飄(つむじ風)

純粋な理知をブログに注ぐ。

イスラエルで腎臓を1万ドルで買い、それをアメリカで12万ドルで・・

2011-11-01 14:59:09 | インポート

ついに白状したか!?
しかし、氷山の一角に過ぎない。
世界に流通する移植臓器の大半は
売買臓器である!!


 かつて拙ブログでも触れたが、あまりのグロな話で、話半分の反応しかないが、厳然たる事実である。寧ろ、売買臓器が臓器移植の主流であろう。


 一部の超エリートは、それを欲しているからだ。日本も例外ではない。臓器移植法が必ずしも『不幸で再生不可能な致命的な臓器欠陥を救う』最先端技術というのは、表の顔であり、実際は医療ブラックビジネスの巣窟の手助けになっている。


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【転載開始】孤児の人身売買や臓器摘出が存在と、地震被害のハイチ首相

地震に襲われ孤児となったハイチの子供たち

(CNN) 今月12日にマグニチュード(M)7.0の地震が起き、壊滅的な被害を受けたカリブ海ハイチのベルリブ首相は27日、被災で両親らを亡くした孤児の人身売買や臓器売買が横行していることを明らかにした。CNNの取材に語った。

 

ハイチ政府のまとめによると地震の犠牲者は15万人以上、被災者は総人口の3分の1に相当する約300万人ともされる。死者がさらに増える恐れも強い。国 連人道問題調整事務所(OCHA)のホームズ事務次長は26日、自宅を失い仮住居などを必要としている被災者は約100万人に達していることを明らかにし ている。

 

 

同首相は、地震発生後に起きた孤児の人身売買の具体的な数字には触れなかったが、売買を裏付ける報告があがってきていることを指摘。孤児の身元や居場所を突き止めて登録し、生き残った他の家族との再会や養子縁組を進める作業に当たっていることを明らかにした。

 

ただ、人身売買が最大の緊急問題になっている現状を明らかにし、米国などに連れて行かれていると述べた。この事態を防ぐため、駐ハイチの各国大使館と協力し、出国するハイチの子供は目的先の外国の大使館の確認が必要な制度確立に動いているという。【転載終了】


 果たして、こうした実体を看過出来ようか? 表の美名の下に、無惨に喪われている命もあるのである。許せない。


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 幼児誘拐、児童誘拐、果ては戦争・災害により無惨に失われている命の一部は、こうした臓器売買の犠牲者も含まれている。


 その証拠も挙がっている。


 最大の売買移植の供給元はスリランカと呼ばれている?! 中国も大きな供給元だろう。雲南省?? どこでもよいが、いずれもブラック医療ビジネスのシンジケートが世界を張り巡らしていると言うことだ。


 臓器移植までして生きながらえようと考えない方がよい。何れは人間は死ぬのだ。死ぬまで最善を尽くすしかあるまい。そうしないと、彼らの餌食だ。自ら手を貸すことと同じ事になる。


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<殺されたパレスチナ人:なぜか臓器が抜き取られている>


 

 

【転載開始】2011年10月31日

NYの臓器密売裁判 

ニューヨークの臓器密売者

ニューヨークの臓器密売者がイスラエルで腎臓を1万ドルで買い、それをアメリカで12万ドルで売ったことの罪状を認めた。

この人は60歳のLevy Izhak Rosenbaumで、正統派ユダヤ教徒である。
男は近所のユダヤコミュニティ人たちには自分は建設業を営んでいると説明していたという。
男は2年ほど前に、他の40数名と供に、臓器密売の容疑で逮捕されていた。

男の弁護士によると、男はただの仲介人の役割をしただけで、密売という犯罪を犯した意識はないという。また、臓器を売り込んだことはなく、重い病気の患者のために、腎臓のドナーを見つけてやっただけだという。
男が売り込んだ腎臓は、アメリカの有名な病院で移殖専門家によって手術をされ、提供を受けた人は健康に暮らしているという。
また、臓器提供者は自分がやっていることを100%理解していたという。

しかし、臓器取引専門家のNancy Scheper-Hughesによると、過去においては、イスラエルの臓器提供者は「社会の下層民」であり、モルドバ、ルーマニア、ロシアからの非常に貧しい移民がほとんどであったという。

Rosenbaumは最大5年の禁固と25万ドルの罰金を受けるかもしれない。また、既に、腎臓の売買で得た42万ドルは没収されている。

専門家によると、国際的に、現在出回っている腎臓の1/4が密売である可能性があるという。

Rosenbaumの裁判を行っているニュージャージの当局者によると、「人間の臓器のブラックマーケットは公衆衛生に大きな脅威であるだけでなく、生命を救うような治療を受けることのできない者の犠牲の上で、多くを支払うことが出来る金持ちが治療を受けることができている。このような人間の尊厳に対する侮辱を許すわけにはいけないだろう」という。【転載終了】

元記事

 


四国八十八カ所巡礼-お四国霊場巡り

2011-11-01 12:40:21 | エッセイ風

それは細君へのナビゲーターから始まった・・・
同じ巡回なら、巡礼も変わらない!
片手に杖(行き倒れの墓標代わり)
片手に般若心経を携える
それだけのことだ・・・・・!


 般若心経が聖書でも同じ事であろう。

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<今年は、柿の当たり年だ!>


 そして、


 祈り(意宣り)、聖書では、斯く奨めている。


 『天にまします われらの父よ

 願わくは御名(みな)をあがめさせたまえ

 御国(みくに)をきたらせたまえ

 みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ

 われらの日用(にちよう)の糧(かて)を今日も与えたまえ

 われらに罪をおかすものを われらがゆるすごとく

 われらの罪をもゆるしたまえ

 われらを試みにあわせず 悪より救い いだしたまえ

 国と力と栄えとは 限りなくなんじのものなればなり』


 

 これと何等変わらない。般若心経とは言うまでもなく、お釈迦様の教えである。お釈迦様はゴーダマ・シッタルダ、悟って釈迦牟尼と名乗った。仏陀(ブッダ、梵:????? buddha)は、仏ともいい、悟りの最高の位「仏の悟り」を開いた人を指す。buddha はサンスクリットで「目覚めた人」「体解した人」「悟った者」などの意味である。)


 講釈は関係ない。投稿者にとっては、イエスも仏陀も同列である。


 だから、巡礼していても、願い事はほとんどしない。祈り(意宣り)はする。その祈りとは・・・上記とほとんど変わらない。『仏の意のごとく、あらしめたまえ』である。


 出来るだけ、心の静寂を保つようにする。すると、心臓の鼓動が自然とよく聞こえるようになる。暑さ寒さも埒外の命の営みが感じられる。それは自分に意志に関係なく、そして、欲得に関係なく、只、動いている不可思議さを感じる。生かされているほか無いと実感する。

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 そう実感するほか無くなる。


 一連の作法があるから、誓いから始まり、真言を唱える。そして、般若心経を読経する。文字通り、読経するのである。意味など取りあえず、関係ない。しかし不思議なことに、その意味が身体に沁みてくるから不思議だ。


 最後は

羯諦     ぎゃーてー     (行きて)
羯諦     ぎゃーてー     (行きて)
波羅羯諦     はーらーぎゃーてー      (悟りの彼岸に行きて)
波羅僧羯諦     はらそーぎゃーてー    (悟りの極みに行きて)
菩提薩婆訶     ぼーじーそわかー      (悟りよ幸あれ)
般若心経     はんにゃーしんぎょう     ( ここに、智慧の完成に至る者の心を終える)


で終わるが、意味は少し違う。


輝け、輝け

天上の様に輝け

天使の様に輝け

そして、周りを輝かせ

ここに智恵の教えがここにある


 まあ、意訳である。


 さて、細君は娘時代に親と共に、四国八十八カ所巡りに同行した。途中で頓挫した。ある時、友人により、それを呼び起こされた。



 『お父さん(投稿者のこと)、お四国に行きたい。』

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 藪から棒にと、少し、たしなめたが、取りあえず、一人で行くことになった。途中から、可哀想になって、ナビゲーターとして同道した。一巡目を完成し、二巡目も終えた。高野山に参詣し、二巡目も完成した。一巡目の高野山参詣は、かつて、既に終えていた。


 三巡目の同道の時、一番札所霊山寺から、『どうせのことなら・・・』と、巡礼に加わった次第だ。納経書を用意し、経書をもって、同道した。一応、先達(せんだち)は細君、投稿者は唯一の巡礼団員だ。


 今、細君は五巡目、投稿者は三巡目だ。


 投稿者一巡目の途中、投稿者の実父が本当にあっちに逝った。で、形見の白装束で本格的になった。別に取り立てて巡礼の意気込みがある訳ではないが、悪くはない。


 一応、やるからには威儀を糾し、作法通りにやる。


 灯明を上げ、線香を燻し、真言、読経を上げる。本堂、太子堂に参詣する。勿論、徒歩は無理だから、車両を使う。一日多い時、約10寺を廻る。少ない時は4~5寺になる。

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 月に一、二度。出来ない時もある。


 こうして、年に一度は四国八十八カ所巡りが完成する。


 驚くべき事に、それを100回、200回と熟している強者が居る。最高は400回越えの80余才の矍鑠(かくしゃく)老人に出会った。細君はその方から、お札を拝受したのが切っ掛けらしい。大切に保持している。


 そう言う方々は、ほとんど巡礼三昧の日々だ。そうでなくては到底、なし得ない。


 四国八十八カ所が有名だが、日本には各所に巡礼札所があって、珍しい話ではない。西国八十八カ所巡りとか、九州八十八カ所巡りとかもあるようだ。他にもあるだろう。


 人生は旅人のようなものである。巡礼とはそれを模したものであると考える。そう思って、日常の柵を一切捨てて、しばし逝くのは乙なものである。発想もよく湧く。


 そんなに金も掛からない。足腰の鍛えにもなる。何より、柵がないから、心が洗われる。純粋な心を取り戻すには、格好の手段となっている。