まい、ガーデン

しなしなと日々の暮らしを楽しんで・・・

『長いお別れ』 ーロンググッドバイー 中島京子

2017-08-30 08:42:36 | 

短編連作の『長いお別れ』  中島さんの小説は3冊目。

少しずつ記憶をなくし、ゆっくりと自分の始末ができなくなっていく認知症。
元中学校の校長さん、公立図書館の館長を務めたこともある東昇平さんは、
2年に1回同じ場所で開かれる高校の同級会の会場にたどり着けなかったことから、
アルツハイマー型の認知症と診断される。その夫の日常生活をすべてひとりで引き受ける妻曜子さん。
「みんなわかってるの、わたし、もう七十越えてるのよ!」
誰にともなく、曜子は毒づいた。

三人の娘がいるが、話は聞いてもらえても、娘たちは自分たちの生活に忙しくて当てにならない。
生前、母はひとり娘の私が遠くにいることを嘆き苛立っていた。母の心情は今になればよく理解できる。
でも娘の立場もよく分かるのよ。双方それぞれなのよね。

 昨夕

で、ある日、句会に行った昇平さんが帰ってこない。
GPS機能付きの携帯を使って居所を探すやら何やら、当然家族は大騒ぎ。

その頃昇平さんは夜の後楽園遊園地でメリーゴーランドに乗って。
幼い姉妹二人では乗ることができないという規則のメリーゴーランドなの。
その二人に頼まれて一緒に乗ったというわけ。昇平さん、二人のおじいちゃんなんだと係員にしっかり答えて。
妹の方を自分の脚の間に挟んで片手でしっかり押さえるのよ。
ともかくこの娘をしっかりしっかりつかまえていよう。それはとてもだいじなことなんだー。
ララララ、ララララ、ララララ、と口をついてメロディーが出てきた。
幸福、と呼びたいような感覚が腹の底から立ち上ってきた。
もう胸がつまる、なんだか泣きたくなる。昇平さんに寄り添いたくなる。そうでしょそうでしょ。

 

でもでも、昇平さんの認知症はどんどん進んで。歯も悪くなり入れ歯のお世話になることに。
これが騒動の種で。昇平さんの不機嫌の種で。入れ歯が気に入らない昇平さんは何個も入れ歯をそこここに隠す。
そのたびに曜子さんは家中を探し半狂乱、取り乱すわけ。ってそりゃあそうよね。
また、入れ歯を作り直すことになるのかしら、先月作ったばかりなのにー。
老妻の頭には、この憂鬱な想像が旋回する。

ことほど左様に認知症の自宅介護は大変なのだ。
それを曜子さんはがんばる。ひとりでがんばる。訪問入浴などが終わると、曜子さんはリビングのソファに、
あざらしのように倒れ込む。
曜子さんに同情しつつも、そのお姿を想像すると・・・笑いがこみあがる。ごめん、曜子さん

歯医者でも頑として口を開けようとしない昇平さん。治療も何も大変なのよ。そしてようよう。
そんなこんなの苦難を乗り越えて新しい入れ歯が出来上がったのに。昇平さんはまたもや入れ歯紛失。
曜子さんは半狂乱。
その日出かけたディサービスでなくしたんじゃないかって。でも施設でも見つからないというし。
孫が、ディサービスで誰かにあげてきたんじゃないの?って。

その通りで。もうひとつのエピソード。赴任先から認知症の母を見舞いに来ていた孝行息子は、
「私、あなたのことが好きみたい」「これ、あなたにあげる」とお母さんにに言われるの。
赴任先に戻る息子が電車の中でハンカチに包んだ母からのプレゼントを開いてみると。
包みを開き、そこにあるものを目にして、口を半開きにし、目を逸らし、もう一度、その物体を凝視する。
ああ、何をかいわんや。びっくり仰天、入れ歯騒動の結末はここに。たまらん。



そんな日常の様々な騒動があって。
昇平さんの介護に追われて自分の不調はほったらかしておいた曜子さんは、
網膜剥離になり、手術、入院を余儀なくされる。
トイレに立つこともおぼつかなくなり、食も細くなってきた昇平さんのことが頭がおかしくなりそうなほどに
心配しながらね。娘は役に立たないからね。曜子さん、不機嫌。
そして、家に残された昇平さんも大腿骨骨折で曜子さんとと同じ病院に入院する羽目になって。
曜子さんは昇平さんの病室を行ったり来たり。やがて一緒に退院することに。

夫がアルツハイマー型認知症と診断されてから十年、
それ以来徐々に進行してきたその病気と付き合うのが妻の十年であった。だなんて。
認知症の夫を抱えているというと皆さん「大変でしょ」と言う。それに対して曜子さん。
ええ、夫は私のことを忘れてしまいましたとも。で、それが何か?
なかなか言えるセリフではない。曜子さんの肝っ玉の太さ。

1週間だけ自宅にいた昇平さんはその間穏やかに過ごした。
頭も体もあんなに壊れてしまっているのに、昇平さんは自分の意志を貫きたがる。
拒否だけが生の証であるように、嫌なことは「やだ!」と大きな声で言い続ける。でも8日目には再び発熱し入院。

曜子さんと娘三人が病室に集まって医師からのQOLについての説明確認を聞く。
家族全員そろった病室。姉妹は母をいったん家に帰そうかと思うのだが、と看護師に聞くと。

若い、しっかり者のその看護師は少しだけ考えて、それから静かな口調で言った。
「今夜は、できるならお泊りになった方がいいと思います」
って。そうなの、経験上なんとなく今夜逝きそうだなって分かることがあるの。



アメリカに残して来た長女の次男は学校のカウンセラーらしき男性に祖父の死を話す。

「十年か。長いね、長いお別れ(ロンググッドバイ)だね」
『長いお別れ』と呼ぶんだよ、その病気をね。少しずつ記憶を亡くして、ゆっくりゆっくり遠ざかっていくから」

現実は小説のようにきれいに行かないだろうが、中島さんは父上の認知症を見てきたから、エピソードのひとつひとつがリアルである。
中島さんの温かいまなざしが認知症にかかわるすべてを「終末のひとつの幸福」と見ている。

読み終わった後、ちょっと切なくなりつつも清々しくも爽やかな気持ちになって。

コメント
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