徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

昭和三年七月 大牟田駅

2020-10-29 22:34:36 | 文芸
 10数年前、詩人の谷川俊太郎さんらが「ヤーチャイカ」という写真と詩で構成した映画を制作された。これに刺激を受けて、海達公子の物語を、公子研究の第一人者である規工川佑輔先生(2017年没)と相談しながら映像化したことがある。
 下の文章は、その時の脚本の一部で、公子と北原白秋が初めて対面する場面である。しかし、この場面は残念ながら全体の時間の制約からカットせざるを得なかった。

昭和三年七月 大牟田駅
駅舎の中に十人ほどの人が列車の到着を待っている。白い背広姿の与田(準一)と海達父娘が改札口のまん前に立っている。濛々と黒煙を吐き出しながら列車が入って来る。改札口にほど近いデッキから、男の子が小さな女の子の手を引いて降りてくる。北原白秋の長男隆太郎と長女篁子である。すぐ後ろから鞄を提げた白秋と妻菊子が続いて降りてくる。白秋はカンカン帽の下に涼しげな笑みを浮かべている。カメラのフラッシュが炊かれる。改札口に近付いた白秋が先乗りしていた書生の与田に気づく。白秋一家が改札口を出た時、与田がすっと近付き、白秋の鞄を受け取る。

与 田「お疲れ様でございました。奥様もお疲れになったでしょう!」
白 秋「おぅ、ご苦労!」
   与田は、横にいる海達父娘を紹介しようとする。すると新聞記者らしい男たちが三人、
   ずかずかと白秋の前に進む。
記 者「北原先生!お帰りなさいませ!今回のご滞在はいつまで・・・」
白 秋「どうもどうも、ちょっと待ってくれたまえ。」
   と軽く手を上げて記者を制した後、すぐに視線を海達父娘の方に向ける。
白 秋「やあ、やっと会えたね!」
松 一「お初にお目にかかります!いつもご指導を賜り感謝いたし・・・」
   白秋が言葉をさえぎるように
白 秋「堅苦しいことは・・・。」
   と言いながら、再び記者たちの方に視線を向け
白 秋「この子、私の弟子なんだよ!」
記 者「あゝ、そうでしたか。」
   白秋を中心とした集団がぞろぞろと駅舎の外に向かって歩き出す。
   駅舎の前には二台のセダンが待っている。

※この数日後、白秋は公子を伴い、開局間もない熊本放送局に姿を現す。白秋の紹介で後日、公子の特別番組が放送されることになる。

  
左から北原白秋、与田準一、海達公子