今朝(12月23日)の北國新聞から。
石川県原子力環境安全管理協議会は、自らの存在理由である「地域住民の安全確保」をあからさまに放棄して、北陸電力とともに志賀原発の再稼働に向けた推進エンジンになっている。
そういう意味では昨日の安管協の会長・竹中副知事の発言に驚きは感じないが、あらためて一体どこを向いて仕事をしているのか怒りを禁じえない。
さらに驚いたのは記事の左下、谷本知事の発言である。
昨日、高浜原発の再稼働に同意した西川一誠福井県知事の判断一つひとつが(石川県知事にとっても)大きな前例になると言う。
とんでもない暴言である。
西川知事の再稼働同意について、たくさんの問題を内包しているが、石川県との関連で4点指摘しておきたい。
まず司法(3権分立)の軽視である。
運転差止の仮処分が生きている昨日の時点では、経産大臣はもちろん、総理大臣であろうが高浜原発を再稼働させる権限はない。明日の福井地裁の仮処分異議審を前に、仮処分の決定を無視するかのような発言するとは、司法に対する冒涜以外の何ものでもない。
後ろには最高裁が控えている。地裁の決定など政治の力で簡単にひっくり返してやるぞということか。
志賀原発も差止訴訟をおこなっている。
こういう司法冒涜の姿勢は絶対に前例として繰り返してはならない。
2つ目は京都府や滋賀県の意向無視である。
志賀原発も30キロ圏に富山県氷見市を含む。
再稼働の同意にあたっては富山県の意向は無視すると宣言したようなものである。
3つ目は福井の特殊事情を踏まえない発言である。
福井県には原子力に関わる全ての課題が集約されているから前例とする言うが、原発が集中立地した原発銀座若狭地方は地域経済の中での原発依存度も高い。地域経済だけでなく自治体財政の中の原発依存度も高い。
原発依存度が低い石川県や志賀町は脱原発に向けて方向転換しやすく、福島県に次いで脱原発の取り組みのリーダ-となれる位置にある。再稼働のモノサシから脱原発のモノサシへと基準を変えれば、前例とするものも自ずと違ってくる。
そして4つ目は、地球上にこれ以上軽いものはないと言うほど軽い「政府の責任」を同意の根拠にしたことである。福島で一切責任をとらない政府。そもそも過酷事故がおこったら誰も責任のとりようがないほどの回復不可能な被害となる。
こんなに軽い「政府の責任」を根拠にした再稼働の同意もこれまたいかにも軽い。
こんな同意を前例にされたら私たちの命はもっと軽くなってしまう。
原発先進地だから前例にするというのは方便で、単に再稼働の前例としたいだけではないか。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます