徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

歴史を生かすチカラ

2016-09-10 22:58:11 | 歴史
「古文書ハンターの防災教室 城はすべてを知っている!」



 先日放送された「東北発 未来塾」(Eテレ)では「歴史を生かすチカラ」と題して歴史学者の磯田道史さんが講師を務めていた。磯田さんは全国で集めた古文書を読み解き、先人たちの知恵を防災に生かそうと発信してきた、今最も注目される歴史学者。そんな磯田さんのもとに集まった塾生たちが、震度7の地震から5か月たった熊本城を訪れた。目に飛び込んできたのは、崩れた石垣やその上にあった建物の残骸。現在、天守閣も崩れる危険があるため、修復の担当者が立ち入れない状況。今年4月の地震は「まさか熊本に大地震が」と多くの人が驚いた。しかし磯田さんは、城の石垣一つからでも過去の地震の記憶を読み取れると言う。よく見ると熊本城の石垣には、明治時代の地震で崩れた傷あとが今もくっきりと残っているという。磯田さんたちは天守閣に最も近づける加藤神社へ移動。そこには、地震に備える先人の知恵が見えると磯田さんは話す。熊本城の元藩主・細川家は、度々くる地震を恐れて、石垣を崩れにくく補強をしていたのである。磯田さんいわく、「補強が必要になる災害の歴史があった。城はメッセージをわれわれに放っていた」。塾生たちにも、熊本城を度々襲う大地震の姿が見えた。そして、それを知ることができるのが、“古文書”。江戸時代前期の熊本の歴史が分野別に記録されている「部分御旧記(ぶわけごきゅうき)」。災害編には、地震だけでなく火事や水害が記されている。細川家の古文書には、想定外の災いが記録されているものがある。それが、熊本市の沿岸部を襲った大津波を描いた絵図。1792年、雲仙普賢岳が大噴火。山体が崩壊し、大量の土砂が有明海に流れ込み、大津波が押し寄せた様子が描かれている。さらに、その被害を受けた村の庄屋が被害の状況を詳しく調べ、熊本藩に提出した上申書も残っていた。古文書からは、災害の記録だけでなく、復興に取り組んだ人々の汗も見えてくるようだという。

磯田道史さんのまとめ

情報源であり、鏡である古文書は 現代の命綱となる