飄(つむじ風)

純粋な理知をブログに注ぐ。

サダムは生きている。?????!!

2007-10-20 21:50:15 | 壮大なうそ

2007年04月10日掲載 無料記事
http://www.nikkanberita.com/print.cgi?id=200704100922542
「サダムは生きている。影武者を処刑」との噂飛び交う バクダッド陥落4年」
一部分引用
<「昨年末に処刑されたサダムフセインは実は影武者だったとの噂が絶えない。真偽が知りたい」。イラク北部モスルに住む元兵士のサーレム・アブ・ ターベルさん(41)はこう綴っている。米諜報機関員らからの暗殺を免れようと10人近い影武者が存在していたといわれたサダム・フセイン。影武者説の信 頼度はともかく、庶民の間にこんな疑問が飛び交っているのは事実だ。>

 先ず、上記記事をお読み下さい。そして、下記のビデオをご覧下さい。
(処刑のシーン テレビ放映済み、携帯画像と続きます。)
http://vision.ameba.jp/watch.do?movie=106423
http://vision.ameba.jp/watch.do?movie=188324
(蘇り??!)
http://vision.ameba.jp/watch.do?movie=115048

 先ず、お断りしておくが、確認したものではない。識別したものでもない。さもありなんと言う、推理はあったので、抹消される前に報告した次第。早めにご覧下さい。

 サダム・フセインは、イラク戦争の片方の主役である。アフガンにウサマ・ビンラーディンが必要であったように、戦争には相手役が必要で
なだ。そう言う意味で、重要な配役をむざむざ殺すことは、次の計画に齟齬(そご=不都合)を来すことは明らかなことだろう。
 サダムは、かつてアメリカと組んでイラン戦争をした。ラムズフェルドの誘いに乗って、クウェートを侵略した。その為、湾岸戦争が起った。
 かつて、ヒトラーがそうであったように、生存していて不思議ではない。ドラマは開演し、閉幕の準備(裁判・処刑)も滞りなく済ませた立役者だから。

 前回 
の写真よりも、より若い老年のヒトラーの写真を添付します。
そして、現地(アルゼンチン)のヒトラー目撃情報のビデオを貼っておきますので、是非、ご覧下さい。
http://www.barilochenazi.com.ar/videos.htm
翻訳:http://dokuritsut.exblog.jp/pg/blog.asp?eid=d0113015&; amp;
<その1 パタゴニアの海岸でナチのUボートを目撃したというジセラさん>

「いつものように窓際に座って休んでいたら遠くのほうに潜水艦がいるのが見えた」

何年ごろだったですか?

「だいたい、1946年か47年ごろだったかな」

入り江のところで目撃したのですか?

「そうです」

航行していたのですか?

「航行していました。飛行機の音が聞こえましたけどその時に海岸沿いを航行していた潜水艦は海中に潜っていきましたよ」

潜水艦が潜っていくのを見たんですね?

「はい、見ました」



<その2 マル・デル・プラタで1953年にヒトラーを目撃したというエルナンさん>

「1953年頃のはずです」

どんな状況だったのですか?

「ファベリッヒ?と話すためにその建物にやってきました。3人の護衛と女性一人と共に。来たというより連れて来られたというか、しっかり歩くことができなかったから」


<その3 ホテル・エデンで1949年にヒトラーを目撃したというカタリナさん>

どのようにヒトラーはそこへ来て、どのように帰っていきましたか?

「車で運転手と共にやってきて、帰りも同じでしたよ」

運転手とは何かそのことで話をしましたか?

「はい、話してましたよ。笑っていましたけどね。でも、私がうすうす気づいていたことはもう知っていたと思う。でも、庭師さんに気づかれたことには憤慨していましたね」

ある日、その運転手が、あれはヒトラーだよ、と言ったんですね?

「はい、そう言われました。でも、誰にも話すな、口外するな、とも言われましたけど。そのときは私は何も話しませんでしたし、なにもされなかったです」

一緒にいた女性には話しかけましたか?

「ある時彼女に”彼は貴方のいとこですか?”と尋ねたら、”いいえ、彼はただ旅をしているだけですよ” と言っていました」