徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

ふるさとのはなしをしよう! ~ 坪井川 ~

2010-12-27 22:18:05 | 熊本
 ブラタモリの影響もあって、最近、自分が生まれ育った熊本の歴史を調べることが趣味になった。調べ始めると「へぇ~!」と驚くようなことが多くて実に面白い。中でも熊本市の中心部を流れる坪井川はわが家から近く、子どもの頃から身近な存在だったので興味深い。先日、所用で同級生のSさんの家にお伺いした時、お父様(だいぶ前に亡くなられている)が19歳の時(昭和10年)にまとめられたという熊本市京町の歴史についてのノートを拝見した。興味深い記述が続くノートの間に、一枚の地図が折りたたんで挟まれていた。広げてみると大正5年(1916)に発行された熊本市の地図だった。どうしてもまずわが家の周辺に目が行く。94年前の道路はほとんど今と同じだった。ところが坪井川の形状が全く違う。加藤清正以来、坪井川は治水や熊本城の堀として利用するため、度々流れを人工的に変えてきた歴史があることは知っていたが、大正時代になってもまだ、現在とはこんなに違った姿だったことは新鮮な驚きだった。また、坪井川は他の川もそうだったように昔は水量豊かで水運に利用されていた。特に城下町を流れる坪井川は物流の大動脈だったらしい。わが家から直線距離で500mほど北に行ったところに舟場(ふなば)という地名がある。いわゆる船着場という意味だが、今ではバス停の名前として残っているだけだ。だが、この地図を見ると確かに坪井川の支流が描かれているので、この当時はまだ、舟が上って来ていたのかもしれない。今では雑草が生い茂り、流れが残っているかどうかすら判然としない。まだこれからも新しい発見がありそうだ。


この道の左側が舟場