飄(つむじ風)

純粋な理知をブログに注ぐ。

放射線、放射能(物質)、そして、外部被曝と内部被曝!!

2011-04-26 23:58:30 | ブログ

この違いを分別できない人々が多い!!
そのために、洗脳がまかり通る・・・・。
だから、この際はっきりしておこう!!


 一介の市井の一人だが、それぐらいはちょっと調べると分かる。酷いのはメディアが、マスコミがその事を正確に伝えないことだ。寧ろ、隠している風情がある。

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 大層な学者がこぞって、
大丈夫論を連発しているが、その根拠は極めて曖昧だ。曖昧を通り越して、意図的ですらある。


 難しい理論はさておき、ものの道理は、誰でもちょっと考えればすぐ分かるものだ。


 今般の『原発シンドローム』以前は、日本人は殊の外、放射能について敏感であった。そりゃあそうだ。世界で唯一の被曝国家だからだ。広島・長崎で原爆が投下されて、60有余年、未だに原爆症で苦しむ人々が居る。当事者でない2世までもがその影響下にあることは周知の事実である。

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<あり得ない摂取規制>


 それは放射(線)能による影響だ。


 それが、『原発シンドローム』以後、極端に放射(線)能に対して寛容な国になった。そんなこと有り得るか? そんなはずはない。以後も以前も放射(線)能に変わりはない。


 これはプロパンガンダによる洗脳と見なければならない。


 放射線は言うまでもなく、放射能(物質)から出る、電磁粒子エネルギーだ。これは所謂、物質ではない。物質以前の素粒子だ。だから、目にも見えず匂いもない。これが少量なら健康に寄与するだの、大量だと危険だのいう似非学者が居る。


 これほどのまやかしはない。ラドンだの『うどん』だの健康温泉があるではないかとの、卑近な例でしか誤魔化しようの術しか知らない似非学者である。


 そう言うものでは、まともな人間は誤魔化されない。レントゲンだのCTだの比較したって無駄だ。放射線は人体に危害があるから、少量の場合、免疫賦活するという飯山一郎説は全く正しい。毒は用い方に依れば、一時的に薬になるという類だ。


 こんな事は、道理である。さりとて、毒は毒だ。一般論ではないことは自明である。それを恰も『低放射線量は健康に良い』などと、詭弁を用いることは許されることではない。


 さて、放射線量を問題にする時、その発生源の放射能(物質)を考えない訳にはいかない。このことが寧ろ重要であるが、その事を隠す意図が見え隠れする。


 線量より、放射線を発する元凶が問題なのだ。それが至る所にばらまかれているのが、諸悪の根源なのだ。それが『原発シンドローム』の問題なのだ。

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<スリーマイル原発事故で発生した奇形の牛の赤ちゃん>


 線量が高くても、発生源から離れれば問題は一切無い。それはレントゲンであり、CTスキャンである。原発でも健全に管理されていれば、問題はない。


 今問題になっているのは、管理されず、放射能(物質)が漏れ出ているからではないのか。線量はそれが故に、高いだの低いだの騒いでいるのである。


 放射能(物質)拡散から目をそらす意図がある。


 放射線量による外部被曝は問題ではない。その場を去れば、外部被曝はなくなる。一時的な大量被曝、あるいは長期に亘る積算被曝を避けることが必要なだけだ。


 しかし、考えても見られよ。


 線量が高いところには、必ず、放射能(物質)が存在する。その場所では、外部被曝だけで済むまい。必ず、内部被曝の危険性が付きまとう。これは道理である。それは物質とはいえ、目には見えない。空気と共にあるいは食物・水を介して、決して避けきれるものではない。


 これを敢えて隠している。


 その量は、その危険度は理論値で明らかにされうるはずである。それを何故言わない。それこそ追求されるものではないのか?


 しかも、しかもである。内部被曝は蓄積されるにせよ、排出されるにせよ、一定期間、極めて至近距離で被曝するのであるから、その線量はいくらになるのか? それこそ明らかにされる必要がある。これも道理である。

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 これなどは、その道の専門家であれば自明の理論であろうが、それを言わない。


 今、問題にされるべきはこのことだ。


 東京、関東近辺で黄色い粉が降り注いだ。黄砂だの花粉などとケムに巻いたが、あれは間違いなく放射能(物質)=死の灰だ。

 


【福島原発】東京都杉並区の屋上に死の灰が溜まってる??
http://youtu.be/8rGiHdmsfUI



 恐るべき事態が進行しているのは明らかである。それを隠しているのは明らかなことである。それを敢えて触れずに、脳天気な言論を発している世に言う権威ある学者は犯罪人と言われても仕方がない。


 又、その事に従属して、対策を誤る指導者・行政官は同じ犯罪に荷担することになる。これも道理である。