参加がなかったとしています。

 T-34戦車1両のみが例外的に参加、第二次世界大戦を象徴させる戦車として参加したのみで、人員は9000名と集められ端ものの、士官候補生、退役軍人、軍属の参加が全体の七割近くをしめており、現役軍人の参加は三分の一程度、ロシアウクライナ戦争において大量の人員と装備品を失ったことが確実に影響しているとイギリス国防省は分析します。
■ハリコフ再侵攻
 この状況は逆に弾薬さえそろえばカエサルやFH-70で反撃する糸口のようにも思えてしまうのですが。

 ロシア軍のハリコフ方面での国境突破について、ISWアメリカ戦争研究所は5月10日付戦況分析において、ハリコフ市北部のリプシと北東部のヴォフチャンスク近郊において戦端を開いたとのこと。ロシア軍は最大5kmにわたり前進したという。ISWは今後ロシア軍がさらに前進し、ハリコフ市内をロシア軍の砲兵射程圏内に置くまで進むと予想します。

 ハリコフを砲兵の射程圏内におくには国境から50kmに所在するハリコフには10km程度の前進で現行世代の155mm榴弾砲はその射程内に市街地を収めることが可能ですが、ISWはこの攻撃についてウクライナ軍をほかの戦線からハリコフ防衛に転戦を強要するための助攻とみていて、ロシア軍にはハリコフを占領するための能力はないとも分析しました。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする