北野進の活動日記

志賀原発の廃炉に向けた取り組みや珠洲の情報、ときにはうちの庭の様子も紹介。

朝日新聞 「提言 原発ゼロ社会」

2011-07-13 | 脱原発
 今日の朝日新聞は「提言 原発ゼロ社会」というタイトルの社説を掲げた。なんと1面半のスペースをとった超力作社説である。一面の「いまこそ政策の大転換を」という論説主幹の記事も加えるとほぼ2面を占める。

 朝日新聞に対して幻想、あるいは偏見を持ってきた人にとっては今頃「脱原発」への政策転換を訴える社説が出ること自体意外かもしれないが、朝日は長く原発推進、容認の立場の論陣を張ってきたのである。

 この長編社説の中で最も興味深かったのは一番最後の「原子力社説の変遷」の項目である。
 ヒロシマ・ナガサキから2年半しか経ていない1948年2月3日社説で「原子動力化の実現する年」と題して原発への期待を表明しているのである。

 アイゼンハワーが「平和のための原子力」を謳えたのが1953年12月。中曽根康弘元首相が中心となって原子力開発予算がつけられたのが1954年。読売新聞が原子力の平和利用を訴えた記事を連載したのもこの年であるから、朝日の突出は驚きである。ぜひその背景を知りたいものだ。 

 朝日はその後も推進の論陣を張り、推進から抑制へと論調が変わったのはスリーマイルやチェルノブイリの事故があった後だという。しかし、その後も抑制といいつつも原発容認の社説を繰り返してきたことは朝日の読者ならよく知るところだ。「危うさへの感度が足りなかった」と遅きに失した政策転換について反省を表明している。

 そういう意味で、ようやくの脱原発への転換である。もちろん歓迎すべきことであり、さぞや立派な構想が出ているものと期待したが、中身はこれまた大いにがっかりさせられる内容であった。

 脱原発への基本的な道筋は、「新たな原発はつくらない」、40年以上経過した老朽原発を対象に「古いものは閉めていく」ということである。新たな安全基準の下で、補強が難しかったり、コスト的に見合わないものは前倒し廃炉といいつつも、基本的には2049年まで原発はなくならないという脱原発のシナリオである。

 アメリカやフランスを中心に、原子力業界が必死に巻き返しを狙う中であるから、政策転換の意味がないとはいわない。
 しかし、福島第一原発の事故がいまだに収束を見ず、事故原因が明らかにならない中で、「まず急ぐべきは、今回の事故を教訓とした新たな安全基準や防災計画の策定だ」と当然のように書く軽さ。原発震災を招いた責任の一端を負う「当事者」としての反省も全く示されていない。
 変わらない朝日の姿がこのあたりにも示されている。
 
 政府と歩調を合わせ、志賀原発を含めた停止中の原発の再稼動を訴える朝日の社説が目に浮かぶようである。
 
 


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