徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

宇土櫓の修復

2020-07-14 20:13:58 | 熊本
 今日は雨がやみ、2週間ぶりに散歩した。定番コースの一つ、加藤神社と二の丸広場をまわる。
 現在、「熊本城特別公開第2弾」として見学通路が設置されている。われわれの年代は無料だし、時間も有り余るほどあるので行こうと思えばいつでも行けるのだが、今ひとつその気になれない。その理由は見学コースが宇土櫓とは無関係だからだ。明治10年の西南戦争で大小天守を焼失し、昭和35年に復元されるまでの83年間、熊本城のシンボルは宇土櫓だった。幼い頃から宇土櫓を眺めながら育った僕にとって宇土櫓なしの熊本城はありえない。
 4年前の熊本地震で国の重要文化財である宇土櫓も大きな被害を受けた。熊本市は宇土櫓をいったん解体したうえで、修復していくという。大小天守の修復が一段落したら、宇土櫓の解体が始まるだろう。かつての雄姿が戻るのは何年先になるだろう。


今日の宇土櫓


 宇土櫓は93年前の昭和2年に解体修復工事が行われている。大正末期には荒廃が進み、見る影もない姿となっていたが、文化財として保存したいという有志が集まり(熊本城阯保存会)資金を募ったところ、市民・県民のほか海外からも多くの寄附金が寄せられ、修復に十分な資金が集まったという。同年6月から工事が始まり、11月に竣工をみた。それから33年後に大小天守が復元されるまで、宇土櫓は熊本城のシンボルであり続けた。







かつての雄姿が戻るのはいつの日?(2015年の映像)

白川と火山灰

2020-07-13 18:48:45 | 熊本
 今日は朝から父の月命日の供養を行なった。命日は19日なのだが、お寺のスケジュールがたて込んでいるらしく、日にちは前倒し、しかもご住職の代わりに坊守さんが来られた。お経が終わった後、坊守さんとしばし歓談したが、時節柄、洪水の話になり、昭和28年の大水害のことが話題になった。白川が氾濫し、水が引いた後の汚泥と悪臭、そこに撒かれるDDT、そして乾燥すると舞い上がるほこり。白川は阿蘇から火山灰を運んで来るのでほこりが酷かった。
 そこでふと、先般アンコール放送されたブラタモリ「水の国・熊本編」を思い出した。加藤清正公が農業用水を安定的に供給するため造らせた「鼻ぐり井手」は火山灰が堆積しないような構造が施されている。昔から熊本では火山灰には苦労していたのだろう。多くの恵みももたらす阿蘇山は一方でそんな試練も与えた。火山灰が堆積した土地に住みながら、あらためてそんな先人の苦労に思いをはせた。


鼻ぐり井手

第26回くまもと全国邦楽コンクール

2020-07-12 20:36:39 | 音楽芸能
 今年、26回目を迎える「くまもと全国邦楽コンクール」は新型コロナウイルス感染拡大防止のため、当初予定の6月14日を2ヶ月延期し、8月10日(月・祝)に熊本市民会館で開催されます。
 なお、入場希望者は事前の申し込み、および当日のマスク着用が必要となっています。

【くまもと大邦楽祭実行委員会事務局】
 〒860-0805 熊本市中央区桜町1-3 市民会館シアーズホーム夢ホール内
 TEL 096-355-5235  FAX 096-355-5239

▼今年度本選出場者



▼第12回くまもと全国邦楽コンクール(平成18年)の最優秀賞受賞者・北原香菜子さん(琵琶楽の部)
 の演奏する「琵琶経」


森鴎外の清正公廟詣で

2020-07-11 22:41:28 | 歴史
 明治大正期の文豪・森鴎外は、小泉八雲や夏目漱石のように熊本に住んだことはないが、小倉の第十二師団軍医部長の時に熊本を訪問し、「阿部一族」など後の作品の題材を得たようだ。その小倉時代のことを記した「小倉日記」が残されているが、その中に本妙寺の加藤清正公廟(浄池廟)に詣でた時のことが記されている。それは明治32年9月28日のこと。熊本へ来て2日目のことだ。
 その日の午後4時、上林町の宗岳寺に、井沢蟠龍子(熊本藩士、国学者)の墓を参拝した後、「熊本城廊を廻りて」とあるので、おそらく、現在、熊本市役所から厩橋を渡って京町方面へ向かう県道を通って磐根橋を渡り、加藤神社の前を左折して新堀橋を渡り、城内に入ったものと思われる。その後、陸軍輜重兵第六聯隊の営舎(今の旧細川刑部邸)の前を通って砂藥師坂を下り、陣橋を渡って本妙寺田畑の田圃道を本妙寺へ向かったのだろう。寺に近づくにつれ、施しを乞う乞食やハンセン病患者が多かったと記している。「寺は丘上に在り」とだけ記すが、当時は仁王門やそこに登る石段がまだなかったことが窺える。黒門をくぐると桜馬場が真っ直ぐ延びて、その両側に多くの塔頭が建ち並び、行き止まりの右側に本堂があって、ちょうど補修工事中だったらしい。そこから急な「石級」(胸突雁木のこと)があり、三つの道があったが自分は真ん中を通ったという。現在は左右両側だけで真ん中は通れなくなっている。石級は約百六十段あり、その途中にハンセン病の治療施設があったようだ。登りついた清正公廟は「香花極めて盛なり」と記されている。藪孤山(江戸時代中期の儒学者)の墓も本妙寺にあると聞いていたので、あちこち探して回ったが結局見つからずあきらめて帰った。その夜、宿舎に落合爲誠、下瀬謙太郎の二人が訪ねて来たので、立田山南麓の小峰墓地にある秋山玉山の墓のことを尋ねたが、二人ともまだ行ったことがなく、後日必ず詣でて書面で報告するとの約束をしている。また鴎外は医師としてハンセン病治療の実情について、同じく軍医の下瀬にいろいろ尋ねている。


今は真ん中の道が通れなくなっている胸突雁木

「火の国育ち」にエール!

2020-07-10 21:44:22 | 音楽芸能
 今日は朝から雨はやまないし、コロナ感染は増える一方だし、憂鬱な一日だった。
 暇つぶしに新民謡「火の国育ち」をYouTubeにアップした。昭和9年に野口雨情の作詞、大村能章の作曲という「五十四万石」の名コンビで作られたもの。おそらくこの唄も翌年に開かれる「新興熊本大博覧会」に間に合わせるように作られたのだろう。唄っているのが、今、朝ドラ「エール」で注目の山崎育三郎演じる佐藤久志のモデルとなった伊藤久男である。しかし、この唄は「五十四万石」ほどにはヒットせず、今では熊本県民にもほとんど知られていない。大作詞家野口雨情先生の詩も時代を感じさせ、「不適切な表現がありますが、作者の意図を尊重してそのまま放送します」というテロップを入れることも考えたほど。実際には入れなかったが。(^_^.)
 戦前に製作された珍品レコードの一つといっていいだろう。
※右は肥後朝顔


球磨焼酎の受難

2020-07-09 21:28:29 | 熊本
 テレビ各局が、各地の豪雨災害現地に入ってレポートしているので被害の甚大さが段々分ってきた。想像以上の酷さで被災者の方にはどんなお見舞いの言葉も軽々しく思えて口ごもってしまう。
 球磨川が氾濫した人吉市では、特産の球磨焼酎の蔵が水につかり原酒が流されるなど大きな被害が出ていて、営業の再開が全く見通せない状況だという。人吉球磨地方には28の蔵元があり、今回の大雨で少なくとも3つの蔵元が浸水で大きな被害を受けたという。そのうちの一つ「大和一酒造元」の下田文仁社長によれば「復旧には1億円から2億円くらいかかる可能性もあり、自分たちの力だけではどうにもならない。行政の支援をお願いしたい」と話していた。人吉球磨地方の名物・球磨焼酎の蔵元の灯が消えないことを祈るばかりだ。


玉名女子高吹奏楽部サマーコンサート

2020-07-08 14:26:58 | 音楽芸能
 新型コロナウイルス感染が依然として終息の見通しが立たないため、今年度の全日本吹奏楽コンクールや全日本マーチングコンテストなど吹奏楽の主要な大会が中止されることになりました。
 昨年まで全日本吹奏楽コンクールは7年連続金賞、全日本マーチングコンテストは10年連続金賞を受賞している玉名女子高吹奏楽部も当面の目標がなくなり、50年来のファンとしても残念な思いでしたが、下記のとおりサマーコンサートが開かれることになりました。入場者数を制限してのコンサートとなりますので、ご希望の方はお早めにお申し込みください。





球磨川新調

2020-07-06 19:01:13 | 音楽芸能
 人吉は今日も雨が降り続き、球磨川は再び警戒水位となっている。土砂が流入し、物が散乱した室内で、人吉旅館の女将さんが涙をこらえながらインタビューに応じている姿を見ていたたまれない気持になった。ただテレビ画面を見つめているだけの自分が情けない。せめてもの応援歌「球磨川新調」をアップしてみた。


人吉城跡から人吉市内を望むキロクマさんより)


昭和初期に作られた新民謡「球磨川新調」

球磨川と洪水の歴史

2020-07-05 20:10:34 | 熊本
 記録的な豪雨で球磨川が氾濫し、甚大な被害をもたらしたが、日本三大急流の一つである球磨川はこれまでも度々氾濫し、「暴れ川」と呼ばれてきた歴史がある。ちょうど55年前、史上最大級といわれた氾濫とその後の経緯について今一度振り返っておく必要があるだろう。

 球磨川で戦後最大の洪水が発生したのは1965年7月。梅雨前線の停滞で降り続いた雨が7月2日夜に激しくなり、氾濫した。同県人吉市では市街地が広範囲で浸水し、同県八代市でも堤防が決壊。流域で家屋1281戸が損壊・流失し、1万戸以上が浸水した。
 この洪水を含め、63~65年に3年連続で大水害が起きたため、国は66年7月、治水を目的とした九州最大級の川辺川ダムを球磨川支流に建設する計画を発表。水没予定地の同県五木村から約500世帯が移転したが、反対運動の広がりを受け、蒲島郁夫県知事が2008年に建設反対を表明。翌年、民主党政権下の前原誠司国交相(当時)は計画中止を表明した。その後、ダムに代わる治水策の協議が続くものの、代替案は策定されていない。(西日本新聞より)


穏やかな球磨川(くまもとサプライズフィルム「くまもとで、まってる。」の一場面より)

世界の民謡・童謡

2020-07-03 20:26:46 | 音楽芸能
世界の民謡・童謡」というサイトがある。興味があったので覗いてみた。日本の民謡も地方ごとの主な曲目がまとめられ、解説と試聴映像が紹介されていた。北海道から順番に見ていくと見覚えのあるYouTube動画が埋め込んであった。僕のチャンネルの動画を埋め込んだものだった。再生回数の伸びが他の動画に比べて著しいのはこういうサイトで紹介していただいているからだと認識した。結局、今日見た限りでは次の5曲が紹介されていた。

 〽銚子大漁節(千葉県)
 〽南部俵積み唄(青森県)
 〽伊勢音頭(三重県)
 〽おてもやん(熊本県)
 〽ひえつき節(宮崎県)





今年は 能に無縁の年?

2020-07-02 17:42:24 | 伝統芸能
 水前寺成趣園の夏の風物詩となっていた「出水神社薪能」は、8月1日(土)に予定されていましたが、新型コロナウイルスの感染拡大防止のため中止となりました。


2019.8.3 水前寺成趣園能楽殿 出水神社薪能 金春流「替ノ型 羽衣」シテ・本田光洋

 毎年、4~5回は能の鑑賞に行きますが、今年はまだ一度も観ていません。1月に「第4回喜多流 久留米座能」を見に行く予定でしたが、直前に母が入院したためキャンセルしました。例年、熊本市で行われていたいくつかの演能もすべて中止となるようで、どうやら今年は能には無縁の残念な年になりそうです。
【過去7年間の出水神社薪能番組(能のみ)】
 2019 羽衣(替ノ型)
 2018 紅葉狩
 2017 嵐山
 2016 田村
 2015 羽衣
 2014 土蛛(つちぐも)※カバー写真
 2013 藤戸

防府天満宮の御田植祭と夏越神事

2020-07-01 10:34:20 | 日本文化
 昨日ネットニュースに、山口県防府市の防府天満宮で御田植祭と夏越神事が一緒に行われたという話題が掲載された。
 防府市はかつて2年半暮らした懐かしい町。とりわけ防府天満宮は、この神社の最大のお祭りである11月の御神幸祭(通称:裸坊祭)に初めて会社として参加した時に事務局として関わったり、息子の初めての七五三参りをしたりと、何かと思い出多い神社である。
 御田植祭の映像を見ていると、境内西側の楼閣・春風楼の前に仮斎田を造り、巫女たちが早乙女となって田植をしている。神事の後、参加者に苗が分けられ、それぞれの田圃などに植え替えられるらしい。こんな御田植祭もアットホームでいいなぁと思う。その後引き続き、夏越神事が行われるわけだが、ともに6月の行事だから一緒にやってもいいわけで、なるほどと思った。