徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

熊本の風景今昔 ~ 安巳橋・小泉八雲「橋の上で」 ~

2011-05-25 16:27:59 | 熊本
 お抱え車夫の平七が、熊本の町の近郊にある有名なお寺へ連れて行ってくれた。
 白川に架かっている、弓のように反った、由緒ありそうな橋まで来たとき、私は平七に橋の上で停まるように言った。この辺りの景色をしばし眺めたいと思ったのである。夏空の下で、電気のような白日の光に溢れんばかりに浸されて、大地の色彩は、ほとんどこの世のものとは思われないほど美しく輝いていた。足下には、浅い川が灰色の石の河床の上を、さざめきながら、また音を立てて流れていて、さまざまな濃淡の新緑の影を映していた。眼前には、赤茶けた白い道が、小さな森や村落を縫うように曲がりくねり、ときに見えなくなったり、また現れたりしながら、その遙か向こう、広大な肥後平野を取り囲んでいる、高く青い峰々へと続いているのだった。背後には、熊本の町が広がっていた――おびただしい屋根の甍が遠く青味がかって渾然とした色合いを見せている――なかでも、遠くの森の岡の緑を背にして、お城の灰色の美しい輪郭がくっきりと見えていた……。町の中から見れば、熊本の町はつまらないところだ。けれども、あの夏の日に私が眺めたときのように遠望すれば、そこは靄と夢で出来たおとぎの国の都である……。
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 これは小泉八雲が熊本時代の思い出をもとに書いた短編小説「橋の上で」の冒頭の部分である。そして、この小説に出てくる橋が安巳橋、通称安政橋(あんせいばし)だ。白川に架かった橋としては長六橋の次に古く、安政4年(1857)に架けられた。小説ではお抱え車夫の思い出話の形をとっているが、安巳橋は八雲が熊本に赴任して最初に住んだ家から目と鼻の距離にあり、地元の住人などからそんな話を聞いていたのかもしれない。熊本の街も今ではビルが建ち並び、この小説に描かれたように、橋のたもとからは東の肥後平野も、西の熊本城や金峰山も眺めることはできない。


今日の安巳橋


大正 or 昭和初期?の安巳橋