北野進の活動日記

志賀原発の廃炉に向けた取り組みや珠洲の情報、ときにはうちの庭の様子も紹介。

ようやく迎えた寺家バイパス起工式

2017-10-08 | 雑感
   

今日は谷本知事を迎えての主要地方道大谷狼煙飯田線の三崎町寺家地内の寺家バイパス起工式。
会場に到着した知事の表情がいつにも増してにこやかなのはいいとして、このバイパスの場所を少し紹介したい。

   

能登半島を海沿いにドライブすると狼煙から寺家にかけてジェットコースターのような道路が続き、特に寺家上野地内(上記写真の「寺家漁港」の左側の家屋連担地域)では普通車でもすれ違いに苦労する道路の幅員となる。
観光バスの運転手からもすこぶる評判が悪い。
H26年度、ようやく最も難所区間である「ランプの宿」入り口付近から寺家漁港にかけてバイパス計画が事業化され、設計や用地買収の予算がついたわけだが、交通安全はもちろんのこと、観光振興や災害時にも必要な道路整備である。

知事は「なんで昔提案しなかったの?」と私に向かって不思議がって問いかけてきた。
昔というのはかつて私が県議をしていたころのことだ。

私は一言、この場所がかつての珠洲原発寺家地点(中部電力の原発予定地)だということを伝えた。
知事もすぐに納得した様子だった。

知事は、もちろん寺家に原発計画があったことは重々承知をしているが、正確な予定地を知らなかったようである。

   

上の写真の黄色い地点(私が挿入)がかつての原発の炉心予定地で、左端から右端まで、バイパスルートの奥の山側も含め、ほぼ中部電力の買収予定区域である。
バイパスの道路延長2.1kmのうち約2キロが予定区域内にある。

   

   

この区間の道路沿い、かつてはこのように推進、反対両派の看板が立てられていた。
推進派の地権者は電力会社に土地を売ることしか考えておらず、私たち反対派は共有地を作って土地を死守していた。
県が出てきても一筆たりとも用地買収などできる状態ではなかったのである。

私も当時、「この道路、何とかならないか」という相談は受けてはいたが、「原発計画がなくならないと、とてもさわれませんよ」と答えざるをえなかった。
2003年、ようやく珠洲原発は電力会社の撤退表明で幕を閉じた。

が、当時は小泉構造改革の真っただ中。
今度は公共事業費の大幅削減で、新規の道路事業など認可が下りる時代でなくなっていた。

今回、事業化から3年で約80人もの地権者の皆さんの了解が得られ、起工式を迎えるに至った。
実にスムーズだったとの発言も聞かれたが、私にとっては20年以上もの時間を経てようやく迎えた起工式である。
しかもかつての推進・反対で対立していた皆さんがまとまって用地提供に同意したのである。
実に感慨深いものがある。


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