昨日の原水禁総会に続き今日は社民党の学習会や会議があるため金沢泊。
今週は富山、金沢、珠洲に多くの行事や会議が入っていたため、珠洲-金沢3往復である。ちょっとバテ気味。
それはともかく今日も快晴。金沢の真ん中を朝食前に散歩する。
中央公園横を通りシイの木迎賓館前を通り、本多の森公園へ。
県立美術館裏には結構古い樹木がいっぱい。
中村記念美術館との間の崖はこんな風に整備されている。
以前、県が管理する都市公園内に聖戦大碑が建てられたということで問題になり、県は土地を護国神社に返還すという姑息な手法で批判をかわした。そして不足した都市公園の面積を埋めるためにここを都市公園にしたと記憶している。こんな急峻な土地を都市公園にするのか?と当時の藤井肇県議が取り上げていたかと思う。
都市公園に適切かどうかはともかく、都心にこんな場所があるのも金沢ならではか。
タヌキも離れずに住み続けているらしい。
歴史博物館から能楽堂へ向かうと杜若像が。
今日は土曜日。土日は県民鑑賞の日ということで兼六園は県民は無料。
ということで久々に兼六園も散策。
季節、季節で見どころがあるのが兼六園の魅力のひとつ。
土曜日とはいえ8時前だから観光客も少ない。
一番の記念撮影スポットも、観光客に気兼ねせずゆっくり眺められる。
石川門を渡って金沢城公園へ。
そういえば河北門は建設中に来て以来で、完成した姿は初めて見る。
左は五十間長屋と続櫓、橋詰門。
河北門をくぐると、目の前に菱櫓が。
もちろん三浦雄一郎さんではありません。
石垣の間の草をむしる作業員のおじさん。
体をロープで縛ってロッククライミングである。
工事中の玉泉院の復元工事を眺めながら中央公園に戻る。
黒く覆われているのが伐採された木の切り株。
県は「最大」45本伐採としていたが、結局伐採は22本で打ち切り、残り13本は移植し、10本は残すことになった。
反対運動を受けての妥協点かとも思われるが、県議会には当初から「最大で45本」で現場の測量などで最終的に切る本数を決めると説明はしていたとのこと。
近代文学館横を通ると知人のKさん数年ぶりの再開。伐採打ち切りが表明されても、抜き打ちで切られないか不信感あり、その後も監視を続けているそうだ。今日は他のメンバーの都合がつかず、たまたまKさん一人とのこと。
県と考える会の溝は深いなぁというのが率直な印象。
中央公園の在り方について、見解の違いはあっても真剣に考えている県民がたくさんいるのはありがたいこと。無関心な県民ばかりなら決してまちはよくならない。パブリックコメントを募集しても応募がゼロという事案もある一方でこれだけ関心が高い事業なのだから、県はこれをチャンスとしてもっと積極的に県の方針を説明すればいいのにと思う。
従来は行政の裁量だったこと、行政の専門性の名の下、市民が口出ししにくかった分野にもどんどん市民が勉強し、発言するようになってきたことは間違いない。
行政が常に正しいという姿勢ではなく、市民から学ぶ姿勢が求められる。
その一方で、この問題、中央公園という枠にとらわれ、そこだけに突出した議論が展開されている印象もぬぐえない。
おそらく県庁の職員にすれば、県内あちこち、もっとたくさん木を伐採する事業があるのに・・・、もっと自然形態を変えてしまう事業があるのに・・・そんな戸惑いもあるのではないか。
参加している市民の声にも結構幅があるようだ。一気に集まったグループだけに時間が経過するなかで、考え方の違い、問題意識のずれもでてくるだろう。
さてこれからどうなることか、まだ一件落着というには早いのだろう。
あれやこれやと散歩をしながら思索にふける、いや、下手な考え休む似たり、と言った方がピッタシかもしれないが、そんな空間がまちの真ん中にあることで都市の魅力を高めていることだけは間違いない。
今週は富山、金沢、珠洲に多くの行事や会議が入っていたため、珠洲-金沢3往復である。ちょっとバテ気味。
それはともかく今日も快晴。金沢の真ん中を朝食前に散歩する。
中央公園横を通りシイの木迎賓館前を通り、本多の森公園へ。
県立美術館裏には結構古い樹木がいっぱい。
中村記念美術館との間の崖はこんな風に整備されている。
以前、県が管理する都市公園内に聖戦大碑が建てられたということで問題になり、県は土地を護国神社に返還すという姑息な手法で批判をかわした。そして不足した都市公園の面積を埋めるためにここを都市公園にしたと記憶している。こんな急峻な土地を都市公園にするのか?と当時の藤井肇県議が取り上げていたかと思う。
都市公園に適切かどうかはともかく、都心にこんな場所があるのも金沢ならではか。
タヌキも離れずに住み続けているらしい。
歴史博物館から能楽堂へ向かうと杜若像が。
今日は土曜日。土日は県民鑑賞の日ということで兼六園は県民は無料。
ということで久々に兼六園も散策。
季節、季節で見どころがあるのが兼六園の魅力のひとつ。
土曜日とはいえ8時前だから観光客も少ない。
一番の記念撮影スポットも、観光客に気兼ねせずゆっくり眺められる。
石川門を渡って金沢城公園へ。
そういえば河北門は建設中に来て以来で、完成した姿は初めて見る。
左は五十間長屋と続櫓、橋詰門。
河北門をくぐると、目の前に菱櫓が。
もちろん三浦雄一郎さんではありません。
石垣の間の草をむしる作業員のおじさん。
体をロープで縛ってロッククライミングである。
工事中の玉泉院の復元工事を眺めながら中央公園に戻る。
黒く覆われているのが伐採された木の切り株。
県は「最大」45本伐採としていたが、結局伐採は22本で打ち切り、残り13本は移植し、10本は残すことになった。
反対運動を受けての妥協点かとも思われるが、県議会には当初から「最大で45本」で現場の測量などで最終的に切る本数を決めると説明はしていたとのこと。
近代文学館横を通ると知人のKさん数年ぶりの再開。伐採打ち切りが表明されても、抜き打ちで切られないか不信感あり、その後も監視を続けているそうだ。今日は他のメンバーの都合がつかず、たまたまKさん一人とのこと。
県と考える会の溝は深いなぁというのが率直な印象。
中央公園の在り方について、見解の違いはあっても真剣に考えている県民がたくさんいるのはありがたいこと。無関心な県民ばかりなら決してまちはよくならない。パブリックコメントを募集しても応募がゼロという事案もある一方でこれだけ関心が高い事業なのだから、県はこれをチャンスとしてもっと積極的に県の方針を説明すればいいのにと思う。
従来は行政の裁量だったこと、行政の専門性の名の下、市民が口出ししにくかった分野にもどんどん市民が勉強し、発言するようになってきたことは間違いない。
行政が常に正しいという姿勢ではなく、市民から学ぶ姿勢が求められる。
その一方で、この問題、中央公園という枠にとらわれ、そこだけに突出した議論が展開されている印象もぬぐえない。
おそらく県庁の職員にすれば、県内あちこち、もっとたくさん木を伐採する事業があるのに・・・、もっと自然形態を変えてしまう事業があるのに・・・そんな戸惑いもあるのではないか。
参加している市民の声にも結構幅があるようだ。一気に集まったグループだけに時間が経過するなかで、考え方の違い、問題意識のずれもでてくるだろう。
さてこれからどうなることか、まだ一件落着というには早いのだろう。
あれやこれやと散歩をしながら思索にふける、いや、下手な考え休む似たり、と言った方がピッタシかもしれないが、そんな空間がまちの真ん中にあることで都市の魅力を高めていることだけは間違いない。
私的にこの活動にすこし納得がいかないといううか違和感を抱いています。
東日本震災がれき受け入れに関して金沢市民の中から
あまり反対の声が上がりませんでした。
樹木は目に見えるから? 震災がれきの埋め立ては目に見えないから?
緑を守る会って緑を守るだけ?
この活動に違和感を抱きながら注視している一人です。
震災復興予算適切に使ってほしいよな
木はあちこちで伐採されているのに、なぜここだけ。ということがあれば、情報を出していただいて「ここにもあるよ」と。金沢市の玉川公園のことは最近聞きましたが、そちらはそちらで、気がついた人達がやればいいのでは。
仕事でやっている人たちと違い、活動している市民は「ひとつ」で手いっぱいです。
それに、問題の根っこは同じだから、そこを深く掘っていくのがいいと思います。
中央公園のことは、ある年配の女性が散歩中、木に巻かれた赤いテープを見て、北陸中日新聞に知らせたのがきっかけと聞いています。
県議も「45本」とか「アスファルト」とか、細かい説明は受けていなかったそうですよ。そこンとこは、どうでしょうね、確認してお教え願います。
そうそう、黒いものがかぶせてあるのも、はじめは「こも」をかぶせてあったのが、「死体が累々」と言われて、かけ直したのです。
90歳になった、この公園を作った時のアドバイザーだった先生が「この木が大切な木だから切ってはいけない」と言っている目の前でバッサリ。とか、心がなさすぎますね。