もう手術した膝が痛くてかなわん
天気痛っていうんだってさ
寝るのが 一番みたいだ
とさぼる口実ができた
ものすごいぶつぶつで
掻き壊して血だらけなのだ
白ちゃんが
家出して虫をつけてきたかもしれず二匹ともスポイトで殺虫剤を
チュウするのやってもらったがなあ
ともかく皮膚科が連休明けて
行ったらすごい混雑で
もう待ってるだけでくたびれた
アレルギー検査をした結果も持って行った
今朝 ワカサギの佃煮を食べたら鼻がひどくかゆくなってしまった
多分調味料に胡麻が入ってるのだ
胡麻
ミルク
バナナ
小麦
これらがだめなのよ 私
あとダニも花粉もダメ
病院の後は薬屋でまた待ち時間
おなかが減ってしまった
家にはおばさん用のおかゆみたいなご飯しかない
スーパーに寄ったら
中とろ鉄火丼 売ってたそれにした
然しさぼってそんなの食べたらひどいことになった
胸につかえて
げーげー はいてしまった
なんかもうくたびれ果ててまた車運転して30分
病院に行く気が無くなって
どうすりゃいいんだ
(ここ筑西市は 車の家庭での保有台数
全国一だってさ
つまり車がなきゃ暮らせないところということだ
どこに行くにも車だもんな
57で免許取った
婆運転手にはきついよ)
30分ほどぐーたら休んでようやく出かけたら
おばさんは今日はお風呂に入れてもらえたらしい
お風呂に入れない臭くないか?と盛んに
気にしてたからさっぱりしてよかっただろうな
半そでのパジャマを着ていたので
寒いから長袖はないのか
着せてクロ
というので私はおばさんの体を動かせないので
看護師さんを呼んでくると言ったら
お向かいのベッドの始末をしてた男の介護士さんがやってくれた
長袖を持ってきておいてくれ寒い
というが
ロッカーを見たけどちゃんと入ってるって
さておなかすいてるのかと思い
食べると聞いたがいらないという
昼ご飯は何もないから食べなかったというのだけど
(何もないというのは食べたいものがなかったという意味)
食べずに下げさせちゃってるのだ
ともかく何もいらないというので
内心
それなら来るんじゃなかった
と子供みたいにいじけた
が
しばらくしたら
スープも飲むといい
ご飯も二口食べて
どら焼き食べる?とちぎって見せたら口を開けた
ほんの少々食べて
もういらないと手を振ってお断り
でも少しでも食べてよかった
何も食べるものがないという意味が
しょっぱいものがないというので????
先日と言うことが違う
味が薄いと文句が出てた人だから海苔の佃煮と梅干を置いてあって
味が足りないとき足して食べて
と言ってあるのだがそれはみな出しといてくれという
スープの残りも
でもそういうわけにいかないからスープの残りは冷蔵庫に入れたが
多分すべて忘れて食べやしないよ
今日は本当に出てくるの意がつらかったのでおばさんが当然来ると思っているといけないので
お盆休みが終わっていろいろあるから来れるときは
来るけど来れないときは来ないから
病院で出されたものを務めて食べてね
と言ってきた
だって帰る間際に必ず明日も来てくれるだろうね
と念を押されちゃうので
ホント一人じゃ寂しいらしいのだ
おばさんもひとり者でずっと一人で暮らしてたのに
さみしがり屋なのかなあ
私は一人っ子なので一人で病院暮らしは
全然平気よ
もっとも 病院の食事はやっぱりだめ
味が濃すぎる
武蔵はサツマイモ畑の手入れだったようだ
そのうち山形の子たちがサツマイモ掘りに来るのだよ
かなちゃんとこっちゃんは
ミラーボールの展覧会に行ったらしい
ねぶたもあったらしいや
お出かけ練習だって
よかったね
久子さんのお話会2,3歳の子たちだったそうだ
これはかつて
私が朗読やってた頃のお話会の写真
2,3歳って
この子たちより小さいやね
でもかなちゃんも絵本を読んでもらうの大好き
普通の子の半分くらいの成長速度だから
言葉がわかっているわけではないのだ
でもお話大好き
もちろん絵本をぶん投げるのも大好き
そうやって子供はいろいろな世界を獲得していくんだなあと
子供相手のことって
楽しいよね
いろいろ知ってしまった大人より豊かなものをつかんでいるのかとも思うし
一昨日の
馬頭行はかなり疲れた
大体3時間くらい運転をしたのだ
知らない土地だから神経も疲れたのだろうか
スケッチにわざわざ遠くまで行かなくたって
この田舎近場にいろいろ魅力的なところはある
スケッチタイムは二時間だった
描いたのは
これと
これを絵にするのが本当の作業だけど
上の蕎麦屋さんはかなり魅力的な建物だったけど
描きたい建物
ここ下館界隈にもいっぱいあるんだわよ
下のを描いてるときは
木でできてる魅力的な建物
これとかさ
下館の裏道で見かける家々いとかさ
思っていて描いてないのがいっぱいあるし
さてまずは紙芝居に取り掛からないとな
切り絵でやりたいが手がだめだからな
無理だろうな
こういう前に使った切り絵を流用するかな
この紙芝居の背景にも
これとか
これとか流用してあるのだ
でも例の寺院取材に行かないとな
切り絵
やってみるかな
自分が父や母がもうなくなった年を超えて
あと何円生きるだろうかということはよく考える
そうは長くはないだろうよ
で
できることは限られている
絵を描くものが死んだあと絵の始末はホント厄介だ
私の場合すべてゴミになるだろうけど残されたほうはあっさり捨てられない
そうやって友人知人にもっていかされるのだろうが
もらったほうも始末に困るというのが本音じゃないのかと思うことがある
というわけで二枚目の
がそろそろできるよ
これは
見てるほうは大変な作業に見えるらしいが実はすごいさぼり技
ながら作業なのだ
これで思った
稚拙な線だけで描いた絵というのも面白いよなと思うし
それってこういう編み絵に向いてる
これは作っても迷惑ではない
ひざ掛けにもなるしね