大きく変わった、3.11事変以降の人々の心・・・・
そして、今も変わりつつある!!
大震災もその変化の端緒だが、
もっと大きいものは原発シンドロームだ!!
それが、未だ終熄していないことに起因する。もう既に、今までの日本ではなくなった。勿論、環境も激変した。言わず語らず、その事は暗黙で気が付いている。
盛んに原発事象を過小評価しようとしているが、どんなに過小評価しようと、事実は深刻さを極め、さらにそれは進行中である。終熄しているならまだしも、進行中であることは、決定的にさらに変化を促すだろう。
3月11日は、目を疑った。
3月12日は、何が起こっているのか、ほとんどは知らず、御用学者に洗脳された。
3月13日は、3号炉爆発で、唯ならぬ事態の進行に目を見張った。
3月15日は、放射能禍に狼狽えた。
しかし、
それでも、洗脳された人々は、まだ『大丈夫』と思いたかった。
今はどうだ。
ほとんどの公式発表はウソだと暴かれた。ほとんどの発表を鵜呑みにしなくなった人々が増えた。仕方ないから、後出しだが、事実の公表に少し転回したが、未だ、出来れば隠そうとの意図が見え隠れする。
隠し、消し、デマ情報として取り締まろうとしているが、もう遅い。
放射能禍を過小評価しようとする向きも多いが、それも出来なくなるだろう。過小評価? 何を持って言っているのか? それは低線量被曝は健康に害しないどころか、寧ろ、益になるという論法だ。
これほど可笑しい議論はない。『過度に恐れるな。』という意味で、鷹揚に受け止めてきた向きもあるが、強調するべき議論では元から無い。強調すればするほど、これから馬脚を顕す議論である。
理由は簡単だ。
セシウム・ストロンチウムその他の核種は、元々、環境にはゼロであった。大気中核実験を除いて、自然界には存在しなかったものだ。百歩譲って、『直ちに健康に影響を及ぼすレベルではない。』と言うことが、事実であったとしても、言えば『唇寒し』的議論であることは、間違いのない正論である。
たとえ、1ベクレルであっても、異常事態であることは間違いがない。それが、500ベクレルなど異常である論を待たない。その事を認識しているのであろうか?
それが、数千・数万ベクレルが日常的に喧しい現在をどう判断するか? もう、言わずもがなであろう。そういった議論に与する人々は、異常である。
たとえ、政治的思惑がどうであれ、自らを窮地に貶める議論であることを気付くべきである。
今、正論は福島第一原発を終熄すること、そして、その後、環境数値を限りなくゼロに除洗する方策に叡智を傾注すること、それ以外にない。それ以外は、異常であり、詭弁である。無論、原発廃止は言わずもがな、である。
そのように、収束していくことは間違いがない。それは可能か? 可能だと信じたい。可能ならしめるように、叡智を結集することこそ、今、採るべき方途が課題である。