徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

こんなんでいいんだろうか!? ~ くまもと全国邦楽コンクール ~

2011-05-16 14:42:07 | 音楽芸能
 昨日、何かの媒体で見つけて気になっていた「長谷検校記念 くまもと全国邦楽コンクール」とやらを覗いてみようと熊本市民会館(僕はこの名でしか呼ばない)に行ってみた。すぐに僕の認識不足も甚だしいことに気がついた。イベント名に「くまもと」が付いているので、地元の手だれの奏者たちが集まって全国大会の地区予選でもやるのかな、くらいの気持だった。とんでもない!日本の邦楽界で既に第一線で活躍している人も全国各地から参加してくるほどの凄いレベルの大会だったのだ。参加者の力量の高さは素人の僕にでもよ~くわかった。そもそも長谷検校(ながたにけんぎょう)なる人物、名前だけはどこかで聞いた覚えがあったが、どういう人物なのか知らなかった。なんでも熊本出身で幕末から明治・大正時代に活躍し、九州系地歌を全国に普及させた、邦楽界では伝説的な人らしい。この人をリスペクトして熊本でこのコンクールが開かれているというわけだ。地歌とは上方で生まれた座敷音楽で、三味線を伴奏とする歌曲のことをいうのだそうだ。このコンクールは「箏曲の部」、「尺八・笛音楽の部」、「三味線音楽の部」、「琵琶楽の部」、「三曲等合奏の部」の五つの部門が行われ、全体のナンバー1が選ばれる。昨日は「箏曲の部」の佐藤亜美さん(東京)が最優秀賞に選ばれた。ただ、見ていて僕が気になったのは、こんな全国レベルの大会にもかかわらず観客が少ないことだ。なんだかもったいない気がする。基本的には邦楽そのものに対する市民の関心の低さがあると思うが、イベントのプロデュースのしかたにも問題があるような気がした。


実行委員長の幸山熊本市長から表彰を受ける最優秀賞の佐藤亜美さん

熊本の風景今昔 ~ 新市街・電氣館前 ~

2011-05-15 20:47:38 | 熊本
 久しぶりに電氣館の前を歩いて通った。熊本最古の映画館、今年創業100年だそうだ。ということは10年前に亡くなった僕の親父が生まれた年に出来たわけだ。また、市街地中心部に唯一残る映画館でもある。林芙美子が「舞姫の記」の中に書いているように、昭和初期の頃は新市街と言えば映画館街で、まさに庶民の娯楽の殿堂だった。多分、彼女が見たのは、下の白黒写真のような風景だったのだろう。今は通りもサンロードという名のアーケード街に変わり、お洒落な店もたくさんあるが、かつての賑わいはない。寂しい限りだ。


今日の電氣館前


昭和初期の頃の電氣館前

昭和6年(1931)という年・・・

2011-05-14 21:47:28 | 熊本
 昨日ブログにブリヂストンの創業80年のことを書きながら、その創業の年、昭和6年(1931)は熊本にとっても大変な年だったことを思い出した。と言っても僕が生まれる15年も前の話なのだが。この年の11月、熊本では陸軍特別大演習が行なわれた。当時の時代背景を考えると、おそらく昭和35年の最初の熊本国体を凌ぐビッグイベントだったに違いない。軍関係者だけではなく、日本全国からいろんな人々がやってくるというので、大演習景気を当て込んで、千徳や銀丁などのデパートができたと言われているくらいだ。この大演習の際に行なわれた天皇陛下の奉迎式典に、奉唱部隊の一員として参加した、当時、高瀬高女3年の海達公子は、下記のような作文を書き残している。この翌年には満州事変が勃発しており、軍靴の音高くなる暗い時代の始まりでもあったわけだ。


国鉄熊本駅から大本営(偕行社、現在のNHK熊本放送局)に向かう天皇車


み姿を拝みまつりて
            三ノ三 海達公子
 前へ進めの旗は振り卸されました。私達は愈々陛下の御前まで行くのです。何万といふ女学生や処女会員から成る奉唱部隊が、玉座を中心として三方から進んで行くのです。止れの信号旗が振られる迄はただ無念無想でありました。
 緑濃き金峰山と、深く深く何処までも澄み渡つた秋の大空を背景に、純白の玉座に立たせ給ふ陛下の御姿をただただなつかしいやうな有難いやうな気持でじつと打仰いで最敬礼を致しました。静かに頭を上げると此の天地の間には何一つ音もなく神々しさが日の光と一緒に充ち溢れてゐました。軍楽隊が、「あゝこゝに」の奉唱歌を奏し初めました。私達も奏楽に合せ緊張して奉唱致します。一所懸命です。唯頭に刻みこまれたのは、陛下の御姿が静かにましまして何とも申上げられない程神々しかつたこと、歌の響が殷々として大空をわたつたことでありました。鳴呼我等生けるかひありと歌ひ上げた時には思はず眼がしらが熱くなつて涙が頬を伝ひました。歌ひ終つても暫くの間は、万感胸に満ちて、感激にをののいてゐました。あれだけの群集であるのにしはぶき一つ聞えません。陛下にはまた挙手の御答礼を遊ばされます。(以下略)
※「評伝 海達公子」規工川佑輔著(熊日出版)より

■御親閲奉迎歌
♪あゝこゝに すめらみことのみくるまを 迎へまつれり
 みくるまを迎へまつれりみ光に 阿蘇の高嶺も
 有明の海もかがよふ

♪あゝ今し すめらみことの御姿を 拝みまつる御姿を
 拝みやつるみ惠の いかなる幸か かしこさに涙こぼるる

♪をゝわれら 生けるかひありおほけなき 今日のほまれを
 おほけなき今のほまれを萬世に語りつぎつゝ
 ことほかむひとつ心に


昭和7年、満州事変により、司令部が置かれていた熊本城の頬当御門から出動する第六師団。

長瀬クン & さとみちゃん ~ ブリヂストンの新CM&新ロゴ ~

2011-05-13 14:25:04 | その他
 OBのひとりとして、やっぱりブリヂストンのテレビCMは気になるもので、結構細かいところまでチェックしてしまう。最近放送されている長瀬智也クンと石原さとみちゃんの「TAIYACAFE」は、今までの数々のブリヂストンのCMの中でも好感度ナンバー1だと思っている。まぁ、二人とも日頃から好感を持って見ているから、というのが大きいのだが。このCMが流れ始めた頃から、ず~っと気になっていることがあった。それはブリヂストンのロゴタイプが微妙に変わっているのだ。僕が現役だった1984年、ブリヂストンはCI(コーポレイト・アイデンティティ)を行なった。その時に制定されたロゴマークやロゴタイプを使って、新たに書類やサイン類を作ったことがあるので、これまでのロゴは今でも細部まで記憶している。昨日、3、4月分の社内報が送られてきた。そこには今年、創業80周年を迎えるにあたって、企業理念やシンボルのリファインを行ったことが書かれていた。あゝやっぱりな、と思いながらロゴの新旧を比較してみた。たしかに微妙な違いなのだが、印象が柔らかくなっていた。エコや企業の社会活動などといった現代の世相を反映したものだろうか。


写楽(SHARAKU) ~ 謎につつまれた浮世絵師 ~

2011-05-12 18:54:57 | テレビ
 昨夜のBSプレミアム「知られざる在外秘宝」では江戸時代後期に彗星のごとく現れ、消えていった謎の浮世絵師・東洲斎写楽の作品を取り上げていた。寛政6年(1794)から翌年にかけてわずか10か月の活動期間に残した浮世絵版画は全145枚。そのうちの44枚は海外に流出しているという。20世紀初頭のヨーロッパで起こった日本趣味「ジャポニスム」のきっかけにもなったといわれ、今でも欧米オークションで最も人気のある日本人画家といわれる。わずか10ヶ月の間に作風が大きく変化し、彼の作品は4期に分けられているが、写楽の写楽たる所以は、「大首絵」と呼ばれる1期にあるという。しかし、僕は個人的には2期の全身図の方が好きだ。それはさておき、謎につつまれた写楽と彼を取り巻く周囲の人々を描いた篠田正浩監督の映画「写楽(1995)」は、写楽のプロデューサーだった蔦屋重三郎役のフランキー堺や写楽役の真田広之らの好演もあって面白かった。ちなみに現代の蔦屋書店と蔦屋重三郎はなんの関係もないそうだ。


三代目市川高麗蔵の亀屋忠兵衛と初代中山富三郎の新町のけいせい梅川(2期)

「熊本城マラソン」 ~ 正式名称と開催日決まる!~

2011-05-11 16:47:12 | スポーツ一般
 来年4月の政令指定都市移行を記念し、熊本市が開催を計画している「くまもとシティマラソン(仮称)」の正式名称と開催日が決まった。名称は「熊本城マラソン」、開催日は平成24年2月19日(日)となった。また、当初の計画にはなかった「フルマラソン(42.195km)」部門も行なわれることになり、本格的なシティ・マラソンとなる。コースの詳細はこれから詰めていくそうだが、市の南西部を走るそうだから、おおよそ下の地図の区域を走ることになるだろう。フルマラソンと5kmの部は、スタートは通町筋でゴールが熊本城二の丸広場。エリートの30kmの部はスタート・ゴールとも通町筋となっている。おそらく全国から参加者がやって来るだろうから、「スポーツ」が熊本のシティブランディングの一つの柱になればこんなに嬉しいことはない。


ザ・わらべ ~ 潮来曲(いたこぶし)を踊る ~

2011-05-10 13:10:07 | 音楽芸能
 和楽に興味を持つようになり、その起源や歴史を調べると、いろんなことが分かってきて実に面白い。特に民謡は唄そのものもさることながら、その時代背景や風俗、文化が見えてくるから不思議だ。
 この「潮来音頭・潮来甚句」の「潮来」とは、茨城県霞ヶ浦の南東に位置する水郷潮来のことだ。また、江戸時代中期頃から全国に広まった「潮来曲(節)」を起源とする民謡の一系統を「潮来」と呼ぶ。つまり「ハイヤ」と同じような意味合いだ。潮来は古くから利根川水系を利用した舟運の要衝として栄えた。米などの物流や東国三社参りの巡礼などで賑わい、旅籠や料亭、遊郭などが軒を連ね、客をもてなす座敷唄として「潮来節」が唄われた。こうした盛んな人の往来が「潮来節」の伝播を促したのである。「潮来節」はまた、「佐渡おけさ」や「阿波踊り」などのルーツとも言われる。そこで思い出すのが「牛深ハイヤ節」の「佐渡おけさ」や「阿波踊り」などのルーツ説。しかし、どちらが本家かなどという議論は意味がない。要するに、民謡というのは、舟運や街道を往来する人々によって各地方に伝わり、いろんな地方の民謡が影響しあって出来上がってきたものだということだろう。ザ・わらべが踊る「潮来音頭・潮来甚句」も詩の内容は熊本バージョン。潮来から遠く離れた熊本でも、こういう形で唄い踊るのが民謡というものの本質なのかもしれない。


テレサ・テン 十七回忌 ~ 「つぐない」と荒木とよひさの詩 ~

2011-05-09 12:42:57 | 音楽芸能
 昨日はテレサ・テンの十七回忌(没後16年)にあたる日だった。これまでも彼女の忌日には何度かブログに書き込んだ覚えがあるが、僕にとって80年代の想い出は彼女の歌とともにあると言っても過言ではない。彼女が日本デビューしたのは1973年で、日本レコード大賞新人賞を受賞した「空港」などのヒットもあったが、テレサ・テンの評価を確立したのは「つぐない」、「時の流れに身をまかせ」、「愛人」、「別れの予感」などのヒットを連発した84年以降で、なかでも「つぐない」がなければ今日のテレサ・テンの評価はなかっただろう。そして、この4曲を含め、テレサ・テンのヒット曲の多くを手がけたのが、作詞:荒木とよひさ(熊本市出身)、作曲:三木たかしのコンビだ。「つぐない」の「窓に西陽があたる部屋は いつもあなたの・・・」という有名な歌い出しは、今聞いても斬新で見事な情景描写だ。「自虐の詩」という映画で名取裕子が、西日のあたる部屋を「貧乏くせぇ~ッ!」と叫ぶシーンがあったが、まさにそんな生活の匂いがただよってきそうな秀逸な歌詞だと思う。


女子400メートルリレーで日本記録! ~ 陸上 ~

2011-05-08 19:34:01 | スポーツ一般
 今日は水前寺競技場で行なわれる「熊本レディース陸上大会」を観に行きたかったが、朝からいろんな用事が重なり行けなかった。そのかわりというわけでもないのだが、午後から「セイコーゴールデングランプリ川崎」がテレビで放送されたのでじっくり観戦した。期待の江里口匡史クンは、世界陸上の参加標準記録突破を期待したのだが、残念ながら今回もそれはならなかった。一方、女子の短距離陣は元気が良い。日本Aチーム(北風沙織、高橋萌木子、福島千里、市川華菜)は43秒39という日本新記録で走った。世界陸上や来年のロンドンオリンピックに期待をもてる。ただ、エースの福島千里がその後行なわれた100mで足に違和感を感じて途中で力を抜いたのが気になる。深刻な怪我でなければよいが。

世界遺産への道 ~ おめでとう!平泉&小笠原 ~

2011-05-07 21:22:54 | 熊本
 世界遺産の候補となっていた岩手県の「平泉」(文化遺産)と、東京都の「小笠原諸島」(自然遺産)が、いずれもユネスコの世界遺産に登録される見通しとなったそうだ。大震災からの復興を目指す岩手県や東日本にとっては明るいニュースだ。わが熊本県も「九州・山口の近代化産業遺産群」の一つとして、荒尾市の「旧三池炭鉱・万田坑」と宇城市の「三角西港」が世界文化遺産への登録を目指している。実はこの二つの文化遺産、随分と離れているが関連施設なのである。明治20年(1887)に開港した三角西港は、三池港が明治41年(1908)に築港されるまで、三池炭を中国等へ輸出する港として使われていた歴史がある。それはさておき、こちらの遺産群にも朗報がもたらされる日が近いことを望みたい。


旧三池炭鉱・万田坑


三角西港



映画「浮雲」と幼い日の想い出

2011-05-06 16:32:52 | 映画
 一昨日、映画「浮雲」のデジタルリマスター版がBSプレミアムで放送された。何度見てもこの映画は僕の心をとらえて離さない。この映画が公開されたのは昭和30年(1955)。僕がこの映画を初めて見たのは成人してからだからずっと後のことだ。しかし、小学4年生だった、この昭和30年のことは今でもよく思い出す。この年の7月、アメリカの進駐軍が上熊本駅から列車で帰って行った。僕はそれを上熊本駅の線路脇の立て杭越しに眺めていた。プラットフォームでは米兵とオンリーさんたちの泣き別れが繰り広げられていた。
 僕の家の前の道路を挟んだ向かいには、今はマンションが建っているが、その頃は細谷さんという大地主の邸宅があった(りそなHDの細谷英二会長の実家)。邸内には築山があり、その周りは鬱蒼と茂った木々に囲まれていた。出入り自由だったので僕ら子ども達の格好の遊び場所だった。ある時、その邸内の一角に、いかにも安普請の平屋が建った。今風に言えば、2DKほどだったろうか。そしてそこに米兵(将校か?)とオンリーさんが入居した。昼間、僕らが邸内に遊びに行くと、米兵の姿はほとんど見かけなかったが、オンリーさんとはよく顔を合わせた。しかし、一度も口をきいたこともないし、彼女の笑顔を見たことも一度もない。いつ見ても悲しげな表情を浮かべていた。その頃は僕の親兄弟も含め、周囲の、オンリーさんやパンパン(現在は不適切な表現だがあえて使う)を見る眼は軽蔑に満ちていたから、今思えば当然そんな顔にもなったろう。その米兵も昭和30年に帰って行った。オンリーさんがその後どうなったかは知らない。
 それからずっと後になって映画「浮雲」を見た。そして、あの頃、米兵の腕にすがるしか生きる術のない女性たちが数多く存在したことをあらためて理解した。彼女たちはその日一日を生きることに必死だったのだ。あのオンリーさんも多難な人生を送ったに違いない。そんなことを想い出させるのが、僕にとっての「浮雲」なのである。

今年のゴールデンウィークは・・・

2011-05-05 21:19:53 | その他
 ゴールデンウィークの3連休を前に、孫のみわが風邪をひいて、とうとう久留米の次男一家は熊本に来られなかった。今日はこどもの日でもあり、お祝いと見舞いを兼ねて家内と久留米を訪問した。みわは風邪の症状はほとんど治まっていたが、まだ食欲はないようだ。一方のてっぺいは元気が余っていて顔を見るなりパワー全開という感じだった。とにかくどこかへ出かけようと、みんなで鳥栖プレミアム・アウトレットに行った後、みわがウドンなら食べられそうだと言うので久留米に戻ってうどんの山忠で食事をした。今年のゴールデンウィークは今いちだったが、また夏休みの楽しみがいっそう増した気がする。

 

「春の宴スペシャル」と熊本城の賑わい

2011-05-04 20:20:37 | 熊本

 ゴールデンウィーク期間中、熊本城本丸御殿において行なわれている「春の宴スペシャル」、今日は「ザ・わらべ」の演舞。お昼前に不開門の方から登ったが、普段と違う混雑ぶりにビックリ。前に進むのももどかしいくらいの混雑ぶりを見るのは、3年前の本丸御殿復元直後の時以来のような気がする。自粛ムードで低迷が続く熊本の経済にとって立ち直りのキッカケになればいい。「春の宴」が行なわれる大広間に着いた時、既に畳の隙間もないほどギッシリと観客で埋まっていた。普段、夕方から行なわれている「春の宴」では、こんなに人が入っているのを見たことがない。周囲の人たちの話に聴き耳を立てていると、やっぱり県外からの観光客が多いようだ。熊本の伝統芸能のことや「ザ・わらべ」のことを、一人でも多くの県内外の人々に知っていただくのは喜ばしいことだ。

映画「地獄門」と日本人の色彩感覚

2011-05-03 00:41:19 | 映画
 この映画は観たことがなく、今回、デジタルリマスター版を放送するというので初めて観た。さすがに和田三造氏による衣裳デザインがアカデミー賞を受賞したという色彩は素晴らしい。美術的価値の高い映画であることは間違いない。1953年の公開時の映像を復元したというデジタルリマスター技術も素晴らしいが、それよりも何よりも、あの見事な衣装の数々を見ていると、今から800年も昔に、日本人が既にこんな色彩感覚を持っていたことはなんとも凄いとしか言いようがない。いったい日本人はいつ頃からこんな色彩感覚を持つようになったのだろうか。

ザ・わらべ ~ 草の芽 ~

2011-05-01 20:22:00 | 音楽芸能
 この唄のジャンルは端唄(はうた)と言って、江戸時代後期に流行した短めの唄、今日でいう「歌謡曲」みたいなものだそうだ。テーマは季節の風情とか恋模様が多いらしい。地方で唄と三味線を演奏している藤本喜代則さんの所属する流派、藤本流の創始者・初代藤本琇丈(ひでお)さんの作詞作曲によるもの。端唄の真髄は「洒脱」とか「粋」。つまり、あかぬけしていて、ほどよい色気があることが大事であるそうだ。さて、「ザ・わらべ」の踊りはいかがだろうか。


 ♪草の芽の 便りきいたか 土筆の坊や
  春を知らせに 袴を着けて

 ♪草の芽に 香り尋ねて お濠の鯉が
  蓮に頬寄せオオ ヒラヒラと

 ♪草の芽は すみれタンポポ 蓮華にアザミ
  せりに菖蒲に よもぎにハコベ