今日が一番素敵

丁寧な暮らしを心がけながら、日々、折々のの心模様を素直に語ります。
今が一番素敵との思いを込めて。

諦めることなく努力する事の大切さ     8月31日の日記

2013-10-18 12:55:54 | 病気

 

今日は迷いに迷った挙句、私が出した結論について、語らせて頂きます。

その時は、最良の選択とかなりの自信があったのですが、現実は私のイメージ通りには、事が運んではくれませんでした。

でも、これが神様が導いて下さった一番良い選択と、今では思うようにしています。

恐らく、夫の病が完治するには数カ月を要するでしょう。

私はその治療をして下さる先生を心から信頼し、自分にできることを精一杯果たし、見守っていくのみです。

 

 

私が出した結論とは、まず、紹介状宛のT病院のW医師にお会いして、現在の詳しい夫の症状を伺うこと。

その上で、W医師に、我が家に近い病院宛に紹介状を改めて書いてもらうことでした。

T病院のW医師のお名前は、私が大腸がん治療の名医を検索した限りでは、ネットには載っていませんでした。

手元の名医図鑑にも、そのお名前は見当たりません。

一方、我が家に近い病院の~先生の名前は、どこでも目にすることができます。

夫の肝臓がんの主治医M先生も同様です。

M医師の執刀の型はMカットと称され、世界的にも名が知られている様です。

 

しかし、これがすべてではないことを、私は肝臓の治療に当たって下さっている担当医T先生のお話から、改めて思い知らされることに。

ご相談のお電話をした際、次のように言われました。

「W先生宛の紹介状を頂けるなんて、すごいことですよ。

この分野では非常に権威ある先生です。

安心して治療を受けられて大丈夫ですよ」と。

 

ここで誤解を招くといけませんから、一言、言い添えておきたいことがあります。

私は都心の近郊に住んでいて、名を馳せた医師にも会うことが割と容易にできる環境にあります

ですから「神の手」と言われさえする医師にこだわってしまうのですが。

それに越したことはないといった気持から。

でも或る日、新聞で目にした記事によると、今では医療の情報がくまなく日本中の病院に行き渡っているそうです。

そのため、片田舎の病院の医師でさえも、それに従い、最新の高度な治療や手術を患者に施す事が容易になった、と記されていました。

私は、決して名医でないとだめ、といっているわけではありません。。

 

さて、T先生(肝臓がんの担当医)の言葉に安心して、本来なら迷うことなく、私達は紹介状宛のT病院のお世話になるところですが。

遠過ぎることがやはり懸念され、その不安が、私は拭えませんでした。

 

二年前、夫が退院数日後の早朝、突然倒れ意識不明となり、手術を受けた渋谷の病院に搬送されたことが、脳裏に蘇ったのです。。

救急隊員の方は、近くの病院に搬送予定だったようです。

しかし私は、夫の容態が緊急を要さないのであれば、渋谷の病院に運んでほしいと、咄嗟の判断でお願いしました。

その要望を受け入れて下さった救急隊員さん。

明け方のまだ薄暗い高速を、30分少々かけてで疾走して下さいました。

感謝の念を持って、今なお、昨日のことのように鮮やかに思い出されます。

その後、入院が一カ月以上に及びましたが、予定されていた二回目の手術も無事終わり、元気に退院することができました。

 

 

 

しかしそのような事は、T病院では、遠すぎて不可能です。

その上、今後通院する際、夫一人では遠方すぎ、目の病気を思うと、非常に心配な事。

私は、通院には、今までほとんど付き添ってきましたが、体調に波がある上、来年は古希を迎えます。

私も病を患わないとは限りません。

遠方がゆえの支障が、今後生じてくるのは、目に見えて明らかです、

幸いにも、名医と言われる医師が近くの病院にいらっしゃるのですから、近いに越したことはありません。

ですから、紹介状あてのT病院のW先生に改めて紹介状を書き直して頂き、それを手に、近くの病院を訪ねる予定でいました。

 

このような今後の展開を予想し、心の整理も付き、内視鏡を受けた翌日のこと。

私は出かける身支度をすっかり整え、T病院に電話をかけました。

ところが、何とW医師の診察日は来週の水曜日で、今は海外出張中とのこと。

未だ一週間もあります。

内視鏡クリニックの先生と受付の方の、できるだけ早く診察を受けるように、との言葉に、緊急性が感じられた私です。

胸騒ぎを抑えられず、一週間待つなど、論外の事に思えました。

お世話になっているT先生(肝臓治療の担当医)からも、夜でもいいからお会いしたい、と言い、とにかく早く診察を受けるように、とのご指示も受けています。

恐らく腸閉そくを心配しておられたのかもしれません。

 

T病院との巡り合わせの悪さは、神様の、「近くの病院が良い」との啓示に違いないと思った私。

 T病院を諦めることにしました。

そして、夫がC型肝炎の治療を受けている病院の分院に電話をかけました。

ところが、私が望む~医師も、診察日は来週の火曜日でした。

その上、その先生宛の紹介状がないと受け付けられない、とのこと。

T先生(肝臓の担当医)のお話しでは、紹介状は宛先の医師の名前が異なっていても一向に構わない、とのことだったのですけれどね~

 

どうしましょう。

夫は、まだ就寝中。

私一人で悩み抜きましたが、良い方法が思い浮かびません。

こうなると、もう自力では先に進めないことを悟った私です。

そして新たに思い付いた事は、紹介状を書いて下さった内視鏡クリニックの先生にご相談することでした。

電話をかけた際の、受付の方のお返事は、結構つれなく、電話では、先生はご相談に乗れません、と言うものでした。

来院して下さい、と。

仕方なく、一旦電話を切った私でしたが、できるだけ早く、との言葉が頭を駆け巡り、今日の診察を諦めきれません。

再度、電話をかけ、事情を詳しく話して、先生のご意見を伺いたい、と申し出ました。

そのお電話で、やっと私の要望を受け入れて下さったのです。

そして30分ほど経過したでしょうか。

突然、紹介状の宛先の病院の医師から、電話がかかってきました。

 

 

「T病院の医師のSと申します。

内視鏡クリニックの先生から連絡をもらいました。

今、W医師は海外出張中で留守ですが、私が変わって診察致します。

お時間は何時でも結構ですから、今日お越しください」と。

 

頼もしいそれでいて実に穏やかな明るいお話しのなさり方に、好印象を受けた私です。

如何に安堵し、私は嬉しかったことでしょう。

言葉では言い尽くせないほど。

私の電話で、早速にT病院に手配の電話を入れて下さった内視鏡クリニックの先生にも心から感謝でした。

努力の甲斐あり、新たな準備が整いました。

私の苦労を何も知らず、すやすや眠っている旦那さまを十時過ぎに起こし、T病院に向かう準備を始めた私達です。

 

その後伺った医師のお話からも、一週間先まで待たなくて良かった!

内視鏡クリニックの受付の方に断られたにもかかわらず、再度、先生にお伺いを立て、それが功を奏したことを、心から喜びました。。

自らの状況判断が間違っていないと確信したなら、諦めることなく、最善の道へと速やかに進めるよう、出来る限りの努力をすることの大切さを、改めて思った私です。

 

さぁ~いろんな顛末を経験し、やっと心が定まった病院へ一歩を踏み出しました。

私達は、内視鏡検査後の指定された最後の食事を済ませ、11時前に、家を後に。

しかしその後も、紆余曲折を経て、意外な展開へと、夫の治療方針が進んでいきます。

長くなりましたので、この後のお話は、次回に回させて頂きます。

 

          

 

この度の台風では、伊豆大島に、またもや大きな被害が出て、驚いています。

自然の猛威に対し、尊い人命の余りの脆さとはかなさ。

悲しさを通り越し、唖然とした心境になります。

オリンピックも良いけれど、今後の想定外の災害に備え、国はもっともっと予算を積むべきでは。

そして、国民の命を守るべく万全の対策を講じてほしいもの、と心から願っています。

被災地の方々と亡くなられた方々に、心からのお見舞いとお悔やみを申し上げます。

 

 

      

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