東京都や大阪市で原発の是非を問う住民投票の実施を目指している市民グループ「みんなで決めよう『原発』国民投票」が、条例制定の直接請求に向けた署名を12月10日からスタートさせることにしたという。
当初は国民投票を目指していたようだが、方針転換のようだ。
これまで原発に無関心だった都市部の市民が、原発の存在を自分たちの問題として考えていくきっかけにし、さらに東京都は東電の、大阪市は関電の大株主ということから、脱原発の意思を示し、原発政策の転換を求めていくことが狙いのようだ。
一般論として、住民投票は市民の政治参加、民主主義を強化するものであり、意義のあることだとは思うが、何でもかんでも住民投票をやればいいというものではない。
今回の署名の請求代理人の一人になっているジャーナリストの今井一氏については、以前から国民投票や住民投票を無原則的に賛美しているように思えてならず、この間の様々な運動(例えば憲法改正の国民投票の呼びかけなど)には身構えていたが、今回も同様である。
東京や大阪の住民投票は、かつての新潟県巻町の住民投票や、志賀町赤住での住民投票と決定的な違いがある。
東京都民はこの間、福島原発による電力の恩恵を一方的に受けてきた。いま、福島第一原発の原発震災による放射能の放出で、都民も環境の汚染や食品の汚染などの「被害」にあい当事者意識を持ち始めたのは結構なことだが、その次の行動の取り方としては違和感を禁じえない。
住民投票とは基本的に○か×を選択するものである。都市部住民には○、つまり過疎地に原発を押し付け続ける道を選択をする権利はないということははっきりさせておかなければならない。
仮に1年前、稼動から40年経過する福島第一原発1号機の廃炉の是非を問う住民投票を東京でおこなったらどんな結果になっただろうか。自分たちは福島原発の電力が必要だからもっと動かし続けてくれという結果になったかもしれない。今回は勝てるだろうという判断があるのかもしれないが、そもそも住民投票の遡上に乗せていいテーマと悪いテーマがある。投票する「住民」の範囲も同じく慎重に検討しなければならない。
中立を装って、あるいは民主主義の振りをして「都会の皆さん、原発是非の意思表示をしましょう」などという運動は、この間の原発立地の歴史を無視しているし、都市部住民がいま置かれている立場を勘違いさせるものでしかないと思う。
この住民投票運動については、あちこちで批判の声も上がっている。
ひとつ引用すると、「許すな!憲法改悪・市民連絡会」の高田健さんは、
「東京都民に福島県民を犠牲にする「原発稼働」を選択する「権利」などない。「辺境」を犠牲にした「都市」の電力の浪費はやめなくてはならないのだ。このことを明らかにすることこそ、現下の市民運動の責任であり、課題だ」
と述べている。
詳しくは「原発住民投票の思想を問う」をご覧いただきたい。
当初は国民投票を目指していたようだが、方針転換のようだ。
これまで原発に無関心だった都市部の市民が、原発の存在を自分たちの問題として考えていくきっかけにし、さらに東京都は東電の、大阪市は関電の大株主ということから、脱原発の意思を示し、原発政策の転換を求めていくことが狙いのようだ。
一般論として、住民投票は市民の政治参加、民主主義を強化するものであり、意義のあることだとは思うが、何でもかんでも住民投票をやればいいというものではない。
今回の署名の請求代理人の一人になっているジャーナリストの今井一氏については、以前から国民投票や住民投票を無原則的に賛美しているように思えてならず、この間の様々な運動(例えば憲法改正の国民投票の呼びかけなど)には身構えていたが、今回も同様である。
東京や大阪の住民投票は、かつての新潟県巻町の住民投票や、志賀町赤住での住民投票と決定的な違いがある。
東京都民はこの間、福島原発による電力の恩恵を一方的に受けてきた。いま、福島第一原発の原発震災による放射能の放出で、都民も環境の汚染や食品の汚染などの「被害」にあい当事者意識を持ち始めたのは結構なことだが、その次の行動の取り方としては違和感を禁じえない。
住民投票とは基本的に○か×を選択するものである。都市部住民には○、つまり過疎地に原発を押し付け続ける道を選択をする権利はないということははっきりさせておかなければならない。
仮に1年前、稼動から40年経過する福島第一原発1号機の廃炉の是非を問う住民投票を東京でおこなったらどんな結果になっただろうか。自分たちは福島原発の電力が必要だからもっと動かし続けてくれという結果になったかもしれない。今回は勝てるだろうという判断があるのかもしれないが、そもそも住民投票の遡上に乗せていいテーマと悪いテーマがある。投票する「住民」の範囲も同じく慎重に検討しなければならない。
中立を装って、あるいは民主主義の振りをして「都会の皆さん、原発是非の意思表示をしましょう」などという運動は、この間の原発立地の歴史を無視しているし、都市部住民がいま置かれている立場を勘違いさせるものでしかないと思う。
この住民投票運動については、あちこちで批判の声も上がっている。
ひとつ引用すると、「許すな!憲法改悪・市民連絡会」の高田健さんは、
「東京都民に福島県民を犠牲にする「原発稼働」を選択する「権利」などない。「辺境」を犠牲にした「都市」の電力の浪費はやめなくてはならないのだ。このことを明らかにすることこそ、現下の市民運動の責任であり、課題だ」
と述べている。
詳しくは「原発住民投票の思想を問う」をご覧いただきたい。
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