都市と楽しみ

都市計画と経済学を京都で考えています。論文や講演も。楽しみは食べ歩き、テニス、庭園、絵画作成・鑑賞、オーディオと自転車

ローソンのおでんとうどんの合体は外食産業のパイを狙う

2009-08-31 20:05:57 | マクロ経済

 最近、コンビニが売上が対前年7.5%減(既存店ベース)となっているが、ビジネスモデルとして、サービスか物販かという問いかけがある。それはともかく、このおでんとうどんは感心した。最近、街に「セルフうどん」が出店している。一種の節約産業であろう。そのなか、夏でも何故かあるコンビニおでんを訝っていたが、うどんとの合体は思いつかなかった。讃岐うどんの名店にはおでんもあるので相性はよかろうし、追加設備が不要なのも良い。小腹が空いたときには一度買ってみたいと思わせる。<o:p></o:p>

 コンビニがついにうどんもあるなか卯や立ち食いそば・うどんと競合をはじめた。また、ローソンではから揚げをはさむバンズも売ると言う、これではケンタッキーやマクドナルドとの競合でもある。同じ業種でなく他の業種のパイを狙うのが面白い。飲食業の競合は物販を含め、中食市場の拡大とともにいよいよ熾烈となりつつある。<o:p></o:p>

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都東山の景色

2009-08-30 07:30:45 | 京都

 夏の夕暮れの東山は陽を受けて隈取が鮮やかになる。山肌の迫力と夕暮れの空の対比がとても良い。色も東山の夕陽を受けたオリーブ色の基本色と木の葉の反射、影のティント、そして空のグレイッシュなオレンジ、グレー、スカイブルーが対比される。<o:p></o:p>

 特に良いのは、標高が500mもない低い山なのに朝夕に霞が掛かり風情がある。稜線に沿った霞のたなびきは絵に描いたようだ。これからの紅葉が楽しみとなる色の変化がある。<o:p></o:p>

 田圃も鮮やかな緑のなか早稲は、はや重い実がなっている。焼きつくす夏から輝く秋の到来。夏を満喫した木や稲、そして耐え忍んだ人々の祝祭の季節だ。<o:p></o:p>

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サントリーミュージアム 天保山の休館について:天保山の開発

2009-08-29 15:00:26 | 都市開発

 天保山の開発について書く。天保山とは天保の川ざらえで出来た山で、大阪で初めての突堤が出来たところだ。開発前は倉庫街で、高速船乗場やかつての船員バー、洋食屋がひっそりとあった。<o:p></o:p>

このエリアの再開発の起爆剤となったのは1990年開館の海遊館であろう。ボストンやボルチモアの再開発ではウォーターフロントの集客の核(Magnet)機能を担った。海遊館の設計はケンブリッジセブンアソシエイツ(CACambridge Seven Associates  http://en.wikipedia.org/wiki/Cambridge_Seven_Associates ) でエキスポなどのPavilonが得意であり、設計は Peter Chermayeff ( http://www.csp-architects.com/Flash_File.swf )で兄のIvan Chermayeff  http://www.cgstudionyc.com/  http://metroartwork.com/ivan-chermayeff-biography-artwork-m-217.html )はグラフィックデザイナーとして高名で海遊館のロゴや壁面デザインをしている。<o:p></o:p>

C7Aは水族館の作品が多く、出世作はNew England Aquarium 円筒形の水増の周りを4階までらせん状に上がる( http://metroartwork.com/ivan-chermayeff-biography-artwork-m-217.html )というシナリオ型のパビリオン構成を初めて実現した水族館である、次にBaltimore National Aquarium エスカレータで展示を見ながら最上部(温室)まで上がり、水槽の内側を下る ( http://en.wikipedia.org/wiki/National_Aquarium_in_Baltimore )という展開に至った。<o:p></o:p>

天保山の海遊館(Osaka Aquarium)では最上階の温室までエスカレーターで一気に上がり、内側の大水槽と外側の小水槽の周りを降りるという構成となった。外観も上部の温室がランドマークにふさわしい形である。C7Aは内部からデザインしているため概観は「いかつい」ものが多い。<o:p></o:p>

このとき、天保山ハーバービレッジでは水族館が突端にある。これは集客施設は駅から離れた方ほうが手前の商業に来訪がみこめること、ランドマークとして視認性がよくなることがある。このとき天保山ハーバービレッジにはホテルシーガルてんぽーざん大阪(ホテルシーガル高島屋からホテルシステム二十一が運営に変更)ともにサントリーの美術館も構想されていた。安藤忠雄設計(南港にライカ本社(1989年)を設計していた時期、その後、大阪港国際フェリーターミナル 1996年もあり)で1994年に開館た。<o:p></o:p>

当時はウォーターフロントのブームであり、天保山は「アーバンリゾート」として注目されていた。海遊館は流行の施設として日経の大賞を受賞したくらいだ。<o:p></o:p>

海遊館は類を見ない大型水族館であり投資額も大きく来館者数の予測が収支の決め手であった。というのも水族館は施設維持費と初期投資が大きく、来館者による費用は殆どかからないため収入(来館者人数と入場料単価)が変動要素となる。当時の日本での集客施設の人数予測手法は施設比較法かピーク依存率であった。天保山では 日帰りと宿泊(Visitor&Tourist)と施設誘引度(Attractiveness)により予測がなされ、それを越える集客となっているがそれでも平均すると200万人/年超の水準だ。<o:p></o:p>

サントリーミュージアムも同様の調査がなされたと思われるが、当初の予測が150万人/年は大きい。むしろ、95年が最高で101万人/年、現在の65万人/年でも立派なものだ。ますは何で施設内容がアイマックスと現代美術がテーマとなったのか訝る。もともと赤坂にあった美術館も基本理念「生活の中の美」で工芸品の展示が多かった。(現在は六本木に 設計は隈)しかも現代美術との展示の合体施設は特殊だ。このあたりの事情は不明だが、サントリーのイメージにそぐわないのは否めないだろう。映像でもアンクルトリス、音楽で「夜が来る」で「ウイスキーがお好きでしょう」と試飲などできるCM歴史資料なら理解できるが。( http://www.suntory.co.jp/whisky/old/ad/ad01.html )<o:p></o:p>

先ず前提として、美術館で入場料から収支が合っているものは少ない。文化事業とはサントリーホールをはじめそのようなものではないか。考えるに、アイマックス・シアター(平面)はオムニ・マックス(ドーム状)に比べ訴求力が劣り、ホームシアターとデジタル化によりいよいよ新奇性が失われたことも一因だろうか。またはアイマックス社の機械の耐用年数・リース期間からくるものかもしれない。安藤の建築も海遊館に比肩する美術館部分とシアター部分の組合せの面白い形だが。今回の閉館で天保山のエリアとしての訴求力低下を懸念する。他の用途はアイマックスの階段劇場は転用しにくいのでテレビ収録は如何だろう。幸い都心からの車の便利はよくなったし、無料なら新宿のアルタのように観客も集まるだろう。<o:p></o:p>

ウォーターフロントとして今や中ノ島の時代だ。天保山は独自の面白さを狙うのが方策である。それにしてもポスター展(カッサンドル 他)やアール・ヌーボー、デコの展示などは印象に残る。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

デパートはどうなるか:考えました分析と提案です

2009-08-28 20:26:50 | マクロ経済

デパート業界の損益分岐点は今のところ85%くらいで、現状対前年比10%は売上減少している。さらにポイント・アップなどで荒利低下とその他売上歩合の低下などでさらに厳しい状況であろう。その上、競合は増えるのに、床面積は増えるという問題がある。<o:p></o:p>

基本から問う。デパートはモノの集まる商店なのか(発祥はフランスのボンマルシェで博覧会がテーマであった)、商業プロデューサーなのか(西武等の志向)、それとも不動産賃貸業なのか(現状)。<o:p></o:p>

デパートは増えすぎた立地と規模、歴史と矜持のある良い店のみが残るだろう。その他のユニクロなどSPA(製造一貫値頃ファッションかな)や専門大店が入っているのは、もはやデパートではなくショッピングセンターのデパート付きだろう。その根拠を分析する。<o:p></o:p>

デパートの位置付けを「行動・利用」の需要面と「商業競合」の供給面から分析する<o:p></o:p>

行動・利用から考え、日常・非日常に分け日用品の買物、お出かけの買物、都心買いまわり、旅行・観光 真で分類するとデパートは中間に位置づけられる。かつては遊園地とデパートは行楽地であるが、今や日常に近い。デパ地下がその代表だろう。<o:p></o:p>

次に、商業競合(マーケティング) 特化(Speciality:テーマ、差異とする)、量(Scale:規模)、種類(Scope:品揃え)、、提案(Service顧客への評価・要望対応)での分析を考えた。<o:p></o:p>

 かつてのデパートは特化(Speciality)はないものの、があり、提案(Service)があった。ちなみにテーマ性のあるブルーミーのようなデパートもある。<o:p></o:p>

1 特化(Speciality)ではセレクトショップやブランド・ブティックがある。スタッフの提案(Service)もある。また、特化(Speciality)型の量(Scale)と種類(Scope)では専門大店(ヨドバシ、イケア)がある。提案(Service)もあるが実物だ。特化しているか否かの違いはあるがデパートとの直接の競合がある。また、秋葉原の電気街などかつてはラジオ部品、オーディオ部品の専門で小さなお店と店主が集まっていて、専門・特化・量を実現していた。(ポーターの分析の通り「差異」は強い)<o:p></o:p>

2 量(Scale)、種類(Scope)ではショッピングセンターが優位だ。但し、一体施設としての提案(Service)は少ない。<o:p></o:p>

3 提案(Service)と種類(Scope)では専門店(伊東屋や東急ハンズ)がある。ないものはないや取り寄せますという姿勢で専門能力のあるスタッフが資産だ。<o:p></o:p>

4 提案(Service)では老舗の個店もある。品物は少ないが取り寄せや一品ものも作ることができる。<o:p></o:p>

5 量(Scale)と種類(Scope)で製品などに特化(Speciality)すればネットがある。但し、提案(Service)は「製品評価」に頼るしかないのと実際に手に取れないのが難点だが知識さえあれば利用できる。<o:p></o:p>

 と考えるとデパートは特色がなく、幅広く、規模と種類をあつめて、スタッフの提案が競争優位性であった。また、行楽地としての位置付けはもはやない。だからといって、再度「遊園地化」を狙うのは難しい。となると本業の物販への回帰と施設の一体運営という優位性の活用である。そうすると、テーマを持つ特化(Speciality)か提案(Service)かどちらかであろう。大きなセレクトショップ化か複合した専門店(スタッフ)の集合体である。つまりは施設の企画・運営ソフトか人的資源のいずれかの充実が課題となる。もはや珍しい店や催事では人はこない。デパートも特色を出すという「差異」を考え、専門性のある人材を「宝」として活用する時期であろう。<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

「デパートにはかつて夢があった」という70年代位のアメリカの著作を89年に読んで、バブルのなかでも将来を危惧していたが、今やその時期が来た。<o:p></o:p>

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

徳島の中心市街地の変容と対応

2009-08-27 19:04:04 | 都市経営

 徳島市のモールや水辺の計画は京都造型大の井ノ口先生の作品で「大風呂敷」といわれたそうだ。だが、紺屋町モール、銀座モールも横浜の伊勢佐木モールと同じく駐輪と古びたストリートファニチュアで輝きを失いつつある。<o:p></o:p>

 東新町はかつて中心のアーケード街だが人が少ない、若者が少ない。シャッター通りの様だ。駅前も人が少ない。大型ショッピングセンターに人が流れていると聞く。これについての論文を紹介します。<o:p></o:p>

「徳島県における大規模小売店舗の立地の変遷と消費者の買物行動の変化に関する分析」 余田翔平 他 日本建築学会計画系論文集 第74巻、第639号、1101-11072009年 5<o:p></o:p>

本論では、地方都市においては商業の郊外化の更なる進展と高齢者が徒歩で暮らせる生活圏の創造として高齢者の都心居住が提言されている。至極まっとうな研究であるが、地方の高齢者はずっと住んできた「まち」(地縁・血縁)を重んじている。そのため、都心に「移住」するのには難点がある。むしろ今の場所に住み続けるために都市内に拠点的にでサービスと商業のクラスターも並行して整備するのが良いと考える。さらに、公共交通機関としてLRTなどの整備も見込めず、バス事業も利便性と採算に課題があるため現状あるタクシーの乗り合い化や補助などが有望ではないか。<o:p></o:p>

あわせて、「多摩地区における生活関連施設の立地経緯について」 石橋登他 日本建築学会計画系論文集 第74巻、第635号、41-502009年 1月には郊外住宅地の生活関連施設の変遷と経緯から住民ニーズを分析している。また今後の再開発への提言もあり高齢者の駅前住み替えや周辺地区への若年層の入替を不動産会社の取組みも交え具体的な方策が示されている。<o:p></o:p>

このような都市内の年齢による住み替えは今後、商業・サービスのクラスター化(小型の路面集積)とともにコンパクト・シティのあり方となろう。それにしても、地方都市での若者の少なさ、都心商業の衰退には驚いた。<o:p></o:p>

余談:銀座 一福本店で久々に有名な「肉なし」シューマイ、ラーメンと焼き飯を頂いたが、いまひとつ感動が。麺は硬めに、スープの旨味が薄く、醤油が濃い。近代風になったが昔のお味はどうしたのかな。<o:p></o:p>

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

阿波踊り会館に感動、阿波踊りの楽しさと参加型観光の可能性

2009-08-26 20:08:36 | 都市経営

所用で徳島を訪れる。徳島市はかつて商品作物の藍で日本有数の経済を誇ったが、化学染料の出現と第二次世界大戦の空襲で古い町並みが消失し都市が変容した。<o:p></o:p>

今回訪れた、阿波おどり会館は眉山の麓のロープウエイ乗り場にある。眉山のロープウエイ・モラエス館入場券付き1,500円で徳島都心観光の拠点だ。何時でも阿波踊りが楽しめる施設で、「風連」が専属だ。ベンチのホールで舞台と一体化し目の前に踊って頂ける。ている。先ず、阿波踊り 3期の変遷の解説がある。感心した。花鳥風月の踊りの提示もあり楽しい。最後に、参加もできる。プロの阿波踊りの方の話が聞けるのと踊りの場所が通年確保され練習にもなり、観光客は通年踊りを楽しめるという三徳がある。<o:p></o:p>

もともと阿波踊りは、盆(ぼに)踊りでぞめき( http://www.awabank.co.jp/kojin/odori_1.php )が発祥とある。戦後、桟敷で見せるショーとしての都市祭りとして独自性があった。その後、拡大し高円寺などに伝播され珍しさが低下した。さらに、競合として新しい踊りで若者が盛り上がるよさこい祭りの隆盛を見るに至った。(高知のよさこい祭りは始め鳴子踊りで単純な阿波踊りの親戚のようなものであったが) 現在ではよさこい祭りの専門化があい各地の祭りも出来ている。<o:p></o:p>

久々に阿波踊りを体験してみたが、愚妻は大変気に入っていた。単純だからだろう。阿波踊りは原点に回帰し、体験型の観光として楽しめると感じた。単純で気楽な踊りだが、一度是非本番(812日から15日)に参加したいものだと夫婦で話していた。<o:p></o:p>

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人口流動の地方再生学 松谷明彦 編著

2009-08-25 19:54:39 | マクロ経済

 編著で各担当のつながり、文章、流れに課題があろう。<o:p></o:p>

都市圏こそ高齢化が問題となるという知見としては面白い。その前提の人口流動モデルの検証が必要であろう。 <o:p></o:p>

次に地方の定住と農業、人口移動の仕組みに具体性が欲しい。<o:p></o:p>

結論は集落に農業が基幹産業で「下(集落レベル)」からの対応、地方都市は集落に目を向けるべきという3点だが、生活のありかた、都市と集落の相互関係、今後の人口、世代、年齢の変化などのとりまとめが欲しい。<o:p></o:p>

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大阪水都2009への提言

2009-08-24 19:33:23 | 都市経営

先ず時期は5月からが望ましい。今年は準備が間に合わなかったのか、夏では暑過ぎるし、もはや晩夏だ。 <o:p></o:p>

次にマクロで考えると、「堂島川・土佐堀川・木津川・道頓堀川・東横堀川がロの字型」というが2.5km 角では規模が大きすぎる。回廊の延長も歩ける距離ではないし回遊路も整備されていない。歩けるのは34km (銀座や心斎橋難波が1km、往復で2km)で中ノ島 3km 、道頓堀 日本橋から湊町 1km、淀屋橋から難波 3kmだ。 <o:p></o:p>

ロの字型では東西軸の中ノ島と道頓堀は誘引力がある。しかし、南北軸 木津川・東横堀川は高速道路などがあり水辺の楽しさがない。回廊といえるか。むしろ南北(中ノ島と道頓堀)2つの水の軸とそれをつなぐ南北の「筋」を整備するのがよいだろう。<o:p></o:p>

都心の回遊ルート整備も課題だろう。三休橋筋の綿業会館や堺筋のモダン建物、心斎橋筋では船場の卸問屋、心斎橋では大丸とブティック街、難波ではグリコの看板が面白い。都市観光として水辺と合わせ「歩いて楽しめる」回遊ルートが欲しい。大阪城、桜之宮、難波宮跡など既存の歴史の道との結節もある。<o:p></o:p>

結節点である淀屋橋、難波の戎橋には都市観光拠点が欲しい。市役所の一部をフェスティバル・マーケット・プレイス(観光商業)にしてはどうか。御堂筋線との結節点であるし、横の緑地とともに名所となりうる。また、戎橋には観光インフォメーションセンターが欲しい。<o:p></o:p>

 つぎに水辺の回遊路(エスプラナード)の整備が必須だ。道頓堀では湊町までのリバーウオークの延伸、中ノ島では歩いて楽しいイベントや木陰が欲しい。今のままではどうも盛り上がりにかける。出来れば堺の自転車業界とタイアップして貸自転車を淀屋橋に設けると観光しやすい。また、ボストンのフリーダム・トレイルのように動線を道にペイントし要所要所の歴史解説をしてあると歩いて楽しい。例えば、米蔵、米の先物取引市場、水運の歴史、座などを取りまとめると良い。一手千両(岩井三四二)など北浜先物を舞台にした小説もある。<o:p></o:p>

それにしても、中ノ島の護岸は汚い。もう少し綺麗にならないものか。シカゴも先物と川の都市だが、水辺にも降りられるし護岸にも配慮がある。また彫刻やバーナムなどの近代建築も多い。(ブルース・ブラザーズで有名である)大阪もブラック・レインでは暑苦しい感じしかなかったが、歴史と誇りを「水」により表現して欲しい。<o:p></o:p>

都市が誇るべきは歴史という有形、無形の資産である。<o:p></o:p>

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

難波湊町のウォーターフロントと周辺開発

2009-08-23 07:13:36 | 都市開発

水都大阪も開幕したようなのでウォーターフロントを。ウォーターフロントの開発にはソフト・ハードで人を集める・いつも賑わう方策が必要だと拙著に書いたのは91年だ。湊町のウォーターフロントは人工的で木が少なく木陰や陽を遮るものがない、設計が単調でヒューマンスケールを越えており居心地のよさが無いなどの課題が明白だ。恐らくは設計者がドラフターで線を引いたようで単純な平行線が多い。さらにホールと高速出入口はヒューマンスケールを越えた大きさがある。<o:p></o:p>

さらに、対岸のレストランも単調なデザインで人のざわめきの演出がない。歩くと、暑い、日陰が無い ベンチがない、お店がない、回遊動線がない、とどめは水辺の景観がビルの裏側、マンション、ホテルしか見えないというものだ。<o:p></o:p>

水辺のデザインは「水辺の他にない風景」、「ぶらぶらできる施設」、「季節によって変化する半屋内空間」が要点だ。(拙著で「半屋内空間」を定義している)また、道頓堀の中心である戎橋から四ツ橋筋付近で分断され水辺を歩いてつながっていないのも課題だ。<o:p></o:p>

さらに、「ルネッサなんば」は国鉄貨物ヤード跡地の再開発で都市再生緊急整備地域ともなっているが( http://www.toshisaisei.go.jp/  http://www.kantei.go.jp/jp/singi/tosisaisei/kettei/020719housin.html )、ウォーターフロントの後背地開発としては回遊の連続性、用途の相互補完に課題が多い。特にOCATと湊町リバープレイスはもっと景観、施設利用、来街者の行動など「街を利用する」ソフトの検討が欲しかった。<o:p></o:p>

さらに同じ難波エリアなのに「なんばパークス」との差異や相互補完、相乗効果が明解でない。また施設の連関性では同じJR大型用地再開発でも品川での明解な軸線と通路は分かりやすい。(朝のラッシュは土石流のようだが) 用途もモザイク状でオフィス、商業、複合施設、住宅、公共施設が混在している。ターゲットは車利用の商業客なのか、オフィスなのか明解でない。街並みの形成、エリアのマーケティングに課題が多い。東京のようにオフィス需要が大きく、新幹線もとまる品川ならオフィスで本社ビルが林立されたのであろうが、オフィス需要の伸びない大阪での難しさを切に感じる。<o:p></o:p>

結論として、湊町のウォーターフロントでは日除けを増やし、要所に小型のお店を設けるのが良いだろう。立ち飲みのホルモン串焼でも、串カツでも、ショット・バーでも良い。木陰で憩いながら、夕陽を眺めながら、気に入ったお店を巡ったり、ゆったり佇んだり、芸や音楽を楽しんだりという行動の多様性が欲しい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大阪の都市構造:ミナミはどうした

2009-08-22 14:25:41 | 都市開発

ミナミの3エリア(心斎橋・難波・天王寺)を久々に訪れました、ミナミは熱気がある、匂いがある、人懐っこいか感じで、看板が多いという街の雰囲気が楽しい。<o:p></o:p>

 心斎橋は路面店が大丸・そごうの統合で心斎橋筋とともに商業集積が変化する動きがある。 <o:p></o:p>

難波は「アジア」で意外に地下街が巡らされている。湊町もなんばパークスも郊外型の専門大店が多い。 <o:p></o:p>

天王寺は再開発で郊外型SCのようなイトーヨーカ堂と東急ハンズの出店が見込まれ、近鉄阿倍野駅は 巨大な百貨店とオフィスの開発中だ。 <o:p></o:p>

この3エリアは心斎橋→難波→天王寺の順にオフィス集積が見られなくなっている。新規開発も、物販、娯楽、飲食、教育関連の用途が多い。オフィス集積は大阪市では梅田・淀屋橋・本町と新大阪の御堂筋線北部に重心が移転している。そのためミナミに郊外型に近い大型商業施設の開発が多くなりつつあるのではないか。<o:p></o:p>

かつてはキタとミナミが大阪の2核として張り合っていたが、キタへのオフィス重心移動とミナミの変容(大型郊外型商業施設立地)で変化してきたと感じた。また、今後はキタの百貨店競合(新宿と同じ規模なのが5割増しになる)のと心斎橋の大丸と周辺の変化というのも気がかりだ。<o:p></o:p>

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

堺での楽しみ

2009-08-21 19:33:34 | 食べ歩き

 かつて、近つ飛鳥あたりに住んでいたころ、食事にはホンダのCR-X(自転車も積めて便利であった)で堺に通った。休日の遅い朝は先ずゲコ亭で美味しいご飯とあれば粕汁、すき焼き風の小鉢がお決まりであった。当時はお汁は自分でよそう方式であった。<o:p></o:p>

その後は、道を渡ってかん袋で氷くるみとくるみ餅を食べた。(20代の胃袋は健康だ)そして、お土産に深清壽しの穴子とバッテラを買った。(当時は焼き穴子の握りずしもあったように思えるが)時には、美々卯で「小町」(小さな天ぷらうどん(天ぷらはさいまき2本で別)と冷やしおろし蕎麦のセット)を楽しんだものだ。(やがてこの小町は美々卯各店で供されるようになった)<o:p></o:p>

夜ははやの焼肉によく行ったものだ。自転車ではカワハラダさんにお世話になっていた。堺は美味しい街という思い出が多い。<o:p></o:p>

一度、自転車で堺や二上山、明日香を巡りたいが京都からは遠いなあ。レーサーの輪行を考えよう。古市から竹内街道沿いにある腰部分が船の廃材で作られた蔵(ご存知の方は場所をお教えください)をもう一度描いてみたいものだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天ぷら 大吉 なんばこめじるし

2009-08-20 19:34:10 | 食べ歩き

「深清壽し」の穴子の感動し、堺つながりで天ぷらの穴子を食べようと難波の南まで足を伸ばす。いわゆるガード下ですが集客力のあるお店を「なんばこめjるし」と名づけて誘致している。<o:p></o:p>

 店内は、市場の食堂をイメージしている。お昼定食のロ(1,000円)を(東京は日本堤の「土手の伊勢屋」みたいだ)お味は「豪快」の一言に尽きる。次々揚げていく。先ずは大盛の大根おろしが入った天つゆでしょっぱめ。天ぷらはまとめてお皿で出るが下に油が残っているのもご愛嬌。衣が厚く剥げやすい。大海老(頭付き)、烏賊(足の付け根)、穴子(めその様に小さい)、鱚、今日の魚のめごちと 小盛のご飯(お替りできます)と沢庵2切れ。名物のアサリ汁は実と汁を分けて合わせる。鱚は身が厚く美味しかったが、またお汁は感動しなかった。あさり汁は浦安の秀寿司に思いを馳せる。<o:p></o:p>

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

深清壽し 堺の穴子に驚嘆

2009-08-19 18:49:42 | 食べ歩き

夏は穴子だ。昔の味をさぐりにちんちん電車で恵比寿町から堺まで、そして天王寺に戻った。<o:p></o:p>

関西の穴子というとかつては神戸元町の青辰で巻物、箱、散らしが高名であったが今は無い。噛み切れないくらい厚い海苔で焼穴子に椎茸と木耳が美味しかった。同じく高名なのは岡山の魚正がある。<o:p></o:p>

今の関西で3大穴子というと、高砂商店の焼穴子、明石菊水寿司の煮穴子、そして今回の深清壽し(これが計算書にあり正式らしい)の煮穴子だ。穴子にぎりは沢煮で柔らかくツメの旨味が濃い。驚嘆のお味と6945円というお値打ちのお値段だ。<o:p></o:p>

また、美味しいのはバッテラで盛夏なのに締めが浅くご飯も淡くふんわり。薄い鯖だが味わいは濃い。これで420円は驚く。<o:p></o:p>

穴子の箱寿司も美味しい。穴子にぎりがさらりと溶けるとしたら、これは噛み締めの穴子が楽しめる。ついでにかん袋で氷くるみと思ったらお盆休み。天王寺の明治屋も。残念。秋に再訪しよう。今度は、穴子巻も。 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

せっかくの保存建物に広告は

2009-08-18 08:41:58 | 都市計画

 洛中に某商業銀行の外壁を保存・増築し都市景観賞建築部門 (京都市)を受賞した男女共同参画推進の拠点としての公共施設がある。歴史保存部分と増築部分が大変綺麗にまとまっており、歴史とモダンを感じるデザインだ。入口は外光を取り入れ、開放感のあるガラス張りで石との対比や光りの取り込みの設計がなされ、施設のイメージとなるロゴのオブジェもある。<o:p></o:p>

 最近、この入口のガラスの1階相当部分に大きく、施設案内の張り紙がなされている。せっかくのデザインが台無しだ。更に、入口周辺には食べ物の幟が立てられている。良い建築があっても景観への配慮がないともったいないと感じる。美しい公共財を上手に使わない、広告物などは運営者の思うがままであるというのでは洛中の景観政策になじまないのではないか。どうしてもお知らせや広告を出したいのならそれなりのスペース(現状 施設看板はある)や手法(外壁に沿うバナーなど)を考えてはどうか。<o:p></o:p>

 折角の建物が「使い方」によって真価を発揮できないのは見ていて悲しい。きっと、設計や企画に携わった方々も複雑な思いだろう。景観や建物は市民共通の資産だ。<o:p></o:p>

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

五山送り火

2009-08-17 06:38:53 | 京都

 今年の夏はそれほど暑くない。五山送り火をお送りすると夏も盛りが過ぎる思いだ。風があったが空も澄んでいて綺麗に見えました。<o:p></o:p>

昨日は銀閣寺前で大文字の護摩木奉納に参りました。麓から眺める大文字山の緑も濃く、力強い色でした。朝夕のしのぎやすさ、空の高さ、トンボの姿に秋の気配を感じます。<o:p></o:p>

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする