今朝ラジオ1時台、「わが心の人」高田敏子の長女久冨純江さんトークの後半をを聞いた。
高田敏子詩集Ⅰ(1964~1978)に載っている「藤の花」の朗読で、
きものの色が 少しずつ地味になってきたように 料理も淡白なものが好きになった
「恋」という言葉も もう派手すぎて 恋歌も恋の詩も書けなくなった
書けなくなったころから 古い恋うたのこころがわかり
私の恋もまた深くゆたかに 静かに 美しいものなっていった
藤の古木が 千条の花房を咲かせるように
解説が終わると、母の言葉で印象に残るものは、ロマンローランがベートーベンの感動から人生について語り、ダンテの生きるについての言葉で、私も母のようにもっと人生を深く考えたいと結んだ。
詩集の「あとがき」から、「初期詩集」4編から敗戦の東京の町が浮かんできます。
昭和21年4月台湾から引き揚げてきた私は神田や新橋の闇市をさまよい歩き、ブタの内臓売りのおばさんになろうと考えていたからです。
結局ミシンで生計を立てることにしましたが、ある日立ちよった本屋で、娘時代に読んでいた文芸誌「若草」に出会い、十年近くも忘れていた詩への思いを甦らせてくれ、弟が喫茶店に連れて行き、長田恒雄先生に出会い、作品の回し読みにまた、
であったという。
やさしい雨 春の雨・・・など私は好き詩である。
高田敏子詩集Ⅰ(1964~1978)に載っている「藤の花」の朗読で、
きものの色が 少しずつ地味になってきたように 料理も淡白なものが好きになった
「恋」という言葉も もう派手すぎて 恋歌も恋の詩も書けなくなった
書けなくなったころから 古い恋うたのこころがわかり
私の恋もまた深くゆたかに 静かに 美しいものなっていった
藤の古木が 千条の花房を咲かせるように
解説が終わると、母の言葉で印象に残るものは、ロマンローランがベートーベンの感動から人生について語り、ダンテの生きるについての言葉で、私も母のようにもっと人生を深く考えたいと結んだ。
詩集の「あとがき」から、「初期詩集」4編から敗戦の東京の町が浮かんできます。
昭和21年4月台湾から引き揚げてきた私は神田や新橋の闇市をさまよい歩き、ブタの内臓売りのおばさんになろうと考えていたからです。
結局ミシンで生計を立てることにしましたが、ある日立ちよった本屋で、娘時代に読んでいた文芸誌「若草」に出会い、十年近くも忘れていた詩への思いを甦らせてくれ、弟が喫茶店に連れて行き、長田恒雄先生に出会い、作品の回し読みにまた、
であったという。
やさしい雨 春の雨・・・など私は好き詩である。