徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

進駐軍がいた頃

2023-08-06 20:15:25 | 歴史
 先週、NHK-Gの「The Life 〜人生はジャズとともに 齋藤悌子87歳〜」というドキュメンタリーを見た。戦後、18歳の頃から沖縄の米軍基地にあるクラブで米兵のリクエストに応えて歌い始め、87歳となった今も現役ジャズシンガーとしてステージに上がる齋藤悌子さんの半生にスポットを当てた番組だった。銀髪の下の深いしわがきざまれた顔で齋藤さんが「サマータイム」を歌い始めると、僕はなぜか胸がキュンとして、戦後間もない幼かった頃の自分に意識が飛ぶ気がした。


 新坂をはさんだわが家の向かいには大地主の細谷氏(りそなホールディングス会長などを務めた故細谷英二氏実家)の邸宅が広がっていた。邸内は鬱蒼と茂った木々に囲まれていた。ある時、その邸内の一角に、小さな平屋が建った。2DKほどだったろうか。そこには米兵とオンリーさんが入居した。米兵の姿を見かけることは稀だったが、オンリーさんとはよく顔を合わせた。彼女は子供の僕らに笑いかけることもなく、いつも悲しげな表情を浮かべていた。セミ取りで米兵の家の傍を通ると微かにオーデコロンの香りがした。その米兵も昭和30年7月に引き揚げて行った。オンリーさんがその後どうなったかは知らない。
 下の写真は昭和30年7月某日、進駐軍の撤収が始まり、上熊本駅から米兵たちが帰国して行った時の風景である。駅のホームには別れを惜しむ米兵とオンリーさんたちの姿があった。わが家の近くにオンリーさんと住んでいた米兵も帰って行った。暑い夏の夕方、駅の線路脇の有刺鉄線を張り巡らした立て杭越しに僕はそれを眺めていた。幼いながらも何かが変わっていくのを感じていた。68年前の出来事だ。

別れを惜しむ米兵とオンリーさんたち
「写真集熊本100年」(熊本日日新聞社刊)より