ふうんこういうことかと
わかりやすい記事だった
そもそも 私は絵を描くことは好きだけれど
そういう道楽みたいな方向に進路を決めることは
許してくれないオヤジだったし
私もなんだかよくわかっちゃいなかった 高校二年生の時
酔っぱらった親父から
美術に進路を決めてもいいと言質を取ったが
それで食える進路にしろと言われ
なんでもいいわ 絵が描ければ
と デザイナーになる人が進む科を受験することにしたが
デザイナーがなんだか わかっちゃいなかったし
力もなく 挫折した
でもそういう修業中みのまわりにはデザイナーという人もいて
上の記事に出て来る
日宣美で賞を取って華々しくデビューしていった人もいた
この間調べたら もう亡くなってた
そのころ 東京オリンピックの 亀倉雄策のポスターも
ずいぶん話のタネになった
デザイナーと アートディレクターの話は特に面白い
(この間の偉い先生が弟子の成果をぱくったというのは
間違いだったね 学者の世界の話とはまた別だった)
その挫折後 家出したけれどすごすごと東京に戻って頼った
中学時代の友人の旦那
(この人も先の日宣美でデビューした人も
森瑤子≪しゅうちょう》つながりだ)がやっているデザイン事務所で
働かせてもらって
仕事の段取り 初めて知ったし だいたい営業が嘘くさくて
そりゃあ商売だから
デザインの売り込みはお花畑で
(もちろん私の短絡決めつけです)
ああああ あたしダメ!向いてない
と脱落
さあ どうしようか どう生きていこうかと
考えて 同じ美術つながりでも 教育畑に進路を変えたのだった