都市と楽しみ

都市計画と経済学を京都で考えています。論文や講演も。楽しみは食べ歩き、テニス、庭園、絵画作成・鑑賞、オーディオと自転車

難波探索:アジア系観光客が多く、店舗もアジアの言葉が多い、タワーマンションの通学も混じる

2023-12-23 02:56:36 | 都市評価

 おでんの会にて心斎橋よかろ(長堀橋)に18時のため、16時頃から難波の広場を見る。まだ工事中( https://www.city.osaka.lg.jp/kensetsu/cmsfiles/contents/0000577/577276/namba.jpg )。こういう、広場は良いが、広すぎて自転車の通行があり係員が警告していた。これからの整備・活用に期待する。

 道頓堀あたりは、匂いが色々。派手な広告。至る所に、串揚げの「活」や「だるま」を見る。射的などもある。リヴァー・フロントの段々やリヴァー・クルーズも人気で、大阪締め( https://www.nikkei.com/article/DGXLASIH06H07_W6A400C1AA2P00/ )の練習もしていた。

 心斎橋筋、戎橋筋は大混雑、両手にドラッグストアの大きな買物袋を持つアジア系観光客を未だに見る。また、鰻谷など、店員もアジア系言語。夕方、3人乗りの自転車で子供を運ぶ母親が結構速度を出し怖い。

 かつてのグリルABC(87年10月閉店 難波新地2番地)は難波Hipsの用地となりない。重亭もリニューアル工事が長引いている。心斎橋のとん平もいまはない。だが、グリルばらの木(ハヤシライスがうまい)、明治軒(串カツがたまらん)、川福流手打うどん 川福 本店(大阪での讃岐うどんの嚆矢)は40年前から馴染みだが今も盛業だ。

 キタはビルが多いが、ミナミは個店が多い、82年から88年の入社当初によく来たものだ 15,600歩

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県都物語:47都心空間の近代をあるく(西村幸夫):労作、空間・施設・変容の観点が独創的

2023-11-25 02:34:34 | 都市評価

 大御所が自転車での実査の上、各都市をモデル化している。

 空間的に都市の構成要素、里程・道路元標( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%93%E8%B7%AF%E5%85%83%E6%A8%99 )、城、川、駅、県・市役所など公共施設、CBD、商店街をモデル化している

時系列は埋立や道路、河川の付け替え、明治維新、地震、戦災の都市計画に分け、都市の拡大や成長のあり方を分析している。

 47都市を俯瞰しての都市の構造についてのまとめや類型化がないのが惜しい。

知見は:

・都市のへそが里程・道路元標、昔の高札場

・多様なアーケードのありかた、変容

・本町、上町が古い町、筋、通は多様(商家の正面や大通りなど)

・城と駅が核となる都市が多い

・名古屋(京間50間)、江戸(京間60間)、静岡(京間50間)の徳川の共通性

・京橋型(サブの通りが直行)、銀座型(平行:並木通りなど)

 

興味深い都市

大阪

・横軸(通)の都市が、縦軸(筋)に転換→熊野街道などは八軒屋から南だったが( https://www.osaka-asobo.jp/course_station/240.pdf )

 

神戸

・運上所(税関)と奉行所の位置比較(長崎、函館、横浜、新潟、神戸)

・居留地と雑居地の両立、横浜は関内が面的に拡大し周辺と同化

 

奈良

・上地令により興福寺の境内が奈良公園のもとに、円山公園が祇園社と安養寺の上地と同じ、他に、上野(寛永寺)、芝(増上寺)、浅草(浅草寺)、深川(深川八幡)、飛鳥山(王子権現の別当寺今輪寺)

・三条通が昔の軸、近鉄は10間道路の拡幅により建設

広島

・太田川の河口デルタ、三角州の集合体

・平和大通りは100mの幅員だが両端になにもない東西の軸

徳島

・大きなビーズ玉の集合都市:河口デルタ

・城のある島が内町、寺島川を埋め鉄道化、新町橋(伊予街道、讃岐街道の入口)から先が新町

・かつては藍で36都市の10番目、戦火で古い町並みが消失

松山

・山を囲む環状都市、昔の外側(とがわ)に沿ってL字型アーケード商店街(大街道、銀天街)

・JR駅は城山の周り、松山市駅、道後と3核構造

長崎

・埋立の進行と拡大:六町、内町、外町へ

 

私見だが:

・河川に近接し、山裾、高台や台地(名古屋など)の立地が多い(舟運でないと石や木材を運べないため)

・舟運、鉄道、道路のモーダル・シフトによる城に近い古い町、駅に近い新しいCBD(金沢など)の二極化

・スプロール、自動車利用による中心商業(旧来と駅前)の停滞、郊外SCの発達

・大体の都市には城がある、その城下町から離れて駅ができるが徳島は特殊

 

 

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和歌山の感想

2023-10-14 02:26:39 | 都市評価

 車社会なのか、JRや南海、バスの本数が少ない。Google Mapにより時刻やバス路線を探せたのが救い。JRは学生の通学利用が多い。バスは県庁行きが朝混んでいた。
 なお、JRは駅員が少ないためかトイレや通路など清掃が行き届いていない。利用者の不満足による利用低下など悪循環を招くように思う。

 お店は、夜にあまり開いていない。人気の店は混む。値段は、結構高い。

 和歌山ラーメンは、濃い、塩っぱい、高いものが多かった。徳島ラーメンに似る濃いお味でご飯をお供にするのが多いようだ。逆に、野菜を入れるのは見かけなかった。マルイの大量の葱は独自性があり良かった

 庭は青石がやはり良い。全体に光が南国のような感じを受けた。京都からの緯度の差はやはりある。

 徳川御三家の歴史があり、城や庭園などに受け継がれている。

 昔のみさき公園や徳島との高速船などが無くなったのはさみしい限りだ。徳島のハムの副産物の豚骨が徳島ラーメンの基となり、小松島と和歌山をつなぐ連絡船により和歌山ラーメンも互いの影響があったように思う。

 なお、徳島も青石の庭園が多い。重森三玲( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8D%E6%A3%AE%E4%B8%89%E7%8E%B2 )に衝撃を与えた阿波国分寺の庭なども見てみたい。

 楽しんだが、点在する観光地のマストラ周遊券やタクシー割引ネットワークか自転車での周遊があれば良いと思った。またバスでの熊野三山周遊ができると良い

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都市計画学会関西支部 学生対象ワークショップ2022に参加、若い知見を知り、スーパー・ブロック開発の問題を再認識

2022-12-07 02:12:43 | 都市評価

 テーマは震災復興のまち 神戸市新長田駅南地区にぎわい創出ワークショップ。新長田の新長田合同庁舎1階で4つのグループ発表が開催( http://www.cpij-kansai.jp/contents/committee/detail.cgi?id=338 )

 三宮からモトコーを歩く、改修された3のあたりは中庭やきれいな通路にあり、JR東の高架下利用に似ている。神戸まで歩いて、新長田へ。2時間ほど街を見る。

 新長田の神戸西部耕地整理事業地区( https://www.jstage.jst.go.jp/article/journalcpij/50/3/50_780/_pdf )は60間(109m角)の街区とある。これを細分化しているが、新長田の再開発ではスーパー・ブロックとしている( https://www.city.kobe.lg.jp/a13150/shise/kekaku/jutakutoshikyoku/redevelop/kobe-kh/susume/nagata/index.html )周辺の細街路(縦横の基準がなくバラバラだが細分化されている)の街並みとスケールが合致しない。( https://www.google.com/maps/place/%E3%80%92653-0042+%E5%85%B5%E5%BA%AB%E7%9C%8C%E7%A5%9E%E6%88%B8%E5%B8%82%E9%95%B7%E7%94%B0%E5%8C%BA%E4%BA%8C%E8%91%89%E7%94%BA%EF%BC%93%E4%B8%81%E7%9B%AE%EF%BC%98%E2%88%92%EF%BC%95/@34.6535912,135.1461812,381m/data=!3m1!1e3!4m12!1m6!3m5!1s0x0:0x2201d669e8160c3!2z5paw6ZW355Sw6aeF!8m2!3d34.6576922!4d135.1454655!3m4!1s0x60008f8810ad511b:0x3ca40e8d5aff48a4!8m2!3d34.654103!4d135.1500592 )

 この再開発の建物の大きさはグラン・フロント大阪に匹敵する。( https://www.google.com/maps/place/%E5%A4%A7%E9%98%AA%E9%A7%85/@34.7050755,135.4945701,379m/data=!3m1!1e3!4m5!3m4!1s0x0:0x1baec822e859c84a!8m2!3d34.7024854!4d135.4959506 )つまりは、周辺に合わせるには、建物の細分化や通り抜け通路の確保、緑地の整備が必要だ。セイム・スケールマップは拙著参照( https://drive.google.com/file/d/11iQaW8FH0qO1tCP6tYxbuMx0s0OGYxL4/view )

 また、再開発の間に挟まれたアーケードの大正筋商店街も12m程度の幅員があり広すぎる。心斎橋筋商店街でも6m(もとは3間(6尺5寸×3))であり、間延びしている。ショッピングセンターでも、海遊館にてフェスティバル・マーケット・プレイスのラウス子会社Enterpriseの知見では、通路は10ft(3m)が基本(観光の賑わい商業だから https://www.ura.gov.sg/Corporate/Guidelines/Development-Control/Non-Residential/Commercial/Retail-Units )、ショッピングセンターにしても、最近では両側店舗では6mが基準( https://www.frontiersin.org/articles/10.3389/fpsyg.2021.631531/full )となっている。この1階通路の間延びと駐輪、店舗の張り出しは広すぎる幅員にある。心理学的にもボディ・ヒートを生みにくい( https://en.wikipedia.org/wiki/Edward_T._Hall https://vle.upm.edu.ph/pluginfile.php/171392/mod_resource/content/1/04%20HALL_The%20Hidden%20Dimension.pdf )

ということは、道の真ん中にカート・ショップ(ラウスの第一号の開発1976年 Fanuil Hall Market Placeで発明 P145 左上参照 https://drive.google.com/file/d/11iQaW8FH0qO1tCP6tYxbuMx0s0OGYxL4/view )などの誘致が良いかと思う。

 さらに、2階の通路は、歩車分離のため土地区画整理型の大型跡地開発の「お作法」となったが、ハーバーランドやOBPでも利用が少なく、平面交通志向がある。緑のある道を歩く方が楽しい。トロントなどの寒冷地では覆われた通路のネットワークがあるが、大阪のアーケード(南北が多い)は夏の日射対策と対照的だ。

 2階や地下の動線利用が少ないのは、分かりにくいのと、もともと通過交通量が少ないエリアに作ったからだ。デッキの利用促進をやるなら学生提案にあった2号線と駅までつなげるべきだ。

 住宅利用の提案もあったが、住宅は採光の要件( https://www.iny.jp/regulation/cnstreg4.html )などがあり2階利用は難しいかもしれない。また、提案の多いフレキシブル・オフィス(サービス・オフィス(内装完備)とコワーキング(We Workなど)の2種類がある)は、人の集まる三宮や大阪が好適だ。というのも場所ではなく、情報を持った人間との「交流」の側面もあるからだ。

 学生が「アンタらだけの街ちゃうでー!!」とおばちゃんに言われたのは大型開発に対しての怨嗟なのかもしれない。

 地べたに親密なコミュニティに住んでいた長屋住まいの方が、大型箱もの(下駄ばき住宅)を見るとそう思うと感じる。

 この再開発はスラム・クリアランスの失敗事例のPruitt–Igoe( https://en.wikipedia.org/wiki/Pruitt%E2%80%93Igoe )広い敷地とタワーの組み合わせを思い出す。

 当方なら大きな建物の細分化として、通路の設置や施設内のややこしい斜めの動線の撤去を行う。これと同じく、失敗したのが、新神戸オリエンタルホテルの下の商業がある。複雑な動線で街づくりを狙ったが廃墟になった。(T工務店設計施工だが。。。)

 商業は下駄ばきの下に置くと、高いDHC料金や空調の複雑さを生む。用途ごとに分棟・連立し、商業は独立としフェスティバル・マーケット・プレイスのような安普請(天井カセットとロスナイ空調)にして20年で建て替えるくらいのが、現在の「横丁」となり面白いと思う。分棟のリスクとリターンなどの試算は2003年に論文にまとめた( http://www.eonet.ne.jp/~n7ohshima/TosinkoushinPro.pdf )

 1万4千歩、約2時間の帰洛に疲れたが得るものが多かった

 余談:またも孫の風邪で不調、あかんな

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新今宮から天神の森、堺に穴子鮨の買出し、孫を入れたパーティ

2022-10-30 02:51:25 | 都市評価

 留学時代からの知合い(藤沢出身)夫妻2人と関西ディープ案内を。阪堺線の新今宮で9時に待ち合わせ。まずは、ガードをくぐり、OMO7大阪 by 星野リゾート( https://www.hoshinoresorts.com/resortsandhotels/omobeb/omo/7osaka.html )前に壇上の公園があるが、外からは入れない。2階がロビー、前には新今宮のホームと電車が見える。外観は周りから遊離している。西成ツアーなどあるようだ。地図があり、日本橋のスラムが第五回内国博覧会( https://archives.pref.osaka.lg.jp/search/image/h30_reki.pdf )の御幸通(堺筋)の整備のため、釜ヶ崎に移転、跡地の西半分がルナパーク( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%8A%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%AF_(%E5%A4%A7%E9%98%AA) )になったが、すぐに不調、11年で閉園。さらにバブル期には交通局用地がフェスティバル・ゲート( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%90%E3%83%AB%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%88 )は10年で閉館になった。

 ここから、紀州街道沿いにあいりん地区を抜ける。ホテルが多く、朝酒を道路で飲む方も多い。マルマン菜園というのがあり、「人生は、一度や二度のつまずきはある!もう一度花を咲かせよう!」との標語も見える。

 堺筋に出て、飛田新地の大門通りに。朝から営業のお店もある。看板がそろい、街並みに友人が驚く。鯛よし百番に案内( https://readyfor.jp/projects/micro-heritage-hyakuban )80年代にはよく宴会に使った。いまは、保存に向かっているのは喜ばしい。

 ここから、南に天神の森に。くねくね道は大体4m幅員、一部土地区画事業( https://www.city.osaka.lg.jp/contents/wdu160/web-content/kokyou/senkan/nishinari/tengachaya/index2.html )が1947年(敗戦後すぐ)に事業計画決定となっている。

 とんかつ1番で昼から宴会、そして阪堺線で宿院までのんびりする、かん袋で持ち帰りと氷くるみ(400円)、40年前は150円だったが。歩いて、暑い。深清鮓に注文を取りに行く。14時で売り切れ、受け渡し方法が窓口になる。撮影禁止で女性二人が注意されていた。7千円程、ここも値上り。海老の箱も購う。

  湊、天下茶屋、淡路から京とれいん雅洛( https://www.hankyu.co.jp/area_info/kyotrain-garaku/ )に乗れ快適。

 自宅で、来客ご夫婦の長女もお呼びして、孫のお披露目宴会。孫も海老や穴子の箱を食べる。かん袋のくるみ餅や持ってきて頂いた栗餅など賞味する。日本酒も頂き、山口県の大吟醸は端麗、飲みすぎた。シャインマスカットも良かった。

 3時間ほど歓談。ボストンで子守りに預かっていた幼女がいまや大人の女性に。34年とは速いなと感じた。

 1万5,800歩、疲れた、翌日は二日酔い

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西梅田から中之島公園、天神橋筋商店街から天六を歩く

2022-10-24 02:45:57 | 都市評価

 インディアン・サマー(小春日和)の日曜日、荊妻と西梅田の民生に行くが大行列(DGR)。やむなく、しゃぶ亭で豚のシングルとダブル(2,200円程)で野菜とゴマダレ、肉を堪能。一人で、もはや肉ダブルは食べられない。なお、うどん抜きを注文すると、今まで40年で初めて、ワカメともやしを忘れられた。お詫びとともに別皿で提供。

 腹ごなしに新地を通り、ダイビルの横から市役所・図書館・公会堂を見る。水彩スケッチの方が多い。鉛筆でかたどり、にじみ水彩の達者なシルバーも。

 ふらふら歩くと、人手が多い。自転車・犬連れ・ジョギングと多様。荊妻はバラ園の手入れの良さに驚いていた。芝生の広場とその先の剣先を見て、斜路をぐるぐる上る。

 ここから、天神橋筋商店街だ。歩くと、パチンコ、ドラッグ・ストア、洋食が多い。天神さんに行くと古書市が開催。昔の河出書房の「食」の特集400円を見かけたが、蔵書にあると思って買わないとなかった。(帰って探すと無かった。。。)

 春駒鮨は本店・支店とも1時過ぎでDGR、人気店はすごい、行列が路地の奥までワープして伸びている。意外と惣菜はない。立ち飲みは多い、四条大宮の庶民の支店もあった。

 天六からたまたま来た千里線の阪急で山田まで、孫の用品を見る。いまひとつで、折り返し梅田までふらふら。紀伊国屋により本を物色。夕食も面倒なため、地蔵横丁のちゃんぽんの新店に行くと、これが地雷で大爆発。烏賊と小海老が冷凍なのか嫌な感じで後味も悪い。

 阪急で、「リンカーン弁護士」の新刊を楽しむ。自宅で一杯、口直し

 1万6千5百歩で足がちょっと疲れる

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千里山、関大前、天六・天五、高槻を歩く

2020-06-13 02:58:23 | 都市評価

 定期の切れる前に、最後に阪急千里線を歩く。千里山( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E9%87%8C%E5%B1%B1 )は、郊外都市(複合用途)のレッチワース( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%81%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%B9 )モデルとしたが、船場あたりの旦那が移住する郊外ベッド・タウン。

 坂道がきつく、あまり面白くない。下って関大前は、やたらにラーメン屋が多い。どうも街の面白さがない。

 天六まで千里線に乗る。商店街は混雑。店舗の張り出しが多く歩きにくい。大阪らしい。天五のアーケードで中崎町まで。そこからHep5まで歩くがこれも面白くない。

 阪急で高槻まで乗って街をぶらぶら。これは面白い

 想い出の街はすべて訪問

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十三から塚本までを往復、淀川の跡を探る

2020-06-11 02:57:22 | 都市評価

 阪急定期の使い倒しの一環で、塚本までつけ麺を食べにいく。十三駅の周りの飲み屋街は10時過ぎでも一杯の客が多い。店の入替りもあり、コロナ禍から営業の見合わせも多いようだ。

 淀川通を西に、北野高校前を通り塚本駅方面に北に渡る。北野高校は竹山聖(北野高校出身 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E5%B1%B1%E8%81%96 )の設計で、北面には六稜会館がありお椀を反対にしたような形にコンクリート打ちっ放しだ。見た感じは、好きではない高松伸と安藤忠雄が混ざったような形態と仕上げだ。

 塚本駅前にはあまり賑わいがない。この近くにあるシェル状の屋根が特徴の蓮華寺を見る。への字の折板が中央から左右に降りてきている屋根で独自だ。

 帰りは北を歩き、アーケードの アーケードのもといまロードを十三まで歩く。店舗からの出っ張りが大きく、自転車もあり歩きにくいが盛況だ。

 昔の淀川の跡などあるかと思ったらまったく感じられなかった。塚本駅北の自動車教習所あたりから弓型に、十三公園あたりが河の跡のようだ。( http://ktgis.net/kjmapw/kjmapw.html?lat=34.718871&lng=135.473867&zoom=15&dataset=keihansin&age=0&screen=2&scr1tile=k_cj4&scr2tile=k_cj4&scr3tile=k_cj4&scr4tile=k_cj4&mapOpacity=10&overGSItile=no&altitudeOpacity=2 )

 また、塚本から西にも旧河道の跡がありアーケードの先で確認した。

 街歩きは楽しい

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清荒神から、神崎川、高槻の商店街を歩く

2020-06-09 02:55:59 | 都市評価

 荊妻と8時過ぎから、十三経由で清荒神清澄寺( http://www.kiyoshikojin.or.jp/ )を参拝する。真言密教のうち三宝宗の大本山だ( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%85%E8%8D%92%E7%A5%9E%E6%B8%85%E6%BE%84%E5%AF%BA )。そのため、ご本尊に本尊大日如来がおわす。

 緑がきれいだ、奥の滝も清涼で、心安らぐ。順路を歩くと、岩壁をくりぬいた行者洞には修験道の開祖、役行者(えんのぎょうじゃ:役小角 えんのおづぬ)が祭られている。

 ここから、山沿いに参拝路もあるが、神崎川駅の近くのうどん屋に行くことにした。その後、今度は高槻を歩く。阪急高槻市駅前のダイコク薬局はなんでも安い。荊妻が色々買う、こちらは懐かしいアンコサンドとトランプ(三立製菓:中身は乾パンと同じ味で、小ぶり、表面の醤油甘辛味と青海苔が独自)が安く売っており懐かしさで買う。小学校以来だ。

 

 JRの駅の向こうのにある開発を見て、ついでに、カルディでスマッカーズのピーナツ・バター(無塩・無糖)を2瓶あるだけ購う。夫婦の好物で、これ以外は使う気にならない自然なお味だ。

 駅の先にある芥川商店街の北端には「寿司仕出し 八百鶴本店( https://yaotsuru.com/about/ )」があり、往時の盛況をしのぶ。なお、手前には寄席もやる亀屋旅館( http://kameya.sakura.tv/main/fun.html )があり、鶴亀揃う。

 高槻はパン屋が多く、歩きながら目移りする位。お昼が大量だったため、夜はちょっとパンでもということにした。荊妻は梅酒の小瓶セットを買って楽しむつもりのようだ。

 コロナが去って、街に活気が戻って欲しいと心底願う

 1万6千5百歩で、暑さもあり帰洛後、シャワーを浴びてくつろぐ、腹は減らないが水を大量に飲む。暑い中のマスクは苦行で脱水に注意が必要だと感じた

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中書島再訪:銭湯、砂利道、パセオ・デル・リオの想い出があり、城南宮から桂川河川敷で帰る

2020-05-30 02:55:15 | 都市評価

 お気に入りの中書島。10時からPresta 26Cで、河原町、鴨川、新高瀬川を伏見へ。陽射しが強い。ヘルメットとグローヴで風を楽しむ。タイヤの柔らかさが心地よい。

 中書島の新地をぶらぶら、新地湯( https://1010.kyoto/spot/shinchiyu/ )をしげしげ。花柳は現在居酒屋の ふじわら になっている。飛田新地の百番みたいだ( https://gipsypapa.exblog.jp/20872566/ )。しかし、三業地として、見番、置屋などは跡地がわからない。

 東海道57次( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%B5%B7%E9%81%93%E4%BA%94%E5%8D%81%E4%B8%89%E6%AC%A1#%E6%9D%B1%E6%B5%B7%E9%81%93%E4%BA%94%E5%8D%81%E4%B8%83%E6%AC%A1 )にある伏見の色街の歴史がしのばれる。酒の産地と高瀬川および淀川水系の河川海運の拠点であり、色街としての歴史は長い。近代は師団の近接性も指摘されている。( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%9B%B8%E5%B3%B6 )

 新地の東西の道路はなぜか、砂利道。懐かしい、昭和の真ん中位の時代に細い道路はアスファルト舗装ではなかった。なぜかよくわからない。京都市のサイトでは「旧市街地美観」( http://www5.city.kyoto.jp/tokeimap/detmap/keka/kyo111-2-10.htm )とある。伏見桃山御陵への軸線が関係しているのかもしれない。または私有地(寺社所有など)のためか。都市計画上の特段の要点はなかった。

 うろうろして、蓬莱橋の公園から河に下ると、そこは水が輝く。ひたひたの水位で和む。どこか似ているなと想い出したのがサン・アントニオのパセル・デル・リオという運河の賑わい。緑はきれいだがお店はないのが残念。コロナでの中止と自転車でなければ十石船( https://kyoto-fushimi.or.jp/ship/ )に乗って思い切り飲んだくれてみたい。緑と水が光輝いていた光景は忘れがたい。

 帰りにみた、小ぎれいなお店の おこぶ 北淸( https://www.hotpepper.jp/mesitsu/entry/awamoriko/17-00119 )は飲みもできるようだ。大坂からの中継地として京都好みのすっきり味利尻昆布の取扱が伸長したのかもしれない。または昆布が日常使える程に、消費地として宿泊や色街、酒造などで富んだ都市であったのだろう。なお、店頭には羅臼もおいてあった。

 新高瀬川を上がり、京都南インターのホテル街(今でも盛業)を抜け、城南宮へ。あいにくお庭の拝観停止。

 ここから鴨川の河川敷を塩小路まで走る。路面の継ぎ目があり、28C以上が良いと思う。信号のストレスがなく、鴨川の水と東山の緑(下の方はスダジイで黄色)や鷺を楽しみながらゆったり。南風と登りでちょうど平地のギヤ。

 ゆったり帰洛。シャワーが心地よいが、結構ぐったり。荊妻はテレ・ワークで忙しそう

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上町から心斎橋、本町を歩く

2020-02-26 02:16:03 | 都市評価

 ちょっと大阪に用事ででかける。お昼は、上町の つけめん うえまち でと想う。ここのつけめんが一番好きだ。A嬢やT嬢と食べ、その後に空堀商店街を歩いたのが4年前と2年前。

 ついでに、谷六の居酒屋 そのだ で中華そばも食べたが、これはいまひとつ。飲んだ後の〆用のお味だ。

 空堀商店街の鳥辰( https://tabelog.com/osaka/A2701/A270204/27053773/ )で焼鳥セット500円を購う。おばさんとの無駄話が楽しい。松屋町から心斎橋まで長堀通を歩く。小雨であまり楽しくない。心斎橋のアーケード近くにある昔のN生命ビルの低層からGAPが抜けていた。SAPも様変わりだ。

 雨でも行列の とん平( https://tabelog.com/osaka/A2701/A270106/27012648/ )でコロッケ4つ(320円)を購い、夕食は春キャベツの繊切とキャベツとお揚げ(平野豆腐 https://tabelog.com/kyoto/A2601/A260203/26023345/ )の味噌汁にすると決める。野菜炒めが名物だが、ご主人の腕には油の火傷が点々と。あれだけ野菜炒めをあおりまくると腱鞘炎が心配なくらいだ。(京都市役所裏の大盛で有名だったローンのご主人は腕の疲れが閉店の原因になったとのこと)ご夫婦の連携も良く、昔の心斎橋店を想い出す。

 本町の萬栄の食品館で買物。一つは、サラダの水切りスピナー、780円で購入、安い。荊妻からの要望で、鰹節パックやカレー・ルー、ソースなども買うと結構重い。気が付くのが、通路でぼーっと立っているおじいさんだ。見ていると、連れられた妻を探しているようだ。要所要所にじーさんがトーテムポールのように立っているのを見ると「歳をとっても邪魔になってはいけない」と思った。なお、駅では若者の「我関せず」の歩きスマホ(というか唯我独尊)にも呆れた。

 帰って、キャベツなどさっそく繊切にしてスピナーを試す。しゃっきりして良い、アメリカのサラダの再現だ。味噌汁も準備、春キャベツは煮込んで甘みは出ないがかろみがある。

 春は近いな、1万1千歩

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大阪市内を散策

2016-06-14 04:25:29 | 都市評価

 午前中の雨の予報もあり、大阪市地下鉄一日券(休日600円)を買い、雨でもありまずは心斎橋筋を難波に歩く。ナショナル・チェーンが多く、ドラッグ・ストアは爆買い対応か。

食事をしてから地下鉄で鶴見のアウトレットへ。花博の跡地で8角の支柱の周りに8つのテント、外周に3層が店舗。今一つの集積ですぐに飽きる。

今度は谷町6丁目へ。ハイカラ空堀商店街を松屋町まで。松屋町駅を上がる坂にある、「練」は民家のショップ( http://www.len21.com/ )などカフェが多い。お寺が多く、Jacarandaの紫の花があるのに驚く。法華宗が多いようだ。

これから結構歩いて上本町まで。上の子が生まれたバルナバ病院を訪ねると建替えられて綺麗に。25年は長い。近くはマンションが多く、昔の面影がない。近鉄百貨店で食料品を購う。

 流石に歩き疲れて、人ごみの難波と梅田を経由で帰洛、人ごみに疲れた。次はやはり郊外にしよう

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ハルカス探訪から新世界、難波へ

2016-05-17 04:40:26 | 都市評価

 愚妻とハルカスでの記念日ランチを楽しみ、ぶらぶら天王寺公園の 天しば へ。アカペラのコンサートなどあり楽しいが、芝は剥げているのが残念。アメリカならすぐ生えるのだが。

 新世界へ行くと、串カツ、ビリケン、さらにフグなどの空中を舞う看板の派手さに愚妻は圧倒。歩くと同じような串カツばかりの集積はあるが、新種や革新の料理の多様性がないため今後が懸念される。流石に食事のあとで串カツや土手焼きを食べる気がしない。愚妻は初めてのため串カツ行列に驚き、商品、お土産に感嘆していた。最後に地場の蕎麦屋などを案内して、古い歴史の街でもあるのを解説した。

 堺筋に出て、おたろーど を。かつての電気街で、堺筋は大大阪時代の都市軸でもありデパート集積があった。

河口無線はDynaudioも置いてある老舗。オーディオを見て、店員の高齢化を知る。自作スピーカー・イヴェントがあった。

近くの高島屋資料館で高島屋の歴史を楽しむ。京都は今の京銀の場所にあった。有名なローズ包装紙のデザイン変遷やローズちゃんの変化も楽しい。

愚妻は「異国だ!、初めて!」などニューヨークのはずれのようだと興奮。確かに普通の大阪ではない雰囲気で、都市計画としては変化の将来性を感じた。

 黒門市場を見学。安いのと高いのがごっちゃで「錦市場のおおきいのやな」との愚妻の意見。何も買わずに、カレー屋や青物を見る。アジア観光客が珍しく少ない。

 道具屋筋に渡り、包丁立てなど購う。ついでにたこ焼きで小腹を満たす。吉本興業に圧倒されていた。

 御堂筋線に乗り、帰洛

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都市の誕生(P・D・スミス):幅広いが、浅い、多面的な対立法の分析が面白い

2014-01-13 06:08:55 | 都市評価

都市の分析を時系列、多国(空間)を要素で分析している。章立てが、到着、歴史、習慣、滞在、街をさまよう、マネー、余暇、都市を超えて と面白い着眼点だ。ただ、データは間違いも散見される。例えば、「東京都心に通勤は250万人」とあるが、昼間人口増加分であり、通勤人数は1,000万人だ( http://www.toukei.metro.tokyo.jp/tyukanj/2000/tj-gaiyou.htm )、新宿の乗降客数(326万人 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%AE%BF%E9%A7%85 )の引用もあるのに矛盾している。<o:p></o:p>

 <o:p></o:p>

 面白いのは、取り纏めると対立法となる分析だ、当方の再構築では(この方が分かり良い):<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

・ダウンタウンと郊外<o:p></o:p>

 ・骨格:ニューヨーク、ブラジリア<o:p></o:p>

 ・都市の不衛生:ごみ、排泄物、伝染病<o:p></o:p>

 ・マストラ整備→Commuterの本来の意味は「定期券(Season Ticket)」<o:p></o:p>

 ・郊外へのホワイト・フライトと都心荒廃、ジェントリフィケーション<o:p></o:p>

 ・都心観光、ウォーターフロント再開発での復興<o:p></o:p>

 ・郊外の発展、イギリス、アメリカ→塵芥、騒音、混雑を嫌う(トマス・ジェファーソン「疫病都市」)<o:p></o:p>

 ・かつての都市は不衛生であった、道も歩けないほど汚い、大気汚染→現代の中国か<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

・車と歩行者<o:p></o:p>

 ・自家用車という寄生物(ギー・ドゥボール)<o:p></o:p>

 ・マストラから高速道路と自家用車というモーダル・シフトと都市構造の変容<o:p></o:p>

 ・広すぎる道路とジェイ・ウオーク<o:p></o:p>

 ・オランダのボンエルフ、「裸の道路(ハンス・モンデルマン)」による「共有空間」で人間味と居心地重視へ<o:p></o:p>

・自動車産業から衰退するデトロイトはアメリカ版のアクロポリス<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

・摩天楼とモール・デパート<o:p></o:p>

 ・エレベーターと鉄骨が摩天楼を誘発<o:p></o:p>

 ・デパートは18世紀後半、コルカタの植民地などの「欧州商店」が起源→本当か?<o:p></o:p>

 ・郊外ショッピング・センターの発達、超大型の出現<o:p></o:p>

 ・都心の観光商業(フェスティバル・マーケット・プレイス 等)、なお、ロンドンのウエスト・フィールドは都心外辺と思うが、都心商業の理解がいま一つではないか、むしろタイムズ・スクエアを取り上げるのが良い<o:p></o:p>

 ・アーケード、バザールの歴史は専門書を読むのが良いと思われる<o:p></o:p>

 <o:p></o:p>

・文化(劇場、図書館)と風俗<o:p></o:p>

 ・20世紀初頭のベルリンは3つのオペラハウス、50の劇場、音楽堂など文化で人をよんだ「知の首都」<o:p></o:p>

 ・風俗街、中世のイギリスには「女性器愛撫横丁(グロープカント・レーン)」( http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%97%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%88%E9%80%9A%E3%82%8A )というのが各地にあったとのこと、日本は吉原など、それにしても凄い名前の通りだ<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

・貧富(高いところ、低いところ、安全、衛生)<o:p></o:p>

 ・スラム街 10億人以上<o:p></o:p>

 ・金持ちは高層マンション、ゲーテッドコミュニティ、貧乏人は不潔な住宅<o:p></o:p>

 ・都市でも、住宅でも高いところは金持ち<o:p></o:p>

 <o:p></o:p>

都市の歴史などはジャレド・ダイアモンドが大風呂敷で面白い、都市の各論は専門書が詳しいため、本著は概論に近いが観点の面白さがある。都市史の入門書の位置付けだ。<o:p></o:p>

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京都の学生比率は東京の1.5倍だった:京都の産業と展開のエンジンだ

2013-10-10 07:37:04 | 都市評価
 東京の友人と二条の赤垣屋で一献傾けていた際、京都では居酒屋に「ネクタイ率が低い(サラリーマンが少ない、しかし白足袋族など独自の業種がある)」のと「学生と先生が多い」という話になった。
 データを調査するとお誂え向きのを見つけた( http://www.city.kyoto.jp/sogo/toukei/Publish/Monthly/Topics/201008-01.pdf )
 京都市は37大学、大学・短大学生数13.9万人、学生比率9.5%だ。東京区部の数値は128大学、50.2万人、5.7%であり学生数は多いが、サラリーマン人口(ネクタイ比率が高い)ためか学生比率は低い。
 大阪市の学生比率は1.2%で政令指定都市の中で一番低い。工場等制限法で追い出しをかけてしまったからだろうか。逆に多いのが福岡市5.3%、仙台市4.8%、神戸市4.6%、だ。街に緑や特色があり学生時代を過ごすには好適な都市だ。

 それにしても京都は突出した学生比率だ。関連の学生マンション、飲食店、研究機関など一大産業と考えられる。例えば、学費と生活費などで1.5百万円/年( http://www.dai-gaku.org/heikin_seikatuhi/ )としても、13.9万人なら2,000億円/年のGDPとなる。京都市のGDPは6兆円であり、そのうちの3.5%に相当する。

 学生のおかげで京都の文化やお手頃食堂がある。全体に「いか京」はじめおとなしい感じがするのは、東京の学生が集まる新宿や渋谷など大きな繁華街がないからだろうか。そのかわり、風景・自然が素晴らしい


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