平安時代中期の閨秀歌人で、世阿弥の能「檜垣」のモデルと伝えられる檜垣嫗。晩年、肥後白川の辺に草庵を結び、四里も離れた岩戸山の観音様へ供える閼伽の水を担いで日参したと伝えられる。
その檜垣嫗が詠んだと伝えられる秋の歌を二つ。
その檜垣嫗が詠んだと伝えられる秋の歌を二つ。
鹿の音は いくらばかりの 紅ぞ ふりいづるごとに やまの染むらむ
(鹿の鳴く声は、いくらばかりかの紅色をふりだして、野山が赤く染まっていくのだろう)
(鹿の鳴く声は、いくらばかりかの紅色をふりだして、野山が赤く染まっていくのだろう)
秋風の こころやつらき 花薄 吹きくる方を まづそむくらむ
(秋風の心は冷たいのか、ススキの穂が、秋風の吹いてくる方に、最初に背をむけるだろう)
(秋風の心は冷たいのか、ススキの穂が、秋風の吹いてくる方に、最初に背をむけるだろう)