徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

野口雨情と熊本

2023-12-26 22:25:06 | 音楽芸能
 一昨日の記事「加勢川と『五足の靴』」に、ブログを通じて交流させていただいている「油屋種吉の独り言」様からコメントをいただいた。記事の中に北原白秋の名前があったので、野口雨情のことを連想されたらしい。お住まいの栃木県や野口雨情の生誕地・北茨城などには雨情ゆかりの施設がある。
 明治末期から昭和前期にかけて詩人、童謡・民謡作詞家として活躍し、北原白秋、西條八十とともに、童謡界の三大詩人と謳われた野口雨情。昭和初期、「新民謡」づくりが一つのムーブメントになり、雨情も日本全国をまわって数百曲という新民謡を作った。熊本でも県内各地を回って20数曲を残しているが、代表作が下記の三曲と言っていいだろう。野口雨情は熊本県民にとって忘れることのできない作詞家の一人である。

▼よへほ節(山鹿灯籠踊り)
 明治初期からお座敷唄として唄われていた「よへほ節」。昭和初期、温泉町としての輝きを失いつつあった山鹿を再興させたいと願う旦那衆が、「よへほ節」を「ご当地ソング」とすべく大作詞家・野口雨情に改作を依頼した。今では全国的な祭りとなった「山鹿灯籠祭り」を象徴する唄となった。



▼五十四万石
 この歌が世に出たのは昭和10年1月、コロンビアレコードから藤本二三吉の歌で発売された。熊本市ではその年の3月から5月にかけての50日間、水前寺公園北郊で「新興熊本大博覧会」が開催されており、それにタイミングを合わせた発売だったのだろう。まさに新興熊本の勢いを示す「ご当地ソング」となった。野口雨情の詩に曲を付けたのはコンビを組むことが多かった大村能章。



▼火の国育ち
 昭和9年に野口雨情と大村能章という「五十四万石」のコンビで作られ、伊藤久男の歌唱でレコードが発売された新民謡。この歌も「新興熊本大博覧会」に向けて作られたようだ。熊本の名所めぐりのような歌だが、長崎県民謡「高島節」がもとになっていると思われる。歌っている伊藤久男は「イヨマンテの夜」などで知られる昭和の名歌手だが、3年前のNHK朝ドラ「エール」で山崎育三郎が演じた人物のモデルとして話題になった。