飄(つむじ風)

純粋な理知をブログに注ぐ。

なぜ日本は、米国に原爆投下に対する謝罪を求めないのか?

2016-05-30 20:02:16 | 国際・政治

ごく少数であるが、
どこかの国のように執拗に「謝罪」を求める人も居る・・・。
今更謝罪で何になるだろう・・・!
戦争中の出来事だ、
他のホロコーストも含めて、
戦争に負けたのだから仕方がない・・・。

 

と、多くの日本人は思っている。

知人に何人かの被爆者が居る。今も健在だ・・・。

その一人、

故あって、お会いする機会があった。

3歳の時に被曝、爆心地から少し離れた北部で被曝し、

その後、

さらに北部の可部という地区に移り住んだことが幸いしたかもしれない。



<毎年イタリアで行われる原爆慰霊式典と言われる・・・以下も同じ>

 

随分遅れて被爆者認定申請をされたようであるが、

大混乱の最中にも直後から「罹災証明書」が発行されていたそうで、

そのお蔭で速やかな認定が下った。

その「罹災証明書」を拝見したが、

確かに8月10日の発行日となっていて、

その迅速さと的確さに驚いた。

が、

お話しを窺うと8月6日直後から、

そうした手続きは行われており、

中には包帯を巻いたままで被災した官吏がそれを行っていたという話である。

 

件の方は、

自らが被曝したことで放射能を人よりも恐れる気持ちが強く、

この度に東日本大震災に依る福島原発事故(事件)の成り行きには、

殊の他心を痛め、自らも心配の思いを抱かれている。

当然と言えば当然のことである。

しかし、明るい方だ。

東京でお会いしたが、

泣き言は一言もなかった。


 

しかし、

被曝後、数年間半年間は下痢が続いたとの、

ご親族からの伝言であったという。

放射能除去方法には熱心で、深い関心がある。

その関係で知る機会を得たが、

前向きであることに感動した。

 

ところで、

何故、謝罪を求めないか?

ということであるが、

日本人は、そう言う執念は元からないというのが結論である。

戦争は不幸で避けるべきことであるのは当然であるが、

イザ、戦争となれば死ぬのはやむを得ない。

それが何であれ厭わない。

寧ろ、

同じ死ぬなら一思いに・・・、

犬死だけはしたくない。


 

というのが、

当時の日本人の大勢であったのだろうと思う。

何故、そう思うかと言えば、

自分もそうだからである。

そうでない人々も居る様である。

それはそれで仕方がない。

人それぞれだが、

日本人にはそう言う思いが強いと確信する。

 

そうでない理論理屈ばかりを述べているのは、

マスコミとインテリの頭でっかちで、

庶民感覚としてはその方が多いと思われる。

父(物故)は、

満州で召集令状をうけて、ソ連と戦ったが満州に送られた・

4年の抑留生活を経て、帰国した。

先にも書いたが、

未帰還孤児の父親で一人姉が20年前に帰国した。

その他は、行方不明のまま(先妻、兄)である。

 

帰国して、再婚し、我々が生まれた・・・。

あまり、多くを語らない父であったが、

満州開拓団員として入植した時の武勇談、

シベリヤ抑留時の生還理由などは時折話すことがあった。

泣き言は、ほとんど聞かなかった。


 

召集令状を受け取った時、どう感じたか?

という問いに、短く、「そりゃぁ、勇んだ」という一言であった。

父は、背丈が足らず徴兵検査には受からず、

満州開拓団に応募した経緯がある。

だから、戦局の情勢に依り現地応召であった。


この話は事実であって、

当時はそうだろうなぁと思うばかりである。

自身の経験においても、

緊急出動時に於いて、恐怖を感じたかと問われれば、

それはない。寧ろ、武者震いであった記憶しかない。

ある前職に於いての経験である。


再婚した母(実母)(最近物故)も戦前戦中派である。

「生粋の庶民」である。

戦争中の泣き言は一切聞いたことがない。

苦労話は多々ある。

何よりも食料不足であろう。

祖父祖母と近くの高い山麓まで耕してキビ・高粱を植え、

その不足を補った話は何度も聞いた。


 

ともかく、

懸命に前を向き働き、

戦後を生き抜きて、現在の我々がある。

泣き言を言っても始まらないというのが、

共通した思い出である。

 

享年94歳と89歳・・・。

とうとう施設にも入所せず、

介護保険の世話にもならず、

旅立った。

敬老には多分に地域の方々にお世話を頂いたと思う。

 

独立自尊で頑張りぬくことが、

日本人の魂である。

謝罪はするが、

他には求めない。

謝罪は、

妥協の落としどころを見出す日本人の処世である。

だから、

まず、「すみません」というところから話が始まるが、

それでも攻め込まれれば、

身を捨てて戦うのが日本人である。

それが、「神風精神」かもしれない。

 

その覇気を持たない者は日本人と言えないというのが、

感想であり、実感である。

だから、

日本は米国に謝罪を求めないのである。



【転載開始】

日本
2015年08月03日 22:44(アップデート 2015年08月03日 22:56) 短縮 URL
15337728316

1945年8月6日に広島、そして8月9日に長崎に、米軍が原爆を投下してから、今年で70年になる。両市の市長は、米国に対し謝罪を求めているが、日本政府は、そうした謝罪の必要性はないと考えているようだ。

当 時広島と長崎では、何十万もの人々が亡くなった。そしてその後も長い間、さらに何十万もの人々が、放射線障害に苦しみ亡くなっていった。そうした犠牲者の 大部分は、一般市民だった。この事は、人島と長崎への原爆投下が、戦争犯罪である事を意味している。しかし米国は、日本国民に謝罪をしてこなかった。そし て日本当局も、日本のマスコミも、そうした謝罪を求めていないようだ。ロシア科学アカデミー極東研究所日本調査センターのワレーリイ・キスタノフ所長は 「そもそも、原爆投下というテーマに対するアプローチが、とても奇妙だ」と考えている。彼は、ラジオ・スプートニク記者の取材に対し、次のように述べたー

「こ のテーマに対する日本のマスコミのアプローチは、とても一面的だ。なぜ米国が、ああした野蛮な戦争遂行手段に頼ったのだろうかという原因究明の試みは、事 実上なされなかった。反対に、日本のマスコミや政治家達は、あらゆる方法でこの事実を避けているが、その中には、たくさんの人々の命を奪った非人間的行為 をしたのは誰かについて、単に口をつぐもうとの試みが見て取れる。

原爆投下については、それがどの国によって製造されたのかといった言及はなく、抽象的に述べられている。つまり米国という名は、直接出てこないの だ。その理由は簡単だ、米国は現在、日本政府の主な軍事的政治的同盟国だからだ。そればかりか日本は、米国の核兵器に苦しんだ経験を持ちながら、現在米国 の所謂『核の傘』の下にある。米国は、多くの日本人にとって、中国の脅威が増している中、日本の安全を保障してくれる唯一の国と受け止められている。日本 国内で中国の軍事的脅威というテーゼが誇張され、日米安全保障条約に期待が集まっている今、日本の政治家達は、原子爆弾投下に対する米国の責任という尖鋭 的問題を避けて通るのだろう。」

米国政府の公式的な立場は、広島と長崎への原爆投下は、日本の無条件降伏を早め、日本本土が決戦場となる事で米国兵や日本の一般人の多くの命が失わ れないよう、ああした決断をしたというものだ。しかし米国の歴史家、例えば日系米人学者であるハセガワ・ツヨシ氏は「日本が無条件降伏をしたのは原爆投下 ではなく、ソ連の思いもかけない対日参戦だ」と考えている。つまり、米国の専門家も、非人間的な広島・長崎への原爆投下が軍事的に必要不可欠なものでな かったことを認めているという事だ。

おまけに内部告発サイト「ウィキリークス」が暴露した資料によれば、2009年オバマ大統領は、広島を訪れ、日本国民に公式的に謝罪するつもりだっ た。この件についてオバマ大統領は、電話で藪中三十二(やぶなか みとじ)外務事務次官〈当時〉と討議した。それ以外に、当時のヒラリー国務長官の指示で米国は、日本に公式書簡を送り、その中で、原爆投下に対しオバマ大 統領が謝罪する意向を伝えた。しかし、それに対し薮中外務事務次官は「そうした行為は時期尚早だ」として米国側の謝罪の考えを断念させた。薮中氏の意見に よれば、広島の平和式典にオバマ大統領が出席し、米国人によるあの野蛮な行為を日本人に改めて思い出させることは、米国との軍事同盟に反対する勢力の手に 切り札を与えてしまう恐れがある、との事だった。現在安倍首相は、日本の安全の重要な保証国として米国との同盟の強化に期待をかけている。それゆえ、米国 が原爆投下について日本に公式に謝罪するという問題が、近い将来、提起される事はないだろうと思われる。

【転載終了】