徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

映画「浮雲」と幼い日の想い出

2011-05-06 16:32:52 | 映画
 一昨日、映画「浮雲」のデジタルリマスター版がBSプレミアムで放送された。何度見てもこの映画は僕の心をとらえて離さない。この映画が公開されたのは昭和30年(1955)。僕がこの映画を初めて見たのは成人してからだからずっと後のことだ。しかし、小学4年生だった、この昭和30年のことは今でもよく思い出す。この年の7月、アメリカの進駐軍が上熊本駅から列車で帰って行った。僕はそれを上熊本駅の線路脇の立て杭越しに眺めていた。プラットフォームでは米兵とオンリーさんたちの泣き別れが繰り広げられていた。
 僕の家の前の道路を挟んだ向かいには、今はマンションが建っているが、その頃は細谷さんという大地主の邸宅があった(りそなHDの細谷英二会長の実家)。邸内には築山があり、その周りは鬱蒼と茂った木々に囲まれていた。出入り自由だったので僕ら子ども達の格好の遊び場所だった。ある時、その邸内の一角に、いかにも安普請の平屋が建った。今風に言えば、2DKほどだったろうか。そしてそこに米兵(将校か?)とオンリーさんが入居した。昼間、僕らが邸内に遊びに行くと、米兵の姿はほとんど見かけなかったが、オンリーさんとはよく顔を合わせた。しかし、一度も口をきいたこともないし、彼女の笑顔を見たことも一度もない。いつ見ても悲しげな表情を浮かべていた。その頃は僕の親兄弟も含め、周囲の、オンリーさんやパンパン(現在は不適切な表現だがあえて使う)を見る眼は軽蔑に満ちていたから、今思えば当然そんな顔にもなったろう。その米兵も昭和30年に帰って行った。オンリーさんがその後どうなったかは知らない。
 それからずっと後になって映画「浮雲」を見た。そして、あの頃、米兵の腕にすがるしか生きる術のない女性たちが数多く存在したことをあらためて理解した。彼女たちはその日一日を生きることに必死だったのだ。あのオンリーさんも多難な人生を送ったに違いない。そんなことを想い出させるのが、僕にとっての「浮雲」なのである。