北野進の活動日記

志賀原発の廃炉に向けた取り組みや珠洲の情報、ときにはうちの庭の様子も紹介。

絆と分断

2012-03-11 | 雑感
 3.11から1年。
 それぞれの被災地の1年、あるいは様々な教訓が報道されている。

 死者15,854人
 行方不明 3,155人
 避難生活 34万人余
 福島・宮城・岩手3県の死者行方不明者の64%が60代以上
 震災が原因の自殺者56人
 震災関連死 1354人

 あらためて心からご冥福をお祈りすると同時にお見舞い申し上げたい。

 この一年間、福島第一原発の文字が新聞に出ない日はなかった。
 それと同時に日本中にあふれた言葉が絆であり、がんばろう日本であり、日本は一つといったスローガンだった。
 
 こうした流れにいち早く問題を提起したのが慶応大学で社会学を研究している小熊英二氏ではなかったかと思う。
 昨年4月28日の朝日新聞の朝刊「あすを探る」のコーナーで東北と東京の分断を明らかにしている。

・敗戦後の食糧増産政策の中でつくられた東京への供給地としての「米どころ」東北
・東京への低廉な労働力の供給地東北
・東京への電力供給地としての東北
 そんな東北は90年代以降のグローバル化の中でアジアとの競争を強いられ、過疎化、高齢化、小商店と公共交通機関の衰退が加速。
 阪神大震災地の違いとして消費地の復興と生産地の復興の違いも指摘した。
 そして最後に「震災が浮彫りにしたのは、「ニッポン」の一語で形容するするにはあまりに分断されている、近代日本の姿である。」と締めくくっている。

 そして3.11から1年。
 岩波の「世界」は震災から1年の特集の冒頭で、「日本には無数の断裂線が走っているようだ」と指摘する。
・非日常を生きざるをえない被災地と「何事もなかった」かのように日常を生きる被災地以外
 被災地の中でも、
・家族を失った人と亡くさなかった人
・家や財産を失った人と難を逃れた人
・貧しい人と豊かな人
・仕事を得た人と仕事を得ていない人
・仮設住宅に入った人と損壊した家に住む人
 原発被災地では
・避難して街を出る人と除染して留まろうとする人
・家族の中にも、夫婦の中にも、親戚、友人、近隣の人々の間にも
・農家と消費者の間にも
・「がんばれる」人と「がんばれない」人
・立ち上がれる人とうずくまったままの人
・前向きに生きる人と過去にこだわる人
 国会や政党の中にも省庁の中にも原発やエネルギー政策を巡って互いにいがみ合っている

 国会や政党はともかく、これまで隠されていた分断が震災で一気に増幅して表層に表れたものもあれば、あるいはもともと分断がなかったところに震災で分断が生じたものもある。
 震災がれきを巡る自治体と住民、住民同志、そして被災地住民と被災地でない自治体住民の分断もある。

 「世界」は、明るい希望や復興の物語だけを語ることを止めなければならない、まずは深く悲しむことでしか断裂線を超えることはできないという。

 波に呑まれていった命
 避難所や仮設住宅でなくなっていった命
 自ら絶っていった命
 永遠に失われた家、田畑、山、川、海、風・・・

 特集のテーマは「悲しもう・・・・・」である。
 





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