徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

京町濱田屋はどこ?(3)

2023-08-25 21:51:54 | 歴史
 2年ほど前、ブログ「津々堂のたわごと日録」さんが、旧熊本藩士吉田如雪が書き残した「明治十年日記」の中の、熊本城天守閣が炎上した明治10年2月19日の日記に「朝飯後四時過京町濱田屋ノ湯ニ行ク」と記された「京町濱田屋」とはいったいどこにあったのかが不明というブログ記事を投稿された。京町で生まれ育った僕としては明らかにしておきたいと思い、以来、古くからの京町住人で僕らよりも年長の方々に尋ねたり、史料がどこかに残っていないか探してみたりした。しかし、年長者でも僕らよりひと回り上くらいになるとご存命の方は限られており、史料もいまだ見出せず、京町濱田屋の位置を特定するまでには至っていない。
 これまでにわかったことを整理してみると、
  • 「濱田屋ノ湯」とあるが必ずしも風呂屋とは限らないこと。
  • 吉田如雪が天守閣炎上を目撃したのは濱田屋の三階と書かれており、濱田屋は宿屋、料亭もしくは妓楼ではないかと想像されること。
  • 京町遊郭が兵火で焼失した後、二本木に新たに遊郭が設置されるに当り、真っ先に建設に着手したのが濱田屋という記録があり、これが京町濱田屋と同一経営者である可能性があり、京町濱田屋は妓楼だったのではないかと思われること。
  • 吉田如雪は京町濱田屋亭主と懇意であり、足繁く通っていたと思われ、濱田屋は吉田邸からそう遠くない距離にあったと思われること。
  • 京町本通りはかつて「二階町」と呼ばれて両側に二階建ての古い大きな町屋が並んでいたので、京町濱田屋は裏京町筋か京町遊郭の外れ辺りにあった可能性が高い。


    二階町の名残り「池田屋醸造」


     ここは、宇土小路から東に上る牛縊坂(うしくびりざか)と呼ばれた坂道で、旧国道3号線(豊前街道)と交差するクランク状の道の少し手前の地点。右方向が裏京町筋。前方の白いビルの辺りにかつて「菊乃湯」という風呂屋があり、道を挟んだ左側に竹屋旅館があった。
     下の地図は吉田如雪の「明治十年日記」に添えられた地図だが、右下の点線の〇印で囲った辺りに京町濱田屋があったのではないかと、現時点では推測している。今後も気長に調べて行きたい。