大阪市教育委員会は今日、目前に迫った大阪市立桜宮高校の体育系の入試の中止を決定した。
尾木ママが指摘するように、この間、なんら改善策を打ち出さず橋下市長に追い詰められた教育委員会にも責任はあるとは思う。
しかし、それでもやはり今回の橋下市長の体育会系の入試中止、そして職員総入れ替えの主張には賛同しがたいものを感じる。橋下市長得意の敵、あるいはターゲットを単純化して、問題の構図をすり替えるいつもの手法ではないか。
問われているのは教育における体罰であって、桜宮高校だけの問題ではないし、まして桜宮高校体育科とスポーツ健康科だけの問題ではないし、桜宮高校の部活だけの問題ではない。
学校教育法で明確に体罰は禁止されているが、それでも体罰には悪い体罰といい体罰があるという風潮がいまだに社会全体にあるのも事実だし、体罰を容認し、あるいは積極的に許容していこうという動きが政治の中にもあったのも事実である。
橋下市長が率いてきた大阪維新の会もその一つである。
昨年提案された大阪府教育基本条例案は「(教員は)教育上必要があるときは、必要最小限の有形力を行使して児童生徒に懲戒を加えることができる」として禁止される体罰を極めて狭く解釈しようとしたし(最終的に削除)、大阪維新の会の政調会長である大阪府議は「体罰の会」の発起人に名前を連ねる。
橋下市長自身「蹴られた痛さ、腹をどつかれた痛さがわかれば歯止めになる」(2012年10月)と体罰を容認してきた。だから今回の事件後も「ビンタはあり得る。きちっとルール化できていなかったのが問題だ」と発言。その後もクラブ活動で手をあげる指導を一切禁止する」としつつ「学校現場で先生が手をあげることを認めないといけない場合があるかもわからない」と語っている(赤旗日曜版1月20日より)。
受験生がショックを受け、大きな混乱をもたらす体育系の入試の中止を掲げ、社会に対し、自分はこれほどこの問題を重大視しているというポーズを示しているだけ。自分自身、あるいは維新の会の体罰容認の政策や見解に対する批判をかわそうとしているように思えてならない。
自分の保身のために受験生を巻き込んでいると言ったら言い過ぎだろうか。
尾木ママが指摘するように、この間、なんら改善策を打ち出さず橋下市長に追い詰められた教育委員会にも責任はあるとは思う。
しかし、それでもやはり今回の橋下市長の体育会系の入試中止、そして職員総入れ替えの主張には賛同しがたいものを感じる。橋下市長得意の敵、あるいはターゲットを単純化して、問題の構図をすり替えるいつもの手法ではないか。
問われているのは教育における体罰であって、桜宮高校だけの問題ではないし、まして桜宮高校体育科とスポーツ健康科だけの問題ではないし、桜宮高校の部活だけの問題ではない。
学校教育法で明確に体罰は禁止されているが、それでも体罰には悪い体罰といい体罰があるという風潮がいまだに社会全体にあるのも事実だし、体罰を容認し、あるいは積極的に許容していこうという動きが政治の中にもあったのも事実である。
橋下市長が率いてきた大阪維新の会もその一つである。
昨年提案された大阪府教育基本条例案は「(教員は)教育上必要があるときは、必要最小限の有形力を行使して児童生徒に懲戒を加えることができる」として禁止される体罰を極めて狭く解釈しようとしたし(最終的に削除)、大阪維新の会の政調会長である大阪府議は「体罰の会」の発起人に名前を連ねる。
橋下市長自身「蹴られた痛さ、腹をどつかれた痛さがわかれば歯止めになる」(2012年10月)と体罰を容認してきた。だから今回の事件後も「ビンタはあり得る。きちっとルール化できていなかったのが問題だ」と発言。その後もクラブ活動で手をあげる指導を一切禁止する」としつつ「学校現場で先生が手をあげることを認めないといけない場合があるかもわからない」と語っている(赤旗日曜版1月20日より)。
受験生がショックを受け、大きな混乱をもたらす体育系の入試の中止を掲げ、社会に対し、自分はこれほどこの問題を重大視しているというポーズを示しているだけ。自分自身、あるいは維新の会の体罰容認の政策や見解に対する批判をかわそうとしているように思えてならない。
自分の保身のために受験生を巻き込んでいると言ったら言い過ぎだろうか。
橋下市長の判断はあまりにも唐突すぎます。
もっと違った選択種があったのでは?
この学校で育った生徒たち、この学校を目指して頑張ってきた生徒たちはきっと混乱しているでしょう。