昨日は震災年度入学生1000人余りが4年間の学び舎福島大を後にした。従来の3割から今年は4割が県内就職と言う。
また、川内小でたった一人の卒業生秋元千果さんが、24年に帰還、友の帰還を待ちながら3年間学び23日巣立った。
津波で亡くなった友への卒業式も同23日に行われた。
当時小学2年生で津波犠牲の上野永吏可さんが、南相馬市原町区大甕小で卒業式が終わってから、永吏可さんの卒業式が19人の卒業生が見守るなか教室で、父親敬幸(42)さんに卒業証書が手渡された。
敬幸さんは涙を浮かべながら有難うございますとお礼を述べ、同級生に「卒業おめでとう。永吏可と友達でいてくれてありがとう」と声をかけた。母親と妹も同席した。
上野さん夫妻は長男と両親を亡くし、息子の倖太郎(当時3つ)ちゃんと父親は行方不明で分からいままである。いまでも敬幸さんは捜索活動を続けていると。
亡き級友の卒業証書のことを思い。、いつまでも忘れないでほしいと願う。
また、川内小でたった一人の卒業生秋元千果さんが、24年に帰還、友の帰還を待ちながら3年間学び23日巣立った。
津波で亡くなった友への卒業式も同23日に行われた。
当時小学2年生で津波犠牲の上野永吏可さんが、南相馬市原町区大甕小で卒業式が終わってから、永吏可さんの卒業式が19人の卒業生が見守るなか教室で、父親敬幸(42)さんに卒業証書が手渡された。
敬幸さんは涙を浮かべながら有難うございますとお礼を述べ、同級生に「卒業おめでとう。永吏可と友達でいてくれてありがとう」と声をかけた。母親と妹も同席した。
上野さん夫妻は長男と両親を亡くし、息子の倖太郎(当時3つ)ちゃんと父親は行方不明で分からいままである。いまでも敬幸さんは捜索活動を続けていると。
亡き級友の卒業証書のことを思い。、いつまでも忘れないでほしいと願う。